図書館から借りた本を1ページずつプリンターで読み取って音声ソフトで読めるというのは、目の不自由な者にとって本当にありがたいテクノロジーです。これがなかった時代の同じ立場の方々を思うと、何と幸せな時代かと思います。しかし一方でこの作業にも限りがあって、時々「もう限界だな」と考えてもいたのです。そんな時、或る全盲の方からデイジー図書を勧められました。盲学校で知っていたはずなのにすっかり失念していたのと、私は利用できないだろうと思い込んで調べていなかったのです。しかし思い切って日本点字図書館にメールでお伺いをする決心がつき、以前そこで点字を習ったことなどを思い出しながら、目の状態や略歴を書いて送りました。すると「あなたはサピエ図書館を利用できます」との返信が来て、そのうれしかったこと。何でも率直に話してお願いしてみるものだなとしみじみ思いました。さっそく登録をし、IDとパスワードをもらってデイジー図書を利用できるようになりました。天にも昇る心持ちで図書の検索をしながら、背中を押してくださった全盲の方(この方も中途失明です)が、「見えなくなってよかった唯一のことはこれです」とおっしゃっていたのを思い出しました。さっそく雨の中日本点字図書館に読み出し器を買いに行き、もう何でも読めるようになりました。さながら、新しいおもちゃを与えられた子どもの如くバラ色の毎日、他のことはすっかりお留守になっています。
ネット上にある文字データは基本的に著作権の切れた著作物ですが、デイジー図書は比較的新しいものもあるのでとても新鮮な気持ちです。ちょっと長くて二の足を踏んでいた本も音声なら読めるかなと楽しみです。何冊かの本を並行して読む方法もありますが、私の場合はできるだけ一冊ずつ読み終えたい方です。もしくは、午前中は読むのに気合がいる本(哲学書や学術書)、午後は一般書や娯楽本(小説やエッセイ)に分ける程度です。時間の制約もあるので、自分が面白いと思わない本はたとえ評判になった本でも、ご縁がなかったのだと思って意地になって読むことはしないと決めました。
いずれにしても、このような「聴く読書」が可能になるには何十年にもわたる視覚障碍者教育および福祉事業の成果であることは間違いありません。すべてのデイジー図書は制作所がわかるようになっていますが、これは日本点字図書館や国立国会図書館のみならず、全国各地の視覚障碍者支援施設や学校、また市民団体の関連施設からなっています。要するにボランティアの仕事なのです。世の中のすばらしい達成の多くは善意のボランティアによってなされているのだということを改めて感じます。それにしても前から読みたかったものとはいえ、時節柄、今カミュの『ペスト』を読むというのはどうなんでしょ。