これまでの経緯
2006年
スマトラ沖地震を受け、経済産業省原子力安全・保安院が東京電力をはじめとする電力会社との勉強会で、大規模津波による原子力発電所の全電源喪失の可能性を指摘。(後に国会の福島原発事故調査委員会に参考人として出席した勝俣東電会長は「聞いていない」と発言)
2011年
東日本大震災発生 福島第一原発、全電源喪失により炉心溶融
2013年
IOC総会で2020年東京オリンピック開催決定
IOC総会における、世界へ向けての安倍首相の発言
「(福島第一原発の)状況はコントロールされている。」(最終プレゼンにて)
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。」(ノルウェーIOC委員の質問に答えて)
東京五輪招致委員会竹田理事長の発言
「東京は福島から250キロも離れているから安全」(IOC総会開催地ブエノスアイレスでの会見にて)
新国立競技場をめぐるごたごた
エンブレム盗作疑惑と再コンペ
大幅予算超過見通し
舛添都知事の不適切な公金利用問題
もりかけ問題が明るみに出、それに伴う公文書改竄事件起こる
2018年
フランス司法当局、東京五輪招致にまつわる贈収賄疑惑で竹田理事長の事情聴取を開始(ル・モンド誌)
2019年
英紙「ガーディアン」、日本の招致委員会によるラミーヌ・ディアク前国際陸連会長の息子の関連会社への2億2300万円支払いを報道
*ラミーヌ・ディアクはロシア・ドーピング疑惑もみ消しで収賄疑惑の渦中にある人物、息子は国際陸連から永久追放
*仲介は電通、シンガポールのダミー企業に振り込まれた金が上記息子の関連会社に転送されたことが判明
竹田JOC会長退任表明、併せてIOC会長も辞任
桜を見る会事件明るみに出る
2020年
新型コロナウィルス感染拡大
市中感染の様相、世界各地への拡大、パンデミックのおそれ
「IOC委員、五輪中止の判断は5月末と発言」と報じられる
国中に動揺が広がっています。無辜の人々の嘆きが聞こえてきます。想像もしなかった成り行きですが、ここ十数年におこなった我が国の悪事の数々を突き付けられると、納得もします。こういうの、昔の人は天罰って言ったんでしょうね。同じ国に住んでる以上、手のきれいな人はきっと一人もいない。それは世界中どこでも同じでしょう。ずっとずっと長い間、「認めない」、「許さない」と叫んでいたとしても、それだけでは駄目なのでしょうね。そういう意味では平等かな。
2020年2月26日水曜日
2020年2月19日水曜日
「感染拡大とともに」
新型ウィルスの感染拡大はこれからが正念場という段階に入りました。こう言っては語弊がありますが、今回の出来事は医学的レベルとは違った意味でいろいろなことを考えさせてくれます。一言で言うと、我々は論理的な思考力を失っている、もしくは失ったかのように振舞っているということになります。何しろこの件がクローズアップされる前から、観光という形で隣国から何千、何万もの人が訪れているのです。或る日を境に突然始まったものではないと考えるのが妥当でしょう。しかもこのウィルスの検出には時間がかかり、また検出できる機関も限られているのです。さらにまずいことにこのウィルスは潜伏期間にも他へ感染し、感染しても症状が出ない人がいることです。(ひょっとするとこれは、「検査結果の精度は絶対的なものではない」というやむを得ない事情によるのかもしれません。)感染しても症状が出なければ、その人にとってこのウィルスは脅威ではない。また、マスク不足から「感染者が飛沫を飛ばさぬようマスクをするのは有効だが、感染していない人はマスクをしても意味がない」とのアナウンスが行われましたが、自分が感染しているかどうかは調べてみないと正確にはわからないのですから、この説も的を得ていません。
政府が手配した飛行機で帰国した方々が千葉のホテルで2週間過ごし全員陰性で帰宅できたことに胸をなでおろした人も多かったでしょう。一方、乗員・乗客三千七百人という動くホテルのクルーズ船では検疫期間中に明らかな船内感染が広がり、混迷を極めています。不思議なのは発症した人は下船できるが、症状のない人は船内に留め置かれるという事態です。不謹慎な言い方ですが、軽く発症して指定医療機関で治療してもらえたら患者には一番負担が少ないでしょう。船に一人の罹患者がいたため、乗員・乗客は多大な被害を被った方々なのに、なおかつ無症状の人々の経過観察受け入れ先となった地域では住民運動が起きたり、心無い人からの中傷が発生しました。私見では、もう市中感染が起きてもおかしくない状況なのですから、集まって反対運動をすることの方が危ない気がします。立場が逆転した時の自分が全く想像できていないのです。感染者が「おらが町」に来るのは心配だと言っている人は、「あなたも感染者です」と言われた時、どういう態度をとるのでしょうか。
政府から要請を受けた指定医療機関は感染患者を受け入れています。福島での受け入れは、一昨日までに五人、昨日は一人と淡々と報道されました。少なくとも私は、この方たちは原発汚染者とみなされる福島に住む人々と同じなのだと感じています。自分たちが使うわけでもない電気を作るため原発事業を押し付けられ、全電源喪失の爆発時にも政府が知り得た情報(風向きによる放射能の拡散)を知らされず身を守れなかった者たちなのです。現在起きていることは、日本が観光事業の急拡大を称揚して利益を上げ、あるいは一円でも安い物を作ったり手に入れたりするためにグローバリゼーションを推し進めてきた結果だということを認識する必要があります。新型ウィルスの問題は、それが外から突然到来したものではなく、我々の内部から生じたものだと自覚する以外、これからの課題を乗り越える道はないように思います。とりあえずこのウィルスの攻略のカギは、「感染しても発症しない人がいる」ことでしょうか。免疫力を上げるのが最も効果的な対処法かもしれません。
政府が手配した飛行機で帰国した方々が千葉のホテルで2週間過ごし全員陰性で帰宅できたことに胸をなでおろした人も多かったでしょう。一方、乗員・乗客三千七百人という動くホテルのクルーズ船では検疫期間中に明らかな船内感染が広がり、混迷を極めています。不思議なのは発症した人は下船できるが、症状のない人は船内に留め置かれるという事態です。不謹慎な言い方ですが、軽く発症して指定医療機関で治療してもらえたら患者には一番負担が少ないでしょう。船に一人の罹患者がいたため、乗員・乗客は多大な被害を被った方々なのに、なおかつ無症状の人々の経過観察受け入れ先となった地域では住民運動が起きたり、心無い人からの中傷が発生しました。私見では、もう市中感染が起きてもおかしくない状況なのですから、集まって反対運動をすることの方が危ない気がします。立場が逆転した時の自分が全く想像できていないのです。感染者が「おらが町」に来るのは心配だと言っている人は、「あなたも感染者です」と言われた時、どういう態度をとるのでしょうか。
政府から要請を受けた指定医療機関は感染患者を受け入れています。福島での受け入れは、一昨日までに五人、昨日は一人と淡々と報道されました。少なくとも私は、この方たちは原発汚染者とみなされる福島に住む人々と同じなのだと感じています。自分たちが使うわけでもない電気を作るため原発事業を押し付けられ、全電源喪失の爆発時にも政府が知り得た情報(風向きによる放射能の拡散)を知らされず身を守れなかった者たちなのです。現在起きていることは、日本が観光事業の急拡大を称揚して利益を上げ、あるいは一円でも安い物を作ったり手に入れたりするためにグローバリゼーションを推し進めてきた結果だということを認識する必要があります。新型ウィルスの問題は、それが外から突然到来したものではなく、我々の内部から生じたものだと自覚する以外、これからの課題を乗り越える道はないように思います。とりあえずこのウィルスの攻略のカギは、「感染しても発症しない人がいる」ことでしょうか。免疫力を上げるのが最も効果的な対処法かもしれません。
2020年2月18日火曜日
「紅春 152」
寝ています。安心しきって寝ています。一日のほとんどを寝ています。起きているのはもはや、寝疲れた時や寝るのに飽きた時だけです。そうするとおもむろにやって来て、お座りにて「散歩の時間です」をアピール・・・。こちらに選択肢はありません。いかなる場合もやっていることを中断して散歩に赴くのです。
りくの生活のペースが乱れるのは私の帰省直後です。最初の晩は午前3時頃からこちらの様子を何度も見に来ます。鼻をフンフンならしたり、体をブルブル振るって音を出して「ここにいるよ」と自分の存在を知らせながら来るのです。時計を見て「まだ早いよ」と撫でてやってから帰すのですが、その時の顔は真ん丸めんめでうれしさに輝いています。普段は相当のオヤジ顔なのに、この時ばかりは子犬だったころの顔になっているのです。これは脳が活性化している証拠? それはそうだわな、いつもは昼間一人きりだから刺激がないのだと納得。やはり月に一度は来てやらないと、りく寝たきりになっちゃう。
りくの生活のペースが乱れるのは私の帰省直後です。最初の晩は午前3時頃からこちらの様子を何度も見に来ます。鼻をフンフンならしたり、体をブルブル振るって音を出して「ここにいるよ」と自分の存在を知らせながら来るのです。時計を見て「まだ早いよ」と撫でてやってから帰すのですが、その時の顔は真ん丸めんめでうれしさに輝いています。普段は相当のオヤジ顔なのに、この時ばかりは子犬だったころの顔になっているのです。これは脳が活性化している証拠? それはそうだわな、いつもは昼間一人きりだから刺激がないのだと納得。やはり月に一度は来てやらないと、りく寝たきりになっちゃう。
2020年2月12日水曜日
「新たな読書ツール」
図書館から借りた本を1ページずつプリンターで読み取って音声ソフトで読めるというのは、目の不自由な者にとって本当にありがたいテクノロジーです。これがなかった時代の同じ立場の方々を思うと、何と幸せな時代かと思います。しかし一方でこの作業にも限りがあって、時々「もう限界だな」と考えてもいたのです。そんな時、或る全盲の方からデイジー図書を勧められました。盲学校で知っていたはずなのにすっかり失念していたのと、私は利用できないだろうと思い込んで調べていなかったのです。しかし思い切って日本点字図書館にメールでお伺いをする決心がつき、以前そこで点字を習ったことなどを思い出しながら、目の状態や略歴を書いて送りました。すると「あなたはサピエ図書館を利用できます」との返信が来て、そのうれしかったこと。何でも率直に話してお願いしてみるものだなとしみじみ思いました。さっそく登録をし、IDとパスワードをもらってデイジー図書を利用できるようになりました。天にも昇る心持ちで図書の検索をしながら、背中を押してくださった全盲の方(この方も中途失明です)が、「見えなくなってよかった唯一のことはこれです」とおっしゃっていたのを思い出しました。さっそく雨の中日本点字図書館に読み出し器を買いに行き、もう何でも読めるようになりました。さながら、新しいおもちゃを与えられた子どもの如くバラ色の毎日、他のことはすっかりお留守になっています。
ネット上にある文字データは基本的に著作権の切れた著作物ですが、デイジー図書は比較的新しいものもあるのでとても新鮮な気持ちです。ちょっと長くて二の足を踏んでいた本も音声なら読めるかなと楽しみです。何冊かの本を並行して読む方法もありますが、私の場合はできるだけ一冊ずつ読み終えたい方です。もしくは、午前中は読むのに気合がいる本(哲学書や学術書)、午後は一般書や娯楽本(小説やエッセイ)に分ける程度です。時間の制約もあるので、自分が面白いと思わない本はたとえ評判になった本でも、ご縁がなかったのだと思って意地になって読むことはしないと決めました。
いずれにしても、このような「聴く読書」が可能になるには何十年にもわたる視覚障碍者教育および福祉事業の成果であることは間違いありません。すべてのデイジー図書は制作所がわかるようになっていますが、これは日本点字図書館や国立国会図書館のみならず、全国各地の視覚障碍者支援施設や学校、また市民団体の関連施設からなっています。要するにボランティアの仕事なのです。世の中のすばらしい達成の多くは善意のボランティアによってなされているのだということを改めて感じます。それにしても前から読みたかったものとはいえ、時節柄、今カミュの『ペスト』を読むというのはどうなんでしょ。
ネット上にある文字データは基本的に著作権の切れた著作物ですが、デイジー図書は比較的新しいものもあるのでとても新鮮な気持ちです。ちょっと長くて二の足を踏んでいた本も音声なら読めるかなと楽しみです。何冊かの本を並行して読む方法もありますが、私の場合はできるだけ一冊ずつ読み終えたい方です。もしくは、午前中は読むのに気合がいる本(哲学書や学術書)、午後は一般書や娯楽本(小説やエッセイ)に分ける程度です。時間の制約もあるので、自分が面白いと思わない本はたとえ評判になった本でも、ご縁がなかったのだと思って意地になって読むことはしないと決めました。
いずれにしても、このような「聴く読書」が可能になるには何十年にもわたる視覚障碍者教育および福祉事業の成果であることは間違いありません。すべてのデイジー図書は制作所がわかるようになっていますが、これは日本点字図書館や国立国会図書館のみならず、全国各地の視覚障碍者支援施設や学校、また市民団体の関連施設からなっています。要するにボランティアの仕事なのです。世の中のすばらしい達成の多くは善意のボランティアによってなされているのだということを改めて感じます。それにしても前から読みたかったものとはいえ、時節柄、今カミュの『ペスト』を読むというのはどうなんでしょ。
2020年2月7日金曜日
「新型ウィルスの時代」
毎日、新型コロナウィルスの感染拡大が告げられています。頭が痛いことです。発症した場合の危険の度合いはインフルエンザより少し重い程度か(?)と言われているようなので、むやみに恐れることはなさそうですが、今までのウィルスと違うのは潜伏期間(12日半)でも人から人へ感染する可能性があるということです。これは困った事態です。2メートル以内で話しただけで「濃厚接触」になるのですから、相手がごく元気そうに見えても12日半経たないと無事かどうかわからないということです。よくわかりませんが、感染症学的にはピークを迎えないまま収束するのが望ましいらしいです。
横浜に着岸したままのクルーズ船では検査した全乗客の十分の一以下の人のうち25%ほどの感染がわかり、三千名以上の乗客が12日半の足止めを食っています。感染症学的にそれが正しいのはわかりますが、乗客にこれはつらいでしょう。伝えられる船内の生活は健康な人でも病気になってしまいそうなひどいものです。乗り物というのは全て閉鎖的な独立体とはいえ、これほど巨大な海に浮かぶ宿泊施設は感染症学的にはあまりに無力です。今回の教訓は、体調に気を付けなければならない人はこのような耐えがたい事態に陥らぬよう、近寄ってはいけないものを見分け、娯楽を自制しなければならないということかもしれません。
現在のところ自分はほぼ変わらない暮らしをしています。普段からマスクを欠かせない生活でしたので、当面のマスク不足も乗り越えられるのではないかと思っています。マスクをして外出し、帰宅したらうがい・手洗いの励行、栄養に気を付けた食事と十分な睡眠、できるのはこれくらいでしょう。不必要な外出はしないことにしましたが、家で楽しめること(端的に読書です)はいくらでも飽きずにできるので支障はほぼ全くありません。新型ウィルスは今後も形を変えて人間社会に現れるでしょう。何かが根本的に間違っているという思いにとらわれるのは私だけかもしれませんが、人口の三分の一が死亡したと言われる黒死病のような致死率の高い感染症が現れないことを願うばかりです。
横浜に着岸したままのクルーズ船では検査した全乗客の十分の一以下の人のうち25%ほどの感染がわかり、三千名以上の乗客が12日半の足止めを食っています。感染症学的にそれが正しいのはわかりますが、乗客にこれはつらいでしょう。伝えられる船内の生活は健康な人でも病気になってしまいそうなひどいものです。乗り物というのは全て閉鎖的な独立体とはいえ、これほど巨大な海に浮かぶ宿泊施設は感染症学的にはあまりに無力です。今回の教訓は、体調に気を付けなければならない人はこのような耐えがたい事態に陥らぬよう、近寄ってはいけないものを見分け、娯楽を自制しなければならないということかもしれません。
現在のところ自分はほぼ変わらない暮らしをしています。普段からマスクを欠かせない生活でしたので、当面のマスク不足も乗り越えられるのではないかと思っています。マスクをして外出し、帰宅したらうがい・手洗いの励行、栄養に気を付けた食事と十分な睡眠、できるのはこれくらいでしょう。不必要な外出はしないことにしましたが、家で楽しめること(端的に読書です)はいくらでも飽きずにできるので支障はほぼ全くありません。新型ウィルスは今後も形を変えて人間社会に現れるでしょう。何かが根本的に間違っているという思いにとらわれるのは私だけかもしれませんが、人口の三分の一が死亡したと言われる黒死病のような致死率の高い感染症が現れないことを願うばかりです。
2020年2月1日土曜日
「紅茶再発見」
正月に寝込んでから体調が戻るまで、なんだか紅茶を飲みたくなり久しぶりに飲んでみたら、ビックリするほど美味しかったのです。子どもの頃からある日本のブランド、あの黄色い地に赤字のティーバッグです。思い出せば、何十年も前は私は紅茶党でした。英国に行ったことのある多くの人がそうであるように、紅茶にはまって缶入りのF&Mを愛用していたのです。美味しい淹れ方も学んだはずですが、今覚えているのはとにかくグツグツ沸騰したお湯を使うことだけです。このやり方でスキムミルクを使って淹れてみたら本当に美味しく飲めて、しかもティーバッグなので後始末はポイと捨てるだけという手軽さ。これは今サイフォンで淹れているコーヒーと比べて、手間と速さで優っています。再び紅茶に目覚めました。
リビングの戸棚には英国から持ち帰った茶器を含めティー用品がたくさんありますが、その中で目につくのは、白地に紺の幾何学模様で二杯用の可愛いティーポットです。これはブレーメンのシュノーア地区の小さなお店のショーウインドウにあった品に一目ぼれして購入したものです。シュノーア地区は石畳に木組みの家が立ち並ぶ、職人さんたちが住む路地で、一階はお店やアトリエになっています。様々な手作り品を売っており、ブレーメンの人気の地区です。ヘルベルトと出会った頃は私は紅茶党で、家ではヘルベルトにはコーヒーを、自分用には紅茶を淹れていたのを思い出しました。それがだんだん面倒になり、加えてドイツでは圧倒的にコーヒーの方が美味しいので、いつのまにか私もコーヒー党になっていったのでした。
以前はF&Mのダージリンが一番好きでしたが、何しろ試した日本の紅茶があまりに美味しかったので、念のため帰省したとき兄にも淹れて味見してもらいました。兄は一言、「旨いね!」と言いましたので、やはりそうかと安心しました。コーヒーも今まで通り愛飲しますが、これはもう「紅茶党復活宣言」をしなければならないでしょう。
リビングの戸棚には英国から持ち帰った茶器を含めティー用品がたくさんありますが、その中で目につくのは、白地に紺の幾何学模様で二杯用の可愛いティーポットです。これはブレーメンのシュノーア地区の小さなお店のショーウインドウにあった品に一目ぼれして購入したものです。シュノーア地区は石畳に木組みの家が立ち並ぶ、職人さんたちが住む路地で、一階はお店やアトリエになっています。様々な手作り品を売っており、ブレーメンの人気の地区です。ヘルベルトと出会った頃は私は紅茶党で、家ではヘルベルトにはコーヒーを、自分用には紅茶を淹れていたのを思い出しました。それがだんだん面倒になり、加えてドイツでは圧倒的にコーヒーの方が美味しいので、いつのまにか私もコーヒー党になっていったのでした。
以前はF&Mのダージリンが一番好きでしたが、何しろ試した日本の紅茶があまりに美味しかったので、念のため帰省したとき兄にも淹れて味見してもらいました。兄は一言、「旨いね!」と言いましたので、やはりそうかと安心しました。コーヒーも今まで通り愛飲しますが、これはもう「紅茶党復活宣言」をしなければならないでしょう。
登録:
投稿 (Atom)