2019年11月21日木曜日

「年金ランティエ」

 明治時代の小説に今の人々が違和感を感じることの一つは、学問も修め、結構な年齢になっているのに働いていない、いわゆる高等遊民の存在ではないでしょうか。そしてとっくに隠居している裕福な父親が、息子に生活費を与えつつ結婚を執拗に迫るという家族のあり方に、「うーむ、これでよいのだろうか」と不可解な感覚を抱くのです。こういった違和感は端的に明治の或る時期と現在との社会的、経済的変容の何たるかを教えてくれます。大学を出た青年は当時はエリートであり、世間体もあって学歴にふさわしい処遇が期待できる職業に就く以外に道はなく、一方、家長である父親は家の存続を至上命題として、息子には何としても跡継ぎを残してもらわねばなりません。不幸にして夫婦に子どもがない場合、養子縁組をするという話もよく出てきます。そして明治の或る時期にこういった高等遊民という生活形態のあり方が可能だったのは、今からは想像できないほどの金利の高さがあるでしょう。詳細は知りませんが、例えば金利が7.2%なら10年で預金が倍になるのですから、金利が6%くらいでもそれなりの資産のある人は利息だけで見苦しくない暮らしができたことでしょう。しかし、高金利も長期間は続かず、やがて高等遊民も消えてゆきます。

 もう一つ今の人が明治の暮らしに抱く違和感は、家族。親族の人間関係の親密さでしょう。親族間の行事関係の付き合いは、今よりずっと濃く、また、お金の工面はまずもって親族間で行われていたのです。当然、借金を申し入れる側は相手を納得させられるようなもっともな理由がなくてはならず、またその過程で個人的な事情も親族の知るところとなります。やがて、子どもが様々な理由で都会に出て行き、将来的に老親と同居できず、かつて存在した家族の絆が薄れていくことは時代の趨勢でした。そしておそらく、まるで糸の切れた凧のような根無し草の不安に負けず劣らず、その身軽さや自由を、多くの人が快適に感じたことは間違いないだろうと思います。でなければ、現在まさしく表出しているように、核家族さえ崩壊寸前というところまで家族が解体することはなかったでしょう。明治期になくて今は存在している金融システムの一つはサラ金であり、これは極論すれば、自分勝手な理由でお金を借りたいという人々の欲求を満たす金融上の要請により出現したのです。それゆえ、現代における明治期の小説の読者は、登場人物が直面するお金の工面をめぐる親族間の煩わしさにうんざりしてしまいます。

 また、明治期にはなかった経済にかかわる社会システムの一つは、もちろん年金制度です。これは明治期どころか戦後大分経って整えられた制度ですから、今危機的状況が懸念されてはいるものの、明治の人から見れば夢のような制度であると断言してよいでしょう。明治期の小説によれば、家族のいない使用人は奉公先の家で一生を終えていたのですし、それこそ女性は結婚する以外に生きていく道はなかったことが分かります。

 現代社会においては、働き方は人によって千差万別です。定年まで働き、その後は年金暮らし(余裕のある世代なら海外旅行を好む)という少し前までの王道を行く方々は、明治の人には夢想だにできない年金ランティエと呼んでよいでしょう。また、仕事をセーブしつつ、働く楽しみを一生手放さない人も相当いるでしょう。かつて株のトレーダーは消耗がひどく三十代でリタイアという話をよく聞きましたが、その頃はあとの人生をどう過ごしているのか不思議で仕方ありませんでした。果たしてこういう人がデイ・トレーディング以上にのめり込めることを見つけられるかどうか分かりませんが、これは適宜資産を運用しながら、余生は好きなことをして過ごすという選択だったのかもしれません。そして、その中間に、年金給付資格(かつては25年の払い込みが必要でした)を得たのち、早期退職して残りの人生を送るという方も結構いるでしょう。健康上の理由で定年を待たずに退職する人もいます。この方々は公的年金の開始まで、何らかのたずきの目途が立っており、しかもまだやりたいことやそのためのエネルギーがある世代のはずですから、贅沢はできないものの質素な年金ランティエ予備軍と言えるのではないでしょうか。元気いっぱいの方々はアウトドア系・インドア系を問わず、具体的な好みの方向性、仲間やネットワークの有無、個人的な工夫等によって、相当楽しい老後が送れるでしょうし、読書が趣味などという人はもはやほぼお金をかけずに時間だけはたっぷりある至福の暮らしが待っています。何を幸福と感じるかにもよりますが、現在はこのように社会制度が整えられていることは確かです。年金制度は明治人が望んでも届かなかった優れた社会制度です。他に方法があれば別ですが、ここはよくよく考える思慮深さが必要でしょう。知恵を出し合い、我慢し合って制度を手直ししながら、維持していくほかないのではないでしょうか。