2019年9月30日月曜日

「世知辛い世の中」

 三年に一度のガス器具の点検の日程を受け取り、福島滞在の時期に重なっていたので、インターネットで日程変更することにしました。なんと翌日から受け付けておりましたが、一日で台所をきれいにする自信がなかったので翌々日にしました。やってきた作業の方は、給湯器、ガスコンロを点検して「異常は認められません」と判断しながら、機器の使用開始から二十年たつことに驚いていました。業者がよく交換を勧めに来てその巧妙で強引な手法に引っかかって交換した世帯もあるようですが、私はもちろん壊れるまで交換はしません。当たり前です。私の住む階では交換していないのはうちだけかもしれません。私は物もちがよいのです。ガス機器に限らず、家の中の設備や家電にはポンと機器を軽くたたきながら、「いつもありがとね」と感謝の気持ちを伝えているのです。うるさい業者の撃退法は、まず「管理組合を通してください」と言い、「これは各戸対応です」と言われた場合は、「では、うちは結構です」と言えば済みます。今回、ガス点検業者から「支払いを電気とまとめると安くなります」との提案がありましたが、この集合住宅は電力自由化になった時、東電ではなく別の所から一括購入しているはず…。この場合はどうなるのかについて、業者の方も確言できませんでした。ま、いつもより2カ月ほど早く台所の大掃除がすんだことでよしとしましょう。

 どんなことでも「○○すると安くなる」という勧めには乗らないことにしています。スマホ決済の不手際が某巨大流通企業で発生したばかりですが、私の感覚では、アプリによる商品購入の決済が預金口座から直接できるなどという恐ろしいシステムを「みんなよく使えるな」というのが正直なところです。これほど詐欺が横行している現在、私はよく知らないことについてはわずかばかりの節約など考えず、個人情報を抜き取られるといった重大なリスクばかりでなく、プライベートな生活を覗かれるといった可能性も不愉快なので、安んじて損する道を選ぶことにしています。

 先日来、かんぽ生命の保険の乗り換えにかかわる悪質な勧誘方法が問題になっていますが、私も危ないところでした。他の手続きでお世話になっていたこともあり、乗り換えの手続きをしてしまったのですが、家でよくよく考えて取りやめることにし、事なきを得ました。この事件が明らかになる前のことですから、土壇場で自力で正しい判断をできたのはただ自分の違和感に従ったことによります。こういうセンサーは常に磨いておかなければならないと改めて肝に銘じました。もう少しで3カ月の無保険状態になるところでした。一番許しがたいのは、こういう勧誘をお為ごかしで行ったことです。問題のある行為をする人はたいていそうです。油断も隙もありません。「相手の利益を図って」というようなアプローチはもう詐欺的危険な手口と断ずる方がよいかもしれません。こうして人間に対する信頼が社会的規模で失われていくのです。次々に提出される新しい商品は、あらゆる分野で余裕を失った厳しい現実を反映して、明らかにどんどんジャンクなものになっています。以前よりはるかに低価値なものをうまく糊塗してよく見えるようにしているだけです。こういう時は「動かない」のが骨法でしょう。


2019年9月26日木曜日

「紅春 144」


 他の犬と比べて、りくの並外れた点は3つあります。厳密には他の犬と比べてはいない項目もあるので、人間と比べてといった方がいいかもしれません。普段何気なく一緒にいても、「これはすごい、人間にもなかなかできないことだ」と感心してしまいます。



1.食欲をコントロールできる
 これは子犬の時から驚くべき事象だと思っていました。どんなにおいしいものでも「もうおなか一杯」となれば、ピタッと食べるのをやめ、惜しげもなくその場を離れます。子どもの頃飼っていた犬はあげればあげるだけ食べており、その後も「もっと、もっと」という感じでしたから、りくの食行動には驚かされました。ですから、まもなく13歳になろうとする今でも、柴犬の名に恥じないすっきりとした雄姿を保っています。

2.未来を想定した行動ができる
 これは前にも書きましたが、りくにとって私は「普段は旅に出ている」群れの仲間なので、私がいなくなることを察知すると他のメンバーに伝えて阻止しようとします。明日起こることがわかるのです。
 また夏には散歩の前に水飲み場に跳んで行って水を飲み。自分で熱中症に備えるという、人間でも忘れがちな行動をとります。父がよく何かにつけ「こんな利口な犬はみたことがない」と言っていましたが、本当にそうなのです。

3.スーパーリアルな行動ができる
 りくは無駄なことをしません。夕食後に兄と散歩に出るりくは、兄が食べ終わって台所で片付けや洗い物をしている間は茶の間でまったりしています。そして終わる頃合いを読み切って兄のもとへ行きます。あわよくば散歩なしで済ませたい兄は「いつも絶妙なタイミングで来る」と嘆いています。
 私がいなくなる時もそうです。「明後日、姉ちゃん東京に帰るから」と言っておくと。最初は空気を抜かれた風船のようにしぼんでいますが、やがて切り換えて、翌日は時間になると帰宅する兄をきちんとお座りして迎えます。前日までは私に引っ付いて、兄が帰ってきても挨拶にも出ず茶の間で寝そべったままだったのに、その晩からは兄にまとわりついて離れません。きっと「明日からは兄ちゃんとの暮らしに戻るから、愛想よくしておかなきゃ」と思うのでしょう。その現金さはもう清々しいほどです。「君子は豹変す」とはなるほど至言です。



2019年9月18日水曜日

「五十肩」

 ひどい目にあいました。右肩に感じていた違和感が2、3日で痛くなり、耐えがたいほどになりました。自分には来ないと思っていた五十肩だろうという予想がつきました。私の場合、たいていの体調不良は睡眠で治るのですが、今回は寝返りも打てない痛さで睡眠がとれません。或る年齢になれば皆が通る道にある、昔からある病だからと言って、それだけ症状が軽いというわけではありません。翌日、ぼーっとした頭で動けそうになかったので「今日は一日横になっているしかないな」と、うとうとしていたのですが、よく働かない頭でもわかったのは次のことです。
「そのうちよくなることはない。こういう治療は早いに越したことはない。」
それで病院に行く決心をしました。なにしろ、腕を上げるどころかちょっと伸ばすのも痛くてできない。右腕はほとんどすべての作業にかかわっているということも今回知りましたが、それはつまり何一つ仕事ができない状態だと思い知ったのです。

 このままでは当分治らないということ以外に、頭をかすめたもう一つの心配は、「五十肩以外の病気の可能性」です。私の世代では、子どもの頃の女子のスポーツと言えばとにかくバレーボールでしたが、子どもの頃ブームとなった女バレのスポ根ドラマでは、主人公の一人が骨肉腫になるのが重要な筋立てになっていました。「骨肉腫」という病気は恐ろしい病として同世代の幼い心に刻まれたはずです。世の中には万一ということがありますから、この疑念だけは払拭しておかねばと強く思ったのも事実です。

 病院に行くと、「今日は混んでいるので、かなりお待ちいただくことになるかも」と受付で言われ覚悟していましたが、30分ほどで呼ばれ、ちょっと拍子抜け。レントゲンを撮っての診断は「大きく言うと五十肩ですが、石灰化が起きています。これが起こると痛みを伴うことが多いです」とのことでした。エコーを見ながら肩に痛み止めの注射をしていただき、痛み止め(痛くないときは飲まなくてよい)を二週間分処方してもらって帰ってきました。

 痛み止めの注射と薬のおかげでそれからはまあまあ普通に過ごせ、夜はよく眠れました。翌朝起きたら「あ~、嘘みたい、両手が上がる」とうれしくなり、朝のウォーキングにも行けました。体の一か所が悪かっただけで、何する気も起きなかった前日が嘘のようです。しかし、痛みというのは医学的には電気信号のはずで、痛み止めというのは神経ニューロンのシナプスの電気信号伝達を遮断する働きをするはずのものと考えると、痛みの原因の治療にはならないのではないかと思ったりもします。石灰化というのは体の組織へのカルシウムの沈着ですから、これはカルシウム摂取過多のせいなのか? 確かに乳製品は好きだが、ヨーグルトメーカーを買ってからはそれが加速している気もする・・・。ま、いろいろ考えるときりがありません。五十肩が一生続いたという話も聞きませんから、ここは「そのうちよくなる」と、深く考えないでいるのがよいでしょう。それにしても医者はやっぱりすごい。これは医者のせいではありませんが、治らない病気でずっと通院してきたので、こんなにはっきり効果が出るとは、「医者に行ってよかった」と久々に思える出来事でした。


「これってひいき?」

先日、或る会でたまたま隣り合わせた方が、某フェミニズム学者の東大入学式の祝辞について賞賛していて、なんだか気が重くなりました。私は自分の考えを言うべき場ではないと思い、「そういえば話題になってましたね」と答えただけでした。あの祝辞で私に同意できる部分がなかったからです。「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」のところは同意できそうだったのですが、どうもこの「あなたたち」が女子学生への呼びかけのようなので、やはりこれにも全く共感はもてませんでした。私の誤解であれば申し訳ないのですが、この方はなぜ女子学生に呼び掛けるという形をとったのでしょう。この場に入学者全員がいるなら、どうして全員に語り掛けなかったのでしょうか。また、そもそも「自分の努力を自分のためだけに使わないでください」というようなことを入学式でわざわざ言わなければならないほど、大学はもう駄目なのでしょうか。

 これについて気が重いのは、突き詰めると自分がいかに恵まれているかということに行きつくからです。育った家庭には父権性イデオロギーの影がなく、男女平等という語が頭に浮かばないほどそれが当たり前に実現していました。就いた職業も日本では昔から一番男女同権が行き渡っていた場だったため、世間では違うらしいと頭でわかっても共感はできずに過ごしました。幼児虐待の痛ましい事件を知るにつけ、すべての基本は家庭にあると言わざるを得ないことが一層明らかになってきている昨今、これに関しては「私の場合は運がよかった」としか言いようのない事実がまた私の無力感を深めます。とりわけ両親が神の愛を知る人であったため、私には特別の愛情が注がれたのですが、その代償であるかのように私は社会では極めて少数者という刻印を押されていました。「信仰」という面倒な贈り物を受け取って歩む過程はしんどいものではありましたが、この歳になってようやくその恵みがわかるようになりました。この「厄介な贈り物」が私に成長と成熟を強いたからこそ、今があり、自分がいかに恵まれているかわかるようになったのです。

 現在、視力低下はあるは、持病はあるは、普通に考えればとても恵まれた状態ではないのですが、人知れず「私は神様にひいきされているのでは?」と変なことを考えています。祈るたび、いろいろなことが適えられますし、欲しいものが何もないほど満たされているからです。小さな例を挙げましょう。今、東京で通っている教会は来年新会堂が完成予定で、引っ越し準備のため本の在庫一掃処分をしています。キリスト教関係のものがほとんどですが、その他の宗教・哲学書もあり、誰でも早い者勝ちで引き取ってよいことになっています。先日、図書室をのぞいてみたら、区の図書館にもなくて読めなかった50年前に刊行された本が、続編まで並んで私を待っているではありませんか。「こんなことってあるんだろうか」と思う一方、「ああ、やっぱり・・・」と畏れながら、ありがたくその本を戴いてきました。こうはっきり恵みを示され続けるのはちょっと後ろめたいものですが、これには訳があるはず。今度はそれについて考えながら過ごさねばならないと思うのです。



2019年9月7日土曜日

「紅春 143」

例のりくの通院騒動以来、東京にいる間はずっとりくの心配をしています。急に病状が悪化するとか、介護が必要な段階に入るとか、そういった状況を考えて気もそぞろです。兄から連絡もないまま、普通に翌月の帰省の時期になり、恐る恐る帰ったのですが、意外にもりくは元気でした。目の落ち窪みもさほどめだたなくなり、寝ている時間は多いものの、散歩となると大層活発に歩きます。まずまず元気で安心しました。今回はいつも配達時にりくをかわいがってくれているヨーカドーネットの宅配おじさんが来た時、見事に熟睡していたので起こせなかったのが残念だった程度です。また、残暑の厳しさは侮れないと思っています。

 先日、テレビで総合診療医が患者に症状を問いながら病名を当てるという番組があり、「何だか私の症状と似てるな」と聞くともなく聞いていると、見事に病名の一つと一致しました。その方も「とにかくだるい」というのが主訴らしく、家でごろごろしていたようですが、「やっぱりこれでいいんだな」と妙に安心しました。隣でまったりしているりくに、「姉ちゃんと涼しいところでごろごろしてようね」と声を掛け、何でもないことをするにも時間がかかるのは仕方ないなと諦観しています。りくも姉ちゃんも、もう年寄りだもんね。

2019年9月6日金曜日

「各国ニュース報道の傍観から」

 昨日のニュースのおもなものは、日本:電車のトラック衝突事故、幼児虐待死裁判、英国:EU離脱をめぐる国会の紛糾、韓国:大統領側近の数々の私的不正疑惑と、それぞれに特徴的な不幸を伝えていました。しかし、一つだけ一筋の光があったのは、香港からの報道でした。3カ月に及ぶ逃亡犯条例に伴う混乱の後、香港政府が法案撤回を表明したという知らせには正直驚かされましたが、もっと驚いたのは反対派がこれで満足せず、一連のデモに関する警察の対応の検証やさらには普通選挙まで求めたことでした。「民主の女神」と呼ばれ、今回逮捕までされた若い女性は、本当に自然体でしなやかです。一見どこにでもいる少女のようですが、自分の信じるところに従って行動し、様々な困難を傍目にはあっさり越えていくかのように見えます。このタイプの人は確かになかなかいないなと感心させられます。きっと香港というかなり特殊な歴史を持つ地域が生んだ治世の在り方なのでしょう。普通選挙は中央政府が絶対に認めないことでしょうから、今後、事態がどうなるか全くわかりません。彼女には神のご加護を祈るばかりです。

 中国政府は国民の監視活動に国防費以上の国家予算を充てていると聞いたことがあります。コンピューターが中央集権的に専有できた時代ならともかく、非中枢的に共有されている現在にあって、これを監視するというのは相当効率の悪い国家の統治方針なのではないかと思います。しかし、これをやらない限り、国家が崩壊するかもしれないということが、今回の香港の事例で証明されたといってもいいでしょう。香港政府が逃亡犯条例を撤回しなければならなかった顛末について、中央政府は結構おののいているのではないかと思います。加えて、伸び率が7%を切ったら危機的事態になると言われている経済についても、そんな十年で倍になるような成長がいつか破綻するのは明らかです。結論的に言うと、そろそろハードパワーでの統治からソフトパワーでの統治に転換していくしかないように思います。

 アメリカについてのニュースはヒットしませんでしたが、きっと何かあったはずです。「何故これほどまでアメリカに関心が持てないのか」、これがアメリカに関する私の一番の関心事です。これを解明するにはたぶん相当時間がかかるでしょう。国家の成り立ちや歴史はそれぞれ違うので、軽々なことは言えませんが、歴史を概観すれば、国家の崩壊も新国家の建設も、必ず流血を伴う悲劇でした。どちらもいいことないです。ゆっくりすこしずつでも綻びを繕っていくしかないでしょう。どんな国に住む国民にも、その国が「理想からはほどとおいけど、まあそこそこいい国なんじゃない」と思って住める国になってほしい…などと、人ごとのように思いながら、「ほう、9月にもまだ桃が出てるのか。今年最後の桃は『ゆうぞら』という品種か」と美味しい桃をほおばっています。たぶんそこそこいい国なんでしょう。