先日読んだ本の中に、幼児致死の母親の裁判員裁判を扱った小説があります。自らも子育てに苦闘する母親が補欠で裁判員に選ばれ、それによって自分の日常の掘り起こしと心の葛藤が浮き彫りにされていく優れた作品です。作者の人生経験の深さと巧みな筋の展開に、「これが作家なのだ」と何度も思わされ、子供を持つ母親なら自分と重なっていくこともあろうかと感じました。
私の場合は、部分的に「ああ、その気持ちはわかる」ということはありましたが、深く共感できるというところまでは行けませんでした。描かれる子育ての大変さに、「いつから子育てはこんな化け物じみた大変な営みになってしまったのか…」という気持ちでため息が出たというのが正直なところです。ごく普通のどこにでもいそうな家族なのに、「配偶者やその親が発する言葉をここまで深読みしないといけないのか…」、「互いの思いがここまで見事にすれ違ってしまうのか…」と、そこまでくつろぎの場でない家庭には想像が及ばず、「大変だろうな。疲れるだろうな」と思うばかりです。
もう一つ感じたのは、「ここに出てくるのは全部人だな」ということです。当たり前過ぎて何を言うかと思われそうですが、早く神様に全部話して楽になればいいのにと単純に思うし、自分ならそうします。そうでないと一日一日リセットできないでしょう。昨日の重荷を背負って、その続きのまま、さらにまた今日の重荷を背負うなんて私には到底できません。「一日の苦労は一日にて足れり」(マタイによる福音書6章34節)という言葉があります。大失敗があっても大きな間違いを犯しても、それを赦す権威をお持ちの方に謝って赦していただき、翌日新しい気持ちで始められるから生きていけるのです。
この小説を読んでちょっと気持ちが暗くなったのは、「こんなの詠んだら、子供を産む人どころか結婚して家庭を作る人も減るんじゃないか」と思ったからです。子供ではなく犬だとしても家族の一員として飼っている場合、「他の犬は~なのに、うちの子は…」と、他の犬と比べてしまうことはありますが、いつもその場限りのことであとを引くようなことはありませんし、次の場面ではリセットされて元通りになります。「簡単なことを難しく考えるな」という犬川柳もありました。
このところ子供に関わる想像を絶するような事件が立て続けに起きており、子供を持つことは加害者になる、被害者になる両面で大きなリスクであることに世間は震撼しました。避けられない犯罪というものもあるのでしょうが、なにはともあれ人生の出発は幸せに満ちた家庭を基盤に始められ、続けられるしかないでしょう。作家にはぜひ、希望ある未来を感じさせる家庭を描く作品を書いていただきたいものです。