2019年4月25日木曜日

若冲展 2 「象と鯨図屏風」

 東日本大震災復興祈念の伊藤若冲展第2弾が福島にやって来ました。たまたま前を通ってさほど混んでいないと思い、土日は避けて先日朝一で出かけてきました。開館の15分ほど前に着いたのですが、既に何十人か並んでいるのはチケットを持っている人の列で、どんどん人の列が長くなっていきます。チケット購入の列は別に百人ほどは並んでおり、その後に並びなおすので、入れたのは開館から15分後くらい、たぶんそれ以前に数百人は入場していたはずです。

 今回は以前来た大作「鳥獣花木図屏風」のようなものはなく、「百犬図」はかわいかったものの、全体的に色彩も乏しくちょっと残念でしたが、「象と鯨図屏風」が見られたのは幸いでした。これについては、福岡伸一が『動的平衡』の中で、非常に印象的な文を残しています。彼はライアル・ワトソンの『エレファントム』を訳し、雌だけで形成される子育ての群れを率いるリーダーの母親象を追ってゆくワトソンを見つめます。以下、要約を交えながら引用します。

 「象は太古の昔からずっとヒトを見守っていた。象たちは、ヒトの祖先が樹から降り、森林から草原に出てきたときも、そっと場所を譲ってくれたほどだった」

 しかし、象牙を求める人間によって象の数は急速に減っていきます。そして、一九八一年に三頭、一九八七年にはわずかに母子二頭が目撃されるだけになります。そして一九九〇年、森に残された象はたった一頭になります。

 おそらく過去にも目撃されてきた母象だった。推定年齢四五歳。このクニスナ最後の象は、人びとから「大母(メイトリアーク)」と呼ばれる雌だった。一世紀ほど前に五〇〇頭もいた象の群れは、ついに一頭を残すのみとなった。」
(266頁)

 それから数年後、当時、アメリカにいたライアル・ワトソンのもとに不穏な知らせが届いた。最後の母象がここ数ヵ月、行方不明になっているというのだ。ワトソンは急遽、南アフリカ行きを決心する。メイトリアークを探し、その無事を確認するためにー。
 生涯、母系家族を維持し、常にコミニュケーションを取り合って暮らしてきた象が、たった一頭残されたとき、彼女はいったい、どこへ行くだろうか。ワトソンにはある確信があった。彼は、少年時代を過ごした南アフリカのある場所で、かつて象を見たことがあったのだ。
 それはクニスナ地区から国道を越え、森林地帯が終わるところ。そこでアフリカの台地は突然、崖となり、その下の海面に垂直に落ち込む。切り立った壁の上から大海原が見渡せる。
 はたして、ワトソンは、その崖の上にたたずむメイトリアークを見た。そしてその光景を次のように書き記した。

「私は彼女に心を奪われていた。この偉大なる母が、生まれて初めての孤独を経験している。それを思うと、胸が痛んだ。無数の老いた孤独な魂たちが、目の前に浮かび上がってきた。救いのない悲しみが私を押しつぶそうとしていた。しかし、その瞬間、さらに驚くべきことが起こった。
 空気に鼓動が戻ってきた。私はそれを感じ、徐々にその意味を理解した。シロナガスクジラが海面に浮かび上がり、じっと岸のほうを向いていた。潮を吹きだす穴までがはっきりと見えた。
 大母は、この鯨に会いにきていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの一〇〇ヤードの距離で向かい合っている。そして間違いなく、意思を通じあわせている。超低周波音の声で語りあっている。
 大きな脳と長い寿命を持ち、わずかな子孫に大きな資源をつぎこむ苦労を理解するものたち。高度な社会の重要性と、その喜びを知るものたち。この美しい希少な女性たちは、ケープの海岸の垣根越しに、互いの苦労を分かち合っていた。女同士で、大母同士で、種の終わりを目前に控えた生き残り同士で」

 『エレファントム』の中の最も美しいシーンである。自然界は歌声で満ちている。象たちは低周波で語り合っている。ヒトはただそれが聴こえないだけなのだ。(268頁)

 これほど哀切に満ちた話があるでしょうか。これは実話です。人間にはわからないことがまだまだたくさんあるのです。若冲はただ、陸上で一番大きい生物と海上で一番大きい生物を一緒に描いただけなのかもしれませんが、にわかには信じられない組み合わせです。いや、やはり彼は二つの生物が言葉を交わしているのを、どういう方法でか、知っていたのではないでしょうか。この屏風を見ているとそう思えてなりません。人間80歳を過ぎればそういうことがわかるものでしょうか。こういう境地に達することができるものでしょうか。