私は基本的に好きなことしか「勉強」しないので、知らないことがたくさんあります。自然体で気分よく話せるのは仲のよい友達と二人で話すときで、これは知らないことを、「何それ? 知らない!」と気軽に聴けるからです。だから、二人での会話ではなく、何人かの集まりで他人が話している時はたいてい聞き上手です。(ああ、そういうことだったのか)、(ほう、なるほどねえ)、(よく知ってるなあ、すごい!)と思いながら、だいたいいつも静かに聞いています。うなづくことがあっても決して知っているからではなく、その場で聴いてわかったという意味なのです。
しかし、たまには幸運(?)がめぐってくることもあります。いつだったか、話好きの方々が数人集まって「社会史」の話をしている場に居合わせたことがありました。皆、その筋に詳しい方々で議論が活発に進んでいく中、西洋近世の魔女狩りの話になりました。関連した本について一人が、「あ~、あの本、誰が書いたんだっけ」と、喉元まででかかった著者名を求めて叫んだので、私が「ミシュレじゃないですか」と一言いったら場が静かになりました。偶然知っていただけなのですが、「この人は何も言わずに聞いているが、実はよく知ってるのかも」という臆断を与えてしまったようでした。一応、「たまたまですよ」と言いましたが、その場の空気はかなり冷えました。
また或る時、これも数人の集まりだったのですが、読書の話になり、誰かが「友人はやはり本を読んでいる人じゃないとね」と言いました。続けて別なやや年配の方が、「それに、六分の侠気、四分の熱だね」と言い、そのまま、「妻をめとらば…はいっ」と私に振りました。私が「才たけて みめ美わしく情けある」と続けると、よどみなく答えたことに少なからず驚いていました。別に与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」を読んで知っていたわけではないのです。これはメロディのついた歌になっており、実際私は先ほどの問いに答える時、歌いださないように努めていたのです。私の母は台所に立ってよく歌を歌っていましたが、そのほとんどは讃美歌だったものの、時折唱歌やよくわからない昔の歌も混じりました。母の世代の人にとってはきっと身近な歌に相違なく、思わず口を突いて出てしまったのでしょう。だから私は、何だかよく似た感じの節回しの「水師営の会見」さえ、部分的には歌えるのです。しかし、戦前の唱歌は、「今ぞ相見る 二将軍」などから分かるようにどう見ても軍歌、母には全くふさわしくない歌ですが、学校で習ったものは持久力が長いということの一つの例です。(日露戦争の頃はそんな悠長な感じだったの? 「昨日の敵は 今日の友」ってこの歌が出所かな…)などと思いながら聞いていたのを思い出します。ま、何がいつ何時役に立つかはわからないということです。