2018年9月29日土曜日

「記号行動学による問題解決の事例」

 この夏は集合住宅で駐輪問題と粗大ゴミ問題が起きました。前者はそのしばらく前から兆候はあったのです。すなわち、居住者の入れ替わり時に、自転車を所有していなかった世帯が出ていき、子育て中で自転車は必需品という世帯が入ってきたのですから、当然、以前から課題となっていた駐輪場不足に拍車がかかりました。古い仕様の駐輪場なので、自転車が全部納まるかどうかはパズルのようなものなのですが、ついに入らなくなり、車両が一両エントランス前のインターロック上に常時置かれることとなりました。駐輪契約をしたくてもできない車両が出たことで、事情を知らない方々の中に、駐輪場の上段のラックを上げ下げして自転車を入れたり、両脇の自転車を傾斜させながら自分のラックに駐輪させるよりエントランス前の平地に置いた方が楽だと考える方がいて、あとは予想される通り、規約違反の駐輪がじわじわと増えていきました。特に誰かに迷惑をかける場所ではなかったために、これに対する理事会の対応が遅れ、ついに一部の居住者から取り締まりの申し入れがなされたのです。

 駐輪場所がない車両は理事会預かりとして目立たない場所に移し、居住者には事情説明と「エントランス駐輪はルール違反である」旨を告知する文書を出しました。人間は共有部分に対しては気が大きくなり、注意されないことは許容された事とみなし、それを既得権と考えるようで、「なぜ駄目なのか」という問い合わせがあったと後で管理人さんに聞きました。その後、違反駐輪は徐々に減ったもののなかなか無くならなかったため、居住者以外の訪問者等にも周知すべく、小さな立て札を立てることにしました。駐輪禁止の交通標識マークを取り入れ、「エントランス前の敷地は全面駐輪禁止 長時間の駐輪はご遠慮ください」と書いた掲示物をラミネート加工してもらい、玄関両脇の植栽辺りに設置して様子を見ました。これでいっぺんに駐輪はなくなりました。短時間のやむを得ない駐輪はありますが、これまであった夜間の駐輪は皆無です。人間は記号と文字に極端に反応することが確かめられました。エントランス前がすっきりし、この掲示物について、「あれいいね」と声を掛けてくださる居住者もいました。

 粗大ゴミの方は次のような経過をたどりました。これはゴミの日にどさくさに紛れて出されたものが3点あり、収集車に取り残されてゴミ置き場に保管されることになったものです。管理人さんはこういったゴミは仕方がないのでなるべく早く処分するよう本部から指示されているようでしたが、たまたま相談された私は、「それは『違反ゴミであっても管理組合が処分してくれる』という誤ったメッセージを与えるのでまずい。『出した人は持ち帰ってください』と大きく貼紙して、できるだけ目立つところに置いてください。1年は置かないといけません。理事会でも検討します」と言って、処分は待ってもらいました。自転車問題と同様、こちらも全戸配布文書を出し、「一辺が30cmを超える物は粗大ゴミです。各自で処分してください」と書いたところ、1つはすぐ姿を消しました。それから、ゴミ置き場に「粗大ゴミの大きさ」を明記し、「各自で処分」のルールを掲示し、また「違反ゴミを見つけたらすぐ管理組合に知らせてください」の貼紙もしました。というのは、ゴミ捨て場には監視カメラもあるからなのですが、画像の保存日数は2週間程度で、しかもああいうものは或る程度日時がわからないととても探せるものではありません。もし本気で監視カメラを活用するつもりなら、違反ゴミの捨て去りの発生直後に知らせてもらわないと意味がないのです。議事録には、「悪質な場合は監視カメラの利用も考える」という一文が載ったりもしましたが、その話が具体化することはありませんでした。それはつまり、監視カメラというものは何より抑止目的においてこそ最も効果を発揮するものだと皆わかっていたからでしょう。

 その後2カ月近くは膠着状態でしたが、よく調べるともう1点の粗大ゴミにはお名前が書かれていることがわかりました。ご高齢の方とわかり、たまたま理事会の粗大ゴミ処分の機会に合わせて処分し、費用はいただくことになりました。これで2つ片付きました。もう一息です。理事会では、「引っ越された方かもしれない。あとはこちらで処分するしかないのでは」という雰囲気になっていきましたが、私は、引っ越された方だという確証がない限り、早まってはいけないと思い反対しました。「こういううわさは風のように広まります。犯人は必ず現場に戻ってきます。そしてこちらの出方を見ています。あのゴミは特に大きくどこから見ても粗大ゴミとわかる確信犯です。あれを許してはいけません」と話し、終息宣言はせず、あと1カ月は引き続き粗大ゴミの処分を求めていく方向で考えるよう話をもっていきました。他の理事や管理会社の人は、「相手が誰だかわからないのに…」とあきらめ顔でしたが、私は、「『こちらは相手を知っている』というスタンスでいかないといけない」と話し、結局、皆根負けした形で私の案が通りました。私は議事録に、「粗大ゴミは残り1点となった。引き続き、当該の方に処分を要請する」と書きました。

 しばらくして帰省から戻ってみると、件の粗大ゴミはなくなっていました。管理人さんに確認すると、「某日の夜、持ち去られたようです。『出した人は持ち帰ってください』の貼紙だけがその場に残されていました」とのこと。日数を数えてみると、某日というのは議事録が配布された翌日なのではないかと思われました。かほどに人は言葉(これこそ記号ですが)に弱いのです。6割5分以上の確率で粗大ゴミはなくなるだろうと予想していましたが、実際に実現するとやはりうれしい。言葉だけで見知らぬ相手を追い詰め動かせたからです。6割5分と言ったのは、次回理事会までに解決しなければ管理組合として処分するということに私も同意していたからで、もし1年置いてもいいとしたならば、ほぼ100%の確率で同じ結果になるだろうと思います。人はゴミ捨てに来るたびに、そこに自分の悪事の残骸が晒されていることに耐えられないのです。時間はかかりますが、同じことを繰り返させないためには粘らないといけません。またこのような場合に肝心なのは、「相手を突き止める必要はない」ということです。元の状態が取り戻せればそれで完全勝利です。私は以前、盗まれたものを取り戻したことさえあるのですから、置かれたものを持ち帰っていただくくらいなんでもないことです。自分にとってはその有効性が十分に実証されているこの理論を、そんな学問はないのですが、記号行動学と呼ぶことに致しましょう。



2018年9月24日月曜日

「因縁の設備改修計画」

 集合住宅の管理組合理事会で来年の総会で上程する設備改修の施工業者がやっと決まり、ここ半年くらいの懸案が一つ片付きました。因縁のと言うのは、すでに3年前にこの件は当時の理事会で総会に上程されるところだったのですが、居住者の大反対で取りやめになったことがあるからなのです。長期修繕計画によればその設備の更新までにはあと1年あったのですが、たまたま管理会社からかなりの値引きが受けられるとして、当時の理事会がは改修を決断したという話を聞きました。私はたまたま長期修繕計画を見直す年に理事をしていたからわかったのですが、普段毎月の議事に追いまくられていると来年どんな大規模工事の年に当たっているか全く念頭になく、総会前の理事会で巨額の費用のかかる設備更新を、検討する時間もないまま上程しなければならないことに気づくのです。3年前はそれが住民生活に密接にかかわる機器だったため、全く知らされていなかった居住者から猛反対が沸き上がったのでした。

 今年の総会でこの件について、「継続審議として1年かけて検討する」と宣言した以上、きちんとやらなければと決意していました。なにしろ管理会社が今期当初に提示した額は1千数百万円という額で、これは組合員が毎月積み立てている修繕積立金から支払われるのですから責任重大です。しかしこの設備は家庭用品ではないので相場がわからない、どうやって施工業者にたどりつけばいいのかもわからない、というわけで、かつて大規模修繕に関わった委員の方々の協力も受けながら、2大メーカーの方々のお話をそれぞれお聞きし、その特約店およびネットで探した優良企業、そして管理会社を通して住宅系建設会社の4社から見積書を取りました。書いてみると一文ですが、ひとつひとつが企業と理事会メンバーとの何通ものメールあるいは電話のやりとりから成り立っており、大変根気のいる仕事でした。現場調査の日程調整や打ち合わせはやる気があれば誰にでもできるものですが、きちんとした依頼書や仕様書送付というそれなりに経験を要する手続きもあり、今回は書ける方がいたからよかったようなものの、ずぶの素人集団であれば無理だったかも…と今になって思います。見積書一つにしても、或る項目についての必要の有無をそれぞれの施工業者が独自に判断して書いていることが判明し、依頼書の再送付があったりと、いろいろありました。この件については一瞬青ざめ焦りましたが、同一条件で見積比較をしなければ意味はないので、すんでのところで気づけて失敗を食い止められたことに胸をなでおろしました。メールのやり取りは8月だけでCCも含め優に100件を超え、この仕事全体では何件あったのか見当もつきません。

 いずれにせよ先日、理事会の総意として施工業者が決まり一段落です。気が張っていたせいかどっと疲れてしばらく寝込みましたがほっとしました。当初管理会社が提示していた額より六百万円以上削減することができました。これは今期の理事会の功績と言ってよいでしょう。最終的な見積書では管理会社系施工業者から提出されたものも相当お値打ち品価格になっていましたので、それでも契約がとれなかったことに驚いたかもしれません。しかもこれは安かろう悪かろうではないのです。契約後の発注にあたって受注生産であることを示す出荷証明書を頂く確認もできており、これをもって履行が確実な証憑とすることとができます。実際の工事は来年の総会を経て、私の理事在任期間が明けた後ですが、今期はすでに2回設備更新に関するお知らせの文書を出しているし、あとは居住者説明会をすれば大仕事は終了です。平穏な生活が戻るまであと少しです。

2018年9月19日水曜日

「紅春 127」

朝の散歩を終えてりくを外に繋いでしばらくした時のことです。なんだか賑やかな話し声と「キャンキャン」という犬の鳴き声が聞こえたので外に出てみると、土手の上から白い犬を連れたご夫婦がりくに話しかけていました。りくも行きたそうだったので、土手の上まで連れて行き、会わせてみました。
「いつもおとなしく座ってるな~と思って」
との言葉をいただき、見れば向こうは可愛らしいトイプードル。う~ん、確かに長い間じっとお座りをしてっ世の中を眺めているというあたりは、小型の洋犬とは違うかもしれません。

 相手は積極的にりくに近づいてきますが、りくは腰が引けています。ご夫婦とお話しするうち、ペリーちゃんという名の2歳の女の子とわかりました。りくはまもなく12歳だと言うと、
「え~、若い。6歳くらいかと思った」
とまたまたうれしいお言葉。そうこうするうち。だんだんりくも慣れてきてちょっと仲良くなれたかなと思います。時折ペリーちゃんは腹ばいになって手足を拡げ「大」の字になるのでびっくりしましたが、ダブルコートで暑いからなのだそうです。しかも、夏でも下毛が抜けないって、本当なら可哀そうです。りくはさすがに下毛がすっきり抜け、飼い主が言うのもなんですがとても格好良く見えます。今日は新しいお友達ができました。ペリー来航、野次馬しに行ってよかったね、りく。


2018年9月13日木曜日

「幸せな早起き」

 涼しくなって早朝のサイクリングとウォーキングができるようになりました。今日はまだ暗くてちょっと早すぎるかなと思ったのですが、朝の散歩に出てみました。公園について歩いてみると、膝の違和感もほぼなくなったのはありがたく、広大な草原と森林のある朝の公園の空気は特別おいしく感じました。途中すれ違いざまに、以前何度か見かけたことのある3頭立ての柴犬軍団に出会い、2頭が草地で用を足している間、1頭が道の半ばまで来ていたので、思わずしゃがんで話しかけてしまいました。その子はクリッとした目のセナちゃん似の子で(ブログ「柴犬とオランダ人と」を参照)、喉のところをなでても平気でした。用を済ませたあとの2頭も「そっちに行こうか」と迷っている様子でしたが、飼い主さんに悪いので私の方から「バイバイ、またね」と言って離れました。

 「ああ、いい朝だなあ」と思って散歩を続け、いつものように大きな池の西側を通って駐輪場のある出口に出るところで、ああ、何ということでしょう、また出会ってしまったのです。池の東側を通って来た彼らに。向こうもこちらも同時に気づいて、笑いながら「あっ」と声をあげました。飼い主さんがリードを緩めてくれたので、幸せの塊がドドドッとやって来ました。さっきの子がどの子かわからないほど、皆同じ顔をしていました。大きさも同じなのできっと兄弟なのでしょう。3頭とも「遊んで、遊んで」とピョンピョン跳ねていましたが、顔をペロペロしてきたのがきっとさっきの子なのでしょう。「雨止んでよかったね。毎朝散歩してもらって幸せだね」と、犬たちに言葉をかけ、飼い主さんにお礼を言って別れました。早起きすると、いいことあるなあ。



「世の中わからぬことばかり」

 最近、異常気象、天変地異が多発しています。大災害は満遍なく日本列島を襲った感があり、まだ来ていないのは東海エリアと関東甲信越くらいですが、これらの地域については、ずっと早くから、地震と火山の噴火による災害が予測されています。また、1年の3分の1も続くかと思われる、高すぎる気温の日々は、もはや真夏の30℃はむしろ涼しい部類で、「ここより10℃も高いところで暮らしている人もいるんだな」と、我が身を置く現状に感謝してしまうほどなのです。

 どうしてこんなところで夏にオリンピックをしなければならないのか、私にはわからない。どうしてこんなに地震が多いところに原発を何十基も置いて平気なのか、私にはわからない。今でさえ無秩序が横行している国土に、外国人観光客を倍増の4000万人呼び込んでどうしようというのか、私にはわからない。滞在中、彼らが被災したらどう責任を取るつもりなのか、私にはわからない。私たちを取り巻く環境の悪化全部がただの自然現象なのかどうか、私にはわからない。人間の驕りについて自然が警告しているのでないとどうしていえるのか、私にはわからない。

 被災された方、家族を失った方を思うと、ヨブの時代からの問い、「なぜ義人が苦しみに遭うのか」を考えずにはいられません。義人とは言わぬまでも、まっとうに生きている無辜の方々が苦しみに遭う事態が、社会においても私の周辺においても起こっているのです。『ヨブ記』は最後に神が創造主として現れるという、意表を突かれる形で話が終わるのですが、以前は全くわからなかったその意味が今は少しわかる気がするのです。この辺りはうまく言葉で伝えることができずもどかしいのですが、ここが「鍵」なのだということだけはわかります。神が創造主であるということをわからぬ限り、地球はますます人の住めないところに近づいていくでしょうし、人が訳もなく苦しむ意味はわからないでしょう。なにしろ、このお方は、私たちがいかなる者であれ、またいかなる状態にあれ、

・・・あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
(イザヤ書46:3~4)

と仰せになるかたなのですから。それなのに、自分も含め、人はなぜ勝手な思いにとらわれ、創造主を忘れて我が思い通りに生きようとしてしまうのか、ああ、わからない、わからない・・・。

2018年9月3日月曜日

「ちぐはぐな現実」

 先日明らかになった官公庁の障害者雇用数の水増しには開いた口がふさがりませんでした。27省庁 で3460人の水増しがあったと伝えられていますが、要するにチェック機能がないのをいいことに国の役所全体に数合わせが広がっていたということです。公表では2.4%を越えていた数字は、現実には1.19%だったとのことで、この数字が2.2%を切ると、毎月一人につき4~5万円のペナルティーを科せられていた民間企業は、憤懣やるかたない思いでしょう。障害者雇用促進法ができて以来、民間企業は特例子会社を作るなどして、障害があってもできる仕事を会社全体から切り出して雇用に繋げる努力を続けてきたのに、官公庁はこれを怠ってきたからです。健康診断の結果を適当に解釈したり、自己申告で障害認定をしたり、心臓病・糖尿病などの持病のある人をカウントするなどしてまで数字合わせをしてきたのは、本当に障害者に失礼な行為でした。

 どうしてこういうことが起こるのか推測してみるに、役所は法を守らなければならないことは強く認識しているものの、実際に障害のある人々がどのように働いているかをその目で見たことがなく、障害者を採用して一緒に働くことが想像できないのだと思います。私は或る会で、中途失明して全盲になりながら、国家公務員試験の点字受験の道を拓いて入省し、定年まで勤められた方を知っています。障害者の中には、一般の人には思いもよらないような本当にすごい人がいるのです。ましてやこのテクノロジーの発達した時代なのですから障害があってもできることは多く、環境を整えて採用する気さえあれば民間同様数値目標の達成はできるに違いありません。

 一方、役所というものは守れる規則は徹底して守らせるという内部圧力が働くようで、集合住宅の管理組合理事長は官庁にお勤めの方ですが、「役員活動費は受け取れない」と言っています。兼業の禁止(職務専念義務違反)に抵触するとのことですが、これを聞いた時は笑ってしまいました。理事会は毎月3時間ほどの議事をし、決まったことについて活動する時間もとられますし、理事は各自必要な仕事で通信費、印刷の紙代・インク代等の費用がかかります。特に「長」となると毎月相当かかると思われ、他の集合住宅では「長」は他の理事の2倍の活動費を与えられている場合があり、それももっともなことなのです。役員活動費さえ受け取れないというのはおかしなことだと思います。もちろんわずかばかりの役員活動費を受け取ったがために後で大変なことになっては困りますから、ご本人の判断通りにしていただきますが、馬鹿げていると思うのは私だけではないでしょう。状況は知りませんが、「ヴァレンタインのチョコを受け取ったために、しょっ引かれた人もいる」とつぶやいていました。普通に聞くと、相当変な職場ではないでしょうか。それともこういうことを放っておくと歯止めがかからなくなり、収賄事件に発展すると考える人たちなのでしょうか。今回の障害者雇用促進法に関する法令違反とのギャップが大きすぎ、まったく理解に窮します。