勤めを辞める何年か前から、私は静かに教育への絶望を感じていました。本質的なことはわきに置かれ、些末なことばかりに振り回されることにうんざりしていました。重点が置かれるのは、結果や成果だけとなり、学問を計る指標が生涯に得られるお金の高だけになったからです。広範囲な入試範囲のためセンター試験の勉強には効率が悪いとされる科目、その典型は「世界史」ですが、それをやらずにすまそうと学校ぐるみの不正が起きたり、冗談交じりにとはいえ、高校生の覚えるべき英単語が一つ増えるごとに将来の年収がいくら増えるかといったことが話題になったりしました。「答えを導き出すプロセスはいいから、早く答えだけしりたい」という雰囲気が蔓延していったのは、それ以降の高等教育においても、さらにその後の社会生活においても、すべてが換金性という観点からしか計られなくなった時代の倫理観の表出でした。
これまで人間の社会は他人にはどれほど無意味で無価値に見えようとも、ただそれが面白いから取り組んでいるうちますます魅入られて、それに全精力を傾けて没頭する人々によって、途方もない達成がなされたという歴史をたどってきたのに、今ではまだ何物でもない研究をしようとする人の居場所はないし、そういうことに研究費を出す機関はなくなりました。
今回、文科省のキャリア官僚の驚くべき公私混同のたかり体質が露にされたことで、ここまで腐敗していたのだと、今更ながら怒りがこみあげてきます。一人は、私立大学支援事業の対象校の選定に便宜を図る見返りに、時代錯誤とも思える自分の子供の裏口入学を求めたとされる文科省科学技術・学術政策局長であり、もう一人は、こちらも旧態依然たる銀座での接待を中心にした贈収賄に絡む汚職を行った国際統括官(局長級)です。問題は、二人とももうその上は文部事務次官しかいないというほぼトップの立場にある人だったことです。国家公務員のほとんどはこのような汚職に無縁で、疑いすら受けぬよう振舞っていることを信じておりますが、省の中でトップともいえる二人がこのような行為を行っていた文部科学省というのは、相当腐っていると言っても過言ではないでしょう。この事件が明るみに出て、私はすっかり全てが納得できる気がしました。このような人たちが立てた政策であるなら、あらゆることが「換金性」という観点からなされるのは当然です。「こんな人たちに日本の教育が牛耳られて、ここまで見事に破壊されてしまったのか」と思うと情けなくて涙が出ます。その結果、どうなったか、今年の科学技術白書が述べている事実はこうです。
先日発表された科学技術白書がようやく「わが国の国際的な地位の趨勢は低下していると言わざるを得ない」ことを認めた。
「引用回数の多い論文の国際比較で日本は10年前の4位から9位に転落した。論文数も減って2位から4位になったが、4倍に増えた中国はじめ主要国は軒並み増加している。」(毎日新聞、6月14日)
各国の政府の科学技術関係予算の伸び具合を00年と比べると、中国が13.48倍(2016年)、韓国が5.1倍(同)、日本は1.15倍(2018年)。博士課程への進学者はピークの03年度を100とすると2016年度は83。海外派遣研究者の数も00年を100とすると2015年度で57にまで減った。注目度の高い研究分野への参画度合い(14年)では、米国91%、英国63%、ドイツ55%に対し、日本は32%。科学研究の全分野で壊滅的な劣化が進行している。
(『サンデー毎日』に掲載された内田樹の寄稿文より)
しかし、こういったことは既に米国や英国の専門誌がとっくに述べていたことで、それを科学技術白書がようやくしぶしぶ認めたというにすぎません。今更手遅れかもしれませんが、文部科学省などない方がよほど日本のためになるのではないでしょうか。
2018年7月30日月曜日
2018年7月25日水曜日
「紅春 125」
この猛暑でりくの散歩の体制が変わってしまいました。朝5時半ころ最初の散歩をするのは同じですが、いつもならっりくの強い希望で8時ころにもまた行き、よい季節の時であれば午後1時半ころまた行き、夕方4時半ころ私としては最後の散歩をしていました。私としてというのは、その後兄が帰宅してから7時半ころ、さらには「夜遊び」と称する夜中の散歩もりくの強い希望で行っていました。こう書いてみると、いかに家族がりくの散歩に振り回されているか、よくわかります。
ところがこの暑さです。昼下がりはおろか朝8時の散歩も到底無理で、一日中家でごろごろしています。夕方も6時に近づかないと暑すぎで散歩はできませんが、冷房の効いた中にいるりくは「もう行ける」とおもうらしく盛んに働きかけてきますが、「だめだよ。まだ行けないよ」と言い聞かせます。一度どうしても行くというので外に出たら、数十メートルで無理だったとわかり「だから言ってでしょ」ということがありました。
しかし私から見ると、りくはかなり暑さに強いと思えます。りくと家にいる時、ぎりぎりまで冷房を我慢して、「もう冷房入れようか」というのはいつも私の方で、りくは意外と平気にしています。人間でも幼児期から冷房のある時代に育った子供とそうでない子供は大人になっても暑さに対する耐性が全く違うと思うのですが、りくの場合は後者の典型で冷房嫌いだった父に鍛えられた結果なのでしょう。しかし、毛皮を着ているのですから油断は禁物、注意して見てやらなければと思っています。今は陽が沈む頃からの夕涼みがりくの楽しい時間です。水と蚊取り線香を置いた庭の定位置で、通る人や犬を眺めながら暗くなるまで過ごします。夜、「まだ入らない」と頑張るりくを家に取り込むのが大変です。
ところがこの暑さです。昼下がりはおろか朝8時の散歩も到底無理で、一日中家でごろごろしています。夕方も6時に近づかないと暑すぎで散歩はできませんが、冷房の効いた中にいるりくは「もう行ける」とおもうらしく盛んに働きかけてきますが、「だめだよ。まだ行けないよ」と言い聞かせます。一度どうしても行くというので外に出たら、数十メートルで無理だったとわかり「だから言ってでしょ」ということがありました。
しかし私から見ると、りくはかなり暑さに強いと思えます。りくと家にいる時、ぎりぎりまで冷房を我慢して、「もう冷房入れようか」というのはいつも私の方で、りくは意外と平気にしています。人間でも幼児期から冷房のある時代に育った子供とそうでない子供は大人になっても暑さに対する耐性が全く違うと思うのですが、りくの場合は後者の典型で冷房嫌いだった父に鍛えられた結果なのでしょう。しかし、毛皮を着ているのですから油断は禁物、注意して見てやらなければと思っています。今は陽が沈む頃からの夕涼みがりくの楽しい時間です。水と蚊取り線香を置いた庭の定位置で、通る人や犬を眺めながら暗くなるまで過ごします。夜、「まだ入らない」と頑張るりくを家に取り込むのが大変です。
2018年7月19日木曜日
「福島の桃」
先日友人に、福島の桃の品種を商品名にした果汁100%のジュースをいただきました。都内のJRのどこかの駅の自動販売機で売られているペットボトル入りの飲料とのことなのですが、彼女自身はまだその自動販売機を目にしたことはないということでした。では、どうやって手に入れたかというと、これを飲んだ人が「この世のものとは思えないおいしさ」という感想をSNSで発信して広まったのが始まりで、ネットで探して一箱48個入りのものを注文したというのです。まだ味見してもいないものをこれだけ購入するのですから、福島の桃の信頼性は高いと言えるでしょう。
さて、家で冷やしていただいた私の第一声は「うん、確かにあかつきだな」というものでした。白鳳とともに、私が子供の頃からある福島の代表的な桃です。種がカパッととれるネクタリン系の品種もあったのを覚えていますが、甘さはやはりあかつきにはかないません。子供にとって「旨い」はほぼ「甘い」だったのですが、あの頃の桃の飲料で、子供でも甘いと感じていた某菓子メーカーの缶ジュースには、ギリシャ神話の神々の不老長寿の酒の名がついていました。桃のジュースと聞いてあのドロッとした甘い飲料を思い浮かべていたら、いただいたものは完全に非なるものでした。すっきりストレート、クリアなリンゴジュースの桃版です。友人の話では、冷やした炭酸水で割るとさらにおいしいとのことでした。
帰省してから東京での疲れがどっと出て具合が悪かったのですが、直売所で買った桃を食べて寝ていたらよくなりました。この時は暁星(あかつきから生まれた品種)で、小ぶりでしたがなんと6個入280円、とても甘くておいしくいただきました。こんなに元気が出るとは、やはり桃には何か特殊な栄養素が秘められているに違いありません。そう言えば、果物から生まれたのは桃太郎であって、他の果物ではないし、『古事記』で黄泉にイザナミを迎えに行って恐ろしいものを見てしまったイザナギが、化け物たちから逃げる時、最後に投げつけて命からがら逃げおおせたのは桃の実のおかげでした。やはり古来、桃には邪気を追い払う不思議な力があると信じられてきたのかもしれません。
さて、家で冷やしていただいた私の第一声は「うん、確かにあかつきだな」というものでした。白鳳とともに、私が子供の頃からある福島の代表的な桃です。種がカパッととれるネクタリン系の品種もあったのを覚えていますが、甘さはやはりあかつきにはかないません。子供にとって「旨い」はほぼ「甘い」だったのですが、あの頃の桃の飲料で、子供でも甘いと感じていた某菓子メーカーの缶ジュースには、ギリシャ神話の神々の不老長寿の酒の名がついていました。桃のジュースと聞いてあのドロッとした甘い飲料を思い浮かべていたら、いただいたものは完全に非なるものでした。すっきりストレート、クリアなリンゴジュースの桃版です。友人の話では、冷やした炭酸水で割るとさらにおいしいとのことでした。
帰省してから東京での疲れがどっと出て具合が悪かったのですが、直売所で買った桃を食べて寝ていたらよくなりました。この時は暁星(あかつきから生まれた品種)で、小ぶりでしたがなんと6個入280円、とても甘くておいしくいただきました。こんなに元気が出るとは、やはり桃には何か特殊な栄養素が秘められているに違いありません。そう言えば、果物から生まれたのは桃太郎であって、他の果物ではないし、『古事記』で黄泉にイザナミを迎えに行って恐ろしいものを見てしまったイザナギが、化け物たちから逃げる時、最後に投げつけて命からがら逃げおおせたのは桃の実のおかげでした。やはり古来、桃には邪気を追い払う不思議な力があると信じられてきたのかもしれません。
2018年7月13日金曜日
「模様替えの一日」
先日、一日家に居られる予定の日に部屋の模様替えを行いました。来年、共同住宅のインターホンの改修計画があることと関係しているのですが、現在、部屋のインターホン通話ができる位置は本箱の陰になっているため、これはよろしくないと自覚したのです。受話器で話す分には支障はないのですが、やがて改修となるとこのままではいけない、何より担当者の一人として今後「現場確認」があるかもしれないと思ってのことです。実際、メーカーの方からの聞き取りをした時、現場確認要請があったのですが、これは別な担当者が引き受けてくれてほっとしました。うちの場合は、「そういうことは少なくとも一週間前に言っていただかないと…」という状態なのです。
一番の問題は、このところ冬も全く使用していなかったため忘却の彼方にあったのですが、物を積み上げておく台となり果てていたこたつをどこに移動するかということでした。私の方針は、「モノを捨てない、モノを増やさない」に尽きるので、今あるものをどの部屋のどこに移動するかを考えるだけです。巻き尺を手にあちこち計測して、ここだという場所を決めたら、上に載っていた本箱の行先はすんなり決まり、あとは玉突き的に順繰り落ち着くところに落ち着きました。重いものは少しずつ動かし、たまった埃を掃除機で掃除しながら、汗を搔き搔き作業を終えました。
やっている間に気づいたのは自分が箱フェチであることです。出るわ出るわ、製品を買った時の箱がことごとくとってあるのです。壊れ物などは分かるのですが、それ以外もたくさんあって、要するに箱は自分にとって捨て難いもの、結構好きなものなのだと気づきました。某通販会社の配達用の箱は意識して保管していました。形や大きさが揃っているので「何かに使えるな」と考えていたからです。今回の模様替えで一番気に入ったところは、本箱を向かい合わせに少し離して配置し。その上にこたつの天板を置いた場所です。大きな作業スペースができ、さらにその上に例の箱を布でくるんで板を渡してみたら、立って行うパソコン机になりました。一台は今まで通りテーブルの上にありますが、座ってばかりいるのは健康によくないと最近よく聞くので、パソコンの作業台が2か所できたのはうれしいことでした。一日で終わってよかった。あとはこのすっきりした環境を維持できればいいのですが、ちょっと油断すると物が机の面を覆ってしまうので気を付けて過ごさなければいけません。
一番の問題は、このところ冬も全く使用していなかったため忘却の彼方にあったのですが、物を積み上げておく台となり果てていたこたつをどこに移動するかということでした。私の方針は、「モノを捨てない、モノを増やさない」に尽きるので、今あるものをどの部屋のどこに移動するかを考えるだけです。巻き尺を手にあちこち計測して、ここだという場所を決めたら、上に載っていた本箱の行先はすんなり決まり、あとは玉突き的に順繰り落ち着くところに落ち着きました。重いものは少しずつ動かし、たまった埃を掃除機で掃除しながら、汗を搔き搔き作業を終えました。
やっている間に気づいたのは自分が箱フェチであることです。出るわ出るわ、製品を買った時の箱がことごとくとってあるのです。壊れ物などは分かるのですが、それ以外もたくさんあって、要するに箱は自分にとって捨て難いもの、結構好きなものなのだと気づきました。某通販会社の配達用の箱は意識して保管していました。形や大きさが揃っているので「何かに使えるな」と考えていたからです。今回の模様替えで一番気に入ったところは、本箱を向かい合わせに少し離して配置し。その上にこたつの天板を置いた場所です。大きな作業スペースができ、さらにその上に例の箱を布でくるんで板を渡してみたら、立って行うパソコン机になりました。一台は今まで通りテーブルの上にありますが、座ってばかりいるのは健康によくないと最近よく聞くので、パソコンの作業台が2か所できたのはうれしいことでした。一日で終わってよかった。あとはこのすっきりした環境を維持できればいいのですが、ちょっと油断すると物が机の面を覆ってしまうので気を付けて過ごさなければいけません。
2018年7月7日土曜日
「テキストボックスによる会報の作成」
このところ取り組んでいたのが、会報作成方法の簡略化です。ワードはもともと英文用の書式なので日本語の縦書きには合わないのですが、今はワードを使うしかなく、会報は縦三段組なので、横書きで作る場合の数倍の大変さがあります。委員の中にこのやり方に非常に熟達していて、いつもきれいに作成してくださる方(Tさん)がいるのですが、これは本当にもう脱帽で、私などはなかなかうまくいきません。言ってみれば、「ワード検定T流1級」くらいの方でないと、簡単には作れないのです。
作成するのが難しいと思わせる理由は、タイトルがテキストボックスで二段抜きになっていたりすると、ちょっとした文字の増減で大きく画面が動き、せっかく作った体裁が壊れてしまうことにあります。そのうち、委員の中に「全体をテキストボックスでつくるのはどうか」というアイディアをもたれた方がいて、私はずっとその方法でうまくいくやり方を模索していました。或る時、これならなんとか簡略化できたかなと思える方法が見つかって、会員の他の方に試してもらうことになったのですが、ワードのバージョンが違っていたのでうまくいきませんでした。私のはワード2016、彼女のはワード2013だったので、新しいバージョンを読み込むときにすでにずれが起きていたのです。その後、もっと古いバージョン(97-2003)で保存したものを使ってみましたが、それでは古すぎて制約が多く、新しいバージョンのメリットが生かせません。
だめかなあと思いつつ、もう一つのパソコン(ワード2010)で作り直し、もう一度試してもらうことにしました。そもそもパソコンを新しくしたのはそれがWindows 7だったためで、皆と合わせた時に私の画面がずれていることに気づいたからです。不安を感じながらも「作成キット」を送ると、完成版がおくられてきたのです。問題なくできたということで彼女も喜んでおり、私もとてもうれしく思い達成感を味わいました。とはいえ、このままうまくいくとは思っていません。練習と本番は違うのです。この方法で対処しきれない事例もでてくるだろうなと思いつつ、とりあえず特殊な技能を持たなくてもできるほどには簡略化できたことを喜びました。この方法が広がれば、誰でも比較的簡単に会報の編集ができるのではないかとの感触を持っています。
作成するのが難しいと思わせる理由は、タイトルがテキストボックスで二段抜きになっていたりすると、ちょっとした文字の増減で大きく画面が動き、せっかく作った体裁が壊れてしまうことにあります。そのうち、委員の中に「全体をテキストボックスでつくるのはどうか」というアイディアをもたれた方がいて、私はずっとその方法でうまくいくやり方を模索していました。或る時、これならなんとか簡略化できたかなと思える方法が見つかって、会員の他の方に試してもらうことになったのですが、ワードのバージョンが違っていたのでうまくいきませんでした。私のはワード2016、彼女のはワード2013だったので、新しいバージョンを読み込むときにすでにずれが起きていたのです。その後、もっと古いバージョン(97-2003)で保存したものを使ってみましたが、それでは古すぎて制約が多く、新しいバージョンのメリットが生かせません。
だめかなあと思いつつ、もう一つのパソコン(ワード2010)で作り直し、もう一度試してもらうことにしました。そもそもパソコンを新しくしたのはそれがWindows 7だったためで、皆と合わせた時に私の画面がずれていることに気づいたからです。不安を感じながらも「作成キット」を送ると、完成版がおくられてきたのです。問題なくできたということで彼女も喜んでおり、私もとてもうれしく思い達成感を味わいました。とはいえ、このままうまくいくとは思っていません。練習と本番は違うのです。この方法で対処しきれない事例もでてくるだろうなと思いつつ、とりあえず特殊な技能を持たなくてもできるほどには簡略化できたことを喜びました。この方法が広がれば、誰でも比較的簡単に会報の編集ができるのではないかとの感触を持っています。
2018年7月1日日曜日
「共同作業の場に必要なもの」
職場以外の場で他の人と仕事をすることの難しさについて考えています。職場では他人と共にする仕事の難しさを感じなかったというわけではありませんが、職場の場合はおのずとルールがあるし、お互い相手を知っているので対処のしようもあるのです。それ以外の雑多な人々と何かのプロジェクトを進めるときは、それが容易なものになるか困難なものになるかは構成要因の人格によると言ってよいでしょう。相手が常識のある気持ちの良い人であれば仕事自体は大変でもつまらなくても全く苦にはなりません。逆に、相手が非常識な自分本位の人の場合、職場であれば存在する規範が働かないのですから、これほどしんどい仕事はないでしょう。だいたいはこの中間で事が進んでいくはずです。
職場であろうとその他の共同体であろうと、その会合や作業を成り立たせるのは相手あるいは相手の仕事に対する敬意です。誰もが自分では一番よいと思う仕事をしようとするのは当然ですが、人の考え方はそれぞれですから、一から十まで一致するというようなことは普通は起きません。方向性が間違っているのでなければ、7~8割がた合っていたらよいとすべきです。寛容さが必要なのです。往々にして特に能力のある人が自分の意見を通そうとしてルールを無視したり、明白なあるいは暗黙の規定を踏み越えたりすることがありますが、こういうことは厳に慎まなければなりません。わずかな差にこだわって協調的な場を壊すことよりも、大事なことがあるからです。それよりも相手の仕事に敬意を払って、さらにパフォーマンスをあげることの方がその共同体にとってどれほど有益かわかりません。長年生徒を扱ってきた経験から、こちらが敬意をもって接すれば相手はどこまでも応えてくれ、持てる力を最大限に発揮することは確信を持って言えます。時には持って生まれた力以上のものさえ発揮されます。これは大人でも同じでしょう。悲しいことに、居丈高に出れば相手が自分の思い通りになると勘違いしている大人がいますが、これは逆効果。内部の人だけの問題ならまだ我慢できますが、外部の方に対して失礼な対応があると、さすがに腹に据えかねます。ととはいえ、大人に説教するわけにもいかないしねえ。
職場であろうとその他の共同体であろうと、その会合や作業を成り立たせるのは相手あるいは相手の仕事に対する敬意です。誰もが自分では一番よいと思う仕事をしようとするのは当然ですが、人の考え方はそれぞれですから、一から十まで一致するというようなことは普通は起きません。方向性が間違っているのでなければ、7~8割がた合っていたらよいとすべきです。寛容さが必要なのです。往々にして特に能力のある人が自分の意見を通そうとしてルールを無視したり、明白なあるいは暗黙の規定を踏み越えたりすることがありますが、こういうことは厳に慎まなければなりません。わずかな差にこだわって協調的な場を壊すことよりも、大事なことがあるからです。それよりも相手の仕事に敬意を払って、さらにパフォーマンスをあげることの方がその共同体にとってどれほど有益かわかりません。長年生徒を扱ってきた経験から、こちらが敬意をもって接すれば相手はどこまでも応えてくれ、持てる力を最大限に発揮することは確信を持って言えます。時には持って生まれた力以上のものさえ発揮されます。これは大人でも同じでしょう。悲しいことに、居丈高に出れば相手が自分の思い通りになると勘違いしている大人がいますが、これは逆効果。内部の人だけの問題ならまだ我慢できますが、外部の方に対して失礼な対応があると、さすがに腹に据えかねます。ととはいえ、大人に説教するわけにもいかないしねえ。
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