鬱々と春を過ごしています。ちょっと気持ちが晴れるのは、りくを相手にしている時くらいです。人間よりはるかに賢く、性格も素直だなあとつくづく思います。日が長くなり暖かくなったので散歩日和が続いており、りくに催促されると、「お~よしよし、りくの願いなら聞いてやるからね」と大サービスで普段は行かない遠方へも出かけます。下の橋を越えてゲートボール場を通ってさらに下の橋まで、あるいは上流の小さな池のある河原を通って上の橋のさらに先まで、土手沿いにどんどん遡って・・・。
少し歩くと汗をかくほどの暖かさ、こんな日は水筒が必須です。1キロ近く来たかなという辺りで水筒を取り出して見せると、りくはそそくさとやって来ます。蓋に注いであげるとゴクゴクとたくさん飲むので、インドのキングコブラの動画を思い出します。旱魃のため人の住む村にやって来てペットボトルから水を飲んだというので有名になった話で、やはり水は命の源なのです。りくは極めて元気でどこまでも行こうとするのですが、ここは適当なところで折り返さないといけません。その場はよくてもやはり年は争えないので、歩きすぎで大変な事態を招いたことがあったのを教訓としています。
散歩の後は家の日向で昼寝です。昼寝から覚めて、また肩を手っこでトントンすることもあり、「大丈夫かな~」と思いながら短めにもう一本することもあります。兄が帰宅してから行く分も含めると、1日5~6キロ歩いているかもしれません。近頃報道されるのは人間の愚かさ、醜さ、卑しさばかり・・・、りくの我儘など可愛いもので、「姉ちゃん~」と甘えた顔でやって来るのを見ると、散歩の願いなどいくらでもかなえてあげたくなります。こうしてりくへの甘やかしは日々加速してゆき、最近は、「ね~、りくは神様の最高傑作じゃないかな~」と、いつも話しかけています。
2018年3月31日土曜日
2018年3月26日月曜日
「滅びの春」
もの憂い季節です。普通なら日が長くなり暖かくなるとうれしくなるものですが、先の世界の有様を考えると「みんなよく平気でいられるな」という気になってしまうのです。元凶は人口減少と高速通信社会で、今の子供たちの将来はどうなってしまうのか、想像も尽きません。人間の良識、常識を信じられた時代は遠く、政官財のあらゆるところでの偽装が明らかになっています。このごまかし体質はもう内側から国が亡びつつあることを示しています。
2100年の日本の人口は5000万人と聞いた記憶がありますが、これはあまりにも先の数字過ぎるのでもう少し近いところで言うと、日本の人口が1億を切るのは2055年とのこと、ざっと30年で3000万人、1年に100万人ずつ減っていくと言う事実・・・。仙台が百万都市ギリギリくらいのところだとすると、過疎の村どころか、地方都市もインフラ整備が追いつかず生活が成り立たなくなるのは目に見えています。この時代まで生きている人(つまり今の若い人)は大変だろうなあとぼんやり思うだけです。驚くのはこのことについて国民的議論が何一つ湧き上がっていないということですが、その理由は問題が深刻過ぎて解決方法がなく、考えるだけ暗くなるからだろうと思います。55%の比較的若い方々(59歳以下)が45%の高齢者(しかもそのうち後期高齢者が半分以上)を支えるのは無理ですし、病院も介護施設も何もかも大幅に不足するでしょう。個人としては少しでも良い健康状態を保つ以外なく、話はそこで行き詰ってしまいます。2055年と言えば、今度の東京オリンピックの時に10歳の子供は45歳の働き盛り、彼らの老後は誰が支えるのでしょう。
これに追い打ちをかけるのが教育問題で、聞くところによるともう全く希望がもてないようなのです。国内ではあからさまな批判が裂けられているこの問題を指摘したのは英米のメディアです。 特に、米国の政治外交専門誌Foreign Affairs Magazine が2016年10月号で、「日本の学校教育はどうしてこれほど質が悪いのか」について、研究の国際的評価の低下などをデータに基づいて記述した上で、日本の大学教育の過去30年間の試みは「全面的な失敗」だったと結論づけたこと、また、英国の自然科学のジャーナルNatureが2017年の3月に日本の科学研究の劣化について、かつては世界のトップレベルを誇っていた日本の科学研究が停滞している実情を伝え、「日本は遠からず科学研究において、世界に発信できるような知見を生み出すことのできない科学後進国になる」と警告を発したことは有名です。
これら多くの問題に誰も手をつけようとしないのは、一つには忙しすぎること、一つには少しでも責任を認めるとどんどん責められるに違いないこと、そして最も恐れるのはもう手遅れであることなどが理由でしょう。花見の季節のこの国の民は、このけだるい季節の中で桜がはらはら散るのを眺めながら、「静かに滅びていくのもいいかなあ」などと思ってしまうのかもしれません。
2100年の日本の人口は5000万人と聞いた記憶がありますが、これはあまりにも先の数字過ぎるのでもう少し近いところで言うと、日本の人口が1億を切るのは2055年とのこと、ざっと30年で3000万人、1年に100万人ずつ減っていくと言う事実・・・。仙台が百万都市ギリギリくらいのところだとすると、過疎の村どころか、地方都市もインフラ整備が追いつかず生活が成り立たなくなるのは目に見えています。この時代まで生きている人(つまり今の若い人)は大変だろうなあとぼんやり思うだけです。驚くのはこのことについて国民的議論が何一つ湧き上がっていないということですが、その理由は問題が深刻過ぎて解決方法がなく、考えるだけ暗くなるからだろうと思います。55%の比較的若い方々(59歳以下)が45%の高齢者(しかもそのうち後期高齢者が半分以上)を支えるのは無理ですし、病院も介護施設も何もかも大幅に不足するでしょう。個人としては少しでも良い健康状態を保つ以外なく、話はそこで行き詰ってしまいます。2055年と言えば、今度の東京オリンピックの時に10歳の子供は45歳の働き盛り、彼らの老後は誰が支えるのでしょう。
これに追い打ちをかけるのが教育問題で、聞くところによるともう全く希望がもてないようなのです。国内ではあからさまな批判が裂けられているこの問題を指摘したのは英米のメディアです。 特に、米国の政治外交専門誌Foreign Affairs Magazine が2016年10月号で、「日本の学校教育はどうしてこれほど質が悪いのか」について、研究の国際的評価の低下などをデータに基づいて記述した上で、日本の大学教育の過去30年間の試みは「全面的な失敗」だったと結論づけたこと、また、英国の自然科学のジャーナルNatureが2017年の3月に日本の科学研究の劣化について、かつては世界のトップレベルを誇っていた日本の科学研究が停滞している実情を伝え、「日本は遠からず科学研究において、世界に発信できるような知見を生み出すことのできない科学後進国になる」と警告を発したことは有名です。
これら多くの問題に誰も手をつけようとしないのは、一つには忙しすぎること、一つには少しでも責任を認めるとどんどん責められるに違いないこと、そして最も恐れるのはもう手遅れであることなどが理由でしょう。花見の季節のこの国の民は、このけだるい季節の中で桜がはらはら散るのを眺めながら、「静かに滅びていくのもいいかなあ」などと思ってしまうのかもしれません。
2018年3月21日水曜日
「生産性崇拝と創造主」
子供の頃、私にとって特に旧約聖書について不思議だったことは神と民との関係性でした。旧約聖書では神を信じる民は困ったことがあるとそのたびに神に助けを求め、それがかなえられると神への礼拝の心を忘れて堕落していくということが何度も繰り返されるのですが、なぜ神がこんなにもダメな人間を造ったのか、何故神はもう少しちゃんと言うことを聞く人間を造らなかったのか、不思議で仕方ありませんでした。今なら、自分が「神の全能性」という概念を取り違えていたとわかるのですが、当時の考えを押し進めるなら、即ち人間の自由意志を制限する方向に向かわざるを得ないのは明らかでしょう。
しかし、人間に完全な自由意志を与えることこそが、天地の全てを支配する一神教の神の特質ではないかと思うようになったのは、保科隆著『神が遣わされたのです』を読んで多くの示唆を得たことによります。保科牧師はその本の「回顧七十年」の中で、日本の風土のど真ん中で伝道してきた者として、日本思想史学者・石田一良の言葉を引きながら、神道について次のように書いています。
日本の神道の本質について石田一良は、それを次々と衣装を着替える着せ替え人形にたとえる。つまり、どのような衣装を着ても本体の人形は変わらないように、神道の本質は変わらないと考える。これは、神道が強い復元力を持っていることを現している。つまり、外来のどのような宗教や思想から影響を受けても、強力に元に戻っていく力が神道には備わっている。それは何かといえば、石田は一つは生産力の崇拝と今ひとつは生産力崇拝の封鎖性であるという。生産力の崇拝という点では、日本神話に見られる「高皇産霊命」(タカミムスビノミコト)などの「むすび」の神の考えがある。「むすび」の神は生産力の神格化である。その封鎖性は何かよくわからないが、これについて石田は日本の神は一定の空間的な固定性をもっていて、その領域の外に力は及ばないという。例えば「オオクニタマ」神社に祭られるクニタマの神は、その国に住む者たちにのみに恵みを与えるものと考えられている。だから地域の封鎖性があるという。サイの神などと言うのは、そこまでが空間的限界ということだろう。そこに日本の神道の考え方の特質が示されると石田は言う。
これはおそらく世界のどこにもある地域的な神々崇拝の現状であり、私たちはそのような精神風土の中で、キリスト者であってもさほど違和感なく過ごしています。これはまたカナン的状況でもあり、イスラエルの民もおそらくこのような風土の中で適当に折り合っていたに違いないのです。
しかし、ここに人間の確固たる自由意志というものはありません。自分の住む地域が豊饒であることを願い生産力崇拝をするなら、その時々で必要な神々と交渉し、ギブ・アンド・テイクでやり取りしながら目的を果たせばよいだけです。地域の神々に五穀豊穣を願えばそれがかない、とりあえずその地域が豊かな生産性に恵まれれば満足でしょう。
ところが、古代イスラエルの民は、神が人間というものを造った時、敢えて何でも言うことをきく人間を造らなかったと考えたのです。言われてみればあたりまえです。神が自ら操り人形のような作品を作って喜ぶはずがない。人間でさえその程度の作品では満足しない。江戸時代のからくり人形が人気を博したのはまさにそれが「意志をもっている」かのような動きをしたからです。神が自由意思をもつ人間を創造したとイスラエルの民が考えた時、創造主と被造物という人類史上初めての概念が生まれたと言うことができるでしょう。人間はこの時初めて、「創造主が、神である自分を礼拝する(あるいはしない)自由を持った被造物を造った」という途方もない考えを手にしたのです。そして人間は自分がまさに被造物であると考えることによって、人類史上初めて「創造主の神」という概念を手に入れたのです。
これは確かに、悪霊が地域に侵入するのを防ぎ、村人や通行人を災難から守るために祭られる「さえの神」とは全く別の概念です。万物を創造した神というものは、そのあり方からして一神教にならざるを得ず、その論理的結果として世界宗教にならざるを得ない・・・ということ全部がすとんと胸に落ちました。神は敢えて自由意志を持った人間を造り、敢えてその人間に自分を礼拝できるほどの高い精神性を求めたのです。そしてさらに、知ってか知らずか神をないがしろにしたり神に反抗したりしてしまった人間に、そのことを悔い改めるという自由さえ神は与えたのだということです。子供の頃、何度も罪を犯してはそのたび悔い改める人間を「駄目な人だな」とお思っていたのですが、そうではなかったのです。それは人間の自由意志の極限の表出でした。今なお、神がそのような至高性を人間に求めていることは間違いなく、だからこそソドムの滅亡をなんとか止めようと神と交渉したアブラハムを神は高く評価したのです。ごくわずかな人数の正しい人のゆえに、大多数が罪に染まった町ソドムを赦してほしいとのアブラハムの提案は、この世の常識からすれば全く馬鹿げたことです。しかしその時こそ、ひそかに神は「それでこそ私が選んだアブラハムだ」と、心の中で快哉を叫んだに違いありません。そのような言動こそが、「人間を造った甲斐があった」と神に思わせるものなのではありますまいか。
しかし、人間に完全な自由意志を与えることこそが、天地の全てを支配する一神教の神の特質ではないかと思うようになったのは、保科隆著『神が遣わされたのです』を読んで多くの示唆を得たことによります。保科牧師はその本の「回顧七十年」の中で、日本の風土のど真ん中で伝道してきた者として、日本思想史学者・石田一良の言葉を引きながら、神道について次のように書いています。
日本の神道の本質について石田一良は、それを次々と衣装を着替える着せ替え人形にたとえる。つまり、どのような衣装を着ても本体の人形は変わらないように、神道の本質は変わらないと考える。これは、神道が強い復元力を持っていることを現している。つまり、外来のどのような宗教や思想から影響を受けても、強力に元に戻っていく力が神道には備わっている。それは何かといえば、石田は一つは生産力の崇拝と今ひとつは生産力崇拝の封鎖性であるという。生産力の崇拝という点では、日本神話に見られる「高皇産霊命」(タカミムスビノミコト)などの「むすび」の神の考えがある。「むすび」の神は生産力の神格化である。その封鎖性は何かよくわからないが、これについて石田は日本の神は一定の空間的な固定性をもっていて、その領域の外に力は及ばないという。例えば「オオクニタマ」神社に祭られるクニタマの神は、その国に住む者たちにのみに恵みを与えるものと考えられている。だから地域の封鎖性があるという。サイの神などと言うのは、そこまでが空間的限界ということだろう。そこに日本の神道の考え方の特質が示されると石田は言う。
これはおそらく世界のどこにもある地域的な神々崇拝の現状であり、私たちはそのような精神風土の中で、キリスト者であってもさほど違和感なく過ごしています。これはまたカナン的状況でもあり、イスラエルの民もおそらくこのような風土の中で適当に折り合っていたに違いないのです。
しかし、ここに人間の確固たる自由意志というものはありません。自分の住む地域が豊饒であることを願い生産力崇拝をするなら、その時々で必要な神々と交渉し、ギブ・アンド・テイクでやり取りしながら目的を果たせばよいだけです。地域の神々に五穀豊穣を願えばそれがかない、とりあえずその地域が豊かな生産性に恵まれれば満足でしょう。
ところが、古代イスラエルの民は、神が人間というものを造った時、敢えて何でも言うことをきく人間を造らなかったと考えたのです。言われてみればあたりまえです。神が自ら操り人形のような作品を作って喜ぶはずがない。人間でさえその程度の作品では満足しない。江戸時代のからくり人形が人気を博したのはまさにそれが「意志をもっている」かのような動きをしたからです。神が自由意思をもつ人間を創造したとイスラエルの民が考えた時、創造主と被造物という人類史上初めての概念が生まれたと言うことができるでしょう。人間はこの時初めて、「創造主が、神である自分を礼拝する(あるいはしない)自由を持った被造物を造った」という途方もない考えを手にしたのです。そして人間は自分がまさに被造物であると考えることによって、人類史上初めて「創造主の神」という概念を手に入れたのです。
これは確かに、悪霊が地域に侵入するのを防ぎ、村人や通行人を災難から守るために祭られる「さえの神」とは全く別の概念です。万物を創造した神というものは、そのあり方からして一神教にならざるを得ず、その論理的結果として世界宗教にならざるを得ない・・・ということ全部がすとんと胸に落ちました。神は敢えて自由意志を持った人間を造り、敢えてその人間に自分を礼拝できるほどの高い精神性を求めたのです。そしてさらに、知ってか知らずか神をないがしろにしたり神に反抗したりしてしまった人間に、そのことを悔い改めるという自由さえ神は与えたのだということです。子供の頃、何度も罪を犯してはそのたび悔い改める人間を「駄目な人だな」とお思っていたのですが、そうではなかったのです。それは人間の自由意志の極限の表出でした。今なお、神がそのような至高性を人間に求めていることは間違いなく、だからこそソドムの滅亡をなんとか止めようと神と交渉したアブラハムを神は高く評価したのです。ごくわずかな人数の正しい人のゆえに、大多数が罪に染まった町ソドムを赦してほしいとのアブラハムの提案は、この世の常識からすれば全く馬鹿げたことです。しかしその時こそ、ひそかに神は「それでこそ私が選んだアブラハムだ」と、心の中で快哉を叫んだに違いありません。そのような言動こそが、「人間を造った甲斐があった」と神に思わせるものなのではありますまいか。
2018年3月17日土曜日
「分別について」
年度替わりは整理整頓の季節です。時間のある時に少しずつたまった書類を整理して、或る程度必要なものだけ残さないと家はあっという間にゴミ屋敷になってしまいます。以前会議で出た書類をその場で分けていらないものは捨てていた同僚がいましたが、私などは「あとでやっぱり必要だった」ということにならないのかと目を丸くして見ていました。しかし、自分の分別能力に自信があるならこれは賢いやり方です。
「創世記」1章では、神はまず光と闇を分け(4節)、それから大空によって上の水と下の水を分けた(7節)とあります。最近、この「分ける」というのは物事の始まり、また知恵の始めだとつくづく思う出来事がありました。或る会で大きなボックスに入った資料を引き継いだのですが、自分のではなく他人様の資料を整理することぐらい骨の折れることはありません。こういうことは本当はご本人にやっていただくのが一番です。とはいえ、すぐに必要な書類もあり、もう一人の方が奮闘していたので、私もお手伝いせねばという気になりました。
この箱をざっと見て、三つに分けることにしました。①会計報告に類するものはファイルして保管、②会として残すべきと思われる書類もファイルして保管、③その他個人で保管すべきものはそのまま返却と決め、出来る限り日付順にまとめていきました。項目名を書いたファイルを用意し、とにかくどんどん綴じる・・・すると、あ~ら不思議、とりあえずこれで書類整理は済んだのです。整理するとは、「背表紙に名前をつけてファイルする」とほぼ同義でした。「分ける」とは「分かる」ことであり、「分別(ぶんべつ)」はまさしく「分別(ふんべつ)」でした。こうして、無事パンドラの箱を解体することに成功しました。爽快でした。
もう一つ気づいたのは、とりあえず背表紙にタイトルの書かれたファイルがあれば、中身がどうであっても一応整理された感があるということです。本来は中身の方が大事ですが、背表紙がないことには大事な者とは見なされません。一方、書庫の中にはファイルは立派でも中はスカスカというものもありました。これは見かけ倒しでちょっと調べれば駄目なことはすぐわかります。やはり両方大事なのです。おそらく、こういったこと全てが書類だけではなく、人間そのものや自然界のもの全部に当てはまるでしょう。書類整理をしてみて、こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、いろいろなものを分けて天地創造をした神様はきっとすっきりされたでしょうし、もっと言えばこの作業を結構楽しまれたのではないかと、ふと思いました。
「創世記」1章では、神はまず光と闇を分け(4節)、それから大空によって上の水と下の水を分けた(7節)とあります。最近、この「分ける」というのは物事の始まり、また知恵の始めだとつくづく思う出来事がありました。或る会で大きなボックスに入った資料を引き継いだのですが、自分のではなく他人様の資料を整理することぐらい骨の折れることはありません。こういうことは本当はご本人にやっていただくのが一番です。とはいえ、すぐに必要な書類もあり、もう一人の方が奮闘していたので、私もお手伝いせねばという気になりました。
この箱をざっと見て、三つに分けることにしました。①会計報告に類するものはファイルして保管、②会として残すべきと思われる書類もファイルして保管、③その他個人で保管すべきものはそのまま返却と決め、出来る限り日付順にまとめていきました。項目名を書いたファイルを用意し、とにかくどんどん綴じる・・・すると、あ~ら不思議、とりあえずこれで書類整理は済んだのです。整理するとは、「背表紙に名前をつけてファイルする」とほぼ同義でした。「分ける」とは「分かる」ことであり、「分別(ぶんべつ)」はまさしく「分別(ふんべつ)」でした。こうして、無事パンドラの箱を解体することに成功しました。爽快でした。
もう一つ気づいたのは、とりあえず背表紙にタイトルの書かれたファイルがあれば、中身がどうであっても一応整理された感があるということです。本来は中身の方が大事ですが、背表紙がないことには大事な者とは見なされません。一方、書庫の中にはファイルは立派でも中はスカスカというものもありました。これは見かけ倒しでちょっと調べれば駄目なことはすぐわかります。やはり両方大事なのです。おそらく、こういったこと全てが書類だけではなく、人間そのものや自然界のもの全部に当てはまるでしょう。書類整理をしてみて、こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、いろいろなものを分けて天地創造をした神様はきっとすっきりされたでしょうし、もっと言えばこの作業を結構楽しまれたのではないかと、ふと思いました。
2018年3月13日火曜日
「紅春 119」
りくはとても外面のよい犬です。普通に歩いていても人の視線を集めてしまうのです。月一回のお風呂の他はこちらはほぼ何も手を掛けていないのですが、本人がいつも体をなめなめ、身ぎれいを心がけています。散歩中、ほとんどの人は黙ってすれ違うものの、まれに声をかけて来る人もいます。
「立派な犬ですね。中で飼っているんですか。」
「中ですね。」
「そうでしょう。きれいだもの。」
こんな具合にりくは人目を引いてしまいますが、話しかけられてもほぼ無視。愛想を振りまいたりは致しません。相手がりくをかまいたがっていても、散歩道の前方を見ながら、「早く行こうよ」と私を促すのです。こういう素っ気ないところも飼い主には可愛いのですが、相手方には面白くないだろうな~と思います。まあ、気ままな性格なのでどうしようもありません。
「立派な犬ですね。中で飼っているんですか。」
「中ですね。」
「そうでしょう。きれいだもの。」
こんな具合にりくは人目を引いてしまいますが、話しかけられてもほぼ無視。愛想を振りまいたりは致しません。相手がりくをかまいたがっていても、散歩道の前方を見ながら、「早く行こうよ」と私を促すのです。こういう素っ気ないところも飼い主には可愛いのですが、相手方には面白くないだろうな~と思います。まあ、気ままな性格なのでどうしようもありません。
2018年3月7日水曜日
「伝道についての講演を聴いて」
先日東京で、礼拝後に「伝道」という講演題で信徒研修会があり、出席したことのない教会でしたが行ってみることにしました。講師はミッションスクールの学院長で、あっという間に予定の90分が過ぎるほど大変話し慣れた方でした。講演の概要をお話しできるとよいのですが、お恥ずかしいことに断片的にしか思い出せません。話しの中で印象に残ったことを箇条書き的に書きます。
1.体験によって本当にわかった人にしか伝道はできない
学生時代に先輩のピンチヒッターで漬物売りのアルバイトをした時の話である。午前中全然売れない自分は、「漬物売りの神様」と呼ばれていた達人から「食べてみたか」と聞かれ、食べてみたらうまかった。達人からは「これで漬物が売れる」と言われ、その言葉通り午後は2つ売れた。実際に体験してうまみを知った者にしか本当の言葉は語れないのである。
2.伝道の結果は長い時間の後にわかることが多い
初めて赴任したとき職場に通うため家を探していると話したところ、不動産屋の態度が急変した。聴けば「娘はそのミッションスクールを卒業し、家庭をもって一生懸命働いて暮らしていたのに、交通事故で亡くなり、孫は自分たちが育てている。神様がいるとしたら、どうしてこんなことがおこるのか」という訴えだった。しばらくしてまた行ったら、不動産屋は今度はにこにこして迎えてくれた。先日の件で気持ちが吹っ切れて、亡くなった娘の部屋にやっと入れるようになり、遺品を整理していたら授業で書いたと思われる「感謝」という題名の作文が出てきた。両親に宛てて、「私をミッションスクールに入れてくれてありがとう。私も娘ができたらぜひここに入れたい」ということが書かれていたとのことだった。お孫さんは入学を果たし、三人で洗礼を受けるとの知らせがあった。
3.教会で使われる用語の中には世間で通じないものがある
教えている学生が教会に来てくれた時はうれしいものである。その時の手順を説明していて、「礼拝の後、昼食を食べながらの交わりに呼ばれると思うけど・・・」と話したら、「何を交わるんですか」と言って学生は笑い出してしまったとのこと。さらに、「その後、青年会の人に声をかけられるかもしれない」と言ったらまた笑う。「青年会」という語はもはや農協と教会にしか存在しないらしい。
4.ミッションスクールで教える教員にクリスチャンが減っている
ミッションスクールと言うと教員の大多数がクリスチャンと思われるかも知れないが、今ではもう半分を割っている。職場では、「あらゆる会議は祈りを持って始める」という規則があるのだが、学部によってはその中に一人もクリスチャンがいない場合がある。すると、宗教主任が呼ばれて開会の祈りをするのだが、皆おしゃべりしていて誰も聴いていない。会議内容がどのようなものになるかは推して知るべしである。ミッションスクールは祈りによって立つべきである。ミッションスクールにクリスチャンの教員を送ってほしい。
5.家族への伝道は難しいが、種まきを続けることが大事
自分は家族の中で一人だけクリスチャンとなった者である。洗礼を受ける時はさほど反対されなかったが、牧師になると言った時は家族はもちろん親戚中から反対され、日曜ごとに誰かしら説得にやって来た。30年たって母はキリスト教系の介護付き老人ホームに入り、そこで行われる日曜の礼拝に出るようになった。その礼拝に来る牧師には「息子も牧師です」と自慢したとのことで、奏楽まで買って出たというのである。その後病を得て、オルガンはひけなくなってしまったが、今度は施設の中で聖歌隊を作り、その一員として活躍中であるという。
このように体験に基づいた証しのみならず、キリスト教教育の由々しき現状も聴くことができました。また、ドイツ留学の際気づいた、言わば「教会外のキリスト教」について、外国のキリスト教会の現実に関するお話もありました。ドイツは言わずと知れたキリスト教国ですが、普段教会に行っていると言えるのは、信徒の0.4%とのことでした。今になって考えると、この数字にはあまり記憶に自信が持てません。と言うのは、もしその数字が正しいとすれば、ドイツのキリスト教人口は5500万人ほどと言われているのですから、これでは普段教会に通っている信徒は22万人ということになってしまいます。本当でしょうか。この数は信徒数が人口の1%を越えたことがないと言われる日本のキリスト教徒の5分の1に過ぎません。そして日本のキリスト教徒は多くがほぼ「普段教会に通っている」と言っていいのですから、非常に考えさせられる実情です。仮に日本のキリスト者で普段教会に行っている者が半分程度としても、ドイツの2倍になってしまいます。私は常日頃、信徒数が人口の1%というのは至極まっとうな数字だと思っていたのですが、それが裏付けられた気がします。だからといってうれしいわけはなく、複雑な気分です。
1.体験によって本当にわかった人にしか伝道はできない
学生時代に先輩のピンチヒッターで漬物売りのアルバイトをした時の話である。午前中全然売れない自分は、「漬物売りの神様」と呼ばれていた達人から「食べてみたか」と聞かれ、食べてみたらうまかった。達人からは「これで漬物が売れる」と言われ、その言葉通り午後は2つ売れた。実際に体験してうまみを知った者にしか本当の言葉は語れないのである。
2.伝道の結果は長い時間の後にわかることが多い
初めて赴任したとき職場に通うため家を探していると話したところ、不動産屋の態度が急変した。聴けば「娘はそのミッションスクールを卒業し、家庭をもって一生懸命働いて暮らしていたのに、交通事故で亡くなり、孫は自分たちが育てている。神様がいるとしたら、どうしてこんなことがおこるのか」という訴えだった。しばらくしてまた行ったら、不動産屋は今度はにこにこして迎えてくれた。先日の件で気持ちが吹っ切れて、亡くなった娘の部屋にやっと入れるようになり、遺品を整理していたら授業で書いたと思われる「感謝」という題名の作文が出てきた。両親に宛てて、「私をミッションスクールに入れてくれてありがとう。私も娘ができたらぜひここに入れたい」ということが書かれていたとのことだった。お孫さんは入学を果たし、三人で洗礼を受けるとの知らせがあった。
3.教会で使われる用語の中には世間で通じないものがある
教えている学生が教会に来てくれた時はうれしいものである。その時の手順を説明していて、「礼拝の後、昼食を食べながらの交わりに呼ばれると思うけど・・・」と話したら、「何を交わるんですか」と言って学生は笑い出してしまったとのこと。さらに、「その後、青年会の人に声をかけられるかもしれない」と言ったらまた笑う。「青年会」という語はもはや農協と教会にしか存在しないらしい。
4.ミッションスクールで教える教員にクリスチャンが減っている
ミッションスクールと言うと教員の大多数がクリスチャンと思われるかも知れないが、今ではもう半分を割っている。職場では、「あらゆる会議は祈りを持って始める」という規則があるのだが、学部によってはその中に一人もクリスチャンがいない場合がある。すると、宗教主任が呼ばれて開会の祈りをするのだが、皆おしゃべりしていて誰も聴いていない。会議内容がどのようなものになるかは推して知るべしである。ミッションスクールは祈りによって立つべきである。ミッションスクールにクリスチャンの教員を送ってほしい。
5.家族への伝道は難しいが、種まきを続けることが大事
自分は家族の中で一人だけクリスチャンとなった者である。洗礼を受ける時はさほど反対されなかったが、牧師になると言った時は家族はもちろん親戚中から反対され、日曜ごとに誰かしら説得にやって来た。30年たって母はキリスト教系の介護付き老人ホームに入り、そこで行われる日曜の礼拝に出るようになった。その礼拝に来る牧師には「息子も牧師です」と自慢したとのことで、奏楽まで買って出たというのである。その後病を得て、オルガンはひけなくなってしまったが、今度は施設の中で聖歌隊を作り、その一員として活躍中であるという。
このように体験に基づいた証しのみならず、キリスト教教育の由々しき現状も聴くことができました。また、ドイツ留学の際気づいた、言わば「教会外のキリスト教」について、外国のキリスト教会の現実に関するお話もありました。ドイツは言わずと知れたキリスト教国ですが、普段教会に行っていると言えるのは、信徒の0.4%とのことでした。今になって考えると、この数字にはあまり記憶に自信が持てません。と言うのは、もしその数字が正しいとすれば、ドイツのキリスト教人口は5500万人ほどと言われているのですから、これでは普段教会に通っている信徒は22万人ということになってしまいます。本当でしょうか。この数は信徒数が人口の1%を越えたことがないと言われる日本のキリスト教徒の5分の1に過ぎません。そして日本のキリスト教徒は多くがほぼ「普段教会に通っている」と言っていいのですから、非常に考えさせられる実情です。仮に日本のキリスト者で普段教会に行っている者が半分程度としても、ドイツの2倍になってしまいます。私は常日頃、信徒数が人口の1%というのは至極まっとうな数字だと思っていたのですが、それが裏付けられた気がします。だからといってうれしいわけはなく、複雑な気分です。
2018年3月3日土曜日
「小人さん賛歌」
ピョンチャン・オリンピックでは、日程の最後の方にチームパシュートやカーリング女子の競技があり、日本がチームプレーにおいて実力を見せつけた形となりました。逆に言うと、これくらい一体化したチームでないとオリンピックでは勝てないのだということでしょう。このところ、複数人で一定の仕事をする或る会のメンバーとなり、勤めていた頃の感覚を少しだけ思い出しました。違うのはもちろん、職業として仕事する場合は皆似たような環境にあるため仕事量を公平に分け合うのが大前提でしたが、今の会の場合はこの点であまり明確な基準がありません。会の構成員が毎年違う場合、まさにそのことによって全く違った集合体となります。去年と今年、今年はまだ始まったばかりですが、私はこのことを痛感しています。
どんな集団でも2割はよく働き、2割は働かず、後の6割はそこそこ働く・・・という話を聞いたことがあります。「よく働く人」が去った場合でも新たに「よく働く人」が出てきて、割合は変わらないというのが勘所です。と言うことは、「働かない人」が去った場合でも新たに「働かない人」が出てくるということで、これは人間のさがなのか、悲しいことです。それはさておき、昨年この会には不測の事態が次々起こり本当に大変だったので、今年も覚悟して臨みました。メンバーが半分変わり、ま私自身、月の半分は不在なのでご迷惑をかけているのですが、はっきりした変化の兆しを感じます。私の今年の役どころは、業務の引継ぎを円滑に行うこと、会の長をしてくださる方のサポートをすること、誰の仕事とも決まっていない仕事を行い全体がクラッシュしないよう気をつけること・・・辺りだろうと自分で決めています。仕事内容の共有はほぼメール頼みですが、思いついた折に会の運営に必要なことやら、帰ったらやらなければと思っていることやらをお伝えしておくと、翌朝のメールでそのことについて報告がある、他の方々が長を中心にどんどん仕事を進めている、話が予想以上にトントン拍子に進んでいく・・・という、ちょっと信じ難い状況が現出しています。また別件で大問題が起きた時、思い余って会以外のメンバー(専門家)にも助けを求めたのですが、この方もこちらが思っていた以上の働きを買って出てくださり、かなり問題が解決に近づきつつあります。
これは何かに似ている・・・と思ったら、まさしく『小人の靴屋』です。朝起きたら、靴が何足も出来上がっている不思議な感じです。メンバーが十人いるとしたら、よく働くのは二人か・・・なるほど。でも今は飛び入りもいるしなあ、これが小人さんなのですね。いやいやながら仕事をする人を小人さんとは呼びません。小人さんはいつも朗らか、「しかたないな~」くらいは言うかもしれませんが、にこにこと機嫌よくサクサク仕事を仕上げてしまうのです。そして決して恩着せがましくしない。小人さんって素晴らしい! 私も帰宅したら、小人さんA、小人さんB、小人さんC…に倣って、小人さんになろうと心に決めた次第です。
どんな集団でも2割はよく働き、2割は働かず、後の6割はそこそこ働く・・・という話を聞いたことがあります。「よく働く人」が去った場合でも新たに「よく働く人」が出てきて、割合は変わらないというのが勘所です。と言うことは、「働かない人」が去った場合でも新たに「働かない人」が出てくるということで、これは人間のさがなのか、悲しいことです。それはさておき、昨年この会には不測の事態が次々起こり本当に大変だったので、今年も覚悟して臨みました。メンバーが半分変わり、ま私自身、月の半分は不在なのでご迷惑をかけているのですが、はっきりした変化の兆しを感じます。私の今年の役どころは、業務の引継ぎを円滑に行うこと、会の長をしてくださる方のサポートをすること、誰の仕事とも決まっていない仕事を行い全体がクラッシュしないよう気をつけること・・・辺りだろうと自分で決めています。仕事内容の共有はほぼメール頼みですが、思いついた折に会の運営に必要なことやら、帰ったらやらなければと思っていることやらをお伝えしておくと、翌朝のメールでそのことについて報告がある、他の方々が長を中心にどんどん仕事を進めている、話が予想以上にトントン拍子に進んでいく・・・という、ちょっと信じ難い状況が現出しています。また別件で大問題が起きた時、思い余って会以外のメンバー(専門家)にも助けを求めたのですが、この方もこちらが思っていた以上の働きを買って出てくださり、かなり問題が解決に近づきつつあります。
これは何かに似ている・・・と思ったら、まさしく『小人の靴屋』です。朝起きたら、靴が何足も出来上がっている不思議な感じです。メンバーが十人いるとしたら、よく働くのは二人か・・・なるほど。でも今は飛び入りもいるしなあ、これが小人さんなのですね。いやいやながら仕事をする人を小人さんとは呼びません。小人さんはいつも朗らか、「しかたないな~」くらいは言うかもしれませんが、にこにこと機嫌よくサクサク仕事を仕上げてしまうのです。そして決して恩着せがましくしない。小人さんって素晴らしい! 私も帰宅したら、小人さんA、小人さんB、小人さんC…に倣って、小人さんになろうと心に決めた次第です。
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