2015年10月28日水曜日

「パソコンをめぐる受難」

 パソコンが壊れ修理に出しました。1日、2日ならデジタルデトックスもいいのですが、そうそうのんびりしてもいられません。1年半前に同じパソコンを修理に出したとき緊急に買って、それ以来使っていなかったタブレットを取り出して使うことにしました。このパソコンはOSのバージョンが違うので音声読み上げソフトを入れられず不便なのです。(これを機にバージョンアップした読み上げソフトを注文しました。) タブレットは慣れればよいのでしょうが、わたしにはキーボードが最適なので、キーボード付きタブレットケースを取り付けて使っています。まず困ったのは自宅が無線ランの設定になっていないのでインターネットが使えないこと。KDDIに電話してどうすればよいか尋ねたところ、「こちらから無線ランのレンタル機器を送って使用していただくこともできるが、それだと毎月使用料がかかるので、量販店で無線ラン機器を買って取り付けるのがよいのではないか。」とのお話でした。ご自分の得にならない方法を教えてくださったことに感謝。(もう8年来KDDIだったせいもあるのか、「長く使っていただいてありがとうございます。」と言われました。) こういうことに全く疎いのですが、さっそく機器を購入して付けたら自分でもできました。セキュリティキーとは危機に書いてある暗号化きーのことなのですね。こんな簡単なことだったらもっと早くやればよかったと思いました。これで家中どこでもインターネットが使えるようになりました。メールの設定は依然やった時のままで何もせずに送受信できたのでとりあえず最低限の必要は満たされました。

 そうこうするうち修理に3週間かかるといわれたパソコンが1週間ほどで戻ってきました。ハードディスクの交換だったのでまっさらの状態に戻っています。前回もハードディスクの交換で設定を一からやり直したのでまたあれをやるのかと思うととてもブルーです。身にしみてわかったのはパソコンは壊れるものだということです。購入した時、長期5年保証に入っておいて正解でした。今回も無料でやってもらえてありがたかったです。設定を始めていちばん厄介だったのはメールです。なにしろ全ての設定が飛んでおり、サーバのURLとかユーザーIDおよびパスワードがよくわからない。そこを何とかクリアしたとして、送信サーバ認証等の詳細設定が皆目わからない。いくつか試してダメで思いあぐねていた時、タブレットの方の設定を丸写しすればいいと気づきそれでうまくいきました。ですからタブレットがなければできなかったのではないかと思うのですが、あの時これをどうやって設定できたのか、今となっては忘却の彼方です。また次がないとも限らないので、今度はこの情報はメモに取りノートにしっかり残しました。アナログだけど一番確実です。

 とりあえず必要な設定を終え、パソコンをシャットダウンして「終わった~。」と声を上げたら、パソコンには「203個の更新プログラムをインストールしています。電源を切らないでください。」の文字。パソコンに「ご苦労様です。」と礼を言って就寝しました。夜中にふと見たら、更新は終わったらしく「シャットダウンしています。」の一行のみが書かれていました。そのうち終了するのだろうと思って私は再び眠りに落ちましたが、実は問題はここからだったのです。朝になっても同じ表示のままでしたので、外出予定のあった私はそのまま外出しました。こういう時はひたすら待つことが大事です。ところが7時間後に帰宅した時、画面は真っ暗でしたが電源ランプはついたままでまだ終了できていないことがわかりました。思案のしどころです。もう10時間ほどもシャットダウンできていないのです。このパソコンは自力ではシャットダウンできないのだと私は判断しました。ハードディスクのアクセスランプが消えていることを確認し、電源ボタンを4秒押して強制終了しました。しばらくして再び立ち上げたところ、「Windows更新プログラムの構成をしています。」、ほどなくして「windows更新プログラムの構成に失敗しました。変更を元に戻しています。」の表示が現れ、これが永遠に続くかと思われました。この時点でもう電話で聞くしかないと思いましたがどこにかければいいのでしょう。これは修理に伴うトラブルなのでメーカーのサポートセンターではなく修理先にかけることにしました。若い女性が丁寧に応対してくれわかったことは、ハードディスクを交換すると購入時からの更新プログラムのインストールが始まるので、購入時からの期間が長ければ長いほど時間がかかり場合によっては2日かかるようなこともあると。それから誰かに確認に行かれその後に受けたアドバイスは、「今ハードディスクがチカチカ点滅しているのは正常に動いている状態なので、長い時間がかかってもそのままにしておいてください。」とのことでした。再び壊れたのではないとわかりほっとして、「また困った状態になったらお電話します。」と言って切りました。その後、1時間もしないうちにパソコンは無事再起動し復活したのでした。IT危機に関しては特に感じるのですが、にっちもさっちもいかず途方に暮れた時、適切なアドバイスをしてくれる人は本当に天使のように思えます。まだ一山も二山もありそうですが、わかる人に聞きながら地道に進むしかありません。

2015年10月23日金曜日

「紅春 73」

りくはすっかり元気になりました。兄のいる二階にも時々お邪魔し慣れてきたようです。兄の話では、最初は控えめだったのに今では我が物顔にふるまっているとのこと。ところがそのうち困ったことが起きました。兄が外にいた時のことですが、兄の姿が見えないので二階にいるものと思ったりくは階段を上って二階に行き、ご想像の通り降りられなくなってワンワンないていたというのです。

 また先日私が帰省した時のことですが、買い物に行って帰ってくると、いつもと違って勝手口を開けてもりくが出てきません。たまにりくが和室にいると知らずに襖を閉めて閉じ込めてしまうことがあるので、私は「あ、やっちゃったかな。」と和室に飛んでいきました。しかし・・そうなのです。激しくないている子は二階にいたのです。「姉ちゃん、早く~、降りられないよ、ワンワン。」

 ちょっとした問題の発生です。その日は買い物だけだったので家を空けたのは1時間弱でしたからよかったようなものの、半日留守することだってあるのです。もしその時同じことがおきたら水も飲めずに大変なことになるでしょう。というわけで、階段前でりくをブロックする緊急処置をすることになりました。もちろんりくが自分で階段を降りられるよう訓練することも必要ですが、まずは緊急対策です。兄が日曜大工で作業をし、蝶つがいの板が必要に応じてマグネットで上り口に固着する柵が出来上がりました。留守するときはこれを閉めて出ればりくは二階に上がれません。とりあえずほっとしました。この前のことがあるので、ストレスによってパニック症状がぶり返すような要素は極力除いておかなければなりませんから。柵ができたことをりくがどう思っているのかはわかりませんが、今まで通り兄に用事がある時は階段の下でワンワンやっています。

2015年10月17日土曜日

「神を知らぬ者」

 このところ、小学校の教科書に載っていた八木重吉の詩が頭をかすめます。

うつくしいもの

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

 いつの頃からか、日本では偽装が当たり前になりました。食品関係の賞味期限や食材の偽装、一級建築士による耐震偽装も、その後に起きたゴーストライターや幻の万能細胞事件に比べたら、実害がないかわいいものだったといえるほどです。最近では、東京オリンピックのエンブレムの白紙撤回がありましたが、有名アートディレクターの仕事ぶりのお粗末さに驚かされた人も多かったと思います。日本ばかりではありません。フォルクスワーゲン社のエコ偽装の衝撃はさらに計り知れないものでした。日本の小さな企業であれ、ドイツの大企業であれ、人を欺いても業績をあげることが最優先されるのです。比較的品質管理が厳しい国でもこうなのですから、世界中どこでも同じなのでしょう。

普通に考えれば、「それを行うことで得るものと失うものの軽重は子供でも判断がつくのに・・・。」と誰もが思います。これはむしろ基本的に生活を背負う必要のない子供だから判断がつくのであって、日常の積み重ねの中で自己と家族の保全を図らなければならない大人にとっては簡単なことではないのです。仕事が最終的にコストの問題に還元され技術的にそれをクリアできるとなると、罪責感は薄まりその可能性を試してみたい誘惑に駆られるのでしょう。もしくは罪悪感からこれができない場合はその場を去らなければならないという究極の選択を迫られる・・・大人であれば多少なりとも身につまされる話ではないでしょうか。そして一度手を染めてしまうとあとは隠蔽するしかありません。始めはほんのちょっとだった偽装が加速度的に勢いを増していき、本人も怖いくらいになった頃には誰の眼にも明らかな不正として立ち現れてきます。そして残念なことですが、これは程度の差はあれ、こういうことは人間の歴史を通してずっと行われてきたのだろうと思わざるを得ないのです。八木重吉よりずっと前から詩篇の詩人は言っています。

詩編14編1節
指揮者によって。ダビデの詩。
神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。

これは詩編53編2節にもほぼ全く同じ言葉があります。忌むべき行いの中身は偽装ではないでしょうが、神をなきものとして暮らしていることに変わりありません。そのような局面に落ち込むことなく過ごせますようにと願うばかりです。


2015年10月12日月曜日

「高齢化と少子化の果て」

 高校の頃、「あと40年もすると老人がこんなに増えちゃってるのね。」と話しながら、ふと自分たちもほぼその中にいると気づいて笑えない話になったことがありました。今は60歳と言っても老人扱いしたら失礼でしょうが、一応還暦ですからこの年齢を基準に考えてみます。今現在は60歳以上の人口は国民の三分の一くらいでしょうが、ざっと推測してこれが30年後には二分の一になるでしょう。今でさえ混雑時にはシルバーシートに座りきれないほどの高齢者が若者同様立って乗車しています。まもなくシルバーシートそのものが無意味になって消えるでしょう。国民の半分が60歳以上となるこの頃から、それまでは微減だった人口が急激に減り始めるはずです。シルバーシートの代わりに若い人や子供専用のシートが確保されるようになるかもしれません。

そこからさらに40年経つ頃(すなわち2080年代)には、ざっくり見積もって日本の人口は今の半分くらいになるのではないかと思います。高齢化はいいとしても、問題は少子化です。これまでと同じ仕方で子供が生まれると仮定すると、この頃にはもう十代以下の子供は人口の一割もいない。子供を産める年代の女性の数が今の半分近くまで下がるのでいたしかたのないことです。それから30年すればもう子供は生まれなくなるでしょう。高齢化は防げませんが、少子化の方は本当になんとかする気があればできていたはずなのです。小さな子供を抱えて、「入れる保育所がない。子供は少なくなんかないのよ。多すぎるのよ。」と叫んでいた同僚もいました。結局女性に負わせてきたつけを払わなければならないのです。

将来の展望がどんなに陰鬱でも、この問題に本腰が入らない本当の理由は、一つには「人口問題に口を出すような国はろくな国ではない。」という嫌悪感であり、もう一つは「そんな長期的な視点から国の将来を考えても自分には何一つ益がない。」という実際的な感覚であろうと私は思っています。問題の性質上短期目標を設定する要請がまずないし、遠くを見すぎても気力がわかない。だってそのころもう自分はいないもの・・・・。実際、30年後どころか10年後でさえ、世界がなんとか機能して保たれているのかどうか私には全く想像がつきません。高齢化などという贅沢な問題で悩む前にもっと恐ろしい事態が世界を席巻しないと誰が言えるでしょう。



2015年10月5日月曜日

「フォルクスワーゲン VW」

 フォルクスワーゲンによる米国での前代未聞のエコ偽装事件には本当にびっくりさせられました。びっくりというよりがっかり、いや悲しいに近いなんとも言えない気持ちです。ドイツでは自動車産業は特別の地位にあると思います。シュツットガルトでは駅の上で巨大なベンツのエンブレムがゆっくりと回っておりましたし、ベンツはもちろんポルシェやBMWも自社の博物館を持っていたはずです。比較的南に多い自動車産業の中で、フォルクスワーゲンは北のニーダーザクセン州にあります。州自体が大株主なのですから州の役所や警察関係の公用車はもちろんVWです。なぜかフランクフルトのあるヘッセン州もそうだったような気がするし、とにかく北では優勢という感じでした。ヘルベルトもVWを愛用していました。車で旅行に出る時にいつも乗っていたので私も愛着があり、今回のことは本当に残念でなりません。

 最初は、「そうすることで失うものと得るものを秤にかければ、なぜこんな割に合わないことをしたのだろう。」と思ったのですが、かなり根深い問題がありそうです。ディーゼル車は排気ガス中に存在する「PM」と呼ばれる微粒子と「NOx」なる窒素酸化物の排出削減が技術的に難しい車種らしいのですが、NOxに関しては尿素水を吹いて還元する方法と或る特殊な触媒を使って還元する方法とがあるそうです。ベンツやトヨタは前者を用いていますが、VWは技術的に難しい触媒を使ったタイプを開発してアメリカ市場で販売したということです。ところが米国の厳しい環境基準をクリアするとコストが合わない・・・・ここまでくればわかります。なぜ悪魔のささやきに耳を貸してしまったか、それは物事が単にコストの問題になったからです。触媒を長持ちさせるためには使用時間を短縮すればよい、普段は使わずに検査の時だけ作動するようにすればよい、検査は屋内の決まった環境でなされるからそれを感知できればよい・・・技術的にできることなのだからやらない手はない。これがもう10年も前から行われていた。

 VW自体がもともとは国営企業として生まれたのですが、その後民間企業になっても同族経営にして州も労組も一体みたいな企業であってみればもう何が行われても止めることはできません。この問題は米国に限らずEUにも波及するでしょう。道路で使用すれば違法と警告しつつ部品を提供していたボッシュは無論のこと、スイスでは以前から国内でのこの車の販売を禁止していたというのですから、知っている人は知っていたはずです。そして違っていればよいのですが、ドイツの自動車産業は根底では何らかの形でつながっていると思われるので、他のメーカーにも波及するのではないかと恐れています。まさしく「国民車」のスキャンダルにより、ドイツ・ブランドはいたく毀損されました。国立競技場や東京オリンピックのエンブレムの白紙撤回とは桁が違う、国民が気の毒です。

2015年10月1日木曜日

「紅春 72」

朝、兄からメールが来ていたのでりくに何かあったのかとちょっとぎくっとしたのですが、今回は別な意味でびっくりのメールでした。「二階で寝ていて夜中にふと誰かいる気配がして起きたら、暗闇にりくの姿があった」というのです。そりゃあ驚いたろうと思います。りくはこれまで階段を登って兄の部屋に行ったことはなかったのですから。

 信じられないくらい用心深いりくは、最初赤ちゃんの頃は自分の部屋と思っている茶の間と台所と廊下だけを行き来していましたが、だんだん父が寝室にしていた和室に入れるようになりました。私が使っていた洋間に入れるようになったのはさらにずいぶん時間がたってからでした。お風呂は強制的に入れられていましたからあとは二階だけなのですが、物理的には登れるはずの階段を登って兄の部屋に行くことはなく今日まで来たのです。兄に訴えごと(「兄ちゃん、起きる時間だよ。」とか「姉ちゃんいなくなったから探して。」とか)がある時はいつも階段の下で吠えていましたが、決して登って行くことはありませんでした。

 今回のことは、りくが発作を起こした時に兄が下の部屋で2~3日りくと一緒に寝たことが関係しているでしょう。夜中に目覚めて誰もいない、とっても寂しい、でも上には兄ちゃんがいる・・・と思いだし、会いたい一心で登って行ったのでしょう。りくにしては大冒険だったろうと思います。兄によれば、「来ちゃったけど怒ってなーい?」という顔で布団に伏せていたとのこと。

 それからとりあえず一度散歩に出ようとしたが、急な階段だからか、なかなか降りないので抱っこして降りたと。その後散歩から帰ってよく諭してから別々に寝たら今度はちゃんと寝てたと。何から何までりくらしいと思いました。りく、勇気出したなあ。もう家じゅう、りくに行けないところはありません。9年かかったけど。