2025年1月31日金曜日

「宅電とスマホ」

  私は電話が嫌いである。ほとんど「フォビア(恐怖症)の領域」と言ってもいいほどである。これは子供のころからのことでどうしようもない。したがって私の宅電(自宅の電話という意味。他にこの語を使っている人がいるのかどうか知らないが、「いえ電」を「家電」と書くと「家庭用電化製品」と誤解されるので、仮にこう書いておく)は35年前の骨董品と言える代物で、ナンバーディスプレィとか留守電機能とか、もちろんFax等は一切ない。家にいれば恐る恐る出て、「もしもし」くらいは言うことがあっても絶対に名乗らない。相手は変だと思うようだが自衛手段である。営業の電話はとんと無くなったが、あれば反感を買わぬよう丁寧な言葉で応答し、問答無用で切る。世論調査なども失礼してすぐ切る。安心して出られるのはかかってくることが分かっている電話だけである。この宅電のいいところは、外出中はどんな電話があっても知らずにいられることである。電話に何の痕跡も残らないので、あってもなかったのと同じなのだ。

 20年位前からは「携帯電話を持たねばならない」という社会的要請が次第に強くなり、仕事上では欠くべからざるものとなった。家の中に嫌いなものがもう一つ増えたのである。そして、全く迷惑な話であるが、近年は3Gから4Gへの移行としてスマホが必須になってきた。私はスマホを持ち歩くことはほぼない。その意味で私のスマホは携帯電話ではなく固定電話である。持って歩くのは人との待ち合わせと帰省の時だけである。つまり自分が困った時、自ら通話するための非常用である。私にとっては持ち歩く便利さより、紛失した時の恐怖の方がはるかに勝っている。自分がそういうことをしがちな人間であるという自覚があるからだ。

 スマホは自宅に固定してあるとはいえ、宅電と違い、不在の間の着信履歴が全て分かるので、帰宅後に一仕事となることがある。私がスマホを持ち歩かないことを知っている友人には、不義理しないように「今帰宅しました。あとはずっと家にいます」とメールしておく。電話が来ることもあれば、「明日電話していい?」という展開になることもある。不在中に届くメールの中には、応答を要する割と大事なものも結構あるので、それには丁寧に変身する。

 スマホが必須になってきたと感じるのは、2段階認証を求めてくる場合の電話番号として、宅電の番号を受け付けないということがある。これには本当に参ってしまう。もう一つは、私は基本的に電話番号欄は宅電の番号を書くことにしているが、病院などで念のため携帯番号を求められたり、工事関係の業者さん等に「できれば携帯番号を」と言われる時がある。確かに帰省時などの急ぎの連絡手段としては必要だろうし、不在時でも相手はメッセージを残せるから時間が無駄にならない。これもやむを得ないであろう。

 そしてスマホが必須となってきた事例のもう一つは、スマホにしかないアプリで何かをしなければならない時である。何といってもスマホはパソコンの進化系である。電話としての機能はその働きのごく一部にすぎない。つい最近、集合住宅の管理組合でweb会議やらweb議事録やらへの移行を考えているらしく、管理組合名で或るアプリをインストールしてほしい旨の文書が出た。私はアプリのインストールをほとんどしたことがなく、そのアプリを入れるのに必須の、その前段階のアプリさえ入れていなかった。何か大きな間違いを試送だったので、これは友人にお願いしてやってもらった。結果、アプリはダウンロードして使えるようになったが、使用者が使い方を知らないので宝の持ち腐れとなっている。そのアプリを使うと、定期総会の議決権行使書の記入をwebでできるのだが、なんと私はメールボックスに紙で届いた用紙に書いて提出した。後で自分の投票結果をwebで確かめられはしたが、「間違いなく入力してある」と思っただけである。会議や総会にスマホで参加したい人には便利だろうが、どうということはない。ただ、友人に丸投げしたとはいえ、管理組合からの要請に応えて、私のスマホにアプリは入ったのだから「義理は果たした」という思いである。

 最近近くのスーパーが別のスーパーに変わり、今まで使えていたスイカが使えなくなってしまった。思うに厳しさの増す経営戦略の中で、それぞれの企業で自社の電子マネーを用いるようになったためだろう。これ以上カードを増やしたくないし、スマホを使った何とかペイなるバーコード決済など、私には到底できようもない。かといって少額の支払いにクレジットでもあるまい。とすれば残るは現金決済! 何たることかここでも時代に逆行する私。その店でしか買えないものもあるので買い物には行くが、純粋に「自分が使用する決済方法がない」という理由で別の店に行く頻度は確実に増えた。

 私はまだやっとスマホを連絡方法として使用することに少し慣れただけである。アプリを使っての様々な作業にはとても付いて行けそうにない。一方、詐欺関係の悪事の件数は宅電の比ではないだろう。通信料が無料に近いのだから、世界中の悪者がやりたい放題である。スマホを握ったときは世界中の悪者との戦いの最前線にいる覚悟でいなければならないと思う。或る人にとって絶大な利便性を発揮するスマホは、使い方を知らない慣れない者にとっては危険物となる。かつてうちにも時々あった宅電のワン切りは今ではなくなり、宅電の危険性は急速に減少した。時代遅れのものにもいいところはある。


2025年1月24日金曜日

「若者が巣立つ社会」

  先日美容院に行くと、時々あることであるが、高校生かと思うほど非常に若い、恐らくインターンと思われる方がいた。まだ雑用や簡単な作業しか許されていないようであったが、私は染髪のためにお世話になった。ここから一人前の美容師になるまでには長い道のりがあるであろう。染髪時間をおく間に彼女が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、何故か何とも言えない切なさで胸が詰まり、その行く末の幸を祈らずにはいられなかった。

 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』(金間大介、2022/3/18 東洋経済新報社)を読んだ。現在の大学生の実態を知ることができ、途中でやめられないくらい面白かったが、舟津昌平の『Z世代化する社会』同様、衝撃的すぎてしばし口がきけなかった。だがしばらくたってよく考えてみれば、「出る杭として打たれぬよう悪目立ちしない」、「進学・就職においてはひたすら安全志向」、「挑戦や自発性の発揮よりとにかく指示待ち」等々は、少なくとも三十年昔からあり、それが高度に強化されただけと言う気もする。この三十年は日本がじわじわとしかし確実に縮んでいった時と重なる。

 その間に中流層の没落により社会に下降不安が蔓延し、一段と貧困化が進んだアンダークラスの過酷な現実があからさまになったのは誰も否定できないと思う。楽観的な国民性の国ならば別だが、日本人のメンタリティとして、若者が上記のようになるのも無理はない気がする。本の内容で私が一番驚いたのは、記されていた正確な言葉ではないが、「日本の若者は社会的富の分配において、必要に応じてでも、努力に応じてでも、もちろん能力や貢献に応じてでもなく、平等に配分されることを望んでいる割合が最も高い」ということだった。長年の平等主義教育の成果がここに極まっている。このような回答をする若者は現在世界ではまれであろう。その人たちから見ればまったく笑うべき考えであろうと思う。ただ、私はここを読んで、聖書の「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ福音書20章1~16)を思い出した。西洋ではなく日本の若者が最も天国に近い考え方をしているとは意外である。

 成長無きこの三十年の間に、貧困にあえぐ若者によって多くの本が書かれてきた。「もはや戦後ではない」と言われた1956年よりだいぶ後に生まれた私の子供時代も、そうは言いながら、社会全体が相当貧乏だったことを覚えている。その私の記憶をもってしても、今のアンダークラスの生活の悲惨さは読んでいて胸が苦しくなるほどである。それには共同体が壊れ、社会のセーフティネットが公的なものだけになり、或る種の情報を得て何とかそこまで辿り着いた人だけが救われるようなシステムだからである。

 取り敢えず、若者の貧困をこれ以上拡大しないために即できることは、大学までの全ての教育費を無償化すること、既に発生している奨学金の返済負担は国が引き継ぐことであろうと思う。一部の自治体でその中での居住や就職を条件として奨学金の肩代わりを行っているところ、またその予定を立てているところはあるが、財政状態の全く違う自治体にそれを任せるのではなく国として行うべきものだろう。可処分所得がほとんどないのでは、若者は自分の未来を描けるはずがない。大学進学率が半分を超えている社会なのだから、せめて十年早くそういう措置を取っていたなら今ほど酷い状態にはならなかったと強く思う。社会に出る時点で既に多額の借金を背負っているような事がないようにするのは、最低限社会の責任だと思う。社会に対して若者が敬意を持ち、縮こまらず恐れ過ぎず前向きに巣立っていける社会であってほしいと切に願う。


2025年1月17日金曜日

「信じる者とされるまで」

 最近知人の話を聴いたり書いたものを読んだりして、信仰には「信じたいのに信じられない」という葛藤が伴うことを改めて知った。「信じたい」から「信じる」という確信に至るまでの心の飛躍はどのようなメカニズムで起こるのか、ヒントになるかもしれない場面を「ヨハネによる福音書」の中に見つけた。

 それは、十字架の死を遂げたイエスが墓穴に葬られて、それですべてがお終いと誰もが思っていた後の次第を描いている20章以下の部分である。ヨハネによる福音書20章1~18節に書いてあることを私なりに箇条書きにすると以下のようになる。

1. 週の初めの早朝、お墓に行ったマグダラのマリアは墓穴の石が取りのけられているのを見て、ペトロともう一人(イエスが愛しておられた弟子)のところに知らせに行く。

2. ペトロともう一人が墓に走って行き、もう一人の方が先に着いたが、追いついて到着したペトロがまず墓穴に入り、体を包んでいた亜麻布と頭の覆いを発見した。「それから先に墓に着いていたもう一人の弟子も中に入って来て、見て、信じた。(ヨハネ20:8)」

3. 彼らは「イエスが復活される」という聖書の言葉をまだ理解しておらず、家に帰っていった。

4. 墓の外でマリアが泣きながら中をのぞくと、遺体の置いてあった場所の頭のところと足のところに、それぞれ一人ずつ天使が座っているのが見えた。

5. 「女よ、なぜ泣いているのか」と問われたマリアが「誰かが私の主を取り去り、どこに置いたのか分かりません」と言って、後ろを振り向くと、

6. イエスがおられるのが見えたが、それがイエスだとは分からなかった。

7. 園の番人だと思ったマリアは、「なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」と問われ、自分がご遺体を引き取るので、「どこに置いたのか、どうぞおっしゃってください」と言った。

8. イエスが「マリア」と言うと、彼女は振り向いて「ラボに(先生)」と言った。

9. イエスは、まだ父のもとに上っていないから自分に触れぬよう、また、「私の父でありあなた方の父である方、私の神でありあなた方の神である方のもとに私は上る」ことを兄弟たちに伝えるよう、マリアに言う。

10. マリアは弟子たちのところへ行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。


 初めにお断りすると、先に到着していながらペトロが先に墓穴に入るまで待っていたもう一人の弟子、しかも「イエスが愛しておられた」という枕詞の付く、名前が明示されない弟子とは誰かについては、「ヨハネによる福音書」21章20~24節の記述から、古代においてはこの福音書を書いたとされていたヨハネということになる。これについては今立ち入らない。ただ、十字架上でイエスが息を引き取る前の場面から、ペテロとこの弟子の関係は創成期のキリスト教とユダヤ教の関係を暗示する存在ではないかと解する読み方があることを述べておく。

「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『女よ、見なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』 その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(ヨハネによる福音書19:26~27)

 さて、マグダラのマリアとは十字架上のイエスの臨終を看取った三人のマリアのうちの一人である。「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。(ヨハネ19:25)」 つまり、この時ほかの弟子たちはどこかへ逃げ去って散り散りになっている。そして、週の初めの朝、葬られたイエスの墓を見に行ったマグダラのマリアに最初に復活の主イエスは現れたのである。

 この時のマリアの動作を不思議だと思うのはわたしだけだろうか。墓穴に入り天使を見た時、体は墓の奥を向いていたはずで、なぜ泣いているのか」という天使の問いに答えて後ろをり向いた時、体は墓の入口の方を向いたはずである。墓の入口に見えた人を園の番人だと思ったマリアはご遺体の在り処を問う。そして「マリア」と言う声を聞いて、彼女は再び振り向いて「ラボに(先生)」と口にするのだが、こうなると体は墓の奥、すなわちイエスの体が置かれていた方を向いていたことになる。園の番人だと思っていた相手が誰だかわかって、目の前にいる相手に「ラボに(先生)」と呼びかけたわけではないのである。

 私はこれが記憶というものの本質ではないかと思う。マリアは主イエスのお体があった場所を見、今はそこに無いものを見て、共に歩んできた主イエスのお姿をありありと思い浮かべたに違いない。そしてそのご生涯の意味を少しずつ悟ったに違いないと思う。目の前にいても誰だかわからなかった人を、「振り向く(思い出す」)ことでその正体が分かったということだろうと思う。そしてこれは、地上の生を主イエスと共に過ごしていてもそれが誰なのか分からなかった弟子たちに子の後共通して起きた現象である。のみならず、この現象はこれまで生きた、あるいは今生きている、そしてこれから生きる全ての信仰者に起きる「信じる」という過程であると思う。歴史上知らない人物に人は出会うことができる。人は聖書に示されたイエスの生涯や御言葉を説く説教によって、主イエスに出会い信仰者となる。

 マグダラのマリアが弟子たちに「私は主を見ました」と告げた後、同じこと(即ち、主エスが生きていると信じること)が弟子たちにも起こる。ちなみに上記「2」において、「それから先に墓に着いていたもう一人の弟子も中に入って来て、見て、信じた(ヨハネ20:8)」という言葉において、この時点で「信じた」の意味するところは単に「イエスのご遺体がなくなっている」ことを認めたということであろう。

 マリアの告白の後、主イエスは三度にわたって弟子たちに現れる。①ユダヤ人を恐れて鍵をかけて家に閉じこもっていた週の初めの夕方、②それから八日後、「私たちは主を見た」という他の弟子の言葉を信じなかったトマスの在宅時に、③その後、ペテロをはじめ7人の弟子たちがティベリアス湖で一晩中漁をして何も捕れなかった明け方に、の3回である。詳述しないが、最初の2回の弟子たちの様子は、まるでイエスを見捨てて逃げ去ったり、イエスの存在を疑ったことがないかのような喜びに満ちている。ここには裏切った相手に出くわした恐れや不信感を持った気まずさなどがまるで無い。相手が主イエスであると分かった瞬間にそんなものは吹き飛んだとしか思えぬ姿である。弟子たちはただかつて共に歩んだ主イエスに会えてうれしいのである。「我が主」が今確かにここにいる、という喜び以外の感情が彼らには無い。これが信仰の本質であろうと思う。イエスの十字架の死と復活を経て、もう彼らは主イエスが全ての罪を赦す権能をお持ちであると知っているからである。

 イエスを我が主として信じたいと思っているほどの人は信じたい理由があるはずで、それは自分の人生の節目節目を振り返ることで感知できるのではないかと思う。「そういえばあの時、何故だか…だった(でなかった)」とか「もしあの時…だったら(でなかったら)」と、何か引っ掛かって来る記憶があればそれをヒントにゆっくり思い出してみてはどうだろう。「信じたい」と思うのはもう信じていることになるのではないかとも思う。自分の人生に何が起きたか、ごくありふれたものに思えた過去が一挙につながって来るということがあるかもしれない。結局記憶こそが未来を創るのである。


2025年1月10日金曜日

「一年の計は元旦にあり?」

  一年が始まってもう十日である。ラジオも通常の番組に戻り、ハレの日の特別なプログラムよりいつもの番組(マイあさ)を心待ちにしていたリスナーは多かったようだ。ラジオ第一で朝5時頃やってたLittle Voicesも私にはなかなか面白かったけど。ラジオではいろいろな人が今年の目標を述べていたが、なんと「今年は丁寧に生活したい」という人が出演者、アナウンサー、リスナーと、三人もいた。これはきっと近頃のあまりにも高速な生活様式に付いて行けていない感があるのだろうと思う。私自身とてもトロいのでここ何年もそんな心持ちで生活している。しかし、今年は「面倒くさがらずにやる」という目標を加えたいと思う。

 私はこれまで細かいこと、とりあえず支障のないこと、面倒なことを先送りしてきたし、それでいいと思っていた。例えばずっと前に購入した卓上ガスコンロ。恐らく十年以上ぶりに取り出してみると点火する時のつまみが回らなくなっていた。何度も試したが駄目。この始末が面倒なので放っておいた。例えば天井の電灯。リビングの天井に3つあるうちの1つがもう4、5年前から点灯しなくなっていた。読書は音声だし、朝、明るくなったら起きて、夜、暗くなったら眠るという原始的な生活の身では支障がないので放っておいた。例えばずっと前に来ていた管理組合運営のオンライン化に伴うアカウント登録。管理会社の都合で企画されたに違いなく、高齢者も多いこの集合住宅で到底機能するとは思えず、放っておいた……。

 気持ちの上で転機となったのは、自分でも意外に感じたことだったが、昨年後半怒涛のように連続して起きた災難であった。あれは本当に大変だったので、活が入ったというか覚醒したというか、今は「あれに比べたらたいしたことない」と思えてしまうのである。目の前の問題の解決法は明確なのだから。

 使えなくなったガスコンロは、どのごみに分類されるか調べてごみ回収に出したうえで新しいのを購入すればいい。正月の買い物は時間がかかるかなと思っていたが、なんと通販では翌日に新品が到着。

 天井の電灯を交換するには家にある60cmの踏み台では無理で、まず高さが十分の脚立を準備し(これも通販で3日で届いた)、落ちないように気を付けて蛍光灯を点検すればいい。やってみた結果、接触が悪かっただけで蛍光灯の交換は必要なかった。

 管理組合(というより恐らくは管理会社)から要請のあったアカウント登録は、IT音痴の自分ではできるはずがないと的確に判断し、こういうことが魔法のようにできてしまう友達にやってもらった。持つべきものは友である。

 そんなわけで、今のところ、何事もサクサクと進んでいる。やろうと思えばなんてことないんだなあとちょっと拍子抜け。昨日は確定申告のことで一つ分からないことがあり、まず税務署で質問。すると関係部署に問い合わせて確認した方がよい事項が分かり、即電話。事態が呑み込めて、あとはパソコンで問題なく入力し、送信できた。寄付のところは昨年の保存データを呼び出せなかったので少し時間がかかったが、1時間半で全て完了。私にしては上出来である。今年は「面倒くさいと思わずに」気になったことを貯め込まず、速やかに処理できたらいいなと思う。このところ朝は、届いた卓上コンロでお湯を沸かしながら、リビングでゆっくりお茶やコーヒーを淹れるのが楽しみになっている。小さな問題を処理したことに付随するおまけの楽しみである。


2025年1月4日土曜日

「2025年の年頭に」

 穏やかな年明けを願いながら、新年を迎えた。といっても、別段何をするわけでもない一日である。強いて言えば、大晦日は横になっても眠気が来なかったので、本当に何十年ぶりかで紅白歌合戦を聞いたのが普段と違うくらいで、元日は慣例踏襲。ピクニック気分でコーヒーとお菓子持参でのどかな区民の憩いの公園に行き、あとは好きなだけ読書していた。それだけでも、年頭から或る種の感慨(大方は諦念に近い気持ち)に襲われ、昨年のような大震災の悲惨な元日でなかったことだけで良しとする気になった。

 テレビ音声も入るラジオで聞いた紅白歌合戦は、普段から音楽の視聴に執着がないせいで、ほとんどの歌を知らなかったが、気づいたことは、どうも現在は複数人でダンスしながら歌うというスタイルが定着しており、出演者は皆さんグローバルに活躍されているとても才能のある若者なのであろうということ、あたかも年齢制限があるかのように年配の歌い手さんがほぼいないということだった。ただ、「日本語バージョン」として披露されていた歌でもまるで早口言葉のようで、ほぼすべての歌詞を聞き取れなかったのがショック…。老化現象かと真剣に案じる羽目になった。他には、「そういえばラジオで流れたことがある歌が何曲かあるな」と思ったが、それらはやはり話題の歌だったのだと分かった。あっちのけんとさんとか、クリーピーナッツとか、藤井風とか…。びっくりしたのは往年の大ロックスターが軒並み出演していたこと。B'zは単なる登場にとどまらず、さながらコンサートの様相で3曲熱唱。これには度肝を抜かれたが、「あれ、こういう人たちはテレビに出ないんじゃなかったの?」の思いはあった。日本はここまで弱ったのか。ああ、もう日本にはとんがった人、ツッパる人がいなくなった。「ああ、挙国一致で国を盛り立てていかなければならないほど、日本は弱くなったのだ」と私ははっきり悟った。寂しいことではあるが、受け入れねばなるまい。

 正月に読んで面白かったのは、『Z世代化する社会:お客様になっていく若者たち』(舟津昌平、2024/4/17東洋経済新報社)である。この本は今どきの若者論にとどまらず、若者に顕著に現れたように見える実態分析から、社会全体の変化を理論化し、説明している。自分が学生だった40年前には既に大学のレジャーランド化は言われていたが、今は「テーマパーク化」と評されている。その違いはと言えば、テーマパークはお金をかけて造り込んだ夢の世界、ただ楽しい場所ではなく、何しろ学生は大学のお客様なのだから、「不快なこと」を一切排した場所でなければならないらしい。

 初等教育、中等教育で「よい子」とされているのは、まず何よりも「静かに座っていられる」生徒だという指摘はかなり衝撃的である。そのため大学においても、最も不評な授業は学生を当てる(指名する)授業だと言う。これではお話にならないではないか。ちょっと私語を注意するといった、教師の側からはまっとうな要請でも、生徒にとって不快なことと受け止められると駄目らしいのである。ご本人の体験かどうか記憶が定かでないが、「PTAに言いつけますがいいですか」と言う学生に、「大学にPTAはありません」と答えたエピソードに唖然。これはすごすぎるなあ。自分に対して発せられるアドバイスやコメントを全て「説教」としか受け止められず、何か批判されたかのように感じるとしたら、教師は透明人間になるしかない。あるいは「聞く耳のある者は聞くがよい」と聖書的に呼びかけるか。いや、これも「聞く気がないなら聞かなくていい」と曲解され、見捨てられたと言ってメンタル・ケア案件になってしまうのだろう。処置なしで或る。

 同様の趣旨で、企業での話として、もう一「切若い社員を叱れなくなった」という話もあった。正確でないかもしれないが掻い摘んで言うと、「感情を爆発させて怒る」というのは以前から一般に受け入れられないものだったが、アンガー・マネジメントの思想が普及した現在では、「怒る」ということ自体、精神に問題のある症状ととらえられるらしい。そこまではまだいいとして、昔言われた「感情に任せて怒るのではなく、落ち着いて論理的に叱るのがよい」といったことも、現在は通用しない。或る大企業の管理職の言葉が引用してあったが、それによると「いやもうね、怒ると叱るは違うとか、もはやそういう問題じゃないんだよね。会社の研修でも『もう絶対怒らないでください。叱ると諭すとか関係なく、それに類すると思われるようなことは一切やめてください』って言われるよ」・・・・ということになっているようで、「諭す」も駄目となるともう一切何も言えない、相手と関わらないしかなくなるではないか。会社で社員教育ができないということはあり得ないと思うが、事実そうなっているのだとしたら、こういう会社は早晩つぶれるしかないだろう。心底日本の危機を感じる。

 さらに高校生の野球の指導に当たっているイチローの言葉も引いていたので引用させていただく。「指導者がね、監督・コーチどこ行ってもそうなんだけど、『厳しくできない』って。厳しくできないんですよ。時代がそうなっちゃってるから。導いてくれる人がいないと、楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくるよ」……大人が子供に何も言えなくなった先にはどんな社会が現出するのだろう。いや、もうその時は来ているのだ。

 もう一つ読んだ本で気になったのは、『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(飯田朔、2024/1/17集英社新書)である。これはほとんど映画および文芸評論であり、成長が止まった世界での生き方について考えた書のようである。ゼロサム的な世界で有限のパイを奪い合って生き延びるのではない生き方の模索と言ってよく、筆者自身、就活する気になれずに今に至っている。この書の過半が朝井リョウの本の分析に当てられているが、筆者は『何者』を読んで、「そもそも就活ができない自分のような人間はこの書に出てこない」と感じたと書いていた。朝井リョウは本当に卓抜した才能とセンスを持つすごい作家だと思うが、この人の本を一冊読んだあとは、「もう当分しばらくは(読まなくて)いいな」と、何とも言えぬ疲労を感じていた私は、その理由が分かった気がした。描かれているのは社会そのものなのだが、そこは自分以外のもので横溢している。学生時代、私は教員採用試験を受けただけで就活というものをしたことがなく、どうやってするのかも全く関心がなかった。もし生まれる時代がずれていて、何らかの理由で就活をしなければならない状態になったとしても、私には到底できないだろうと思う。自分もその地平にいるのでこんなことを言える立場ではないが、こういう人が相当数存在する日本はこれからどうなるのだろうと考えざるを得ない。年頭からめでたい話題ではないが、置かれている時代状況がそうなのだから止むを得まい。今年もまた一段と社会の狂騒化が加速しそうな予感がして、端的に恐い。