2024年3月29日金曜日

「作家という職業の現在地」

  ラジオで或る作家がこんな話をしていました。私の理解した範囲でまとめると、その方は昨年まで雑誌の連載をたくさん抱えて大変だったのですが、それは連載の話があるとつい引き受けてしまうためとのこと。その理由は、一つには名前が載ることで読者にアピールできること、もう一つは書けば原稿料が入るので、定期収入のない作家には貴重な収入源であるからとのことでした。しかし、一人の作家がひと月に書ける原稿の量は概ね決まっているのですから、或る問題が生じます。それは、多くの依頼を受けると一つ一つの雑誌の掲載分を減らさざるを得なくなる、あるいは書けた分だけの掲載となり、いつまで経っても一つの本としてまとめて世に出せないということです。ちなみに、かつては一回分の原稿枚数は厳格にきめられていたようですが、今はウェブ媒体での掲載も増えたせいか、原稿の分量に関しては誰も何も言わなくなっているようです。この方は、どれだけの量の連載を何回続けると一冊の本になるかということを詳細にかきとめてきたようで、「本を出す」ということに専念するなら連載はやめるのが正解という結論になったようです。

 作家と編集者の関係は或る意味一蓮托生で、双方出版業界を盛り立てたいと思っているのは確かでしょう。それでも、それぞれがそれぞれの希望や思惑をもって行動しており、その中身は天と地ほども違うのです。この作家の方は人がよいと言うか、連載のお声がかかると「ありがたい」と思ってしまう気持ちそのものに問題を感じていて、その気持ちに抗って「締め切りをなくす」、即ち連載を断捨離することに決めたようです。まずこのあたりから、聞いている私には意味不明で、ずいぶん的外れの気がしました。

 この方の心情はとりあえずそれとして認識できても、出版社の考え方は果たしてどうでしょうか。電子書籍は別として、紙媒体の書籍や雑誌は「再販売価格維持制度の対象」ですから、出版社はとにかく多数の出版点数を商品化することが至上命題のはずです。それを成し遂げるにはとにかく作家に書いてもらうしかない。これは作家の心情の問題ではなく、純粋に経済の問題で、現在の出版業をめぐる経済の仕組みを作家の方が理解されているのかどうか、甚だ心配になりました。雑誌の発行点数を死守するため、その埋め草を書く要員として利用され消費されるのだとしたらあまりに気の毒です。もっとも、出版社の資金が回らなくなったら元も子もないのですから、編集者としてもどうしようもないことなんのでしょう。

 それを裏付けるかのように作家の方はこんなことも言っていました。「今現在の状況は、実現不可能な目標を誰かが立てて、それを真面目に何とか果たそうとする人やどうあがいても実現不可能なためできたふりをする人がいて可哀想、無理やり押し付けられて限界に来てもできないと言えない状態としか思えない。この20年あるいは30年の間に失われたのは、現実に則した実現可能なルール作りであり、現状に合わなくなった仕組みの変更をして来なかったことがこの現状を生んでいる。」

 それはそうなのですが、それを行う手段があったかと考えると、私は思いつきません。この30年間、市場自体の縮小は他の多くの業界でも続いていますが、出版業は特に独特な業種です。現在の出版業界が抱える問題は、活字離れによる顕著な市場規模の縮小と、相変わらずの再販制度という枠組みから原理的に導き出された結果だと考えられるからです。この方がいみじくも「実現不可能な目標を誰かが立てて」と言っているように、無理な要求を強いているものこそ経済の法則なのです。もっと痛切な言葉として、「『この目標が今必要だから達成しろ』といった態度がどこかで横行しているのであろう」、「経験のある編集者からすると、絶対無理なのは分かっているのに、『駄目でも取り敢えず行ってみよう。やってみよう。何とかなるかも知れない』と言う編集者の気持ちは一体どこから生まれるのか」という生の声も聞かれました。この、自分の意図に反して「どこか」で「誰か」に操られている感覚が明快に告げるのはこれが経済の法則に他ならないということではないでしょうか。誰もそうしたくないのにそうせざるを得ない、そうしないと資金繰りが行き詰まってしまうのです。

 身も蓋もないことを言うようですが、作家が連載をやめて本の執筆に専念するという決断は一冊でも多くの本を書き上げるための打開策にはなるでしょうが、そうして書いた本を世に送ったところで、それがご本人の望む作家という職業の現状打破にどれほど寄与するかは未知数です。どれほどの出版社がいつまで生き残れるか、出版市場がどれだけの規模をいつまで保っているか、私にはあまり明るい見通しが見えません。


2024年3月23日土曜日

「一日を自分の裁量で」

  朝、目覚めると着替えをしながら今日の予定を思い浮かべます。昨年の懸案だった転院問題が順調に進み、最近は地震と気候変動以外の心配材料が何もないことは本当に感謝です。首都圏の地震は必ず来ると思っていますし、戦争あるいは政治・経済的理由よりはるかに多くの難民を生じさせているという気候変動は途轍もなく大きな問題ですが、自分にできる身の回りの努力の他はできることがありません。心配しても仕方ないのです。せめて今は暑さで動けなくなる夏が来る前にできるだけ運動(主にウォーキングを兼ねた都営交通の旅)をしています。午前中に戻れるくらいの短い外出でも、続けていると元気が出て、体力がついてくる気がします。

 先日は築地を覗いて見ましたが、市場が豊洲に移ったと言っても、まだまだ多くの人で混雑して活気がありました。特に場外市場で大勢の外国人観光客が、朝食と思われるうどんを立ち食いスタイルで美味しそうにすすっていたのは、これまで見たことの無い風景で、「おっ」と目を引きました。店先は掘っ立て小屋的様相ですが、こういう飾らないアジア的雑踏も旅の妙味となることでしょう。

 人々の日常の暮らしを見るのは楽しみでもあり、そこにいる見ず知らずの人からエネルギーをお裾分けしてもらって、よい一日のスタートとなります。往復してくるだけでも相当な運動量ですから、帰ったらもちろんコーヒーを淹れて一休みし、汗をかいていれば湯に浸かります。ああ、何という贅沢でしょう。残りの時間は家でのルーティンワーク、読書や家事、日常生活のメンテナンスなど、その時その時でやるべきことを片付けます。何もないようでも放っておくとどんどん溜まってしまう仕事はあるもので、嫌になる前に手を付けるのがコツです。

 若い頃から気になっていたモラリストの言葉は今になってなおさら身に沁みます。無理せず、飾らず、肩肘張らず、一日を自分の裁量で決めたとおりに動かせる幸いを与えられているのは歳を重ねたご褒美でしょうか。

「旅のように生きていこうじゃないか。・・・一日一日をしっかり無理なく過ごそう。・・・・私は一日の終わりが旅の終わりになるように心がけている。私は私の足で歩いているから、どんな一日であっても私は満足する。人生というのは一日一日の連続なのだ。・・・」

 あ~分かる、その感覚。旅好きだったモンテーニュのこの言葉に心から賛同です。彼はまた、「中庸とは無理をしないことだ」、「極端は私の主義の敵なのである」とも言っていたはず。ああ、いいなあ。でもモンテーニュは死についても省察していましたっけ。 「糸はどこで切れようと、それはそこで完成したのだ。そこが糸の端なのだ」と。それがいつになるか誰も分かりませんが、いつ来てもいいように一日一日を生きて、備えておかねばなりません。


2024年3月16日土曜日

「拡大読書器」

  このところ読書はもう音声頼みになっている私ですが、聞いていて「どんな漢字かな?」と思ったり、引用部分が古語だったりすると「活字で確かめたいな」と感じることはよくあります。また、自宅の郵便受けに入る様々な書類を必要なものと不要なものに分別するのは案外大変で、以前知らない人からの封筒をしばらく放置し、それが返信を要するものだと分かり、泡を食って返信したことがありました。そんなわけで拡大読書器があれば便利だろうと思い、とりあえず現物が展示されているお店に行きました。

 そのような機器を取り揃えている店舗でいろいろ見せていただくと、一口に拡大読書器と言っても様々あり、とくにサイズの点で大変迷いました。その場では決められず、パンフレットをいただいて帰り、検討に入りました。自宅での読書に特化したものであれば、

①メガ・フォーカス:20インチのワイド薄型テレビほどの画面がよいでしょう。しかし、広い家ならともかく、これは置き場に困りそうです。それとは逆に、持ち運び可能という観点を考慮すると、

②クローバー10:10インチ700gという小型のものはとても良さそうです。しかし、当然のことながらやはり画面が小さいので縦書き段組みのレイアウトで一行を上から下まで画面に収めることが難しいようです。さらにこれを拡大して読むとなると、一行に10字程度しか収まらないことになり、読みにくそうです。この製品は台を付けることができ、もう少し俯瞰的に画面に収められそうですが、かえって足台が邪魔になり、本のサイズによっては動かしながら読みたい位置に調整するのが難しいのではないかと思います。その問題をクリアした製品として見つけたのは、

③クローバーブック・ライト:12インチの画面で、背面の台で支えられているため手前に障害物がなく、本を左右に動かしながら楽に読めそうな製品です。重さが2.4kgくらいあるので自宅で使用するものでしょうが、私の場合は別に持ち歩くようなところはないので、これで十分です。A4サイズの書類を丸ごと表示できるというのも大きな魅力です。

 ほとんどこれに決めかけ、注文しようとして、ふとこれらを製造しているシステムギアビジョンという会社のホームページを見てみようと思いつきました。すると、「新製品」としてコンパクト10スピーチなるものが掲載されていました。カタログを調べてみると、これは端的に言うと

④コンパクト10スピーチ:②のクローバー10に「読み上げ」機能を付加した製品でした。小型のもので読み上げもできるのはこれだけですから、もう即決。この製品のことは私が訪れた店舗でも知らなかったようなので、製造している会社に電話して取り寄せてもらうことにし、購入することができました。

 届いてからしばらくの間は、試行錯誤しながら最適な使い方を開拓していきました。前に述べた②における問題点の克服には数日要しました。読みたいものが新聞のようにその上に機器を置いて滑らせることができる形状ならいいのですが、とりわけ私が詠みたいと思っている大型版の聖書ではそうはいきません。なにしろ分厚いので、2段組みの上と下では読む位置が相当ズレますし、また一行が25文字以上はあるので、これを上下が切れないように画面に収めるのはとても無理そうでした。しかし、ふと閃いて百円ショップでワイヤーネットとそれ用のスタンドを買い、フックで機器を吊り下げてみると、「おっ、これはいい」と直感で思うほど、問題解決にかなり近づきました。分厚い聖書を適切な位置に移動するには、ワイヤーネットの取り付け位置を引き上げ、その下を空洞にしたら、問題の前半部分がクリアでき、また横に移動するのにスタンドの足が邪魔にならぬよう、20cm×60cm位の横長のワイヤーネットに変更したら、見開き聖書のどこの箇所でも申し分なく読めることが分かりました。出来上がってみればとても簡単な装置で、大満足です。

  製品が到着してからは、この機器に日々やって来る書類を読ませ、ちゃんと読まねばならない書類を選り分けることができ、とても助かっています。ルビの付いた文や集合住宅の理事会の議事録などのように割り付けの複雑なものをきちんと読ませるのは困難ですが、その時こそ拡大機能を発揮して文字を大きくすればよいのです。正確にでなくとも概要が分かればいいだけなら、読み上げ機能だけでも十分なことも多いです。この製品には③の大きなメリット、「A4サイズの書類を丸ごと表示」機能もあり、保存もできるのでとても重宝しそうです。重さは1kgを少し切るくらいなので、人によっては十分携帯用として使えるでしょう。

 最近一番助かったのは、某会社から来た月々の料金明細が紙からウェブに変わったとの知らせで、20ケタ以上ある「初期ログインID」を読み取らせた時です。あれは多分普通の人でも細かすぎて読めないレベルではなかったでしょうか。なんとか某社のホームページからログインでき、ID変更手続き等もできたのでホッとしました。ただでさえ苦手なIT関係の作業を、それでもIT機器の助けがなければできないという時代になってしまったのだなと実感しました。


2024年3月9日土曜日

「実家周辺の地勢学的諸問題」

  前回、買い物難民化する地方の状況について書きましたが、数日前にヨーカドーネットによる我が家への最後の宅配がありました。配達の方に、「もうこのサービス無くなるんですね。途方に暮れてます。皆さん困っているんじゃないですか」とお尋ねすると、やはりみんな困っているとの返事で、特に高齢のおばあちゃんからは「本当に困る。責任取ってください」と言われたとのことでした。それはそうだろう、車を運転してくれる人がいない高齢者はもうお手上げ、どうすることもできないでしょう。これまでこのスーパーは地域の台所を賄い、相当数の雇用を創出し、そこまで行く足のない人にも宅配という手段で必需品を届けて来たのです。地域に不可欠の大規模スーパー全店の県内閉店を決定するなどという暴挙に出たセブン&アイ・ホールディングスは人道上許されないことをしたのです。やりたい放題の大資本は長い時間をかけて出現した者で、これをどこかで阻止できなかったことが悔やまれます。

 これとは別に実家周辺の特殊状況もあります。何しろ区画整理など関係なしの昔からの小さな集落ですから、家の前から奥へと続く道は車がすれ違えない狭さ。聞いた話では途中のお宅から先は救急車が来てもそこに停車したまま、救急隊員が担架をもって駆けて行くと言います。当然、市街化調整区域。すっかり周囲の発展からは取り残されてしまいました。

 ネットで探すと宅配サービスとして残すはパルシステムのみ。これは地方在住の民にとって最後の命綱となりそうです。ただ、注文は一週間単位で行われ、注文の有無にかかわらず週ごとに費用が発生するところが、たまにこの地を訪問するだけのよそ者にとっては難点です。しかし毎週かかる費用も協同組合運営には不可欠なものなのですから、大資本の横暴が行きつくところまで行った今となっては、お互い必要な費用を負担し合って共同体の生活を維持していくという方向に変わっていくのだなと感じています。もはや巨大資本に対抗するには弱者が集って助け合う協同組合方式しかないのでしょう。個人的にはまだしばらくは、兄の車に頼って買い物に行くつもりですが、パルシステムをいつか有り難く使わせていただく時が来る気がします。

 まったく別件で起きているもう一つの問題は、周辺に住む猫の縄張り争いです。実家の愛犬りく(父は「警備部長」と呼んでいました)がいなくなって、パトロールによる撃退力が極端に低下したため、うちの庭は猫が我が物顔でやりたい放題しています。東には○○さん宅の猫が、西には△△さん宅の猫が、それぞれ複数匹飼われており、ちょうどうちの庭がそのぶつかり合いの最前線になっているのです。とりわけその落とし物に業を煮やした兄が先日猫除けシートを敷いたのですが、今後効果があるでしょうか。今起きている変化は一見何でもないように思えますが、巨視的に見れば周辺の人員(それに伴う犬員)減少がその原因の低層にあり、それが地勢学的リスクとなって顕在化してきたのです。買い物難民問題にしても、動物同士あるいは人と動物の生活圏争いにしても、全国の「地方」で、このような事象が続発していることでしょう。


2024年3月5日火曜日

「買い物難民一歩手前」

  愛用してきたセブン&アイ・ホールディングスのネットスーパーが福島では3月12日以降サービス終了になります。これに換わる宅配サービスの解決がつかぬまま、とりあえず3月の帰省まではギリギリ大丈夫と思い込んで、帰省日の2日前に注文画面に入り、必要な品をどんどんカートに入れ、いざ「レジに進む」をクリック。しかし、いくらやっても「システムトラブル」の表示に跳ね返され、注文ができない。ちょっと青くなりました。アクセスが集中する時間帯だったせいか、あるいは配達日の天候が確実に雪となるせいか、まあそういう可能性はありましたが、とにかく注文できないのでは仕方ない。

 慌てふためいて、次にしたのはイオンの宅配サービスの開拓ですが、こちらはあっさり「サービス区域外」と表示が出て、あえなく撃沈。いよいよ追い詰められてきました。自力で食料を調達しなければなりません。はっきりしているのは「雪が降ったら車であれ何であれ外出は控えた方が良い」ということですから、「これは悪天候になる前に1日予定を前倒しして帰るしかない」と結論しました。食料調達の目途がつかずに帰省するのは危険、すぐに兄に電話し、「明日帰省するとして、車が出せるかどうか」尋ねようとしましたがつかまらず、問い合わせメールを送り疲れ切って就寝しました。こんなに早く買い物難民の脅威が迫ってこようとは思わず、天気予報のチェックを怠ったことを悔やみました。

 「いつでも大丈夫」という返事のメールが来たのはひと眠りした午前2時半。そのまま起きて、「今日帰る。午前中に買い物に行こう」と返信し、荷物まとめを始めました。その後は、新幹線が混んでいたこと以外は、順調に進みました。余談ですが、冬の旅行シーズンなのかここ2カ月ほど新幹線はかなり混んでいます。大宮から大量に乗って来る通勤客が通路にぎっしり立っていて、或る意味東京の通勤電車と同じです。以前はほぼ全員座って行けたので、「これじゃ、仕事が始まる前に疲れちゃうだろうな」とお気の毒でなりません。

 帰省して、やりかけになっていたネットスーパーの注文をクリアしようとしたら、どうやってもできず、試しに配達時間を変更してクリックしたら画面が滞らずに進んで、注文できるではありませんか。でも届くのは明日の夕方なので、とりあえず今日明日2日分の食料を手配すればよいことになり、「これだと買い物もかなり楽」とホッとしました。十時半ころ兄と出かけ、灯油も買って帰ってきました。車が無ければ完全に買い物難民化することが身体に叩き込まれた出来事でした。今日の夜から雨の予報、そして雨は夜更け過ぎに雪へと変わるでしょうが、食糧の手配がついたのでもう安心。あとはこれがいつまで続けられるかです。地方とはいえ過疎地域でもないのに、この仕打ちはひどい。地方の人々が営んでいる生活を何だと思っているのでしょう。人間の顔が見えていないのです。低収益地域を切り捨てるセブン&アイ・ホールディングス、恨みます。