1月末から3泊4日で兄が遊びに来ました。と言うか、私が帰省先から戻る時に合わせて一緒に上京しました。私は今の場所に引っ越して二十数年になるというのに、今まで兄が訪問したことは一度もなかったのです。しかし、「このままでは私に何かあった時まずい」と思い、一度自宅の場所を確かめに来てもらったというのが正確なところです。兄にしてみれば三十年ぶりくらいの東京で、しかもその頃は西多摩に住んでいたので、東京都区部の東の方はほとんど縁が無く、この辺りはほぼ全く知らない場所です。
一日目、10時半には自宅に着いたので、家の近くで特に買い物や食事のできるお店を中心に回り、昼食後は舎人公園を見てから、ライナーで日暮里まで行きました。兄は写真が趣味なのでわざわざ重いカメラ一式を持参しており、日本の滅びゆく風景を写真に収めることが、今回の旅の主な目的でした。都バスを泪橋で降り、辺り一帯の路地を歩き回って風景をカメラに収めていく兄の後を私はついていくだけでしたが、古い建物やここにしかない痕跡を撮れたらしく、本人は大満足のようでした(私は『あしたのジョー』のカラフルな像と一緒に写真に撮られ、「なんだかなあ」という感じでした)。場所を間違えてはいないと思うのですが、カフェ・バッハが閉まっていたのが残念でした。その日は三ノ輪まで歩き、迷いながら少し離れた都電荒川線(今は東京さくらトラムというらしい)の一方の端、三ノ輪橋から都電の旅を楽しんで帰ってきました。う~ん、三ノ輪橋商店街アーケードの中はほとんど「いつの時代?」と言っていいほど幻影的なものがありましたねえ。でもそこに地元の人々の暮らしがしっかりある。それは今でも都電が地元の人の大切な足になっていることと同じです。
二日目は別行動、兄は柴又に行き、私は家でゆっくりしていました。三日目は兄のために恵比寿の写真美術館に行ったのですが、何と休館。この日は月曜ではなかったのに、何か特別展の関係で休館とは! しかし兄は特にがっかりした様子もなく、「それなら新橋から有楽町までレンガの鉄道高架橋に沿って歩きたい」というので、行ってみました。サラリーマンへのインタヴューシーンで必ず登場するおじさんたちの聖地・新橋の飲み屋街・・・。特に有楽町舌の高架下赤ちょうちん群は凄い。でも今回、日比谷OKUROJI(オクロジ)なるオシャレな店舗やレストランが続く地下道が有楽町〜新橋間にあることを発見、時代の盛衰に眩暈がしそうな空間でした。この日も兄は大満足だったようです。
四日目、この日兄は昼頃の新幹線で帰るので、上野の森を散策。私は美術館がいいかなと思っていたのですが、兄の希望は科学博物館。クラウド・ファンディングで資金不足を乗り越えたニュース性もあり、私もまた何十年かぶりで行ってみたいという気になりました。修学旅行の中学生の見学者が多く、活気がありました。また、昔大英博物館で見たような寄付金を入れるガラスのボックスがあり、こういう形でも寄付を募るのはよいことだと思いました。とにかくこういった博物館は子供たちのためにも絶対になくてはならない施設です。兄は世界に4体しかないというニホンオオカミのはく製やら様々な化石やらをファインダーに収めて、これまた大満足のようでした。
地球館、日本館とも一応全部見て回り、昼食を取って上野の新幹線改札で兄と別れました。今回の旅で兄とは趣味の点で一致するところはほとんどないと分かりましたが、それだけに普段行かないところに行けてよかったし、人々の暮らし向きをいろいろな角度から知ることができて有意義でした。私には良さがいまいち分かりませんが、今頃兄はニンマリしながら写真の整理をしていることでしょう。