能登半島地震以来まだ4万戸以上で断水していると聞くにつけ、やりきれない気持ちになります。しかもその復旧は3月とも4月とも言われ、絶望的に長い道のりに言葉もありません。昨年帰省先でマイナス8度が予想された時、夜間止水栓を閉めてネタことがありましたが、そのわずかな間さえ、私は水道から水が出ない不便をかこっていたのです。もし地震が大都市で起きていたら被害は比べ物にならぬほど甚大だったでしょうが、復旧はもう少し早かったかもしれません。地形的な要因もありますが、やはり人が集住していると復興は早そうです。これは神戸が大震災からほぼ完全に復興したのに比べ、東日本大震災の被災地の復興が進んでいないことにも現れています。
東京でも大雪が予想された日の翌日、通院の予定が入っていた私は前日3時頃から降り出した雪の情報を注視していました。転院前なら、ほぼ一通りの交通手段しかないためにやみくもに不安がるだけしかなかったろうと思いますが、転院後2回目の診察となる病院にいくには4つの方法があり、「バスが止まったらこの鉄道路線、この路線が止まったらこっちの路線を使う」等々と、前日からシミュレーションできました。午後からの診察なので交通の様子を見ながら出かけられることも安心材料でした。実際はどの交通手段も止まらず、一番楽な方法で行くことができました。
午前中に病院に到着し、検査を済ませてもまだ十分な時間があったので、散策がてら昼食に出られたのもよかった、前の病院はほとんど陸の孤島的に周囲に何もない環境だったので、通院の楽しみがありませんでしたが、今度は陰鬱な通院の中にも多少の楽しみがあり、こんな点も患者にとっては非常に大きな利点だと感じました。やはり「人がいる」、「店がある」ということはそれだけで心が明るくなるものです。
診察についていえば、前回と今回の検査結果をサクサクと説明していただき、これから使いたい薬が眼科の方に影響が出ないかどうか問い合わせる書状を書いてくださり、次回眼科の意見を聞いてくることになりました。その他にも、「新しい薬を処方する前に心電図を取っておきましょう」という話があり、それは次回の診察前の検査に指定されました。こうやって一つ一つ確かめながら進められていることが分かると、本当に安心です。
一方で、私のお薬手帳を見ながら、「これ、何の薬だろう。あんまり使わない薬だね」と私に聞かれましたが、自分でも疑問に思っていた薬だったので、「これ要る? 要らないよね」との言葉に「要りません」と私もきっぱり。もう一つの薬も削ってくれ、一挙に薬の種類が6つから4つになりました。あれほど願っていた減薬があっという間に実現しました。今まで何だったんだろう。大学病院から大学病院への転院なのに、こんなに対応が違うのです。
私の場合は遠すぎて通いきれなくなっての転院でしたが、これだけ違うとなると「もっと早く転院すればよかった」とつくづく思いました。しかしこれは私が日本で最も病院の多い首都東京に住んでいるからできたのであって、医療機関を選べない地域も少なくないことでしょう。基本的にごみごみと混雑した人の多い所は苦手な私ですが、歳とともに、「集住という選択も必要かもしれないな」と思い始めています。