2023年10月31日火曜日

「一般診療の構造的問題」

  十月は十日間の間に六回通院する羽目になりました。そのうち三回は前に記した大学病院での診察、そしてMRI検査および検査結果を聞きに行くためで、後の三回は別の科も含めてもう少し近くに病院・クリニック等を求めての受診でした。へとへとに疲れた十月の病院巡りを通して感じたことを書き記します。

1.病院と医者は足りているのか

 東京ほど病院を受診しやすい地域はないだろうと思ってはいますが、本当に病院と医者は十分なのか疑問になりました。まず、大学病院は混雑がひどく常に待合室に人があふれています。検査をしたらその日のうちに説明を受けるのが本来の診療のはずですが、患者はわざわざ結果を聞くためだけに別の日に出かけなければならず、医師も昼頃の合間の時間帯に説明の時間を無理やりとっているという慌ただしさです。消化器科の先生には小麦のグルテンが駄目な病について聞いておきた買ったのですが、「知らない」とのこと。一般人が知っていることを消化器科の医師が知らないはずはないので、これは話を長引かせないための対処法なのでしょう。実際、この先生は昼の時間帯をつぶして結果説明に来てくれているのですから、お気持ちが分からないわけではありません。とにかく忙しすぎるのです。

2.人を総合的に診ることが少なすぎる

 私が先の質問をしたのは好奇心からではなく、もしかしたら自分の体調に大きく関わる問題かもしれないと思ったからで、もし誰よりも自分の体調を良く知っている患者がこれまでの経緯を話す時間が十分持てて、総合的な診療を受けられればかなり患者の満足度、安心感も変わってくると思うのです。特に大学病院では受診科が細かく分かれており、他の科のことはほとんど知らないようです。先の消化器科の先生にちらっと腎臓のことを聞いたのですが、「あ、腎臓のことは分からない」とあっさり言われました。それぞれの科の医師が体力の限界まで一生懸命お仕事されているのは疑いのないことですが、現代は様々な病が絡み合って一つの症状を呈していることも十分考えられますから、これでは総合診療をしないと治らない患者を多数抱えてしまうのではないでしょうか。このままでは病院を変えたい、医者を変えたいと思う患者が出ても無理はありません。もしかするとこれを解決する一番の方法はAI医師の導入かも知れません。AI医師ならいくらでも患者の話を聞いてくれるでしょう。

3.歳とともに通いやすさ重視へ

 もう一つの問題は、歳をとると遠くの大学病院まで通うのがしんどくなってくるという状況です。これは私個人に限ったことではなく、年配の方から「近くの通いやすいクリニックに変えた」という話も聞きましたので、これから大いに起こって来る現象と思われます。別な科ですが、私も近隣のクリニックを試しに受診して見ましたが、大学病院に比べたら信じられないほど落ち着いた雰囲気の中で受診できました。私の話を十分聞いてくれて率直な見解を聞けたことと、大学病院では一度も話が出なかったような情報もいただけて、近くに信頼できるクリニックがあるとわかっただけで、何だか本当に安心しました。

 どこのクリニックにもある科でない場合、選択肢は限られますし、将来的なことを考えたら大学病院の方が良いという場合もあるでしょう。しかし、人の体力は徐々に衰えていきますので、まだ体力のあるうちに少しでも通いやすい所に受診科を移しておいた方が良いという気持ちが高まっています。十月はいろいろなことがガタガタっと体に起きた感じで病院通いとなりましたが、これも涼しくなった恩恵と考えることにします。

 普段は元気印の友人が「午後5時までに入れば診てもらえるはずだったのに、6時半ごろ順番が来たら『時間がないから診られない』と言われた」、「薬局に保険証を返し忘れられた」と怒っていました。皆さん忙しさが増す一方にどんどん社会が推移しており、患者・医療者の両者とも疲弊していく状況が進んでいます。これを何とか変えないとどうにもならなくなるのでは、と強く思います。


2023年10月26日木曜日

「芋煮会の秋」

 9月、10月は最高気温は高めながら、概して気持ちの良い日が多かったように思います。夏は暑すぎて、最低限の通院、最低限の買い物、どうしても必要な外出以外ほぼ何もできませんでした。これはもう冬眠ならぬ夏眠と言ってよいのではないでしょうか。しかもそれが今後常態化していく予感があります。

 10月に帰省して、「よかった、ラッキー」と思ったのは、教会の礼拝後、研修会をもった後で芋煮会ができたことです。「今年はぜひとも芋煮会をやりましょう」と4月頃から話が出ており、それが実現した形です。南東北人の季節性ソウルフードである芋煮会は、いつも楽しい思い出と一緒です。山形、宮城でもそれぞれの発展を遂げているこの大鍋料理は、牛肉か豚肉か、味付けは醬油か味噌かでかなり違うようですが、 福島では豚肉・味噌味が一般的なようです。

 本来なら芋煮会は川原でかまどを組んで料理するのですが、さすがに遠くなると参加できない人も出るので、今回は敷地内で行いました。消防の関係上、料理はすでに台所にて婦人会の方々のご尽力でできており、皆は会堂と伝道館の間の外のスペースに長机とパイプ椅子を出して、準備しました。絶好の快晴ながら、ちょうど会堂の陰になって涼しく、オープン・エアーの楽しさを存分に味わいました。私の記憶する限り、教会の敷地で芋煮会をしたのは初めてでしたが、これがコロナ以後皆で食事を共にする初めての機会になりました。クリスマスやイースターの祝会でも食事関係は全て自制してきましたので、本当に久しぶりだなと実感しました。食事を共にするのはどんな文化圏でも何等かの意味をもつことですが、教会ではなおさらで、聖餐ではないものの主イエスが弟子たちと食事を共にされたように、兄弟姉妹が同じテーブルで食事するのは特別に意味のあることだと感じずにはいられませんでした。楽しく、心地よく、全てに感謝の一日でした。


2023年10月19日木曜日

「医師の思考回路」

  今回の通院は行く前からちょっと期待がありました。前回の通院で尿酸値の上昇を指摘されて以来、自分なりに食生活を改善してきたからです。尿酸値を下げる食物摂取を心掛け、コーヒーの摂取量を減らす生活を送り、極力尿酸値を上げないよう頑張ってきたのです。(コーヒーに関してはむしろ尿酸値を下げる食品に分類されているようなのですが、体験的に私にはその逆のようなのです。ただ、全く飲まないことはできず、一日2杯に限りました。)

 この日は採決の他に腎臓のエコー検査が入っており、それを済ませてからの診察となりました。エコーはかなり時間がかかったので、「何かあったな」とは思いましたが、胆管、肝臓、膵臓の三点がエコー上では「〇〇の疑い」という見立てらしく、本科の診察後に院内予約で消化器内科の診察儲けることになりました。

 問題の本科での医師の話は、「腎機能低下はほんの少し改善がみられる程度」ということでがっかりでしたが、尿酸値を下げる薬は止めてもらいました。お腹が緩くなる感じで自分には合わず、半分くらいしか飲めなかったからです。「半分でもこのくらい改善されたのなら」と医師は受け止めたようでしたが、そうではありません。ほぼ全ては食生活上の努力の結果なのです。

 本科診察終了後の消化器内科の診察では、医師がこれまでの血液検査の結果から、「胆管はデータ上問題はないが、管の形態上の疑念を消すためにMRIをとりたい。肝臓はデータ上全く問題なし。膵臓に関しては形態上の疑念を消すためにMRIをとりたい」とのことでした。お話を聞く限り、膵臓に関しても以前他の部位で経験した症状のようで問題ないだろうと考えています。つまりエコーで「〇〇の疑い」とされたのは全部はずれと思われ、「人の体は一人一人違う。特に私は特異体質的なところがある」という、自分の仮説を一層強めました。医師は疑いがあれば一つ一つ検査してそれを消さなければならない職業なので、今回は付き合うことにしてMRIの予約をして帰りました。

 その日は疲れのあまりぐったりしてすぐ休みましたが、翌日、本科からもらってきた血液検査のデータを前回作った表計算ソフトに入れると、びっくりすることがありました。医師が「ほんの少し改善しただけ」といった検査項目は今回新たに加わった項目で、それは恐らく腎機能を詳細に見るためのものなのでしょうが、これまであった項目はかなり改善していたのです。尿酸値はこの一年半で初めて基準値内になっており、総リンパ球はこれまでにない著しい改善が見られました。また少しですが、尿素窒素UNが下がり、補体C3が上がるという良い結果でした。このデータとグラフを前にしばし唖然とし、また嬉しくなりました。医師はどうしてこういう望ましい結果を患者に強調して伝えないのでしょうか。確かに、腎機能の値が改善するには少し時間がかかるのでしょうし、医師というのは常に最悪のことを考えるものなのかも知れませんが、患者を元気づけることも必要なのではないでしょうか。ともかく、私はこれまでの仮説が正しかったことを確信し、気持ちが明るくなって、これを続けていく気力が湧きました。こうして自分の体を実験台にした食生活改善プランを実行し、少しは病気を楽しもうと思います。また次回の診察に期待です。


2023年10月12日木曜日

「秋のバレー祭り」

 パリ五輪の予選となるワールドカップ・バレーの熱戦が終わりました。日頃Vリーグをフォローしているわけでもない私ですが、何年かに一度のこの時期はかなり熱いにわかファンになります。久しぶりの観戦(ラジオの場合は聴戦(?)か、最後の3試合は帰省先でテレビを見られてうれしかった)になるので、半分かそれ以上知らない名前の選手が出場しています。新しい選手が次々と育ってきているのはすばらしいことです。女子は5連勝の後2敗し、今大会での予選突破はならず、惜しい試合だっただけに本当に残念でした。まだ可能性はあるようなので頑張っていただきたい。期待しています。

 男子は、最初の2試合が軽く2セット連取してから調子を崩してフルセットにもつれるという全く同じ妙な展開で、2試合目のエジプト戦を落としました。朝のラジオでも「格下相手に痛すぎる1敗」とアナウンスしており、私の心にも暗雲が立ち込めました。思うに、2セット落として後がなくなった相手が開き直り、上位チームとはまた違った高さとパワーのバレーで息を吹き返し、逆に日本のチームに焦りが出て体が硬くなっていたのではないかと思います。スポーツは特にリラックスしていないと体に微妙な変化が生じ、思いがけない状態になることを知らされました。

 しかし、崖っぷちに立ってからは全てストレート勝ちで3連勝し、全勝で既にパリへの切符を手にしたアメリカ戦を残して、スロベニアと4勝1敗同士の決戦となりました。詳細はよく分からないのですが、どうもセット率の関係でスロベニアに「3セット連取のストレート勝ち」をするのが、日本がパリ五輪予選を突破する要件だったようです。1セット目の最初は押され気味でしたが、多彩なコンビバレーと拾ってつなぐ日本らしさで挽回し、このセットを取りました。際どいセットをものにした第1セットが本当に勝負の分かれ目だったと感じました。簡単ではなかったものの第2セットも取り、次第に相手の焦りが明らかになりました。恐らく「相手に対する威嚇などの言動、マナー違反」のため、スロベニアにイエローカードが出た時、私は勝利を確信しました。日本チームは集中を切らさず戦い、本当にストレート勝ちを収めました。すごい試合で、選手もベンチも涙、涙・・・。第2戦目のまさかの敗退からよくここまで這い上がったものだと、誠にあっぱれな選手たちでした。監督、スタッフ、関係者一同の御尽力が報われたことと思います。最終のアメリカ戦ではこれまで出場機会の少なかった選手がスタメンで起用され、試合は全く違った様相を呈し、世界第2位のアメリカから2セットを奪う好ゲームを展開しました。こちらの選手たちも今後の成長が本当に楽しみです。

 これらの試合はゴールデンタイムに放送されましたが、私にとってこの時間は普段ならゆっくり就寝に入る頃です。その生活が3週間近く乱され、選手と共に戦っていたのですっかり疲れ切ってしまいました。実際、男子の最初の2試合が終わった日は、「毎日これじゃ身が持たない」と真剣に思いました。今年は野球の試合の観客動員数がこれまでで2番目に多かったと言っていましたが、毎日のように試合のある野球ファンの方々は、一体どうやって体調を保っておられるのでしょうか。


2023年10月6日金曜日

「或る出来事を通して知らされたこと ー神様のご指摘―」

  2022年度の不登校の小中学生はおよそ29万9千人で、10年連続増加し過去最多となったことが公表されました。22%という大幅な増加ですから、コロナによる生活環境の変化が影響を与えているのは確かでしょうが、学校制度そのものが時代の要請に合わなくなっているのです。

 周囲に不登校の子がいることもまれではなくなりました。私の身近にも同様のケースがあり、中学一年の半ばから高校三年までお子さんのご様子をお聞きしながら、見守ってきた友人がいます。中学時代はほぼ学校に行けておらず、親御さんの心痛を間近で知って祈ってきました。親御さんはお子さんと向き合うことはもちろんですが、体調管理や気分転換、カウンセリングや学校探しなど、およそ考えられるありとあらゆることを行ってきました。私には神様に祈ることしかできませんでしたが、そのことは伝えてきました。

 その後、高校へ進学できたことで少しずつ登校できるようになり、三年間休みながらも学校行事にも参加でき、なんとか通えていました。二年生の時だったか、「友達がコロナに感染し、本人は陰性だったが濃厚接触者となって今家にいる」と知らされた時は、「中学時代のことを想えば、学校に通えて友達もでき、あまつさえ濃厚接触者に慣れるなんて、夢みたいだよ」と答えたのを覚えています。

 先日教会の或る冊子に、その友人に関する、お子さんとは無関係のことを書いたのですが、ふとその日がお子さんの誕生日であることを思い出し、「おめでとう」のメールを友人に送りました。するとすぐ電話が来て、いろいろ話が聞けました。驚いたのはまだ校内での話ではあるものの、どうやら推薦で大学が決まりそうということでした。「よかったね~。おめでとう、二重の喜びだね」と言って電話を切ってから、私はこの六年間のことを思い返していました。

 たまたま友人のことを冊子に書こうと思ったこと、書いた日がお子さんの誕生日だったこと、その日に望外のうれしい知らせを聞いたこと・・・これら一連のことをあれこれ考えるうち、ちょっと震えが来るのを感じました。中学一年に始まった不登校が、中二、中三と続くにつれ、私は「これはかなり難しいかもしれない」と思うようになっていました。また、不登校や引きこもりの本を読み漁って、長引くケースも多いと知り、私の心もかなり暗く、重くなっていきました。高校に進学できた時、私は祈りつつも、また再発しないかとこれからのことに不安を抱いていたのです。それが今回無事大学へ進学できるらしいことが分かって安心し、どっと力が抜ける思いでした。中学の頃を思い出せば奇跡というほかなく、三年前のあの頃には決して想像できない結果です。

 しかし、震えが来たのはそのためではありません。私は、自分については、神様がもっと大変な時をも乗り越えさせてくださったのを知っていたのに、今回のことについては、祈りつつも神様の御力を信じ切れていなかったことを知らされたのです。神様は私に、「わたしはずっとお前を導き、祈りに応えて一番よいものを与え続けてきたというのに、まだそんなことも分かっていなかったのか」と、おっしゃったのです。その通りだと思いました。今の気持ちを表す一番ぴったりの言葉として、「神様は今回の件を通して、その栄光を私に現されたのだ」、という以外ありません。ともかく神様のご計画とその御心を自分への戒めとして、ハッとさせられると同時に深い平安を感じた出来事でした。