2023年6月30日金曜日

「徳富蘇峰について」

  日本史リブレットの『徳富蘇峰』をいただき読んでみました。といっても活字の本はもうプリンターの助けなしに読めないため、読むのに非常に時間がかかりました。それだけでなく、恐らく若い方を読者層として想定しているせいか、固有名詞以外にも丁寧にルビが振られており、正確に読み取ることが困難でした。したがって、およその概要が分かっただけの状態ですが、読後感を残しておきたいと思います。恥ずかしながら、これを読むまで徳富蘇峰は名前しか知らない人物でした。


  本書は明治から大正、昭和にかけて、日本の知識層出身の青年が、言論を用いて国民あるいは政治家に働きかけることにより、苛酷さを増す非情な世界情勢の中で、いかに日本という国を導こうとしたかの丹念な研究の成果である。この記録を通して、我々は明治維新直前に生まれた肥後の早熟な少年がやがて新聞社を創立して四十年間記事を書き続けた歩みを知ることになる。その姿は「日本の生める最大の新聞記者」との評価に値するものであるが、政界に近づき直接影響を与える欲求を満たす道を辿るうち、「平民主義」「平和主義」から「帝国主義」「皇室中心主義」へと転じた点は記者としての分水嶺だったと言わざるを得ない。

 本書は偏りない視点から徳富蘇峰という人物の生涯を紹介し、明治以降の歴史を考える手立てを与えてくれる。蘇峰にまつわる豊富な資料がまとめられ、先行研究にも触れられているため。これから研究者を目指す方々にとってお手本となる研究書である。以下、読後感を思いついた順に述べたい。


 この本を読んで真っ先に思ったのは、この時代に起きた情報革命はインターネット革命の小型版だということである。現在のネット上でのページビューの盛衰、炎上と著者叩き、あるいはインフルエンサーへの敬慕と押し活など、読者の対応は変わらない。ただ、現在は誰もがほぼ無料で出版社を持っているようなものであるのに対し、当時はそれが主として知識階級のみに与えられていた特権だったということである。


 第二に、徳富蘇峰という人について思うのは、この人が幼少期に子供らしい遊びをし、十代から二十代のうちに西洋に渡航できていたなら、その生涯は幾分違うものになっていたのではないかということである。例えば、若いうちに英国のgentry階級の家を訪問したり滞在したりするようなことがあれば、13世紀からparliamentを持つ英国の政治的末端機構を担う彼らの実態や英国の地方富裕層がいかに分厚いかを肌で感じたであろうから、恐らく英国の地方gentry層から日本の田舎紳士を想起するという夜郎自大的な夢想はしなかっただろうと思う。


 第三に、どうも私は徳富蘇峰という人をうまく理解できないのだが、何度か読むうちカフカがグレゴール・ザムザという人物を創出したわけが分かったような気がした。彼は異形のものになっても、戸惑いこそすれあまり驚いていない。普段の生活のこまごまとした事柄を煩い、「面倒なことになった」としか感じないその姿を、まさに現代人としてカフカは喝破した。無論周囲に波紋は生じるが、どんなことにも人は慣れ、何事もなかったかのように日々の生活は続く。

 蘇峰は『新日本之青年』の中で、「平民社会」への「改革」を先導するのは「明治の青年」(明治の年号とともに成長した世代)であって「天保の老人」(主として伊藤博文や福沢諭吉を念頭に置いている)ではないと宣言しているが、天保の老人たち(他に新島襄やもっと古い文政生まれの勝海舟、西郷隆盛までもこの範疇に包含すると考えたい)には感じる哲学を、この明治の青年に感じないのは、きっとこの人が現代人だからだろう。


 第四は言論と政治という容易に片付かない関係についてである。新聞や雑誌が言論によって政治を動かそうとする手段だとするなら、徐々に効果を発揮して国家の基盤を足元から変えていく可能性があるが、時代が切羽詰まって来るとそんな悠長なことはして折れなくなり、やがては政府の意向を酌んで紙面を作成できる媒体しか生き残れなくなる。言論人がその世界で生きていこうとする限り、出処進退を迫られるのは当然の成り行きである。

 漢籍にも洋学にも通じていた蘇峰がしたかったのは、言論界を先導し国益をかなえることである。蘇峰は平民を動かす迂遠な道より、手っ取り早く直接政治家に対して影響を発揮できる地位に就くことを選んだ。ただ、言論人としての立場は手放さなかったため、本人の自覚の有無に関わらず、両者の折り合いを付けて乗りこなすのに苦慮したように見える。

 政治、特に外交に関しては生真面目な正攻法は通用しない。19世紀の英国外相カニングから「文明世界最悪の嘘つき」呼ばわりされたメッテルニヒでも、老獪なタレイランにはシャッポを脱ぐしかなかった。刻々変わる情勢の中で国益実現のため「約束が守れないのは状況の変化のせい」と言い捨てて恥じない外交官でも、「言葉は嘘をつくためにある」と言い切る胆力を秘めながら、実際には膨大な情報を分析し、重要な事実だけを突きつけてくる相手には敵わない。このような手法の前では、不本意ながら相手に有利な結論に辿り着かざるを得ない自分に呆然とすることになる。

 いずれにしても、「言葉は人を動かすためにある」という確信をもつ西洋の言語は、情感を重んじる日本語とはねじれの関係にある。正式文書は別として、日本の書き言葉の原型となった和漢混交文はとりあえず『徒然草』以来の歴史があるのだから、「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」という情緒的土壌の上に立つ。日本語において表現者は真摯さを言葉に込めて、最大限の敬意を払うのである。明治期以降に生じたのは源流の異なる言葉の在り方の衝突だから、個人が前線で尽力してもどうにもならない解決困難な事態である。だから蘇峰に関しては、インフルエンサーとして振る舞い相手をうまく使おうとして、結局のところ、相手に使われてしまったのでなければよいがとの感が拭えない。


 第五は、現在でもそうであるが、世界の時勢が急速に変化する時に対応するのはどれほど大変だったことかという同情と、時流に合わせず敢えて速度を遅らせることができなかったかという無念さである。政治に関わるものは一にも二にも粘り強さが必要なのではないか。と思ったのは、G7広島サミットのせいかもしれない。政治にほぼ関心のない私が、最終日の閉会後に行われた首相の話を思わず聞いてしまったのは、それが広島出身の首相でなければできない語りでなされていたからである。外務大臣時代にオバマ大統領の広島訪問を実現させたことといい、今回の原爆資料館への各国首脳の訪問を実現させたことといい、「広島の平和教育」を受けて成長した子供はこういう大人になるのかと感銘を受けた。こういう問題に即効性のある解決はないのだから、特に外交問題に関しては、現実を理想に近づけることを諦めない粘り強さが何より求められる。


 以上、徳富蘇峰という人物伝から考えたことを自由に書きました。いつもながら、「そういうことか」と納得したのはきっと自分だけだろうな。それにしても登場する歴史上の人物について私はほぼ名前しか知らないことがよく分かりました。


2023年6月24日土曜日

「血圧計と体重計の夏」

 暑くなってきたせいもあるのだろう、だるい日が続いています。先日の通院で聞かれた時にはそのことを控えめに話しました。控えめに言ったのは、治る病ではないのだからこれ以上薬を増やされては困るとおもったからです。同系統で別の病を発症した或る作家が、「最初の頃は一日中寝ていた」と書いていたから、だるいのはもう仕方のないことなのです。このところ検査のデータはあまりよくなく、またここ数カ月「脱水気味」とのこと。「自分では気を付けているつもりなのですが・・・」と答えると、「お年を召した方は皆そうおっしゃいます」と笑顔で返されました。くっ。そのうち「血圧を計ってみましょう」ということになり、案の定高めの数値。次回は家で計った平均を申し出ることになりました。「また面倒なことを・・・」と思ったのは、何があっても降圧剤は飲まないと決めているからです。ともかくも帰宅した時にはどっと疲れが出ました。

 数日後、血圧計とついでに体重計をネットで探してみると、こういった機器はもはや実家にある何十年も前のアナログ製品とは別物だと分かりました。早速購入して血圧測定。スイッチを入れるだけで自動測定してくれる手軽さで、腕を変えたり時間を変えたり様々な体調の時に測定しているうち、血圧を計るのが楽しくさえなりました。家で計ると全く問題ない正常値、病院で計った時より上も下も20くらい低いので、一瞬「ほんとかな」と思ったものの、オムロンだから信頼しています。

 体重計は超薄型でスタイリッシュといっていい見た目、かつ乗るだけで自動測定のデジタル数値がバックライトの見やすい画面で表示されます。体重は一日の中でそう変化しませんが、これも測定が楽しみになりました。今は人生最軽量タイの数値を示していますが、歳をとると身体の全てが縮んでいくような気がするので、決して不健康なことではなく、これでいいのだと思います。体脂肪等の表示が出る製品もありますが、お年を召した方にはシンプルなのが一番です。

 血圧計の購入にあたって読んだレヴューの中で、「良い製品ですが不要になりました。測定しても治るわけではないから」という意見があり、これはこれで一理あります。また、お医者さんの中にもこういった測定は一切しないという方もいるようです。私の場合、まあ今回はきっかけがあったので、定期的に測定して記録しておくのもいいかなと思いました。自分の身体なのですから数値をどう考えるかは自分次第です。数値に振り回されず、参考として頭の片隅に置いておくくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

 あとは脱水対策。何かで「一日2リットルの水を飲め」と言っていましたが本当でしょうか。それはいくらなんでも無理そう。ずっと前に嘔吐の発作を頻発していた頃、脱水状態で入院した前科があるので、対処法は身に付いています。水や麦茶もたくさん摂りますが、夏は強い味方・スイカがあります。スイカだけ食べて生き延びた夏もあったっけ。中玉一個をえっちらおっちら運んできて冷蔵庫に格納、好きなだけ食べています。でも、さすがに中玉、なかなかなくならない。一週間で食べきれるかどうか。


2023年6月19日月曜日

「年寄りはなぜやることが遅いのか」

  私がしている月に一度の帰省は傍目には何でもないことのように見えるかもしれません。新幹線の乗車時間は1時間半ですから、そのくらいの移動を毎日している勤め人はいくらもいることでしょう。実際、働いていた頃、入院した父の見舞いで毎週の帰省を半年続けたこともありました。金曜の夕方、終業後に新幹線に飛び乗り、翌日に父を見舞い、日曜に自宅に戻るということを続けられた時期があったとは、今では信じられないくらいです。私の帰省の現況をケーススタディとして、「年寄りはなぜやることが遅いのか」について考えてみました。


<帰省するまでの現況>

 現在帰省の準備は、ネットスーパーの受付が始まる前々日の夕方から始まります。また、なるべく出発までに自宅の冷蔵庫の中のものを減らして空に近づけますが、余ってしまったものは冷凍、冷凍できないものは持参するためまとめておきます。それから、早い時刻の新幹線を一応確認し、兄に帰省日と時刻を知らせて駅までの迎えを頼みます。ここまでが前々日にすることです。

 前日には荷造りをします。帰省先にあると便利だと思うものは日頃から旅行バッグに補織り込んでおきます。また、それがないと身動きできなくなるという意味で私にとっての貴重品、眼鏡や薬、パソコンの記憶媒体、小型ラジオ、バックライトの腕時計、普段は使っていないスマホ等を忘れずに準備します。前日は、普段かけない目覚ましを、かなり早朝(出発の1時間半前)にセットして寝ます。

 これでようやく当日を迎えます。当日は食事をしっかりとり、幾分かの水分と食料を携帯します。


1. 年寄りは長大な段取りを考える

  なぜ前々日から準備が必要なのか、そもそも食料の宅配は必須なのかと言えば、天候や体調等の理由で、買い物に行けるとは限らないためであり、前日の注文では既に宅配予定が埋まって注文停止になることがあるからです。

  なぜ早い時間帯の列車に乗るのか、午前の遅い時間帯なら空いていて体も楽ではないかと言われるなら、事故や地震が起きると列車は数時間止まり、遅れはどんどん波及するため、早い時刻の方がトラブルは少ないからです。

  1時間半も前に起きる必要があるのか、食事は待ち時間や新幹線内でも取れるのではと言われれば、外では何が起こるかわからない、最近は列車に何時間も閉じ込められるケースもよく報道されるので、備えておくに若くはないというほかありません。

  このように起こり得るリスクや考えられる不都合な事態を避けようと先々まで考えてしまうため、段取りが非常に長くなります。非常時にパッパと動けた若い時と違い、年寄りは普段と違う事態に立ち至ると自分が呆然と佇んでしまうであろうことを自覚しているので、考え過ぎと思われるほど過剰にリスク回避に努めます。


2.年寄りは一度の稼働時間が短い

  帰省するまでの手順を読んで、随分こまごました事項をちまちまとやっているなという印象を抱いたことと思います。若い方は「これ全部、三十分あればササッとできるでしょ」と不思議に思われることでしょう。私も以前はそう思っていました。「歳をとるとはどういうことか」は実際にそうならないとわからないものです。

  歳を取ってからの健康状態や体力は個人差が大きいものですが、やはり誰しも四十歳を過ぎる頃から疲れやすくなるということに同意なさるのではないでしょうか。生物において染色体のテロメアの長さはほぼ寿命に比例するとのことですが、唯一の例外が人間で、本来なら人間の寿命は38歳くらいと聞いた覚えがあります。この仮説の正しさはともかく、体感的には納得です。若い時と一番違うと私が感じるのは集中力で、とにかくすぐ疲れてこれが続かない。仕事は途切れ途切れになるだけでなく、時には段取りを考えるだけで疲れてしまうこともあります。また年寄りは何かしら病を抱えているのが普通で、休み休みしないと後で体調を崩すことが経験的にわかっています。若い時は勢いで一気に片付けられたのに、歳をとると小さなタスクを積み重ねて目標を遂げるしかありません。同じことをするにしても、休憩時間の分だけ倍以上に時間がかかるのです。


3.年寄りは自分のやり方にこだわる

  年寄りの生活は習慣に従うことにより形成され、精神的安定も得られます。つるかめ算で答えを導き出していた小学生が連立方程式を使って解を出せるようになると、「何と明快でスマートなのだろう」と思うものです。しかし、新しいものをうまく受け付けられなくなるとしたら、連立方程式を使うことをためらい、つるかめ算を使い続けるでしょう。現代のICT機器の発展は多方面に著しく、しかも急速に入れ替わりつつ進歩しているので、年寄りの多くはその速さについていけず、従ってどれほどの利便性を発揮するものなのか理解できずに日々が過ぎていくのです。私も今のところはネットスーパーでの注文ができていますが、視力の問題もあり、ウェブ上のテンプレートが改訂されて使い勝手が悪くなったりすると、「せっかく慣れてきたのに」と腹立たしく思うことになります。

  また、ICT機器を使う方向で進んだ場合のリスクや人間へのデメリットをあれこれ考えてしまうと、無邪気にその便利さを享受する気になれないという側面もあります。こうして、新しいものに柔軟に対処できればやることが比べ物にならぬほど速く進むのを知りながら、諦観とともに敢えて流れに乗らずにいるという場合も相当数あるでしょう。

  移動に伴う無駄は或る程度しかたないと頭では分かっているのですが、もったいない精神が抜けず、捨てられない人もいます。また、移動先では調理手段や調理器具が異なる場合、いつもの慣れた仕方で行うために、たとえバッグが重くなっても、自宅から便利グッズを持ち運んでしまうのが年寄りなのです。


 これが、傍から見ると、「何をしているのか分からない」、「やる気(仕事を進める気)があるとは思えない」、「ことさら不便な方法を選んでいる」としか思えない年寄りの実態です。本人の中では整合性が取れている「これしかないやり方」なので、他の方法や手順を勧めても無駄なのです。


2023年6月13日火曜日

「睡眠の個人史」

  食事や栄養よりはるかに地味な話題ですが、私が人の話を興味深く聞くのは睡眠についてです。眠りは来てほしい時には来ず、望まない時に来て抗いがたいこの欲望、4時間寝れば十分という人もいれば、8時間は寝る人、一日中眠い人がおり、歳とともに早寝早起きになるかと思えば、相変わらず夜型の人もいる・・・と、個人差の幅が大きく包括的説明に窮する生理現象です。個人の睡眠問題には役に立たないかもしれませんが、これこそ丹念に経過観察してビッグデータを集め、解析してほしいものです。

 睡眠を左右する要素としては、疲労の程度、外的環境(明るさ、気温・湿度、気象、環境音など)、年齢による身体状態などが考えられますが、いくつかのパターンが遺伝子的に決まっているということもあり得ます。そういった研究は既になされていることでしょうが、まだ明快な研究結果を聞いた覚えがありません。個々人が自分の身体を材料に考える余地はあります。私の場合、早起きが進んで四時起き、三時起きとなった時には「いよいよ年配者の仲間入り」と思いましたが、最近は早寝がさらに亢進しているためか、夜中に目覚めてしまうので、ラジオを聞いたり耳読書したりして過ごし、結局二度寝になり起きるのは六時近くです。気を付けているのは無理せず自然に任せること、今の睡眠習慣もそのうち変わる気がします。先日はめったに見ない夢まで見てしまいました。

 寝ていたら顔の辺りでむくむくするのがいる。りくが寝ていた。「なんだ、りー、ここで寝てたの?」と声掛けし、再び寝ようとして、「あれっ、りくは死んだんじゃなかったっけ」と思い、揺り動かすが、りくはムニャムニャ言いながら寝ている。「りー居たんだ」と安心し、お父さんに知らせておこうっと襖を開けると、父ではなく母が寝ていた。「お母さん、りーいたよ」と告げると、「それはいるでしょ」との返事。「お母さん知ってたのか」と、自分の寝床に戻って寝直したが、そのうち「お母さんはりくを知らないんじゃなかったっけ」と思い直し、「なんかへんだな~」と思ったところでさすがに目が覚めた。

 この夢に出て来たのは皆この世にはいない者たちです。りくを飼い始めたのは母の死の四年後であり、りくがこの世を去ったのは父の死の八年後だという点で、時間の観念がぐちゃぐちゃなのですが、それに時々気づきながらも自分の中で話は一貫しているのです。おかしな夢でしたが、「夢で会うのもいいもんだな」と、悪い気はしませんでした。昔から睡眠にまつわる一連のことは示唆的なもの、考えるところ大です。


2023年6月6日火曜日

「境界線の内と外」

  ラジオで立て続けに気になるニュースを三件聞きました。どれも日本独特の社会・経済構造にコロナ後の世界経済の影響が絡んだ事象なのですが、それは①「昼食に買ったサンドイッチと飲み物が日本円にして1700円ほどし、私の財布も痛みます」という、英国からのリポート、②「半導体が入手しにくいため、無記名スイカの発売を一時停止している」というJR東日本の発表、③空港職員の人員不足により、飛行機の発着を受け付けられない事態が生じているという航空業界からの報道でした。

 ①に関しては、人々のデモや若手医師らのストライキも起きていて、なかなか止まらないインフレの状況を伝えていました。アメリカも似たような状況にあり、世界各地をインフレが襲っているのは確かです。しかしこれに関しては世界のインフレもさることながら、四半世紀続いたデフレにより、いわゆる「安い日本」が出現したことに根本原因があるように思います。もちろん世界経済の流入により日本でも商品価格の値上がりが顕著です。今年の「わたしの川柳」(以前は「サラリーマン川柳」と呼んでいた)第1位は、「また値上げ 節約生活 もう音上げ」という句で、物価上昇は庶民の一大関心事です。

 ②に関しては、コロナ後も回復しない明らかな供給不足、③に関しては、コロナ後の人々の労働及び生活スタイルの変化によるものでしょう。

 アメリカの中央銀行が何度も利上げをしてインフレを止めようと試みて結果が出ないのは、今起きていることが需要過多に基づくものではなく供給不足に基づくものだからです。コロナ期間中に「今までの働き方って何だったんだろう」と疑問を持った人々は、もはや前の職場に戻っていないのです。スイスのIT企業で働いていた人が、IT技術を生かしながらチーズ作りをすることにしたという話も聞きました。これまでのグローバル資本の労働市場にいた人が別の場所での労働へシフトし、人が減ったので賃金は上げざるを得ない。それでも思うように人が集まらずに供給不足が起きているのですから、このインフレは当分収まらないかも知れません。インフレは通貨の供給量が多すぎて起こる現象なのですから、まず、過剰に流通している米ドルを回収して減らすことが必要なのではないでしょうか。

 日本はデフレを抱え込んだ中での世界経済の流入によるインフレですから、もっと大変です。おまけに国の財政には膨大な債務超過が積み上がっており、中央銀行が国債を買い支えているため利上げはできない。解決方法はあるのでしょうか。それとも、やはり国家財政のクラッシュは避けられないのでしょうか。たとえそうでも、老い先短い者は今更ジタバタする気力も体力もありません「その時こそは『ヨブ記』が真に理解できるのかもな」と思うくらいです。

 しかし冷静に考えてみると、あくまで今のところですが、日本でサンドイッチと飲み物の昼食であれば、先ほどの英国での報道に比べ、4分の1から3分の1の値段で調達できますし、また、よく言われる玉子の値上がりにしても、私がよく買う6個入りは130円から190円になった程度で、今までが安すぎたのです。雌鶏さんも一個産むのに22円ではやってられなかったでしょう、すまなかった。また、物価高のせいか百円ショップ(最近はもう少しグレードアップした価格の品揃えも強化している)が大盛況ですが、行くたびに「どうしてこれが百円でできるんだろう」と不思議な思いで頭がクラクラします。一時期目に見えて高騰した電気代も政府の補助により、家庭用の出費に関しては以前の水準に戻っています。

 これらは全て国境線のこちら側の出来事です。何もない所に線を引くと、こちら側と向こう側の区別が出現し、水位差が生まれます。向こう側の物を手に入れたいと思った時は、この落差を計算に入れねばならず、現在のようにこれまで同額の円で3個買えていた物が2個しか買えなくなるということが生じます。この水位差は無限と言っていいほどの理由で絶えず変化する複雑系で、五年先、十年先どころか、それこそ一寸先を予測するのも難しそうです。四年前までは新型感染症に襲われた世界を誰も想像できなかったのですから、それ以前の枠組みがずっと続くつもりで適切なリスクヘッジをせずに人生設計をすると、想定外の事態に見舞われることになるでしょう。海外赴任者や海外移住者のうち国境のこちら側の制度に経済的基盤を置いている人には大変な時代になるかもしれません。

 日本もいつ円安が亢進し、超インフレが起こるか分かりません。諸外国からは、日本は相当のんびりした国、比喩的に言えば、(私は経験ないけど)竹で編んだ買い物籠を持ち、水を張った鍋でお豆腐を持ち帰っていた時代(あの頃は本当にエコでした)にいるように見えるかもしれません。世界のデジタル化からも遠く遅れており、まだ伝書鳩を飛ばしている状態でしょう。とてもマイナンバーを導入できる状況ではなく、様々な失態が明らかになるたび不安しかありません。

 5月31日の朝6時半にJアラートが鳴り、物々しい緊張感が漂いましたが、正直に言って私がまず思ったのは、「えっ、ラジオ体操の時間はどうなるの?」でした。最近は緊急地震速報もよく流れる(先日の台風では河川氾濫警報も鳴った。アラート多すぎません?)せいで慣れがあるのか、このような平和ボケ症状が出ているのでしょう。同じ惑星に住んでいる以上、理解を絶する多様な国々と付き合っていかねばならないのは分かりますが、攻撃的な隣国には「無意味なことはおやめなさい」と言うしかなく、脅かされる環境に強硬論で応じてもいいことは何もないだろうと思います。

 経済大国を実現した自負のある方々が、若者にも同様の頑張りを求め、世界における日本の地位を保ちたい気持ちは分かりますが、皆が世界を股にかけて飛び回り、世界のどこでも稼いで生活できる人にならなければならないという理由はありません。今の生活レベルを保ったまま、日本に住んでいたいというのは随分と虫のいい願いではないでしょうか。スズメ目に属するメグロという鳥はどこかから飛んできたことが確実とのことですが、今では小笠原諸島の母島、向島、姉島にしか生息していません。飛ぶ力はあっても天敵のいない今の生息地が気に入って移動せず、小笠原諸島の固有種となっているのです。鳥でさえそうなのですから、世界に一つくらい金持ちでもない一般人が鼓腹撃壌状態で過ごせる場所があってもいいはず、誰に言うわけでもありませんが、「この場所をそっとしておいていただけないか」と願うものです。

 いずれにしても、日本はこれから徐々に未曽有の労働力不足、大幅な物不足に見舞われ、質素な生活に回帰せざるを得なくなるでしょうが、いつまでも争いごとを好まない平和な国であってほしいと思っています。グローバリズムに侵された人々から見てあまり魅力のない、穏やかで平和な島国として静かに命脈を保っていれば、また浮上する機会も訪れるでしょう。「そのうちなんとかなるだろう」と言うのはあまりに無責任すぎるでしょうか。歴史上外国に滅ぼされた平和な国はたくさんありましたが、今はその残虐性が膨大な数の映像と共に瞬時に世界に拡散される点が昔と違っています。古来から世界地図に存在した歴史ある国、多くの後悔を抱えながらも現代の世界に一定の地歩を築き、公平に見て少しは世界に貢献した跡を残す国が、その滅亡を止められないとしたら、それはよほど世界に嫌われていたということに他なりません。

 私はラジオ生活になってから、アナウンサーの絶妙な言葉遣いやリスナーの何気ない日常目線からの発言に穏やかな気持ちでいられることが多くなりました。或る種暴力的力を孕む「映像」が無いせいも大きいでしょう。リスナーの言葉で、時々耳にするが始めは意味が分からなかった、「ラジオと共に生きていきます」という言葉が私にもしっくりくるようになりました。気の重い数々の困難を抱えながらも、平和のうちに踏みとどまろうとするこの国の人間としては、「一度こちら側を体験してみませんか」と言いたい気分です。