一般家庭よりもっと深刻な家系継承の場である王族について考えてみます。最初にまっさらな状態で、或る地域で力を持ち始めた豪族がその力を保って子孫に継承する際の家族形態戦略を、絶対核家族を出発点に考えます。
①子供たちが小さいうちは、親は子供たちの特徴を見分け、家系を継ぐのに最もふさわしい優れた者を見出していきます。やがて子供たちはそれぞれ配偶者を見つけ、家庭を持って家を出ていきます。
②歳を重ねて一家の長は、最適な時期にいよいよ最もふさわしい後継者を決め、地位や財産といった相続を行います。
これを繰り返していくのですが、三代目、四代目となると、病弱その他の理由でふさわしい者が自分の子供の中にいなかったり、自分が相続を行いたい時期に年齢的にちょうどいい子供がいなかったりする状況が生まれます。そうなると一族の中の適切な候補者が求められるケースが出てきて、その時候補者となる者たちの力関係や周囲の支持などによって継承者が決まっていくことになります。このような場合に対処するのに考えられる方法が二つあります。
一つは、①権力交代の時期においてその任を果たせる可能性のある候補者の中から、何らかの合議制で一人を選ぶという方法、もう一つは、②予め「長子」などと定めた者に権力の受け継ぎ手を決めておく方法です。絶対的な権力者が君臨する前なら、①の方が一族以外の集団に対しては力を発揮できそうに思えますが、利害関係が絡んで平和裏に決定することが難しい事態が予想されます。そのうち権力抗争にピリオドが打たれ、次第に地域の支配が固まってくれば、②の方が無駄なエネルギーを使わずに地位や財産を次世代へ移行できそうです。しかし、あまり厳格に決めておくと場合によっては自分の首を絞めかねないケースも考えられ、融通の利くほどほどのルールがよいのかも知れません。
『マクベス』という戯曲は、当時ケルト文化圏で行われていたタニストリーと呼ばれる相続法が戯曲解読の大前提となっています。それは、王位継承に際して一族の適齢以上の者の中から力量のあるふさわしい人物が王位に就く選抜法です。ところが、このシステムでは王位継承が話し合いですんなり決まるはずもなく、互いに相手を王位僭称者と見なすため、戦いや暗殺もしばしば起きました。しかしそうであっても、スコットランドの君主一覧を辿れば、ケネス一世の二人の息子の一族が有力な家系として、それなりにバランスよく交代で王を輩出してきたことが分かります。
史書によれば、マクベスの母とダンカンの母は二人ともマルコム二世の娘であり、マクベスとダンカンは従兄弟同士です。二人とも祖父・マルコム二世の孫であり、また3代前の王ケネス二世の曾孫にあたります。ところが、男子のいなかったマルコム二世は、娘婿という点では同等の立場だったにもかかわらず、マクベスではなく、ダンカンに王位を継がせようとします。これは一方的で強引な企てでしたが、どちらが王にふさわしいかを決める手順を飛ばしてでも、マルコム二世にはそうする何らかの理由があったと考えられるのです。この理由こそ、マクベスの出自に関わるものです。すなわち、マクベスの母はマルコム二世の娘であるものの、マクベスの父はマリ領主フィンレックであり、これまでの一族ではない毛色の違う家系の出なのです。
この事態を前に、マルコム二世の心の内を推し量ってみると、「争いとはいっても、領地内での一族の王家の間の争いで済んでいるうちはよかった。しかし、他の領主が絡んでくるとなると、王の資質を云々している場合ではない。ダンカンしかいないではないか。領地が他国のものになることだけは阻まねば」ということになりましょう。
それだけでなく、マルコム二世は従兄弟で有力な王家であるケネス三世の男系相続者を滅ぼすという暴挙も行っており、これは慣例を踏みにじるものです。そしてこのことが話をもう一段階複雑にするのですが、それは滅ぼされたケネス三世系統の男子の中に、後のマクベス夫人・グロッホの父がいたことによります。グロッホがケネス三世の孫であることを踏まえれば、マクベスの立場からすると、自分はダンカンと同等以上の王位要求の根拠があり、マルコム二世の行為は理不尽どころか大義を乱す悪逆非道の行為以外の何物でもないと見えたに違いありません。
ですからマクベスにとってダンカンを戦いで破ったことは、暴力的に変更された王位継承システムをそれまでのシステムに戻そうとする当然の行動だったと言えます。ダンカンがマクベスによって暗殺されたとするのはシェークスピアによる創作、事実の改変で、マクベスは当時通常行われていたように戦場でダンカンを打ち破って王位に就いています。
マクベス夫妻にはダンカン、というよりむしろ、王位継承の慣習を一方的に破ったマルコム二世を憎む理由があったのです。戯曲の中で、後に夢遊病者となったマクベス夫人が言う、「それにしても、老人にあれほどの血があろうとは」という言葉は、無意識の中で殺害している相手が、まだ青年にならぬ息子を持つダンカンというより、その祖父であり、父の仇であるマルコム二世であることを暗示しているのです。
この時点ではマクベス夫妻はこれがダンカンから始まる新しい王位継承体制の嚆矢となるとは夢にも思っていなかったことでしょう。特筆すべきは、マクベスの後継者ルーラッハはマクベス夫人とその前夫・マリ領主ギラコムガンの息子なのですから、王位が別の領主の家系にわたることを危惧したマルコム二世の見通しは正しかったということです。見方によっては二度ともマリ領主を夫にしたマクベス夫人が問題を引き起こしたと言えなくもないのです。とはいえ、マクベス夫人の立場からすると、ルーラッハが自分の息子であることに変わりはなく、かつその子はケネス三世の曾孫という十分な血筋なのですから、ルーラッハへの王位継承に執着したのは当然のことなのです。
しかし、一年も経たぬうちにルーラッハはダンカン一世の息子によって敗死させられ、ダンカン一斉の息子がマルカム三世として王位を継承することになるのです。マクベスとの間に子がなく、前夫との間の子が戦死したとなれば、王の妃であることが唯一絶対のアイデンティティであるマクベス夫人が精神を病んだとしても不思議はありません。
『マクベス』の第5幕は、侍女と医師の台詞によって、夢遊状態のマクベス夫人が繰り返す或る決まった所作を浮き彫りにする場面から始まります。マクベスの出陣後、深夜になるとマクベス夫人は寝床から起き出して、鍵のかかった戸棚から紙を取り出し、何やら書き記して読み直し、封印して寝床に戻るという所作を、眠った状態で行います。この念の入った動作で何を書き記しているのかは示されませんが、私は十中八九家系図だろうと思っています。マクベスの出陣後にこの所作が起こるとすれば、たとえマクベスが戦死しても、自分の家系とりわけ息子ルーラッハまでつながり、さらにそこから続いていくはずの王家の家系図を幾度も幾度も確認する行為だったに違いありません。恐らくは、「さ、これでいいわ。マクベス様の子ではないけれど、私には息子がいるのですもの。私は王の母になる、そしてずっと王家の母よ」などとつぶやきながら、凄まじい執着を消せなかったのではないでしょうか。
現実は、これよりスコットランドにおける王位は、内紛を伴いながら直系男子による王位継承が基本となる体制へと移っていきます。領地を統治したと言える統治者のうち、五百年間ほど後のメアリー一世に至るまで女王が出ていないのは、それなりの兵を率いて戦場で闘うのは男の役目だったからでしょう。
以上のことを考え合わせると、一族の有力な家系の間である程度バランスよく交代で王位継承者を輩出するというやり方は、長い間のうちにはいつか行き詰る方法だと言えましょう。「戦いが王をつくる」といった、第一義的に武力が重視されている社会では、武力衝突で互いが疲弊するだけでなく、子供が全員娘の場合、女王を立てるという選択肢がなく、娘婿となる他家や他国の男子に王位が移る可能性があるからです。こうして、王位継承を絶対命題とする家系における継承方法は、「絶対核家族」家系間の交代制から、抗争を経て、男系の「直系家族」間での継承システムへと変わっていかざるを得ないのであろうという道筋を理解することができました。