三日前の元総理銃撃事件には日本中の誰もが言葉もなく、呆然自失だったことでしょう。それはおそらく「日本でこんなことが起きていいはずがない」という恥の感覚に貫かれていたと思います。戦前の政府要人暗殺事件が脳裏をよぎった人も多かったのではないでしょうか。せめて命だけは取り留めてほしかったと思います。あってはならない事件でした。
たまたま帰省先でテレビの映像をみたのですが、規制がかかって流せない映像があるとはいえ、事件前後の数十秒ほどの映像には唖然とするほかありませんでした。総理在任中からすれば一挙に警備体制が手薄になるのは避けられないとしても、このような計画が簡単に成し遂げられてしまったことが信じられません。とてもあり得ない光景でした。ミステリ中毒人間にとっては、あの現場で起きたこと(あるいは起きなかったこと)を一秒ごとに言葉にすれば、オリエント急行並みに「これってみんなグルなの?」と思わざるを得ない断片の集積でした。犯人の冷静さ、警備の無為無策さに凍りつくほかありません。ここまで危機感のない状態で今までやり過ごされてきたとは思えませんが、一般人でも外出時は常に用心し備えている時代、どうしちゃったんだろうと不可解な気持ちでいっぱいです。
犯人については報道されている以上のことは知りませんが、事実として2002年8月~2005年8月までの3年間海上自衛隊に勤務したという以外は、今年2020年~2022年5月まで派遣労働をしていたとのことです。現在41歳の人ですので、この人は就職氷河期の影響をもろに被ったのだろうと分かります。また、犯行に及んだ理由として、「安倍元首相が或る宗教団体とつながりがあると思い込んでいた」と報道されました。安易な推測は控えなければなりませんが、経済的に厳しい状況が何年も続く間に根拠薄弱な逆恨みが高じて、このような事件を起こしたと言えるかもしれません。マグマのような社会への憎悪が形を変えて元総理を標的にしたという見方も全くの妄想とは言い切れないでしょう。
事件のあと友人と少し話したのですが、「不幸な人が多すぎるんじゃないか」という陰鬱な言葉で話が終わりました。派遣労働というと私はどうしても『巨人の星』の星一徹を思い出してしまうのですが、高度成長期には東京なら山谷、大阪なら釜ヶ崎というドヤ街があり、これは教科書にも載っていた気がします。ここの労働者は雇用調整弁として機能していたわけですが、今ではこれが非正規雇用として派遣社員などの形で全国津々浦々に拡大されました。労働者の4割は非正規雇用であり、今後はそれが過半数になることもあり得るでしょう。「希望が見えない」という現実は人をいかようにも買えるのかもしれません。今回の犯人の背後関係は知りませんが、もしこれが本当に単独犯であるとするなら、犯人と同様に絶望にかられた少なくない数の人が全国どこにでもいることを否定できず、その仮説は真に社会を戦慄させるものです。
日本ではここ30年間普通の人をあまりにも虐げてきたのではないでしょうか。人間を軽んじるこのような時代に移行するまでの、まさに激動期に学校で生徒に接していた者の感触では、生徒はそれこそ千差万別で、口八丁手八丁の者がいるかと思えば、控えめでおとなしく目立たない者もいますし、何も教えずとも苦も無く前進していける者もいれば、教師が根気強く手を掛ければ立派に一人前になれる者もいます。後者は自己表現が下手で要領が悪く、臨機応変に何かに対応することは苦手ですが、こつこつと地味な仕事をやり遂げるなどの点で、人の信用を得られるタイプの人です。どちらかと言うとこのようなタイプの人は、この30年間の生き馬の目を抜くようなデジタル革命の間に社会に居場所を失くしつつあるのではないかと思います。そして恐らくそれ以前の日本の伝統的社会では後者のような人も大事に扱い、彼らはあまり注目されないまま社会の土台を形成していたように思います。彼らは日本の労働市場で実は長く「隠れた至宝」だったのですが、今では時代遅れなものとして見る影もなく打ち捨てられました。
今回の事件で一つだけ「あれっ?」と思ったのは、事件直後にコメントした政治家のほとんどが「選挙中に民主主義の根幹を揺るがすような卑劣な事件は断じて許せない」という趣旨のことを述べていたことです。「何かずれてないか?」と思ったのは、一般人の感覚では「民主主義はとうに壊れている」という暗黙の前提があったからです。だからこそ、「民主主義が終わったあとの日本はどうなるのかを見せつけられて、私は心底震撼したのです。