2016年から6年間福島教会で宣教と牧会を担ってこられた牧師がこの3月で引退されました。関西、北陸、東京、東海、東北とそれぞれの土地の風土・習俗の中にあって働かれ、キリスト教のみならず神道や仏教にも造詣が深い方でした。ボーン・クリスチャンが全く知らないことをよく知っておられ、学ばされることが多くありました。私は普段とても快適に日本で暮らしていますが、馴染めないものを感じる時があるとすれば、それは私が日常的に非日本的精神世界で生きていることに由来するでしょう。日本に生まれ育ちながら日本的思想を知らなすぎるのもよくないと思い、手始めに古事記を読んでみました。もちろん万葉仮名原文ではなく現代語訳(時々書き下し文も参照)、上巻のみです。青空文庫にある、武田祐吉による『古事記』(角川書店、1956年5月20日初版発行)を用いたため、書き下し文は歴史的仮名遣い、現代語訳は新仮名遣いになっています。読後の感想とまでも言えない漠然とした感触を述べると、
1.ふわっとした書きぶり
2.目的は国の統治
3.女神の力強さ
4.「豊穣」重視の現実的価値観
という4点が特徴的だと感じました。
1.ふわふわ感
ふわっとした印象は、既に神々の出現の出だしの部分を読み始めたところから拭えなくなります。この部分を、煩雑さを避けるため、便宜的に神名を挙げずに記すと①~③となります。
①「天地初めて起こりし時に、天(高天原)に三柱の神がお一人ずつ出現し、身を隠された。」
②「次に、国ができたてで水に浮いた脂、クラゲのようにふわふわ漂っている時、葦の芽がでるような勢いのものによって、もう二柱の神がお一人ずつ出現し、身を隠された。」
ここまでの五柱の神は別格の神である。
③「次に、二柱の神がお一人ずつ出現し、身を隠された。」
※上記の神から神世七代となり、、上記第2代以降、すなわち第3代~第7代の十柱の神は男女一対の神で、第7代目が伊邪那岐神(イザナギ)・伊邪那美神(イザナミ)です。
※後代に皇祖神と考えられるようになる天照大御神(アマテラス)はイザナギの子です。『古事記』では、イザナミはアマテラスの誕生に関わっておらず、黄泉の国から戻ったイザナギがみそぎをしている時に出現したとされています。
神名は決定的に重要なので読み流してはいけないのですが、「天地の初めに神がまず3柱、それから2柱、それから次々と生まれた12神・・・は神代七代と申します」と進むので、出現の由来・経緯もさることながら、「斯く斯くしかじかで、このようになりました」という簡略な現状認識の記述だと感じます。この感覚は②において顕著で、国がふにゃふにゃしたでき始めの時、いつしか勢いよく伸び出る葦の芽のようなものにより出現した神は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂ)と記されます。「カビ」は「黴」と同源で、醗酵するもの、芽吹くものを示しますから、やはり「次にいつのまにかこうなりました」と続きます。さらに国生みの場面では、漂っている国をしっかりかためるため、天の沼矛(ぬぼこ)で海水を掻き混ぜ、引き上げた時したたる滴が積もって島になったというのですから、全身の力が抜けてきます。国生みに続いてなされる膨大な数の神生みに至っては、神名の羅列に呆然とするしかありませんでした。
この記述は聖書の「創世記」とは対照的で、「創世記」では「初めに、神は天地を創造された」という文で始まり、神がいきなり言葉を発します。「光あれ」から始めて、「・・・あれ」、「・・・せよ」と次々と口にすることで天地創造を成していくのです。日本の成り立ちを述べる『古事記』においては、言葉による天地や事物の創造という観念は無縁のものでしょう。
2.国家統治の礎として
『古事記』の成立について、太安萬侶が序文で記すところは次のようです。
古来よりの伝え事が既に諸家において真実と違っており、天武天皇はこれを正すために、稗田阿禮に命じて帝紀と本辞を誦み習わせた。しかし、その時はまだ書巻となすに至らないで過ぎた。元明天皇が帝位に就き、和銅四年(七一一)九月十八日に、太安萬侶に命じて稗田阿禮が誦む所のものを筆録させ、和銅五年(七一二)正月二十八日に、稿成って奏上した。
一口に天皇家と言っても、一夫一婦制ではないのですから、生まれた子が天皇となった妃の実家では、それぞれの家ごとに自分の家に都合の良い記述を史実として残していたのでしょう。天武天皇が伝え事を正そうとしたのは、「今の時に當りて、その失を改めずは、いまだ幾年を經ずして、その旨滅びなむとす」という理由から出あり、「これは國家組織の要素であり、天皇の指導の基本である。そこで帝紀を記し定め、本辞をしらべて後世に伝えようと思う」と述べています。『古事記』が書かれた目的は天皇家が国の成り立ちを史実として文書に示すことで、支配の基礎を固め、統治を確かなものにすることにあるのは明確でしょう。
天皇家の源を神々まで辿るためには、どうしても神々の出現とその子孫についての神話が必要です。国生みの後、イザナギ・イザナミが多数の神々を生む記述や、イザナギが黄泉の国から帰ってみそぎをする場面の記述は印象的です。前者は生成する神名の羅列がひたすら延々と続き、後者は前者ほど羅列的ではないものの展開が非常に早い。身につけていたものを投げ捨てるごとに神々が出現し、さらに水の中で体を洗う度、あれよあれよという間にたくさんの神々が生まれていきます。そしていよいよ、皇祖神とされるアマテラスの誕生につながるのです。左の目を洗った時に天照大御神(アマテラスオホミカミ)、右の眼を洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に建速須佐男命(タケハヤスサノヲノミコト)が生まれます。
また、天皇の権威の源を神々まで遡るものとするためには、高天原(タカマノハラ)という天にいた神が葦原中国(アシハラノナカツクニ)という地に降りたという話が不可欠で、邇邇芸命(ニニギノミコト)が高千穗の峰に降り立つ、いわゆる天孫降臨が描かれています。ちなみに『古事記』におけるニニギの名は、天邇岐志國邇岐志天日高日子番邇邇藝命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)という長い名前です。神が不死でなくなった理由として、ニニギノミコトが醜い石長姫(イワナガヒメ)を退けて妹の木花咲姫(コノハナノサクヤヒメ)だけを娶ったからだとされています。石長姫をも妻にしていたならば、石長姫からは永久に石のように確かな命を、木花咲姫からは木の花が栄えるように繁栄を得られたであろうに、というわけです。
3.男神に劣らぬ女神の活躍
『古事記』の神々は、独神(ひとりがみ)の場合は性別に関する言及がないことが多いものの、男神、女神の区別が示唆されている場合もあります。天照大御神(アマテラス)は女神と考えられており、太陽神としての役割を担っています。古来より太陽崇拝は世界各地にあり、太陽が神格化され信仰されたものとして、古代エジプトのラー、古代ギリシャやローマのヘーリオス、アポローンなどが頭に浮かびますが、太陽神が女神というのは珍しいようで、主に北欧など日照時間の少ない地方の神話に見られます。
『古事記』では、神世七代のイザナミは国生みの際に大らかな天真爛漫さを見せ、また黄泉の国での変貌した姿を見られた後に、イザナギを返すまいと次々と追手を放ち、ついには自ら追いかけて来る執念は、女性の特徴の古代らしい表現なのかもしれません。天の岩戸の場面などは概要は知っていたつもりでしたが、今読むと率直に言って、微笑ましいを通り越し、「天上界がこんなんでいいの?」という爆笑ものでした。このへんの人間臭さはギリシャ神話・ローマ神話の神々と似ています。いずれにしても『古事記』では、重要な役目を担う女神が多く、自由闊達な姿が印象的です。
しかしそれは、国を治める頂点に推古天皇や持統天皇という女帝が存在し、何より『古事記』の編纂を指示した元明天皇は女帝なのですから、何の不思議もないのかもしれません。欽明天皇の皇女であり、崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺された後に即位し、聖徳太子(厩戸皇子)を摂政として政務をおこなった推古天皇は、十七条憲法をはじめ冠位十二階の制定、遣隋使の派遣など、優れた治世で有名な女帝です。さらに持統天皇となると、天智天皇の皇女にして、壬申の乱を経て天武天皇の后となり、天武天皇の死後、息子草壁皇子の逝去を経て即位した女帝で、あり得ないほど有能なスーパーウーマンです。藤原京遷都を行い、孫の軽皇子を文武天皇として即位させてこれを補佐しますが、その政務の中には大宝律令の制定という、律令国家形成に向けて極めて重要な事業もありました。またその後の女帝・元明天皇は、天智天皇の皇女にして草壁皇子の妃であり、文武天皇の母ですが、その文武天皇が夭折した後に即位します。この元明天皇の御世に平城京遷都、『古事記』の編纂、和同開珎の鋳造という大事業が次々となされたわけで、この奈良時代最初の天皇の働きにも刮目すべきものがあります。飛鳥・奈良時代に存在した女性天皇の業績を考える時、いかに皇位を継承するべきかという必死さと、国を治めるために天皇として何をすべきかについての熟慮に圧倒される思いです。まさに女帝恐るべし。アマテラスが女神とされるのもむべなるかなです。これを考慮すると、今なぜ女性天皇の即位が普通に行われないのか不思議なほどです。
ここで、例えばニニギの系図をヒントに、『古事記』の時代における皇位継承を考える時に見えてくるのは、どうも「天皇の娘」という血統が決定的に重要視されていたのではないかということです。『古事記』が書かれた時代には天皇が男でなければならないとは考えられていないのです。女性天皇の即位に関しては、「息子が夭折した際に母が即位し、やがて孫に譲位する」のが一つのパターンになっているので、「古代の女帝は男性天皇の即位の条件が整うまでのツナギにすぎない」と考えられることもあるようですが、先ほど見たように、即位した女帝は到底中継ぎとは言えない目覚ましい働きをしています。「統治能力がある」と周囲から見られなければ、どうしてどうして天皇として即位などできるでしょうか。立場・人格・能力に応じて女も普通に天皇候補になれた時代があったということです。いずれにしても、『古事記』の時代には、皇子であろうと皇女であろうと「天皇家は天皇の娘から生まれる子によって継承される」ことを基調にしていたと考えざるを得ないのです。持統天皇と元明天皇は、天智天皇を軸にすれば異母姉妹の関係、草壁皇子を軸とすれば姑と嫁の関係という、私などには想像できない人間関係ですが、二人とも天智天皇の皇女という立場に立てば、同じ皇位継承の正統性を目指して、その実現を追求できるのです。元明天皇の次の天皇(元正天皇)は、あっと驚くことに、実の娘の氷高皇女です。歴史上はただ一度限りのことですが、女帝から女帝への譲位もあったのです。天皇候補が複数いる場合は、おそらく、それぞれの候補者の母親の天皇家における地位が、最重要ポイントだったと推察できます。ニニギの母が神々の中でも最高位に当たるタカミムスビの娘であるとされるのはそのあたりの事情が反映されているのではないでしょうか。
天皇の家系に限らず、そもそも生物学的に子の出生は、子宝に恵まれるか恵まれないか、男か女かも含めて、子の性格・能力・特質といったものは全くの水物です。さらに天皇家ともなれば、それぞれの出自の由来に基づく格や序列以外に、その時代の多面的、重層的な状況が作用し、謀反や謀略(濡れ衣、でっちあげられた冤罪も多い)も絡んで皇位継承が複雑な展開を見せるのは歴史の必然です。とりわけこの時代は律令国家が整っていく過程であり、実務を取り仕切る臣下の意向も無視できなくなっていくはずですから、「天皇の娘の産んだ子が皇位を継承する」という『古事記』の時代に見られる原則が維持できなくなるのは時間の問題だったのです。また、言うまでもないことですが、明治期に制定された皇室典範において規定された皇位継承に関する事項は、古代の皇位継承のしかたとは全く別物です。
脇道に逸れますが、実は『古事記』を読んで一番不可思議で一番面白いと思ったのは、スサノヲとアマテラスの誓約(うけい)の場面です。スサノヲの剣を用いてアマテラスが吐き出した息から出現した3柱の女神がスサノヲの子とされ、アマテラスの勾玉を用いてスサノヲが吐き出した息から出現した5柱の男神がアマテラスの子とされたという論理が、始めはさっぱり理解できなかったのですが、「身に着ける」という行為が「身体の一部になる」ことだと考えれば、生まれた子がそれを身に着けていた神の子とされるのは一応了解できます。始めスサノヲは自分が吐き出した5柱の男神を見て「勝った!」と誤解したのですが、そのうちの一柱の名が正勝吾勝勝速日天忍穗耳命(マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコト)という名なのですから、「正に勝った」と思うのも無理はありません。その後、自分の剣から生まれた3柱の女神が自分の子だと知り、「私の心が清らかだったので、私の生んだ子は女だった。したがって当然私の勝ちだ」と言って乱暴を働いたことが記されています。私は依然として腑に落ちない気持ちが拭えませんでした。
なにゆえここまで回りくどい書き方をしているのでしょうか。そもそも誓約が行われた理由は、黄泉の国にいる母を慕って泣いてばかりのスサノヲをイザナギが追放したため、アマテラスに出立の挨拶をしに行ったところ、アマテラスが国(高天原)を奪いに来たと勘違いしたところに端を発しています。また、そうではないことを証するために誓約を行う方法が、生まれた子の性別によって勝敗を決するというのです。これらはその時代、天皇一族の間で互いの背信行為に対して疑心暗鬼になるのが日常化していたこと、そのため常に謀略に備えていなければならない状況だったことを示してはいないでしょうか。さらに重要なこととして、生まれた子の性別が異心の真偽の判定に関わるほどの重要事項だったことを示しているのではないでしょうか。考えているうち思いついた仮説は、「女性天皇は皇子を望み、男性天皇は皇女を望む」ということの暗示ではないのかということです。持統天皇も元明天皇も皇子が夭折したことで自らが即位し、孫(亡夫の息子を父とする皇子)に天皇の位を継承させることに一生をかけた人です。また、この時代には天皇の皇女しか天皇の后(妃)になれなかったのですから、皇位継承のためには天皇に皇女が生まれることが必須です。一方、女性天皇に皇女しかいないという事態はやがて正統な皇位継承の可能性をゆがめてしまうことも確実です。いずれにしても、この部分の記述は文化人類学的に非常に興味深いものがあります。
『古事記』と『日本書紀』には細かい記述内容の違いが多くあるようですが、気になるのはスサノヲ誕生についてです。『古事記』では黄泉の国のイザナミと離別した後イザナギのみそぎによって生まれたとされていますが、『日本書紀』においては国生みに続く神産みの最後で、イザナギとイザナミによってスサノヲが生まれたとされます。そもそもすでに黄泉の国に行ってしまい、スサノヲの誕生に関わっていない母イザナミを恋しがるという『古事記』の記述は辻褄が合わないのですが、逆にその矛盾が何かを示唆しているようにも感じます。例えば、「黄泉の国の母とは、王位継承において天皇の皇女ではないために日の目を見ることのない、天皇の妃」の隠喩であるとかいった類のことです。今のは全くデタラメの当て推量ですが、スサノヲの性格を考え合わせると皇位継承にまつわる何か穏やかならぬ出来事が暗示されており、分かる人には分かるといった史実が隠れている可能性がゼロではない気がします。
ここから私の推測はさらなる憶測へと飛躍します。馬鹿馬鹿しいながら書いてしまうと、「稗田阿礼の名は『日本書紀』ほか他の文献には出て来ず、実在を疑われてもいるが、実在が確認されている太安万侶(下級官吏、位は正五位の上勳五等)の書いていることが全くのデタラメとも思えないから、きっと真実を知り過ぎていたために消されたんだな」という憶測(思い込み)です。なにしろ稗田阿礼は「年は二十八。人となり聰明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂(ふ)るれば心に勒(しる)す」という博覧強記の人なのですから、天皇家の奥義や秘密が漏れることを恐れるなら真っ先に消さなければならない人でしょう。ま、妄想ですね。ミステリーの読みすぎでしょうか。
4.「豊かさ」は最高の価値
最初に出現した造化の三神、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)・高御産巣日神(タカミムスビノカミ)・神産巣日神(カミムスビノカミ)は、すべてを造り出す最初の重要な神です。漢字から察するに天御中主(アメノミナカヌシ)は天の中心を司る神でありましょうが、高御産巣日(タカミムスビ)と神産巣日(カミムスビ)は「産」の字が示すように、「生命」もしくは「命の力」に関連する神でしょう。特にタカミムスビは出現の後「身を隠された」という割にはかなり頻繁に登場し、大きな働きをします。高木神(タカギノカミ)という別名でも登場するので紛らわしいのですが、御神木などに見られるように、これはまさに高木の神格化が端緒となっているのでしょう。
そのためか、タカミムスビは葦原中国の平定や天孫降臨といった決定的に重要な場面で登場し、天照大御神(アマテラス)よりもむしろ主導的に見えます。なにしろ造化の三神の一柱なのですから、それも当然かもしれません。系図的には天孫邇邇芸命(ニニギノミコト)がアマテラスの孫であるだけでなく、タカミムスビの孫でもあるということは見逃せない重要な点でしょう。ニニギの父アメノオシホミミは、須佐男命(スサノヲノミコト)と天照大御神(アマテラス)が誓約(うけい)をした際に出現した神で、アマテラスが左の御髮に巻いた八尺(やさか)の勾玉(まがたま)の緒を、天の眞名井の水に注ぎ噛みに噛んで吹き棄てる息の霧の中から現れたと記されています。このように、ニニギの父アメノオシホミミがアマテラスの持ち物から出現した神にすぎないのに対し、ニニギの母は高御産巣日神(タカミムスビ)の娘である万幡豊秋津師比売命(ヨロヅバタトヨアキツシヒメノミコト)であり、出自としては母方の方が圧倒的に高い家系と言えます。なにしろ造化の三神にして「生命」を司るタカミムスビが母方の祖母なのです。
ニニギという名は「天地が豊かに賑わう神」という意味ですから、天から地上に降りてくるニニギがやがて稲穂の神として稲作をもたらしたとされるのは当然でしょう。日本で五穀豊穣が何より第一の祈願であるのは、「豊かであること」が国家安寧につながるからです。『古事記』ではよく神々の血液や排泄物から別の神や日用の必需品が生まれますが、スサノヲが大宜津比賣(オホゲツヒメ)に食料を求めた時もそうでした。荒ぶる神スサノヲは怒ってオホゲツヒメを殺しますが、その体の頭に蚕、二つの目には稲種、、二つの耳には粟、鼻には小豆、股の間には麦、尻には大豆が生じており、これを造化の三神の一柱であるカミムスビが取って種としたことが記されています。やはり穀物の豊作は最高神に結び付けなければならないほどの最重要の願いなのです。
聖書で描かれる自然環境と比較してつくづく思うのは、日本は温暖多湿の気候で水に恵まれ、植物が自然に芽を出し成長するような風土だということです。このような中では自然の物が「いつのまにか生え出て育っている」ということは驚くに足らず、だからこそ豊かであることに最も高い価値が置かれ、人間の手に負えない凶事(洪水や川の氾濫、日照・気温や旱魃など)を神事によって収めようと、八百万の神が生まれたのでしょう。ニニギが確かな命を約束する石長姫よりも、木の花が栄えるような繁栄を約束する木花咲姫を選んだという話も、ニニギがこの世の豊穣を最重要視していたことを示しているでしょう。豊穣な土地に恵まれていればこそ、家内安全、商売繁盛でつつがなく過ごせるのです。聖書が生まれた大地は厳しい荒野であり、生存自体がいつも脅かされている環境です。ふわっと神々が現れるわけがなく、人は隔絶した環境の中、基本的に独りで、唯一の絶対神に向き合わねばならないのです。四十年にわたる荒野放浪の時代には、水や食料の心配、指導的預言者モーセへの反抗、異教との接触・親交などの問題が生じますが、「乳と蜜の流れる地」カナンに入ってから生起する問題の深刻さはその比ではありません。へブル人の民族としての問題はほぼ、民が豊穣な土地を得て、土着の神々を拝んで背神行為をすることに存し、したがって、その後の民族の歴史は自らのアイデンティティを喪失させ滅亡へと導く異教との戦いと言っても過言ではないのです。そうなるとヘブルの民は、あれほど辛かった荒野放浪の記憶をむしろ神の恵みの時として感じるようになります。聖書の中では、神の恵みとしての豊かさを求めることは良きこととされますが、それを忘れて背神行為に及べば常に堕落への危険となることが繰り返し示されているのです。
地理的・気象的条件が形成する風土は、人間の生存に直接関わるものであり、人間存在の基盤を左右します。豊穣な土地と荒野という根源的なデフォルトの違いが、その土地の人間の気質形成に大きく関与したのは間違いないでしょう。『古事記』の世界と『聖書』の世界はまさに真逆の世界観を示しており、自分がその二つの精神世界を毎日普通に行き来していること自体が、奇跡的なことに思えてきました。自分の置かれた状況がよく分かり、これまでの人生の道程も理解できました。なかなか困難なことですが、おそらく日本のキリスト者は皆それぞれに、この二つの世界を架橋する術を求めつつ日々を送っているのではないでしょうか。