2022年3月28日月曜日

「電力需給逼迫警報」

 3月22日に東日本大震災以後初めて、電力需給逼迫警報が東京電力及び東北電力管内に発出されました。これには前段として、3月16日の夜中に発生した福島県沖の最大深度6強の地震があり、それによって東電エリアで比較的大規模な停電が発生という事態がありました。これは2018年9月に北海道全域で起きたブラックアウトと同じメカニズム、すなわち電力の供給と需要のバランスが崩れて安全装置が発動し、発電所が停止して生じたものでした。

 電力需給逼迫警報に関しては、

①地震の影響で東北地方の火力発電所が停止している。

②当日は雨がみぞれに変わるような3月末としては異例の寒さで、暖房の使用等で電力需要が増し、昼前に電力使用量が106パーセントになった。

③太陽が出ないので、太陽光発電が見込めず、あとは揚水発電がいつまでもつかという状態というところまできている

という状況でした。太陽光発電や揚水発電(要するに水力発電のことですが、電力需要の少ない夜間にわざわざ水を電力によって汲み揚げることで、貯水池に蓄電池の役割も持たせている)という発電方法を併用して一応の努力をしていることがわかってよかったのですが、政府への働きかけには原発を再開したい東電の意図があるのは否定できないだろうと思います。

 冷静に考えると、一つの都市なり地域なりが自分の境界内で電力を自給できないというのはかなり危うく、そういう都市計画、地域計画はそもそも失策と言うべきでしょう。東京では経済産業省の建物が消灯したとか、商業施設が室温の設定を下げたとか、東京スカイツリーがライトアップを中止したとか、ほぼ一日中この問題であたふたした感があります。

 私は普段からこれ以上ない節電をしているので、「協力できることはほとんどないな」と思いました。南向きのマンションでは冬は暖房をつけたことがないし、テレビは無し、冷蔵庫の電源は切れない。ラジオや卓上ライトの電池の充電はいつも窓際に置いた小型の太陽光パネルで賄っているし…と。強いてするなら、その日は電子レンジを使わずガスで調理することと、温水便座の電源を切ることくらいかな、と平静な気持ちで過ごしました。

 およそ文明世界で電気を使わずに暮らすことは難しいですが、大規模停電となると「お金があれば避けられる」といったよくあるケースとはちょっと事態が違ってきます。しかしこういう事が頻発すれば、自家発電を持ちたいという建物が増えるのは道理です。SDGsの家に関心が集まる中、逆行するように、震災以降これまで太陽光発電に取り組んできた各戸への政府の支援が尻すぼみになったり、発送電分離が阻まれてきたことを考えると、こと電力に関しては停電になると言われても、「そうなる前にあなたたちがやるべきことはあるでしょう」と腹立たしい思いで、政府・電力会社の言うことをまともに聴く気にはとてもなれないのです。


2022年3月21日月曜日

「11年目の地震と東北新幹線」

 東日本大震災の日が近づくと、いつも常ならぬ精神状態なのですが、やっとその日が過ぎたと思ったら、3月16日にまたしても福島県沖で大きな地震がありました。すぐ兄にメールしたところ「大丈夫」の返信、その後もラジオに耳を傾けながら大事には至らなそうだと就寝しました。大地震から11年たってもなかなかおさまらない地震にかなり気が沈んでいます。ただあの時は家にりくが一人でいたことを思い出しました。入院していた父をたまたま兄が見舞っていて一緒に被災、避難所の小学校にいても埒が明かないので、その日のうちに帰宅した時、迎えに出たりくは「危ないから、こっち、こっち」というように二人を家に導いていったと聞きました。もうりくは家に一人でいて下敷きになったり取り残されたりするようなことはないんだなと、そのことにホッとしていました。その後も兄は「何があっても、避難所に入れなくても、りくだけは連れて行く」と言っていましたが。

 今回、東北新幹線は白石のあたりで17両編成の列車が1両を残して脱線という甚大な被害を受けました。今のところ、全車両を線路に戻すだけで2週間はかかるようで、全線復旧は4月になるとのことです。16両も脱線して怪我人が無いというのはものすごいことではないかと思うのですが、その思いが強まったのは乗り合わせた人の話を聞いた時です。「体感的には『新幹線が飛んだ』というような感じだった。このまま車両もろとも落ちて死ぬのかなと思った」というような話でしたが、う~ん、すごい。技術的なことは分かりませんが、おそらく脱線させることで人的被害を最小にとどめたのでしょう。あっぱれです。

 とはいえ、翌週に帰省予定だった身としてはその手段は頭の痛い問題です。全貌が分かるまでは上野―福島間は大丈夫なのかなと暢気なことを考えていましたが、しばらくは上野からは那須塩原までの往復運転という情報しかなく、那須塩原―仙台の臨時快速列車は出るようですが、結局乗り換え等でいまいち不安。高速バスの予約に入った時には、春休みの時期だけあってかなりバスも予約が大変でした。特に3月中に上京するバスはいつもの始発は見当たらず、到着が午後の便しかありません。ともかく希望日に1席だけ残っていた空席を、選択の余地なく予約。とりあえず安堵しました。この何日かちょっと気落ちしていましたが、友人から安否の問い合わせをいただいたり、東京で通っている教会の方からも福島の状況を案ずるメールをいただいたりして、励まされました。福島市内はインフラを含め、お店なども通常のようですが、様子を見に行って来なくては。


2022年3月14日月曜日

「自立キャラの最終形」

  私の記憶では、「草食系」という言葉が使われだしたのは平成の半ば頃で、それからかなり長い間、この言葉で端的に示される日和見主義、孤立を避けて群れることを信条とする在り方が好まれてきたように思います。悪目立ちせず、群れの中に身を置き、事態の雌雄が決するまでできる限り態度を保留するという生存戦略は、或る意味、この時代には必須のものでした。なにしろ平成の世はバブルの後始末に始まり、グローバル化の進展に伴って「非正規化」という労働市場の移行期的混乱に振り回され、また、人間の辿った歩みの結果としての災害やテロが頻発し、なんだか陰鬱な空気がいつも漂っていた時代だったからです。令和になった現在では、もう社会の階層化は誰の目にも覆い難く、混迷はいっそう深まりつつあるものの、踊り場的一段落の様相を呈しています。

 帰省先でみるテレビは、私にとって立派な「ご時世見学」となっていますが、たまたま私が見た2つのドラマでは時代の変化を感じる展開に驚かされました。なんと、主人公には友達がおらず、それを公言してはばからないどころか、そのように在る自分を全く意に介していないのです。一人で孤立していることが病的に恐れられていた時代は終わったのか、このような自立キャラが或る種の規範となりつつあるのかと目が覚める思いでした。以後、話を注視していますが、人の在り方としての最終形が提示されているようなのです。これからの時代に群れてなどいたら、集団ごと一気に滅亡しかねない。もはや何もかも自分の頭で決定しなければならず、どんな結果がまっていようとも自分で背負わなければならない。ドラマでは、そういうことを全て理解した主人公がすっくと立っている姿が描かれています。

 特に面白くフォローしているのは『ミステリと言う勿れ』です。ミステリこそは人の罪から発する犯罪を読み解く万国共通の文学形式ですが、この表題から察するに、ドラマは(原作は漫画らしい。やっぱりね)ミステリにとどまらない、人の罪、ということは即ち人間そのものを扱うということを示唆しているのでしょう。主人公は本来自己完結的な人物なので、物語としては否応なく周囲に巻き込まれるという形で話が展開します。一つには本人が有能だからですが、もっと根深いところで主人公のような人物を放っておいてはいけないという社会的な要請があるはずです。こういった人々はわずかな差異を競い合っていた前時代の「草食系」とは無縁のキャラで、集団の外で非の打ちどころなく屹立しています。だからこそ、自らの存立にかかわるアラームを察知した社会は彼に耳を傾けざるを得ないのです。彼というか、こういう人物はごく少数ながら既に出現しているのですから、彼らに接触して取り込むことが社会の生き残りに必須の戦略です。「滅びるものならば滅びよ」(こう言ったのはローマ帝国末期の東西分裂の時代を生きたアウグスティヌスではなかったでしょうか)という崖っぷちまで来た社会でできることはもうほとんどないのですから。

 十分自己完結的で他者を必要としない人物が個々に存在するだけでは社会は持続できない。自らの思考と力量で人生を切り開いていける人間が、吹けば飛ぶほどの少数にとどまるのならば、先立つ人に従っていても個々人の未来の展望は開けないというのはなんと恐ろしい時代でしょうか。この厳しい宣告に気づいたのは、ドラマの中で一番のけぞった場面、大学生の主人公が教師を目指していると知った時です。「あ、そういう話だったの」と、現在なり手のいない不人気な教師という職業を思いました。ドラマでは疑似的に彼の先生も設定されていますが、彼自身にはもう教師など要らない。彼に教えられるのは彼自身だけだからです。このやたらと古典文学に精通している主人公は、それでもまだ年若い青年に過ぎず、日常に起こるショックな出来事に対して思考停止状態に陥ることもあります。うずくまった状態で、「もう大人なんだから団子虫になってちゃダメ」と自分を叱咤する姿はとても味わい深いものです。日々流れる子供じみた事件を聞くにつけ、三十歳でも四十歳でも、ひょっとすると六十歳、七十歳でも大人とはいえないと感じる時代に、若者が「学べ、学び続けよ」と自分を叱咤しているのです。ドラマは彼に接触する周囲が当惑しながら、それでも何かしらが変わっていくことを描きつつ、教師が教師であるのは、「人は自らの教師になるほかない」ことを教える限りにおいてであると語っています。人生に正解がない時代は、このような若者の存在に希望を置くしかないところまで来たようです。非常に険しい道ですが、幸運が味方してくれるならこのような人は、古代の教父のように永遠を見ることができるかもしれません。


2022年3月7日月曜日

「都心の日曜日」

  東京に春一番が吹いた翌日、東京マラソンの交通規制でバスを途中で降ろされた私は、「前にもこんなことがあったなあ」と思いながら、地下鉄で渋谷に向かいました。最近はほぼ自信のあることでも外では人に尋ねるようにしています。改札で駅員に「渋谷に行く路線ですか」と聞けば、「1・2番線です」とさらに役立つ情報が得られるのです。普段と違う交通手段はなんとなく落ち着かないものですが、渋谷についてからも長い長い。「A8の手掛かりがなければ完全に迷子だな」と思いつつ、ようやく見慣れた場所へ出ました。A8出口の8はもちろん「ハチ」のこと、人を導いてくれる賢い犬です。おや、今日のハチは何かタスキを掛けています。近寄って目を凝らして見ると、「あなたはひとりじゃない 命を大切に」と書いてありました。こんなところでも人助けをしているのか、エライエライ。「りく、えらいぞ」と、ハチはいつのまにかりくになっています。こういう習俗は日本では一般的なものでしょう。いいも悪いもありません。

 三月第一週の礼拝を終えて、すでに動いている都バスで池袋に戻りました。風はあるものの気持ちよい日だったので、あたりを少しぶらぶらし、「そういえばずっと行ってないあの小さな公園はどうなっただろう」と歩を進めると、眼前にありえない光景が・・・。あんな狭いスペースにピクニックシートを敷いた人々がほとんどイモ洗い状態で休日を楽しんでいます。そこは摩天楼というほどの高さはないものの、360度ビルに囲まれた場所でした。都心の休日はこんなことになっていたのかとしばし呆然。でも、皆それぞれにのんびりと過ごしており、とても平和な光景でした。世界には意味のない戦争をしている国があるのです。1月、2月、3月は何故かいつも気鬱な時期ですが、少し元気になりました。


2022年3月3日木曜日

「わずかばかり実在する世界」

  浮世離れしない程度にニュースを聞きながら、あれこれ聴書する生活が続いています。社会、産業、経済、家庭、教育、金融、政治、国家等に関する本を読んでじわじわと、しかしはっきりと判ったのは、もう或る種の世界は終わったのだということです。その世界とは過去何千年にもわたって続いてきた、身体に裏打ちされた世界です。目で見て触れる確固たる世界が揺らいでいます。人が一度に食べられる量の食事はたかがしれており、一度に着られる服は一着だけ。家を何軒持とうとも、一日に住める所は一、二か所がせいぜいです。必要なものはそれほど多くなく、何億、何十億というお金があっても使いきれないだけでなく、むしろ有意義な使い方を思案して悩みの種になるはずです。それ以上の額のお金となれば、もはやただの数字にすぎないでしょう。

 それにもかかわらず、より多くのマネーの増大を求めて人々が日々目の色を変えるのは、それが脳内で繰り広げられる仮想の現実だからです。人間の脳は果てしなく想像を膨張させることが可能で、あらゆる障害や限界をやすやすと越えてしまうものです。ところがこの仮想空間は時折現実世界と接することがあるので厄介なのです。手触りはなく、自分で操縦する感覚が持てない世界が手に負えなくなりつつあり、わけのわからない仕方で現実の生活に大きな災厄をもたらします。こういうものに近寄ってはいけないと、私の直感が告げています。

 そんなわけで最近惹かれるのは古典ばかりです。世界のどの地域のものであろうと、現代では完全に断絶した時代のものであろうと、かつて実際に存在した社会、実在の人が考えたこと、生きた証として残された表現をとてもゆかしく感じます。一日の当たり前の生活の中で、食事し、運動し、何事かを学び、家事をし、睡眠をとる・・・。そのような手触りをよすがとして、ようやく人がなんとか生きていられる世界になったのだなと感じます。年寄りはそれでもいいのですが、若い方々がこれから生活時間の多くを仮想現実で過ごすとなると、彼らが生きていく世界はどんなものになるのか、想像もつきません。人間の生活実感を古典でしか体験できない未来が来るのかもしれません。