2022年2月23日水曜日

「雪に降り込められて」

  新千歳空港は119cmの積雪で全便欠航、札幌はJR線が全線運休との報道がありました。無理もないと思います。車はもっと無理、命にかかわる危険がありますから、これは一都市が雪で孤立したと言ってよいでしょう。こうなると家でじっとしているより他なく、食料や燃料の買い置きがなければかなり厳しい事態です。

 北海道や北陸ほどではありませんが、福島も雪に振り回される冬となり、買い物難民になるのを避けるため、ネットスーパーの再開画面とにらめっこ。東京で注文を済ませておかないと恐くて帰れない、予定が立たない困った状態がずっと続きました。ようやく、道路の雪が消えかけて安心していたまさにこの時、福島も結構な大雪になるらしいとの予報が出ました。まずすぐさましたのは量販店で石油ストーブを買うことでした。これは父の頃から何十年使ったのかという古いストーブの芯がいよいよ出なくなり、芯だけ取り替えようと分解までしたのですが、古すぎて合うものが無い。火事になっては大変だから、あっさり断念し、新しくしたのです。ファンヒーターは2つあるけれど、台所はやっぱり赤々と燃える石油ストーブじゃないと。ストーブでお湯が沸く音を聞くのは雪国の朝の楽しみです。

 さて、前日から一日で夕方までに23cmの積雪、夜も断続的に降ったので、上京する日の朝は30cmほど積もっていました。幸い新幹線と駅までの私鉄が動いており、朝6時過ぎに歩きでローカル線の駅に到着。途中、家々の庭先では、雪の中から文字通り車を掘り起こしている光景があちこちで見られました。「新幹線は平常運転かな。山形新幹線は無理だろうな」などと思いながら新幹線口に行くと、案の定というか何やらアナウンス。乗ろうと思っていた「やまびこ」が仙台で車両故障。「次のやまびこは一体何時?」と案じていると、なんと、車両故障の「やまびこ」に福島で連結する予定の山形新幹線「つばさ」が9分遅れで来るという。「つばさ」が東京まで単独行、これは珍しいかも。何しろそれが現時点で最も早い東京行きなので、皆どどっとそちらのホームに移動しました。「つばさ」は自由席が2両しかないので「座れるかな」と思いましたが、福島で降りる人も多く、後でわかったのですが、乗車はほとんどが郡山への通勤客でした。「つばさ」に乗るのは初めてで、「つばさ」は新幹線といっても在来線を走る列車なので、これまであまり乗る気がしなかったのは確かです。しかし乗ってみると、これはなかなかよく考えられた車両だとわかりました。降雪時に走る前提のためか車高が低くコンパクトだが圧迫感がない、なんとなく座席ごとの独立性が高く快適な乗り心地、西側に2席、東側に3席の「やまびこ」と違い両側とも2席ずつで安定感がある、一番驚いたのは車両に1つずつしか乗降用のドアが無い、これも雪対策なのか。一つ困ったのは、普段「やまびこ」10両の後に連結される「つばさ」の自由席は最後の16、17両目。「やまびこ」の自由席は1~5号車あたりで上野の出口に近いが、「つばさ」の自由席からだと果てしなく遠い。それでなくても大変な思いをしている山形からの乗客にこの仕打ちはないでしょう。

 ふ~ん、何でも体験してみるもんです。そう言えば、前に確かめもせず発車寸前の「やまびこ」に乗った時、いきなり「次は大宮に止まります」と言われて「そんな列車があるのか」とびっくりしたこともありました。その次の停車駅は東京駅だというので、車掌が来た時に「上野で降りたい」と尋ねたところ、「大宮で反対ホームにトキが3分後に停車しますので、それに乗ってください」とのことでした。上野に止まらない列車は選択の範囲外で、大宮で北陸新幹線に乗り換えるという発送はなかったな、と新たな接続方法に目が覚めました。予定が立たないというのも面白いもので、自由席券で一番早い列車に飛び乗る、というのが冬は合理的なようです。大人の休日倶楽部ならシニアの切符は3割引き、歳をとって良いこともあるのです。


2022年2月18日金曜日

「帰郷」

 ネットスーパーが配達再開した機会をとらえ、東京で注文を済ませてから、りくがいなくなって初めての帰郷をしました。今年は雪が多く、配達停止が続発して難儀しています。帰ると、茶の間に「りくちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます」というメッセージカードと共に、籠に活けられた立派なお花がありました。兄に聞けば、クリニックから贈られたものとのこと。ここはりくが赤ちゃんの時から15年間お世話になった小動物病院で、定期健診はもちろん、健康相談のあれこれを診ていただいたところです。お花までいただくとは有難いことです。

 今感じることは一言で言うと、「りくがいないとつまらないなあ」です。一日最低三度は一緒に散歩をし、リクエストがあればさらに大サービス、この15年間、家の中はりくの生活を中心に回っていました。他のことは全て、中断された散歩の合間に片づけねばならず、いつもせかされる思いでしたが、それだけ家族全員に可愛がられていました。

 帰省先での冬の最大の関心事はずばり天気です。福島ではほんの少し雪雲がかかるか、それるかで天候が全く別物になります。天気如何でその日にできることが決まってきます。晴れ間は逃してはいけない。今回は忘れずにカメラを持ってきたので、橋二つ分川を下って白鳥を見に行ってきました。りくがいた時は、あちこちで立ち止まったり寄り道したりので結構な時間がかかったのですが、ひとりだと到着も早い。岸のはずれから望遠で見ると、いるいる、大人の白鳥は13~14羽か、灰色の子供の白鳥も何羽かおり、その2倍から3倍のカモの群れがなぜか一緒にいます。寒いからというより、おそらく一緒にいるとエサのおこぼれに与れるからでしょう。いい日でしたが、りくがいないとあまり楽しくありません。朝だって起こしにくる子がいないので、起きるきっかけが掴めずにいます。

 

2022年2月12日土曜日

「ペットロス」

  東京での生活は変わらないはずなのに、何する気もわかず、無心に片付けばかりしています。やはり整理整頓は精神療法によいのかもしれません。凍える寒さの中帰省するのもりくが待っていると思えばこそ、しばらくは帰る張合いがありません。

 先日、骨折のX線確認の日、映像を見ながら医師が、「新しい骨ができてますね」と言いました。「骨って新しくできるんですか」と聞くと、「できます。百歳でもできますよ」とのこと。人体はすごい。生命は、生きている身体とはすごいものです。私の体の中でまだ新しいものが造られているとは。

 とけきらぬ雪が日陰に残る今朝、何日かぶりでいつもの公園に行く。確かな春の陽ざしの中、人々が思い思いにウォーキングしたり、釣りをしたりしている。三脚を立てて水鳥を撮影している人もいる。犬を連れた人々が自然に集い、人も犬も何やらもぞもぞと情報交換をしては、「ありがとう、またね」と別れていく。春になったら、一度兄の車で市の「小鳥の森」の納骨堂を訪れようと思う。


2022年2月5日土曜日

「紅春 198 ― りくは旅立ちました ー」


  東京に戻って十日も経たないうち、兄から電話とメールがありました。電話を取り損ね、見るとメールのタイトルは「りくの容体」。「えっ、容体ってどういうこと」と、慌てふためいてすぐ電話すると、次のようなことが分かりました。

 私が帰ってから幾日もしないうち、りくは家の周りを一周するのがやっとの状態になり、それから全く外を歩こうとしなくなった。ご飯もりくの好きなものを工夫して上げていたが、だんだん食べなくなり、水も摂らなくなったのでクリニックに連れて行った。体重は6.6キロになっていた。お医者さんの話では、「高齢であり、点滴などで一時的に少し元気になれても、それは治療ではなく延命ということになる」とのことだった。兄とは「延命措置はしない」と話し合っていたので、りくを連れて帰宅した。つまり、老衰、寿命ということです。

 私は取る物も取り敢えず、すぐ帰省しました。その日、りくはすっかり弱っていて、よろよろとかろうじて立てる状態でしたが、筋力が無く体が震えていました。水を湿らせたスポンジを口に当てたり、ストローの付いた注射器で水をあげようとしても飲まず、もちろん何も食べません。また、トイレを知らせてくるのですが、自分でしたいのにできないのが情けないのかワアワア声をあげて鳴いていました。可哀そうですがおむつです。

 翌日はお座りするのがやっとで、もう立つことはできません。自分でも立てないことに苛立ってつらそうに鳴きます。夜は兄と交替で茶の間のりくに付き添い、こたつでうたた寝しました。

 その翌日は時折必死で上半身を起こそうとしていましたが、やがてそれも難しくなりました。寝たきりになってからは時々りくを持ち上げて体の位置を変えたり、体勢を直したりしましたが、一度始まるとしばらく続く発作的な鳴き声が不定期で聞かれました。兄も私も食事や睡眠どころではなく、一晩中声掛けをしてすごしました。この日は新月でした。

 その翌日、次第にりくの呼吸が浅くなっていき、徐々に衰弱していく様子でした。昼ごろ一度前脚を高く上げ、ピクピクと後ろ脚も上げようとしていたので、これは夢の中で疾走しているのではないかと思い、りくとハイタッチしました。散歩を思い出しているのかもしれず、カーテン越しに陽ざしを取り込みながら昼間を過ごしました。夜になり、兄が看ている時に大きく鳴いて、私も駆け付けると、りくは息を吐いてそれが臨終のときでした。老衰とはいってもこの四日間眠るようにとはいかず、りくにとっては決して容易でない大変な時間でした。ようやく安らかになれてこちらも少し安堵しました。「りく、がんばったね。えらい、えらい」 2月2日、午後9時35分でした。

 2月3日(節分)、兄の運転でペットの火葬をしてくれる市の施設にりくの遺体を運びました。家にやって来た時のりくの鑑札を見ながら事務室で申し込みをすると、市役所へのりくの死亡届もここから連絡してくれるとのこと。ペットの遺骨は小鳥の森近くの新山霊園小動物納骨堂に納骨され、りくの納骨予定は2月22日と言われました。市の霊園で安らげるのでりくも喜んでいるでしょう。事務所を出て火葬場へ行くと、連絡を受けた係の人が立って待っていてくれました。写真ではありますが、色取り取りのお花の看板の前が遺体の安置場所になっていました。最後にりくの顔を見て、「お父さん向こうにいるからね」と言って、係の人にりくを託しました。すべて終わったと脱力。帰りは何か甘いものでも買って帰ろうと、めったに行かないケーキ屋に寄って帰宅しました。兄と茶の間で一息つき、放心状態で万事終わったことを実感しました。父が亡くなった後は茶の間の主はずっとりくでしたから、何か部屋はがらんとした感じです。「りく、もういないんだねえ。」


2022年2月4日金曜日

「紅春 197」


 前回帰った時、りくは散歩以外ほぼ一日中寝ている状態でしたが、立ち上がったり座ったりするときに何かモゴモゴ言っています。結構つらそうに聞こえるので「どうしたの?」と尋ねていましたが、どうも筋力の低下で動作がきつくなっているようです。人間なら「よっこらしょ」とか「どっこいしょ」といった掛け声のようです。

  朝方は私のところに何度も来るので、着替えようと石油ファンヒーターのスイッチを入れると、りくはズイズイとストーブの前に陣取り、発火するのを待っています。スイッチボタンを見ながら、「ここがピカピカすると、あったかいのが出てくる」とわかっているのです。老いたりといえどもりくはりく、へたれと知恵者ぶりは健在です。あ、そんなとこで寝ないでくださいよ。