どうも老後とその先の死について考えるのは女の独擅場になっているようです。男は配偶者より先に逝くのが大前提のためか、敢えてこまごました雑事から眼を背けているとしか思えず、五十代半ばからいつその時が来てもおかしくないとあれこれ考えるのは女だけだと、世にある数多の本が物語っています。私ももはや抵抗感や悲壮感なく、正面からシニアライフを設計する時期であることを冷静に受け止めています。
この四十年ほどをざっと振り返って、表面的事象として変わったこととしては、なんといっても葬儀や埋葬に関する儀式の簡略化、縮小化でしょう。これはもう目を見張るばかりの変化で、見送る側の人数も体力も到底追いつかない状況になっていることを示しています。変わらないこととしては、これほど都会の空室率が上昇しているというのに、高齢者の民間の賃貸入居は依然として難しいということ、また高齢者の場合身元保証人がいなければ賃貸どころか入院も難しいということです。詳しく調べたわけではありませんが、悪い方に変わったこととして、国が介護付き老人施設の建設から在宅看護に舵を切ったにもかかわらず、訪問医療が充実してきたとは到底言い難いことです。
老後は持ち家がないと住むところがないと脅されてきた世代として、安心して住める住居があるのは有り難いことです。今のところウォーキングや買い物等に便利な周辺環境も、騒音被害がなく明るい住環境も、玄関・台所・風呂場に窓のあるコンパクトな間取りも全て気に入っており、できるだけ長くここで暮らしたいと思っています。老人施設のことを少し調べてみましたが、そもそも私は集団生活が無理な性分ですし、逆に介護が必要になったら退去しなければならない施設は何の為にあるのか分かりません。可能性として、最期はホームホスピスのようなところにお世話になるかもしれませんが、なにしろ団塊の世代が分厚く立ちはだかっているのですから、私ごときの世代に恐らく空きはないでしょう。
私が一番避けなければならないと思っているのは、自分の意思を問われることなく延命治療されてしまうことです。もう十分生きたので、治る見込みがあらばこそ、そうでないのに気管切開、心臓ペースメーカー、胃瘻、腎臓透析などされるのは一切御免です。それには医者に「延命治療は固く辞退致します」とはっきり伝えること、救命医療を要請しないことしかないようです。救急車を呼べば救急救命士はどんな状態の人でも救うのが仕事なのですから、本人に意識がない場合、上記のような治療を施される事態を回避することができません。そして深刻なのは、一度治療を始めてしまうと途中で止めることができないということです。これに関しては医療裁判も含め多くの事例があります。もちろん、どんな状態でも生きていたい人はその希望を叶えればよいのです。自分一人の時はよいのですが、福島で倒れた時のために、先日兄にも「尊厳死を望んでいるから、明らかに助からなそうだったら救急車は呼ばないで」と伝えましたが、「そんなことはできない」と言うので、自分の希望を詳しく説明したところ「考えておく」とのことでした。この問題は同じ人でも年齢の進行とともに考えが変わり得ることでもあり、これからまだ二十年は考える余地がありそうです。
戦後のベビーブーマーというボリュームゾーンが1年に1歳ずつ歳をとるのですから、高齢人口が増加するのは当然ですが、少子化の方は政治の力でなんとかできたはずなのです。(過去形なのはもう手遅れだろうと思うから。)「都会での子育ては罰ゲームみたいだ」と言った人がいます。相変わらず待機児童がおり、その後も子供と親の両者にとって眩暈がするほど様々なリスクがあり、子供の健やかな成長には厳しい社会が待っています。この五十年間で女性の初産年齢が23歳から30歳に上昇しました。生物学的に普通の形で産める子供の数が減るのは当然です。友人のお嬢さんの話ですと、大学でも女子学生がキャリア志向と専業主婦(まだこの語があったとは!)志望に両極化しているとのことですが、今どき専業主婦になれる人など一握りではないでしょうか。大多数の人は夫婦が力を合わせないと家庭が成り立ちませんし、様々な理由で単身世帯も増えています。単身世帯は今や全体の三分の一となり、殊に高齢者でその伸び率が大きいことは見逃せません。現状目に映ることは全て家族の形が変わってきたことにより生じています。そして家族のカタチの変貌こそは、誰でもない我々皆が快適な暮らしを求めて突き進んだ結果だということは否定できません。両親を見送り後顧の憂い無い身として、私はこれまでの人生に感謝し、全てを受け入れています。不定期で寝込むような持病があっても、いやあるからこそ、今後のやり過ごし方や身の処し方の訓練を積んでおり、当面の心配は何もありません。いや、まだ老犬のりくがいた。なるべく長生きしてくれるよう、私もまだまだ頑張らねば。