2021年10月27日水曜日

「シニアライフとその後の考察」

 どうも老後とその先の死について考えるのは女の独擅場になっているようです。男は配偶者より先に逝くのが大前提のためか、敢えてこまごました雑事から眼を背けているとしか思えず、五十代半ばからいつその時が来てもおかしくないとあれこれ考えるのは女だけだと、世にある数多の本が物語っています。私ももはや抵抗感や悲壮感なく、正面からシニアライフを設計する時期であることを冷静に受け止めています。

 この四十年ほどをざっと振り返って、表面的事象として変わったこととしては、なんといっても葬儀や埋葬に関する儀式の簡略化、縮小化でしょう。これはもう目を見張るばかりの変化で、見送る側の人数も体力も到底追いつかない状況になっていることを示しています。変わらないこととしては、これほど都会の空室率が上昇しているというのに、高齢者の民間の賃貸入居は依然として難しいということ、また高齢者の場合身元保証人がいなければ賃貸どころか入院も難しいということです。詳しく調べたわけではありませんが、悪い方に変わったこととして、国が介護付き老人施設の建設から在宅看護に舵を切ったにもかかわらず、訪問医療が充実してきたとは到底言い難いことです。 

 老後は持ち家がないと住むところがないと脅されてきた世代として、安心して住める住居があるのは有り難いことです。今のところウォーキングや買い物等に便利な周辺環境も、騒音被害がなく明るい住環境も、玄関・台所・風呂場に窓のあるコンパクトな間取りも全て気に入っており、できるだけ長くここで暮らしたいと思っています。老人施設のことを少し調べてみましたが、そもそも私は集団生活が無理な性分ですし、逆に介護が必要になったら退去しなければならない施設は何の為にあるのか分かりません。可能性として、最期はホームホスピスのようなところにお世話になるかもしれませんが、なにしろ団塊の世代が分厚く立ちはだかっているのですから、私ごときの世代に恐らく空きはないでしょう。

 私が一番避けなければならないと思っているのは、自分の意思を問われることなく延命治療されてしまうことです。もう十分生きたので、治る見込みがあらばこそ、そうでないのに気管切開、心臓ペースメーカー、胃瘻、腎臓透析などされるのは一切御免です。それには医者に「延命治療は固く辞退致します」とはっきり伝えること、救命医療を要請しないことしかないようです。救急車を呼べば救急救命士はどんな状態の人でも救うのが仕事なのですから、本人に意識がない場合、上記のような治療を施される事態を回避することができません。そして深刻なのは、一度治療を始めてしまうと途中で止めることができないということです。これに関しては医療裁判も含め多くの事例があります。もちろん、どんな状態でも生きていたい人はその希望を叶えればよいのです。自分一人の時はよいのですが、福島で倒れた時のために、先日兄にも「尊厳死を望んでいるから、明らかに助からなそうだったら救急車は呼ばないで」と伝えましたが、「そんなことはできない」と言うので、自分の希望を詳しく説明したところ「考えておく」とのことでした。この問題は同じ人でも年齢の進行とともに考えが変わり得ることでもあり、これからまだ二十年は考える余地がありそうです。

 戦後のベビーブーマーというボリュームゾーンが1年に1歳ずつ歳をとるのですから、高齢人口が増加するのは当然ですが、少子化の方は政治の力でなんとかできたはずなのです。(過去形なのはもう手遅れだろうと思うから。)「都会での子育ては罰ゲームみたいだ」と言った人がいます。相変わらず待機児童がおり、その後も子供と親の両者にとって眩暈がするほど様々なリスクがあり、子供の健やかな成長には厳しい社会が待っています。この五十年間で女性の初産年齢が23歳から30歳に上昇しました。生物学的に普通の形で産める子供の数が減るのは当然です。友人のお嬢さんの話ですと、大学でも女子学生がキャリア志向と専業主婦(まだこの語があったとは!)志望に両極化しているとのことですが、今どき専業主婦になれる人など一握りではないでしょうか。大多数の人は夫婦が力を合わせないと家庭が成り立ちませんし、様々な理由で単身世帯も増えています。単身世帯は今や全体の三分の一となり、殊に高齢者でその伸び率が大きいことは見逃せません。現状目に映ることは全て家族の形が変わってきたことにより生じています。そして家族のカタチの変貌こそは、誰でもない我々皆が快適な暮らしを求めて突き進んだ結果だということは否定できません。両親を見送り後顧の憂い無い身として、私はこれまでの人生に感謝し、全てを受け入れています。不定期で寝込むような持病があっても、いやあるからこそ、今後のやり過ごし方や身の処し方の訓練を積んでおり、当面の心配は何もありません。いや、まだ老犬のりくがいた。なるべく長生きしてくれるよう、私もまだまだ頑張らねば。


2021年10月18日月曜日

「紅春 190」

 


 りくには悪いことをしました。せっかく誕生日に合わせて帰省したのに、その日は新しい冷蔵庫の来る前日。極力中を空にしなければならないため今回はスーパーの配達便も頼めず、ドッグフードのトッピングには東京から凍らせて持ってきた鶏肉と缶詰、チーズくらいしかありません。誕生祝いは冷蔵庫が来てからすることにして、当日の朝はいつもの「おはよう」の挨拶に加え、「りく、15歳おめでとう」と言って、ぎゅうっと抱きしめました。

 その後の三日間は旧製品のお掃除、台所の片づけと搬入経路の確保、新製品搬入後の家具、物品の配置などに追われてりくの相手はあまりできず、りくは外に置かれていました。ようやく一段落してりくの様子を見に行くと、長いワイヤーに繋がれたりくが向こうからピョンピョンと跳んでくるではありませんか。久しぶりに見る疾走する姿に、「まだこんなことができたのか」と胸が熱くなりました。ずっと外にいたので外界の様々な刺激を受けたのがよかったのかも知れません。家の中でも、弟くんたちをブンブン振り回しては飛ばして追いかけるという活発な動きを見せ、ちょっとびっくりするくらいの元気さでした。もちろんお誕生祝いのご飯は二種のお肉ほかたっぷりのトッピングで、一心不乱に食べて完食、16歳に向かって新しい一年の始まりは、なんだか希望に満ちています。


2021年10月16日土曜日

「冷蔵庫の入れ替え」

 冷蔵庫の交換はすぐできるだろうと簡単に考えていたのですが、なにしろ旧製品が古い。脚立に乗って真上から見るとすごい埃で、雑巾で掃除するうち当時のカタログが出てきました。見ると25~27年前のもの、想像以上の年季ものでした。ふと年間電力消費量をチェックすると、新規購入のものは一回り小さいとはいえ、ほぼ半分になっています。これがこの間の技術の進歩の一端を雄弁に物語っています。それから覚悟して掃除に取り掛かりました。神代のものかと思われる食品その他は捨てながら、中身を部分ごとに分けて袋にまとめ、汚れを拭いていきました。液体がこびりついて乾燥した汚れも、何度も拭くうちそれなりにきれいになりました。リサイクル即ち廃棄物なのですからそこまでする必要はないとも思ったのですが、会津藩では鶴ヶ城落城に際し、敵方に明け渡すだけのお城をピカピカに磨き上げたという史実に倣って、私も力が入ってしまいました。ドラマでは確か「会津のおなごの心意気じゃ」と言っていたような・・・。磨いているうち、「両親の時代からよくもまあ25年も働いてくれた」と感謝の気持ちが募ってきました。まとめた袋は中に入れたまま、前日の夜に電源プラグを抜きました。当日は11時に新しい冷蔵庫の搬入のため、取り出しは1時間前でいい、午前中はそれなりに冷えているはずです。

 それから台所の掃除にかかりましたが、兄と相談し、これを機に物品の配置を少し変えることにしました。とにかくコンパクトにまとめるため、拡張型の食卓は折りたたんで小さくし、相当場所塞ぎだった分別ごみの置き場はテーブルの下に移動と決めました。テーブルは大きければ大きいほどどんどん物が散らかると分かったからです。テーブルの一角にA4用紙大の箱を置き、市民だよりや広報誌、チラシ類をどんどん入れていくことにし、壁際にはレジ袋・紙袋の保管場所、冷蔵する必要のない食品を置く場所を設置することにしました。

 これで準備は完璧と思って当日に臨んだのですが、それでもいろいろなことが起こるものです。この辺りの番地は紛らわしく一度トラックが行き過ぎてしまったり、十分広さを確保したはずの経路は、台所の入り口がアコーディオンカーテン仕様で壁が低いためそこから出せず、結局勝手口からの搬出入になったり、つり銭が無いよう用意したリサイクル代のお札の一枚が封筒に残って「あれれ」状態になったり、と小さな失敗がありました。十月とはいえ、業者さんもこちらも汗だくでなんとか終わった時には1時間半ほど経っていました。新しい冷蔵庫はコンパクトながら収納も十分で、期待通りのものでした。冷蔵庫と言えば白物家電の代表ですが、今回黒っぽいものにしたのも気分が変わってなかなか良いです。兄は自動製氷の冷蔵庫は初めてらしく驚いていました。私はと言えば、冷蔵室、野菜室、冷凍庫の位置が今までと全く違うのでまだ戸惑っていますが、あとは慣れるだけです。とても疲れましたが、ただ捨てるだけでなく、物が新しくなるのはやりがいがあり、精神衛生上もいいもんだなと思いました。

2021年10月15日金曜日

「紅春 189」


 朝、ゴミ出しに勝手口を出ると、「東北電力です。メーターの検針に来ました」と係の人が歩いて来るのに出くわしました。「やけに早いな」と内心思っていると、ニコニコしながら「今日はワンちゃんいないんですね」と言うので、「今うちの中で寝てるんですよ」と答えつつ、ハッとして「ご迷惑おかけしてませんか」と尋ねました。なにしろ庭はりくの縄張り、ほぼ全域自由に動けるうえ、繋いでおく杭はまさしく電気メーターの真下なのです。以前、女性の検針員の方は双眼鏡片手にりくが届かない位置から見て、調査票に書き込んでいたのを思い出しました。

 すると、「いや~、いつもこっちが遊んでもらって・・・。おりこうさんですよね」との答え。犬好きの方だったのです。すかさず、「ほんとにおりこうさんの子なんですよ」と、親バカならぬ飼い主バカ丸出しで相槌を打ってしまいました。ひとしきり話して検針して帰られましたが、ふと「こんなに早く来るのはりくに会うためでは?」との疑問が胸に浮かびました。朝7時半というのは、私が帰省していない時にはほぼ確実に兄が散歩から帰って、りくを外に繋いでいる時間帯です。まさかと思いますが、犬好きとしてこの推論は否定しきれません。まだ四十代の頃、入院した父を見舞いに毎週新幹線で帰省していた時がありましたが、病院のあるローカル線の駅前の家にいるセントバーナードに会うのをどれほど楽しみにしていたことか。「ああ、りくを抱っこしてでも見せてあげればよかった」と思った時には後の祭りでした。東北電力のお兄さん、がっかりさせてすみません。


2021年10月9日土曜日

「通販で帰省先に家電を設置する困難」

  ずっと気になっていたのですが、帰省先の冷蔵庫を新しくしたいと思い、本格的に探し始めました。この冷蔵庫はいつの時代からあるかと考えても、到底20年ではきかない代物で、まだ動いているのが不思議なくらいです。不具合が出ているし、経験的に言って、こうなると或る日パタッと壊れるのが冷蔵庫です。冷蔵庫無しでは一週間でも辛い、寒くなる前に、そして暑さが去った今こそやらねばと決心しました。これには、1.最適な製品を選ぶ、2.最適な価格で購入する、3.帰省日に合わせて搬入・リサイクル品の搬出を手配する、という手順があります。

1.今では見る影もないとはいえ、「家電と言えば国産」という世代なので海外の企業には目もくれず探すことに・・・。兄の希望は「もう大型のは要らない」でしたが、夏場を考えるとそれなりに容量は必要、野菜室もほしいな、と考え、3段式で300L前後の製品を探し、1つの製品を選びました。ポイントは年間電力消費量ですが、今回調べてわかったのは小さいからといって省エネではなく、むしろ大容量の製品が省エネだということ。小さいと省エネの機能を中に組み込めないのが理由らしい。これは知らなかった。

2.大手通販会社2社で最適価格の商品を決めるのは簡単だと思っていたのですが、これがそうでもなかったのです。私が欲しい商品は他の皆さんも欲しいらしく、決して新商品ではないのに入荷まで10日ほどかかるところが多い。今はどこも在庫をほとんど抱えないのだなと実感しました。何回か通販サイトを見ていると、欲しい商品が1台出ていたのでさっそく購入手続きに入ったのですが、届け先が帰省先のため、新たに様々な入力事項があり、戻ってみたらもう「入荷停止となりました」との表示。きっとどなたかが先に購入したのでしょう。がっくりきました。

3.次回の帰省時に合わせての入れ替えを目指して、ネット上の個人商店に電話で「福島に配送して設置してもらえるか」を問い合わせてみましたが、「在庫なし」や「在庫はあるがリサイクル品の引き取りはしていない」との答えで、目論見は頓挫しました。

 そこへ先日の地震です。おかげで普段ならとっくに寝ている時間に起きていたのでよかったのですが、同時に虫の知らせというか、この買い替えはできるうちにやっておいた方がいいなと思いました。すぐに他の国産メーカーで同等のスペックの商品を見つけて再びトライ。購入に失敗した商品より少し高めでしたが、年間電力消費量が少なかったので「この方がいい」と購入交渉に入りました。まず、メールを送って購入意思を示すと「在庫アリ」の確認メールがあり、設置場所、設置日、リサイクル商品の有無、を記入して送信して待つこと数時間。「承りました」のメールが来た時のうれしかったこと、注意事項(前日に配達時間の確認電話あり、当日配達人に手渡しするリサイクル費用・収集運搬料について、設置場所と搬入経路について等)を読みながらドッと疲れが出ました。余震等で帰省できない場合に備え兄に当日の手順を知らせて、とりあえず今できることは全部やった感じです。

 以前、通販でエアコンを購入した時あれほど簡単だったのは、自宅への取り付けだったこと、エアコンの無い部屋への取り付けだけでリサイクル品がなかったこと、そして何より東京という地の利が決定的だったように思います。地方でも自分が住んでいるならもう少し楽だったのかもしれませんが、やはりそうでもないなという気がします。一口に通販と言ってもただ商品を受け取るだけなら、地方でも1~2日遅れになるというだけのことですが、取り付けのある家電になると状況は違ってきます。販売者が提携する地方の業者の都合があり、事実今回、設置日を決めるにあたって、「お客様の地域の設置日は月、木、土限定となります」との制約がありました。地方では微妙に様々な制約があるのです。こんなふうなので、たぶん私が地方に住んでいたら、家電の量販店に行ってその場で購入、設置日を決めてくることになったでしょう。その方がはるかに楽ですから。さて、あとは帰省して、今使っている冷蔵庫のお掃除、中身の取り出し、搬入経路の確保を搬入日前日までにするだけです。帰省中に入れ替えの手配というのは、今になってみると、結構針の穴を通すようなむずかしさでした。それに比べたら、前日までの準備なんて軽い、軽い。


2021年10月4日月曜日

「FIREという選択」

  最近若い人に選択される生き方として、ファイアFIREということばを時々聞きます。「Financial Independence, Retire Early」の頭字語をつなげたアクロニムで、「経済的自立と早期リタイア」という意味のようです。有名なのは、給料の8割を手堅い老舗のアメリカ株に注ぎ込んで金融資産を増やし、30歳でセミリタイアした青年です。これなどは株の運用においても決して無謀な感じはしませんが、毎月同世代の中では高額の給料をもらえる会社に就職した点は見逃せず、非正規雇用の場合などではまず無理だと言えるでしょう。

 昔はデイ・トレーダーが十年で燃え尽きて30代でリタイアとか、その後は、大学在学中に起業し上場して売却後リタイアとか、若くしてリタイアする話はいつもありましたが、一部の人の特殊な事情と見られてきました。現在FIREが広範に若者の関心を引いているのは、①定年まで一つの職場で働くという発想そのものがない、②生活のために労働に縛られ続けたくない、③年金を当てにできないので、自分の老後に備えたい、という強い動機から、金融資本主義の申し子たちによって、止むに止まれず考え出された手法であり、あっぱれと言うべきものでしょう。ネットスーパーで買い物をするのと同じ感覚で株を買える者でなければ、こんなこまめな投資はなかなかできないことです。前述の方の場合、入社初日から違和感を禁じ得なかったとのことですが、どんな職場でも人間関係の難しさや理不尽なルールはあるでしょう。また、根本的な企業の体質および社内体制や上司の在り方等への懐疑や不満が解消できない場合、FIREへの願望がいっそう強くなるのは否めません。未来に対して「きっとなんとかなるだろう」という楽観的観測を持ちえない社会が眼前にある以上、もはや「強いられた労働はしたくない」という彼らの意志を止めることはできません。

 かつては、テレビが来て家中に笑いがあふれたとか、車という自由な空間を手に入れて高速道路をぶっ飛ばしたとか、一世一代の買い物であるマイ・ホームに引っ越して至福の休日を過ごしたという時代がありました。今の若者に買いたいものなどあるのでしょうか。一口にFIREと言っても、短期間で支出を減らし資産を増やす方法は様々な形態があるようですが、人によってはFIRE達成のため生活費は年に百万円、残りの給料は全て投資と貯蓄に回すという実情を知ると、この人がお金で買いたいのはきっとお金そのものなのだと思えてきます。かつての若者は家電や車や家を見ながらにんまりしていたものでしたが、きっと今は預金通帳や株価の収支を見てこの上ない喜びを感じるのでしょう。こうなると居住空間を含め身の回りの物は全て賃貸やレンタルで構わないはずですし、むしろ所有物は面倒で不便だと感じるかもしれません。

 リタイアした後、彼らは何をするのでしょうか。縛られた労働を避けて何をしたいのか、そこが一番の関心事です。株というのは持っている限りにおいて利益を生み出す元手ですから、手放すわけにはいきません。何かする時の資金はおそらくクラウド・ファンディングで調達するので問題ないのでしょう。若い時を山や海外を歩くことに費やした私などには想像もつかない時代になってきました。あの時間を、老後を見据えて計画して実行する時間に充てなければならなかったとしたら・・・と考えようとして、考えることすら無理だと気づきました。「新人類」という言葉を初めて聞いた時、「旨いこと言うもんだな」と思ったものでしたが、さてさてそうすると今の世代はさしずめ5G(第5世代)くらいでしょうか。自分はアリだと思っていましたが、今の見地からするととんでもないキリギリスだったとは! いえ、決して自分の来し方をおちょくっているのではありません。そこまで時代が切羽詰まってしまったことに愕然としているのです。なにはともあれ、若い人には思いのままに頑張ってほしいです。「若い時の苦労は買ってもせよ」という金言だけは、今も昔も変わらないでしょう?