2020年11月24日火曜日

「ホメオスタシスにおける霊的欠落」

  2018年に上智大学で行われた若者と教会に関するシンポジウム(神学部夏期神学講習会講演集)を聞く機会がありました。その中で私が最も興味を引かれたのは精神科医による講演で、「人間学としての精神医学」というものでした。この講演はヤスパース、フランクル、ニーチェほか多くの精神界における著名な人物の言葉を引きながら、人間を心身二元論ではなく「霊・魂・体」の三層構造として把握し、病の発症のメカニズムを解き明かすものでした。心身二元論では「霊」と「魂」は一緒くたにされますが、この説では「霊」は神とかかわる場であるのに対し、「魂」は意識や人格の領域と考えることにより、人の病や精神疾患の発症は神との関わりが崩れた状態として捉えられることが順を追って示されました。

 その中で、第二次世界大戦中の話として、死ぬほどの怪我や病を受けたわけではない患者が数日後に激しいショックで死に至るケースを或るフランスの外科医が分析した結果、「生体が病を作り出している」という驚くべき見解に至った経緯が紹介されていました。外的・内的変化に対して自分の生理状態を一定範囲に保持しようとするホメオスタシスの働きにより、人間は神経、内分泌系の全身反応を起こしますが、患者の命を奪うのはこの過剰反応に違いないというのです。これを聞いて、私はしばし身じろぎもせずに考え込んでしまい、やがてこのことが深く腑に落ちました。自分の身を過剰に守ろうとすることが逆に病を生み出す・・・。これまでに自分自身に起きた様々な体験も含めて多くの実例が頭に浮かび、「そうだったのか」と深いため息が出ました。

 自身を恒常的に保つためのホメオスタシスがなくては生物として生きられないので、これ自体に問題があるわけではありません。思うに、環境に対して自立性を保持できないほどの状況において、それを自分の力で何とかしようとするところに非常な無理がかかり、病が生じるのでしょう。「霊」が関わってくるのはこの部分です。なぜなら、外的・内的外傷を負った時、通常真っ先に脱落するのがこの領域だからです。一個の生命体が自らを最高位に置いて、あくまで自立性にこだわるのでは乗り越えられない事態となります。人間を「心身」という総括的生命体として理解するだけで超越者の視点を持たなければ、生命に必須の恒常性を保てず、自ら病を生み出してしまうのです。

  一つの様態として「実存的不安」という言葉で表される状態に陥った時、この状態のまま神抜きで低いレベルに安定させようとすれば、心身に様々な症状が出てきます。その一つは生体の内部環境を維持するための脳内ドーパミンの過剰生成で、これが精神疾患の主たる症例の一つ統合失調に深く関係していることはよく知られています。過去・現在・未来にわたって不条理を回避し、自分にとって適正と思われる世界を構築してそこに安住することは一見合理的な解決ですが、その代償として人格が徐々に崩壊していかざるを得ないのは、人間を人間として成り立たせている三層構造の一角「霊」の領域を欠落させているからです。意識するしないに拠らず、それほど神との霊的な関わりは人間にとって不可欠なものなのだということがよく分かりました。

 健やかに生きるためには、神様の呼びかけに耳を傾け応答する、またこちらから呼びかけどんなことでも気負わずに話すということが大事なことでしょう。これはつまり「祈り」そのものに他なりません。決して難しいことではなく、「神様あのね...」と話しかける絶対的な存在者を知っているかどうかなのです。