来月の帰省に暗雲が垂れ込めてきました。都知事の「首都封鎖の」可能性への言及以来、帰郷できるかどうか、できたとしても戻って来られないことになりはしないか、不安です。そもそも東京という都市の封鎖が諸外国同様にできるのか、法的措置はどうなるのか、具体的に封鎖とはどのようになされるのか等、疑問満載です。しかし、東日本大震災の時、新幹線が運休せざるを得なかった6週間ほどは帰省できなかった現実を思い出すと、新幹線にせよ、高速バスにせよ、交通を遮断されたらおしまいだということはひしひしとわかるのです。
というわけで、こたつの定位置で熱心に毛づくろいをしているりくに
「姉ちゃん、来月来られるかどうかわからないよ」
と話していると、兄が
「それじゃ、りーくんノイローゼだな」
と、こちらもりくに話しかけています。兄によれば、二階に上ってきたり、風呂をのぞきに来たりするりくの行動は、私がいなくなって三週間目くらいに始まり、それは不安からくるのだろうとのことです。私がいて、好き勝手できていた時のことを思い出すのかもしれません。なにしろ一日最低三回、5~6キロの散歩したり、好きなだけ庭で日光浴をしたりして、優雅に過ごしているのです。散歩の要望に応えるため、私もそれなりに体力を使いますが、これは体にはよいのかもしれません。外出禁止令の出ているヨーロッパのどこぞの国で、犬の散歩の外出は認められているので、近所で犬がひっぱりだこという話を聞きました。人間はいいけど、犬は散歩過剰で疲れきっているという笑えない話です。りくの場合は、よその人との散歩はそわそわしちゃって、きっとすぐ家に帰りたがるだろうから無理だろうな。
2020年3月27日金曜日
2020年3月20日金曜日
「疫病の時代」
今のところ毎月の往復生活を続けていますが、そのことをよく知る或る方からのお便りに、「この騒ぎで福島にお帰りなのではないか、とも思っております」との言葉がありました。福島の状況をフォローしていなかったので帰省して兄に聞いてみると、「現在、県内の感染者は2名、一人はクルーズ船、一人はエジプト旅行」との簡潔な答えが返ってきました。この限りではウィルスは外から到来したものであり、しかも地域はいわきと郡山とのことで、福島市の感染は一応まだありません。毎日のりくの散歩も心なしか空気がうまい。最初の感染者になってはいけないというプレッシャーはありましょうが、東京よりフクシマが安全ということもあるという日が来るとは思ってもみませんでした。
財務大臣が「呪われたオリンピック」と発言して物議を醸していますが、湿原が多い人ながら、これに関しては、皆が口にしてはいけないと自制していたことを「とうとう行っちゃったか」という感じです。そこまで言うなら、TOKYOについては別に40年ごとの呪いではなく、はっきり「原発事故の呪い」と言うべきです。
今回、人が集まることで成り立っている活動や商売がいかに多いかをあらためて知らされましたが、新型コロナウィルスに限らず、悪疫というものは或る意味、文明世界に対する否定を人間に突きつけるものです。人間の社会は集住すること、共同して働くこと、人・物・金が動くことによって発展し、大きな力を得てきましたが、悪疫はこれを真っ向から否定し、人間の営みを嘲笑うかのように猛威を振るいます。ペストの歴史を紐解けば、比較的大きな町が疫病の流行に伴い町ごとそっくり滅亡し、人里離れた小さな村落が手つかずで生き残った例はたくさんあります。
欧米のメディアは、ウィルスとの闘いを「見えない敵との戦争」になぞらえていることを伝えていますが、これには違和感を禁じ得ず、何かを敵に見立てないと非常事態という意識が高まらないのか、そこまで戦争を内面化してしまった人たちなのかと、そのことの方に問題を感じます。「戦争」という言葉で日本のこととして思い出すのは、だいぶ前ですが、或る雑誌に「希望は戦争」という投稿をした青年のことです。しがないフリーターとしての自分が社会的上昇を遂げられるとしたら、戦争しかない、少なくともそこでは社会の秩序がひっくり返る可能性がある・・・という内容だったと記憶していますが、これは別の意味で、能天気な困った事態です。私も含め、日本人のほとんどは戦争の過酷さ、悲惨さを知りません。想像もできないといってもよいでしょう。だから気軽に「戦争」という言葉を持ち出す人は、試しに新型ウィルスの流行を小さな戦争とみなしてみればよいのです。確かに、感染が万人を襲うという意味では平等かもしれませんが、概観すれば、にっちもさっちもいかず窮状に陥れられるのは社会の上・中層にいる人ではありません。一番困窮するのはやっと手にしていたものさえ取り上げられてしまい、あとはもう何も無いというもたざるものであることは明らかです。
今回のようなことが起こることに意味があるとしたら、人間の文明を振り返り、考え直すためなのでしょう。これは一種の警告として受け止めるべきなのでしょう。これを軽視してやり過ごした場合、次があるかどうかわからない時代に、私たちは差し掛かっているように思います。
財務大臣が「呪われたオリンピック」と発言して物議を醸していますが、湿原が多い人ながら、これに関しては、皆が口にしてはいけないと自制していたことを「とうとう行っちゃったか」という感じです。そこまで言うなら、TOKYOについては別に40年ごとの呪いではなく、はっきり「原発事故の呪い」と言うべきです。
今回、人が集まることで成り立っている活動や商売がいかに多いかをあらためて知らされましたが、新型コロナウィルスに限らず、悪疫というものは或る意味、文明世界に対する否定を人間に突きつけるものです。人間の社会は集住すること、共同して働くこと、人・物・金が動くことによって発展し、大きな力を得てきましたが、悪疫はこれを真っ向から否定し、人間の営みを嘲笑うかのように猛威を振るいます。ペストの歴史を紐解けば、比較的大きな町が疫病の流行に伴い町ごとそっくり滅亡し、人里離れた小さな村落が手つかずで生き残った例はたくさんあります。
欧米のメディアは、ウィルスとの闘いを「見えない敵との戦争」になぞらえていることを伝えていますが、これには違和感を禁じ得ず、何かを敵に見立てないと非常事態という意識が高まらないのか、そこまで戦争を内面化してしまった人たちなのかと、そのことの方に問題を感じます。「戦争」という言葉で日本のこととして思い出すのは、だいぶ前ですが、或る雑誌に「希望は戦争」という投稿をした青年のことです。しがないフリーターとしての自分が社会的上昇を遂げられるとしたら、戦争しかない、少なくともそこでは社会の秩序がひっくり返る可能性がある・・・という内容だったと記憶していますが、これは別の意味で、能天気な困った事態です。私も含め、日本人のほとんどは戦争の過酷さ、悲惨さを知りません。想像もできないといってもよいでしょう。だから気軽に「戦争」という言葉を持ち出す人は、試しに新型ウィルスの流行を小さな戦争とみなしてみればよいのです。確かに、感染が万人を襲うという意味では平等かもしれませんが、概観すれば、にっちもさっちもいかず窮状に陥れられるのは社会の上・中層にいる人ではありません。一番困窮するのはやっと手にしていたものさえ取り上げられてしまい、あとはもう何も無いというもたざるものであることは明らかです。
今回のようなことが起こることに意味があるとしたら、人間の文明を振り返り、考え直すためなのでしょう。これは一種の警告として受け止めるべきなのでしょう。これを軽視してやり過ごした場合、次があるかどうかわからない時代に、私たちは差し掛かっているように思います。
2020年3月18日水曜日
「紅春 153」
「春だ~」という陽気になりました。福島は梅の花が満開です。冬の間、りくは傍目にもちょっと心配なほど年老いた感じでしたが、兄の話では、最近になって夜中に階段を上がって部屋に来たり、入浴中のぞきに来たり、行動が活発になってきたというのです。
帰省して様子をうかがっていると、確かに寝ているばかりではなくなっています。朝一の2キロの散歩はいつも通りですが、3時間後にまた散歩の催促、しかたなく短く1キロ行ったさらに2時間半後、農家の直売所での買い物から帰ったばかりで疲れているのに、しつこくまとわりつかれて根負け、再びセブンまで往復2キロ歩いた後、しばらく外で日光浴・・・。ごはんはモリモリ食べ、お水をゴクゴク飲んで、家ではゆったりお昼寝。まさにりーくん我が世の春です。人間でも犬でもやはり寒さというのは行動を妨げる大きな要因なのですね。
2020年3月12日木曜日
「騒動の終わり」
新型コロナウィルス感染はWHOからパンデミック宣言がなされ、日本でもまだ二日続けて50人以上の感染者が出ている状況ですが、個人的には昨日、この騒動に振り回されるのはもう終わりにしようと気持ちが吹っ切れました。まだワクチンがない以上、感染したとしても重症化しない限り家で寝ているのが一番と思ったら、もう底が抜けたようなあっけらかんとした気分になったのです。あとできることといったら、①不要不急の下位出はせず、出かける場合はマスク・サングラス・手袋等で完全防備すること、②病院に行かなければならないような怪我や病気にならぬよう、注意して過ごすこと、③免疫力を上げるための体調管理(食事・運動・睡眠)を徹底すること、くらいしか思いつきません。でも「これって全部、普段やってることじゃないか」と気づきました。この騒動の前からやっていたことを、少しだけきっちりやればいいだけなのです。
暖かくなって朝のウォーキングも雨でなければ欠かさずできるようになり、また、家にいる時間も弱冠長くなったので、フローリングのアルコール消毒や健康常備菜作りにも力が入ります。ふと気づけば今まで以上に体調が良いのです。何を食べてもおいしいし、よく眠れて朝起きるのが楽しいのです。油断は禁物ですが、気持ちを明るく保たないとウィルスだって撃退できません。個人的には心の中で終息宣言を出しますが、早く世界中で新型コロナの感染拡大が止まるよう願っています。
暖かくなって朝のウォーキングも雨でなければ欠かさずできるようになり、また、家にいる時間も弱冠長くなったので、フローリングのアルコール消毒や健康常備菜作りにも力が入ります。ふと気づけば今まで以上に体調が良いのです。何を食べてもおいしいし、よく眠れて朝起きるのが楽しいのです。油断は禁物ですが、気持ちを明るく保たないとウィルスだって撃退できません。個人的には心の中で終息宣言を出しますが、早く世界中で新型コロナの感染拡大が止まるよう願っています。
2020年3月7日土曜日
「新型ウィルス感染の七不思議」
1.マスクの不思議
「マスクには感染予防効果はない」ということが専門家から何度もアナウンスされているにもかかわらず、マスク不足は深刻になる一方である。これは多くの人がマスクに何らかの有効な意味を認めているか、自分は感染しているとみなし他の人にうつすまいとしているか、どちらかもしくはその両方ということになるだろう。この状況では、国は国家の威信をかけてマスクの増産(個人が自分のマスクを手作りすることを含む)を国民に促すのが唯一の解決策であるのに、そういう気運が醸成されないのが不思議である。政府も国民も自給自足の精神を忘れて久しいからであろう。医療機関でさえマスク不足が喫緊の問題となるところまで追いつめられているのに、政府は買い取ったマスクを北海道の一般人に配布するというとんちんかんなことをしているのである。これを不思議と言わずして何と言おう。
2.小中高全国一斉休校の不思議
これに関しては安倍首相のほぼ独断による決定であるということが明らかになっている。これは木曜の夕方に発表され、月曜から実施という驚くべき性急な要請であった。この決定にあたって、一斉休校によって「女性が輝く社会」の担い手たちが家庭で子どもたちの世話をするため、病院から、幼稚園・保育園から、或いは老人介護の現場から一時的に退場しなければならないリアルな現実は脳裏に去来しなかったのであろうか。しなかったとするなら、それはあきれるほどの想像力不足と言わざるを得ない。今どき、全世帯が一家四人の核家族で、母親が手作りおやつを作りながら子どもの帰りを待っているようなイメージを抱いて、家庭へのしわ寄せを過少に見積もってしまったのではないかとの疑念を払しょくできない。でなければ保育園が一斉休校から除外されている理由がわからない。親が働いていることが明確なので休園にできなかったと考えられ、経済活動は止めてはならないとの強い意思が見て取れる。感染リスクは家庭内が一番多いという報告もある中、これほど国民への負担の大きい政策の実施を行うにあたって、国の英知を結集してあらゆるシミュレーションをおこなった上での結論を出すべきだとの認識が、一国の首相になかったのが不思議である。
3.世代間対応の不思議
厚生労働省の感染症対策専門家会議からのアナウンスの中で、10代、20代、30代の方々に向けて、「若者世代は重症化リスクが低いが、症状が軽いため重症化するリスクの高い人に感染を広めてしまう可能性がある」として、若者世代が人の集まる風通しが悪い場所を避けるだけで、多くの人々の重症化を食い止め、命を救えると呼びかけている。これに対しては、年代別の感染者数の資料を持たないが、かなり奇妙なロジックであると思う。この議論には「若者は活動的で、人の集まる風通しの悪い場所にいることが多い」という前提がなければならないが、それは本当であろうか。大阪のライブハウスではクラスター感染が起きたとされているが、現にここの感染者は年代を問わないようである。そもそも年齢ピラミッドからして若い人はとても少なく、公共交通機関に乗っていて思うのは、時間もお金もある行動的な高齢者の圧倒的な人数であるというのが偽らざる実感である。とすれば、上記のような「お願い」はまさしく身を守るため、重症化リスクのある高齢者に向けられるべきである。少なくとも年代を明示する必要はなく、一般的アナウンスでよいというのが、まずは妥当なところであろう。ここまで年代特定されたのでは、何だか若者が気の毒になると同時に、この専門家会議の年齢構成が気になってしまうのである。
4.PCR検査数が増えない不思議
これは確かに謎である。というのは、普通に考えれば、検査によって日本より多い感染者を記録している中国、韓国、イタリアの医療体制より日本の医療体制の方が劣っているという至極まっとうな結論になるはずなのに、そう考えられていないからである。巷では政府が簡単には検査を受けられないようにしていると思われており、中にはその理由を次のように述べる人さえいる。「インフルエンザによる肺炎でも年に1万人くらい死亡しているのだから、、新型ウィルスによって同程度の死者が出てもおかしくはない。ただ、そういう事態が明るみに出ると、日本が特別に危険な国とみなされることは確実なので、検査を阻んでいるのである」と。個人的には、他国に比べて医療体制が遅れていることの方が恐いので、こちらの可能性からも目を背けるべきではないと思うのだが・・・。
5.経済予測の不思議
これについては、景気予測の大幅下落についてあたかも予想外の事でもあるかのように騒ぐのが不思議である。インバウンドの大号令をかけて日本を「観光立国」化したのは政府である。観光というのは人任せの頼りない産業である。ヨーロッパには観光業が主産業という国が結構あるが、私は若いころ観光に大きく依存した国を訪れるたび、他国のことながら一抹の不安を感じていた。それが自国の事となってしまったのである。また、世界のグローバル化によって様々な産業分野でも問題が浮き彫りになっているが、これを踏まえてあらゆる角度から自国の産業を見直すべきではないだろうか。私が最も恐れるのは、トイレットペーパーより食料がなくなることなのである。
6.水際対策の不思議
最初の入国制限は、2月1日から①過去14日以内に湖北省滞在歴がある外国人、②湖北省発行の中国旅券所持者に対して行われ、2月13日からは浙江省からの入国者にも適用された。そして、3月9日から中国・韓国からの入国者に対してビザ無効、全面的な入国制限となる。遅すぎる。この決定がその3時間前に発表された習近平国賓の来日延期の決定と無関係と考える人はいない。国民の健康とこの程度の外交行事の延期とを天秤にかけて迷う一国の首相がいるというのが、信じられないほどの不思議である。絶句するほかない。
7.東京オリンピックの不思議
これについては前々回に詳述したので繰り返さない。この事業計画の発端とその経過をたどれば、何事もなく実施できると考える方が不思議である。
余談であるが、今回の騒動で卓越した政治力を発揮している台湾の蔡英文のブレインと言われる天才閣僚オードリー・タンが話題になった。WHOにさえ加盟できないという困難な国際社会で生きる台湾の知性を見せつけられる思いである。日本でこれに匹敵する人材は・・・対局で二十手先を読める藤井七段しかいないのではないか。こう思うのは、日本の教育が数十年かけてマニュアルのない事態に対応できない人材を作り上げるのにいそしんできたのだから当然なのであって、これに関して不思議なことは何もない。
「マスクには感染予防効果はない」ということが専門家から何度もアナウンスされているにもかかわらず、マスク不足は深刻になる一方である。これは多くの人がマスクに何らかの有効な意味を認めているか、自分は感染しているとみなし他の人にうつすまいとしているか、どちらかもしくはその両方ということになるだろう。この状況では、国は国家の威信をかけてマスクの増産(個人が自分のマスクを手作りすることを含む)を国民に促すのが唯一の解決策であるのに、そういう気運が醸成されないのが不思議である。政府も国民も自給自足の精神を忘れて久しいからであろう。医療機関でさえマスク不足が喫緊の問題となるところまで追いつめられているのに、政府は買い取ったマスクを北海道の一般人に配布するというとんちんかんなことをしているのである。これを不思議と言わずして何と言おう。
2.小中高全国一斉休校の不思議
これに関しては安倍首相のほぼ独断による決定であるということが明らかになっている。これは木曜の夕方に発表され、月曜から実施という驚くべき性急な要請であった。この決定にあたって、一斉休校によって「女性が輝く社会」の担い手たちが家庭で子どもたちの世話をするため、病院から、幼稚園・保育園から、或いは老人介護の現場から一時的に退場しなければならないリアルな現実は脳裏に去来しなかったのであろうか。しなかったとするなら、それはあきれるほどの想像力不足と言わざるを得ない。今どき、全世帯が一家四人の核家族で、母親が手作りおやつを作りながら子どもの帰りを待っているようなイメージを抱いて、家庭へのしわ寄せを過少に見積もってしまったのではないかとの疑念を払しょくできない。でなければ保育園が一斉休校から除外されている理由がわからない。親が働いていることが明確なので休園にできなかったと考えられ、経済活動は止めてはならないとの強い意思が見て取れる。感染リスクは家庭内が一番多いという報告もある中、これほど国民への負担の大きい政策の実施を行うにあたって、国の英知を結集してあらゆるシミュレーションをおこなった上での結論を出すべきだとの認識が、一国の首相になかったのが不思議である。
3.世代間対応の不思議
厚生労働省の感染症対策専門家会議からのアナウンスの中で、10代、20代、30代の方々に向けて、「若者世代は重症化リスクが低いが、症状が軽いため重症化するリスクの高い人に感染を広めてしまう可能性がある」として、若者世代が人の集まる風通しが悪い場所を避けるだけで、多くの人々の重症化を食い止め、命を救えると呼びかけている。これに対しては、年代別の感染者数の資料を持たないが、かなり奇妙なロジックであると思う。この議論には「若者は活動的で、人の集まる風通しの悪い場所にいることが多い」という前提がなければならないが、それは本当であろうか。大阪のライブハウスではクラスター感染が起きたとされているが、現にここの感染者は年代を問わないようである。そもそも年齢ピラミッドからして若い人はとても少なく、公共交通機関に乗っていて思うのは、時間もお金もある行動的な高齢者の圧倒的な人数であるというのが偽らざる実感である。とすれば、上記のような「お願い」はまさしく身を守るため、重症化リスクのある高齢者に向けられるべきである。少なくとも年代を明示する必要はなく、一般的アナウンスでよいというのが、まずは妥当なところであろう。ここまで年代特定されたのでは、何だか若者が気の毒になると同時に、この専門家会議の年齢構成が気になってしまうのである。
4.PCR検査数が増えない不思議
これは確かに謎である。というのは、普通に考えれば、検査によって日本より多い感染者を記録している中国、韓国、イタリアの医療体制より日本の医療体制の方が劣っているという至極まっとうな結論になるはずなのに、そう考えられていないからである。巷では政府が簡単には検査を受けられないようにしていると思われており、中にはその理由を次のように述べる人さえいる。「インフルエンザによる肺炎でも年に1万人くらい死亡しているのだから、、新型ウィルスによって同程度の死者が出てもおかしくはない。ただ、そういう事態が明るみに出ると、日本が特別に危険な国とみなされることは確実なので、検査を阻んでいるのである」と。個人的には、他国に比べて医療体制が遅れていることの方が恐いので、こちらの可能性からも目を背けるべきではないと思うのだが・・・。
5.経済予測の不思議
これについては、景気予測の大幅下落についてあたかも予想外の事でもあるかのように騒ぐのが不思議である。インバウンドの大号令をかけて日本を「観光立国」化したのは政府である。観光というのは人任せの頼りない産業である。ヨーロッパには観光業が主産業という国が結構あるが、私は若いころ観光に大きく依存した国を訪れるたび、他国のことながら一抹の不安を感じていた。それが自国の事となってしまったのである。また、世界のグローバル化によって様々な産業分野でも問題が浮き彫りになっているが、これを踏まえてあらゆる角度から自国の産業を見直すべきではないだろうか。私が最も恐れるのは、トイレットペーパーより食料がなくなることなのである。
6.水際対策の不思議
最初の入国制限は、2月1日から①過去14日以内に湖北省滞在歴がある外国人、②湖北省発行の中国旅券所持者に対して行われ、2月13日からは浙江省からの入国者にも適用された。そして、3月9日から中国・韓国からの入国者に対してビザ無効、全面的な入国制限となる。遅すぎる。この決定がその3時間前に発表された習近平国賓の来日延期の決定と無関係と考える人はいない。国民の健康とこの程度の外交行事の延期とを天秤にかけて迷う一国の首相がいるというのが、信じられないほどの不思議である。絶句するほかない。
7.東京オリンピックの不思議
これについては前々回に詳述したので繰り返さない。この事業計画の発端とその経過をたどれば、何事もなく実施できると考える方が不思議である。
余談であるが、今回の騒動で卓越した政治力を発揮している台湾の蔡英文のブレインと言われる天才閣僚オードリー・タンが話題になった。WHOにさえ加盟できないという困難な国際社会で生きる台湾の知性を見せつけられる思いである。日本でこれに匹敵する人材は・・・対局で二十手先を読める藤井七段しかいないのではないか。こう思うのは、日本の教育が数十年かけてマニュアルのない事態に対応できない人材を作り上げるのにいそしんできたのだから当然なのであって、これに関して不思議なことは何もない。
2020年3月2日月曜日
「通院も命がけです」
奥歯の被せ物が取れてしまい、歯医者の予約を取ろうとして、受話器に向かう手がふと止まりました。口腔内の治療なんて今一番リスクのある行為なのではという懸念が頭をよぎったからです。幸い中の詰め物の方は無事だし、もう一方の奥歯も健在。ウィルス感染の可能性よりは虫歯の方がいい・・・と放置したのが二月中旬。そこからドドドッとウィルス感染の社会状況は悪化し、今はとても奥歯の治療どころではなくなりました。
そのうち眼科の通院日が来て、行こうかどうかかなり迷いました。私の場合、定期健診的な意味合いしかなく、行っても治らないことははっきりしているからです。今一番ウィルス感染の危険があるのはやはり病院でしょう。ほとんど予約キャンセルに傾きかけたのですが、ふと前回の来院はいつだったかなと調べてみたらなんと十月。熟慮の末、やはり行くことにしました。キャンセルした場合、次にいつ予約が取れるのか、来院の間が空きすぎた時の対応はどうなるのかなどを勘案すると、小中高の一斉休校要請が出て大騒ぎになっているものの、それは新たに判明した爆発的感染拡大に関する事実ではありません。考えたくないことですが、その日を逃してあとで「あの時行っておけばよかった」というほど状況が悪化しないとも限らない・・・。
かくして、二重マスク(一枚は七年ほど前に購入した粉塵用。間違って買ったもので、父に「要らない?」と聞いて「要らない」と言われたものを保管しておいたもの、何でも取っとくもんですね)、眼鏡の上にサングラス、顎下まで閉められるファスナー&ボタン付きの表面つるつるコート(花粉対策だが、ウィルスにも有効かもという素人考え)という自分なりの完全防備で出かけました。外出に併せ他の用事も済ませようと銀行、大学図書館にも寄り、普段なら学食で昼食をとるのですが、この日は断念。持参したお弁当(一口大に切ってラップし、そのまま食べられるようにしたサンドイッチ)を外のベンチでクスノキの巨木を眺めながらいただきました。まだ頬に当たる風が冷たかったけれど、たまにはいいものです。
その後向かった病院は、最初こそ若干患者が少ないかなと思われましたが、どんどん人が増えていつもと変わらない席取りゲーム的様相を呈しました。日本の人ってやっぱり真面目。ほぼ全員マスク着用、洗面所で異様に丁寧に手洗いしている人も見かけました。いくつかの検査と診察では一度もマスクを外さず受診。室温が高かったので、薄手の内着二枚を鞄にしまって調節し、一番上はずっとつるつるコートのまま通しました。驚いたのは会計の待ち時間が短縮されていたこと。以前は待合所に人があふれ相当待たされましたが、これも新型コロナ対策なのでしょうか。拍手!
それでもぐったり疲れ果て帰りのバスでは少し酔いました。でも玄関開けて家に入った途端、完全回復。やはり気の持ちようは大事と再認識しつつ、すぐ風呂を沸かし、髪を洗い、着衣を全て放り込んだ洗濯機を回しました。湯船につかりながら、できることはやりきったという清々しい気分でした。今年は正月早々持病の発作で寝込んだので「ついてないなあ」と思ったのですが、あれが今出ていたら、まさかと思いつつちょっとドキドキだったかもと、ぼんやり考えました。持病のタイミングといい、「取って置き」のマスクといい、誠に何が幸いするかわかりません。
そのうち眼科の通院日が来て、行こうかどうかかなり迷いました。私の場合、定期健診的な意味合いしかなく、行っても治らないことははっきりしているからです。今一番ウィルス感染の危険があるのはやはり病院でしょう。ほとんど予約キャンセルに傾きかけたのですが、ふと前回の来院はいつだったかなと調べてみたらなんと十月。熟慮の末、やはり行くことにしました。キャンセルした場合、次にいつ予約が取れるのか、来院の間が空きすぎた時の対応はどうなるのかなどを勘案すると、小中高の一斉休校要請が出て大騒ぎになっているものの、それは新たに判明した爆発的感染拡大に関する事実ではありません。考えたくないことですが、その日を逃してあとで「あの時行っておけばよかった」というほど状況が悪化しないとも限らない・・・。
かくして、二重マスク(一枚は七年ほど前に購入した粉塵用。間違って買ったもので、父に「要らない?」と聞いて「要らない」と言われたものを保管しておいたもの、何でも取っとくもんですね)、眼鏡の上にサングラス、顎下まで閉められるファスナー&ボタン付きの表面つるつるコート(花粉対策だが、ウィルスにも有効かもという素人考え)という自分なりの完全防備で出かけました。外出に併せ他の用事も済ませようと銀行、大学図書館にも寄り、普段なら学食で昼食をとるのですが、この日は断念。持参したお弁当(一口大に切ってラップし、そのまま食べられるようにしたサンドイッチ)を外のベンチでクスノキの巨木を眺めながらいただきました。まだ頬に当たる風が冷たかったけれど、たまにはいいものです。
その後向かった病院は、最初こそ若干患者が少ないかなと思われましたが、どんどん人が増えていつもと変わらない席取りゲーム的様相を呈しました。日本の人ってやっぱり真面目。ほぼ全員マスク着用、洗面所で異様に丁寧に手洗いしている人も見かけました。いくつかの検査と診察では一度もマスクを外さず受診。室温が高かったので、薄手の内着二枚を鞄にしまって調節し、一番上はずっとつるつるコートのまま通しました。驚いたのは会計の待ち時間が短縮されていたこと。以前は待合所に人があふれ相当待たされましたが、これも新型コロナ対策なのでしょうか。拍手!
それでもぐったり疲れ果て帰りのバスでは少し酔いました。でも玄関開けて家に入った途端、完全回復。やはり気の持ちようは大事と再認識しつつ、すぐ風呂を沸かし、髪を洗い、着衣を全て放り込んだ洗濯機を回しました。湯船につかりながら、できることはやりきったという清々しい気分でした。今年は正月早々持病の発作で寝込んだので「ついてないなあ」と思ったのですが、あれが今出ていたら、まさかと思いつつちょっとドキドキだったかもと、ぼんやり考えました。持病のタイミングといい、「取って置き」のマスクといい、誠に何が幸いするかわかりません。
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