今年度は改元もあり、皇室と日本人について考えるところがありました。国民の大多数が皇室には好意的ですが、それは特に上皇ご夫妻が長年国の内外で政府にはできない戦後処理をしてきたからだろうと思うのです。それは一言でいえば、鎮魂と慰謝ということになるでしょう。私はそれが全部神道から出たものなのかどうかずっと疑問に思ってきました。戦後、今の上皇の教育係として招かれたエリザベス・ヴァイニングが上皇に与えた影響は計り知れないと思われますし、上皇后はミッションスクールの出身です。皇嗣の娘は二人とも国際基督教大学に通い、天皇は大学院時代に英国留学し、皇后は米国ほかヨーロッパでも学ばれた元外交官(北米局北米二課)というのですから、普通に考えてもこれ以上に西洋文明に近い環境の一族はなかなかないでしょう。そうであれば、彼らの思考の中にキリスト教的思想が入り込んでいるのは避けがたいのではないかと思います。もちろんキリスト教的考え方の一部に共感するということとキリスト者であるということは全く別物ですが、皇室の考え方全体を神道で括ることができないことも確かでしょう。
私が編集に携わっている会報にほぼ毎号「私の好きな讃美歌」というコラムが載ります。先日書かれていた方は、子供時代の懐かしい思い出と共に今では誰でも知っているクリスマス・キャロルの1つを挙げていました。お祖母様に茶道のお作法を習ったり、ピアノの伴奏で歌ったりと、睦ましいやり取りの話を何気なく読んでいたのですが、その中に「お祖母様が『貞明皇后とご一緒に、よく聖書を読んだり讃美歌を歌ったりして楽しかった』という話をしてくれた」と書かれていて、思わず「え~っ」とのけぞりました。これはもう下々の家柄ではない。あらためて執筆者のお名前を見ると、確かに明治の元勲の一人と同じ姓。私が驚いたのは、皇室とキリスト教の関わりは戦後のことだと思っていたのに、もう大正時代にはそんなことがあったという事実と、語られる内容が何やらとても自然に聞こえるという不思議な感覚に打たれたからです。だからどうということはないのかもしれませんが、これはすごい歴史の証言ではないでしょうか。