2019年7月23日火曜日

「記憶の再構築」

 帰省して、いつもの道を通って兄の車で家に帰る時のこと、
「さっきの左手の三角形の土地に、昔、ラーメン屋があったよね」
「あった。でも、ラーメン屋じゃなくて小さな食堂じゃなかった?」
「そうだな。焼きそばはあったような…」
「うん、おにぎりとか」
「木の板の壁で囲まれた、小さな店だった」
「いくら当時でも、子供心に「大丈夫かな」と思うくらいボロい店だったね」
「三、四人が座れるだけのカウンター席で…」
「うん、狭くてテーブル席はなかったよね」

 なぜこの店が話題になったかというと、その理由はこの店の立地にあります。喘息だった兄が通っていた小児科医院がこのすぐ近くにあったのです。大きな病院ではないので、施設内にはたぶん売店はあったものの食堂はなかったし、まだコンビニは日本に上陸していなかったので、何か食べられるものというとその食堂に行くしかなかったのです。私が覚えているのは二回ほどで、一度は学校が終わってから直接その医院へ行った時です。その日は兄の喘息がひどくて、診察後すぐ入院となったのですが、私に知らせるすべがない母は学校に連絡し、私は先生から家ではなく病院に行くよう言われました。おそらく母は、帰宅しても誰もいない理由が私には分からず、また、家に一人で置くのは心配だと思ったのでしょう。ちびまる子ちゃんくらいの歳で、医院は家と逆方向に1.5キロはありましたが、てくてく歩いて行ったのを覚えています。その日は兄を病院に入院させて、私と母は家に帰ったような気がします。

 しかし、母が付き添いで医院に泊った日もあると思い当たりました。なぜかというと、これは鮮明に覚えているのですが、運動会の日とぶつかったからです。当時の運動会は、今と違って家族の大きなイベントではありませんでしたし、運動会は自分が出るだけでよいのですから、別に一人で大丈夫なのですが、お弁当は必要です。医院に泊まり込んだ母はお弁当が作れないので、一計を案じて、例の食堂にお願いして、おにぎりとちょっとした総菜を作ってもらったのです。母がそれを持って運動会を見に来て、お昼を一緒に食べた記憶があります。今まで忘れていましたが、そういうことがあったのを今思い出しました。

「あの食堂、『おかめ食堂』っていう名前じゃなかった?」
「名前は全然覚えてない」
  残念です。私もその名に自信はありませんが、「なんかへんな名前」と思ったことだけは覚えています。こんなことはどうでもいいことなのですが、一連のことを思い出している間中、なんだか非常に活発に脳が動いており、とても楽しい時間でした。