2018年12月27日木曜日

「消費文化の片隅で」

 現在の消費社会において、文明国の人間が不通に必要と感じる製品は、私はほぼすべて持っています。冷蔵庫、洗濯機、エアコン、電子レンジ、パソコン、掃除機、炊飯器、といった必需品ばかりでなく、電気ケトル、サイフォン、パン焼き機、TVの音も入るラジオ等の贅沢品も所有しており、毎日快適に生活しています。以前は必要だった自家用車は今では公共交通に任せているため様々な心労や雑用はなくなりました。着るものには昔から関心がなく、食べ物もごく質素なものをおいしくいただける性分なので、こちらも何不自由ない生活です。「おいしいものは糖と脂肪でできている」という名キャッチコピーがありましたが、これも昨今の異常な健康志向の前には、特別な時以外影をひそめています。

 しかし、消費社会とは侮れないもので、他人の欲望によって自分の欲望が点火されることもあります。というより恐らくそれがほぼ社会の実態で、本当は欲しくもない者、要らないものまで必要だと思わせるのが資本主義というものなのでしょう。さて、私が今年後半に一番買ってよかったと思ったものは、ヨーグルトメーカーです。後半にというのは、前半のことはもう覚えていないからで、何か買っているとは思いますが、たぶん失敗に分類される買い物なので覚えていないのでしょう。大勢に影響のない嫌なことは忘れられるというのも、幸せに生きるために大事な能力です。今までもヨーグルトは好きで食べていましたが、コマーシャルで霊長類最強と言われる女性が宣伝している「強い」ヨーグルトが注意を引いたのです。確かにおいしいし、免疫的に強くなりそうな気がする・・・・? まんまと罠にはまって食べ始めたのです。しかし高い。小さなカップが百円以上もする。ヨーグルトメーカーを探したら、温度設定やタイマーがついているものはそこそこの値段するが、何もない(即ちコードをコンセントに差すだけの)ものはお値打ち品価格で出ていました。納豆や味噌や塩麹や甘酒を作る人は温度調節機能やタイマーが必要でしょうが、私は絶対作らない。納豆も味噌も塩麹も市販の物を買うし、甘酒は嫌いだし。夜寝る時に環境を整えてやれば、乳酸菌という小人さんが夜通しせっせと働いて牛乳をヨーグルトに変えてくれる・・・。できたかどうか様子を見る時間が1時間ほどずれても気にしない大らかな小人さんたちなので、」タイマーもいらない。コンセントへの抜き差しだけなら面倒がなくて尚よい。

 というわけで、今年購入した贅沢品はヨーグルトメーカーです。これが非常に良いのです。1リットルの牛乳のカートンに1カップのヨーグルトを入れて夜セットしておくと、翌朝には1リットルのヨーグルトになっています。40℃がヨーグルトの好む発酵温度だそうで、これには外気温がやや関わるので、夏な8時間、寒い季節は9~10時間で完成です。酷寒の地に住む方がヨーグルトが固まらなかったというレビューを載せていたので、冷え込みがひどい時はこたつの中に入れて一晩おくといった工夫をしています。いまのところ失敗は一度もなく、毎日おいしいヨーグルトを惜しみなく食べています。たぶん4回以上作ったので元は取れているはずです。興味のある方にはお勧めしたいです。欲望の連鎖にはまってみるのも時にはいよいではないですか。


2018年12月25日火曜日

「紅春 131」


 兄が用事のため朝早く出かけ帰りも夜遅くなった日、そろそろ就寝の準備をしようとしていた私の脇で、りくはうとうとしていました。幸いその後すぐ兄が帰宅して、いつもとは3時間遅れくらいでその日の散歩をして一日が終わりました。りくは寒くなってからは二階の兄の隣の部屋で眠ることはなく、茶の間のこたつで寝るようになっています。ところが翌日、兄に聞いたところでは昨晩はりくが二階に来て、まさしく布団の隣でねていたとのこと、しばらくして「下でちゃんと寝ないとだめだよ」と言われて降りて行ったとのことでした。ちょっとでも毎日の生活に変化があると、心配性のりくの心にも影響を与えるようです。時々不在の私と同様、兄もいなくなったら困るなと思ったのかもしれません。

 また或る時、私が近くに買い物に出てすぐに戻った時も、私が帰るまでりくは階段の下から吠えたり唸ったりして声を出し続けて、うるさくてかなわなかったと言っていたこともありました。これは言うまでもなく、「姉ちゃんいなくなった。早く捜して」です。こんなに繊細な柴男ではこれから先本当に心配です。


2018年12月19日水曜日

「年賀状についての雑感」

 気づいてみると年賀状を出し始めてからそろそろ半世紀になります。年に一回のことではありますが、これだけ惰性の強い慣習も珍しく、昨今はメールでのご挨拶に変えた方も多いことでしょう。年末のこの忙しい時になにゆえ賀状を書かねばならないのか、勤めていた頃は特に面倒な慣習と思っていました。料金は今年ついに一昔前の封書と同じ値段になり、郵便局も販売促進のコマーシャルを諦めたようです。新年のご挨拶は自分に合った方法で行えばいいのですが、私は今でもメールに比べて投函までの手間暇が格段に大変な昔ながらの紙のハガキです。

 これだけ続くにはそれなりの理由があるはずで、恐らくこういう時代遅れの鈍臭いことが私の性に合っているのです。以前、知り合いから新年と同時にメールで年賀状が届いたことがありましたが、それ1年きりでした。それを除けば、毎年ほぼ同じ方々から同じ数だけ、手触りのある年賀状が届きます。私の場合はメールでの繋がりはすぐ途絶えますが、年賀状は書かれている中身のお目出たさとは裏腹に、あたかも厳粛な儀式ででもあるかのように途絶えることがありません。この歳になると明らかに安否確認の指標なのです。これほど返信義務の強い便りも珍しく、喪中の場合はともかく、それ以外で出した年賀状の返事が来ないことはまずありません。そして、もしそういうことが起こった場合は重大な事態が生じている可能性があることを知るまでに、私も長い年月を費やさなければなりませんでした。

 また、初めてご高齢の方から「年賀状は今年限りと致します」という賀状を受け取った時は、それなりにショックで悲しかったことを覚えていますが、ご本人が決めたことなら致し方ないと、今では理解しています。年を重ねるにつれて私自身の年賀状との付き合い方も変わっていくことでしょう。今のところいつもいよいよ〆切が迫って、大慌てで間に合わせの年賀状を用意するといういい加減ぶりですが、今年もとりあえず無事を知らせる賀状をせっせと出すことにします。


2018年12月14日金曜日

「日本の近現代を知る 」

 今年は9月に東京で通っている教会の「百年史」を頂いて興味深く読んだのを皮切りに、同教会で長く長老を務められた方から自伝を10月に、大学で日本の近現代史を研究している中学時代の同級生から書籍を11月に頂き、なんだか日本の近現代史がにわかにマイブームとなりました。

 頂いた自伝では、激動の時代をキリスト者として生きられた事実が、非常に丹念な記録に基づいて書かれていました。父と同じ昭和2年のお生まれでしたので、それだけでも強い興味が湧きましたが、この年代は本当に戦争によって勉学の時間を奪われ、学問への渇望がとどまるところを知りません。戦争で人を殺したくない一心で少しでも学徒出陣を遅らせるために、全く向いていない理科系の上級学校に進学し、昭和20年5月のB29五百機による横浜大空襲に遭遇し、命からがら死屍累々の中を歩いて東京に帰った経験をお持ちです。絶望的な現実を大好きな様々な語学の学習で紛らわしていた方で、始めは全く分からなかったカントも読んでいるうちわかるようになったというから傑出した才能であることは間違いありません。この方は英語・独語ばかりでなく、他の言語も同様に自分のものにできてしまう語学の天才です。戦後は理科系の学校で身に着けた知識を用いて中等学校で理科を教えて学費を工面しながら、旧制の私立大学文学部倫理学専攻に入学し、やはりと言おうかフルブライトで留学を果たしました。今はご高齢のため礼拝に見えることも少なくなりましたが、教会でもつい最近までヘブライ語やギリシャ語を教えておられた方です。才能を専有してはならないということを身をもって示されていました。

 11月に頂いた本は、人文科学系大学院の教授が編者となり、かつてのゼミ生に依頼して近代日本の思想について15の観点からまとめた研究成果でした。15講は大きく「空間」、「媒体」、「手法」の3つに分けられ、様々な切り口から、きちんとした文献学的分析また実地調査による丹念な事実の掘り起こしがあり、知らないことばかりでしたのでとてもためになりました。とにかく読んで思ったのは「学者って大変だなあ」ということで、事実と事実の間に隙間があれば決して飛び越えることができないのは私にはもどかしくてとても無理だなと思い知りました。読んでいるうちいろいろなことが繋がってきて、「これはこうなって、・・・こうなって・・・それからこうなって・・・そして・・・え~そうなの~」と、例によって想像力が暴走してしまいました。面白いことを思いついてしまうと話さずにはいられない質で、アイディアをサラサラと書いて送ったのですが、よくよく考えると失礼なことをした気がして、怒っていないか心配です。ま、これは中学の時からのことなので、今更仕方ないんですけど。人間そうそう変わるもんじゃありません。

2018年12月8日土曜日

「アブラハムにしか聞こえない声で」

 ずっと不思議に思っていたことの1つに、神に呼び出された時のアブラハムとモーセの対照的な姿があります。アブラハム(最初の名前はアブラム)の方はこうです。(創世記12章1~5節)

時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。

これだけです。「行きなさい」と言われて、「言われたようにいで立った」のです。エジプトで苦しむイスラエルの民を導き出させるために、神が呼びかけた時のモーセの態度はそれとは対照的です。

モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。  (出エジプト記3章11節)

モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。 (出エジプト記3章13節)

モーセは言った、「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」。  (出エジプト記4章1節)

モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。  (出エジプト記4章10節)

モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。 (出エジプト記4章13節)

これほどの違いは、単にアブラハムが家族・親族だけを連れて旅立てばよかったのに対し、モーセは大勢のイスラエルの民を連れ出さなければならなかったから、とのみ言うことはできないと思います。アブラハムは恐らく霊的に研ぎ澄まされた人だったのでしょう。神を求めるシグナルをずっと出し続けていた人なのだと思います。それを捉えた神がまたアブラハム宛てのメッセージを送った。それはおそらくアブラハムにしか聞こえない声だったのですが、彼はそのシグナルを間違いなく捉えて従ったのです。ちょうど制御不能となって宇宙をさまよっていた「はやぶさ」の微小なシグナルをジャクサの職員たちが寝ずの番で待って受信し、軌道に戻したように。

 モーセには弁の立つ兄のアロンが同行者として与えられました。『民数記』6章24~26節にアロンの祝福が出てきますが、私が東京で通っている教会では、この言葉がいつも礼拝の終わりに派遣の言葉と共に発せられます。

「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。
 願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」。

ここで「顔」という言葉が二度出てくることもずっと気になっていたのですが、或る時ふっとその意味がわかりました。これは、神から「ほかならぬあなたへの」祝福であり、恵みであり、平安なのだというメッセージを知らせる手がかり、符牒だったのです。アブラハムはそのしるしをすぐに捉えられたひとでした。モーセはこのメッセージが自分宛てのものかどうか自信が持てず、何度も何度も確かめたのです。それが本当に自分宛てのシグナルであれば、どうしても解読し応答しなければならないことは彼にもわかっていたからです。