2018年2月28日水曜日

「メールのCC機能とは」

 勤めていた時代の最後の頃に職場にIT機器革命の波が来ました。全職員にノートパソコンが配備され、全部が無線ランで結ばれただけでなく、インターネットによって全都の職員ともいつでもアクセスできるようになったのです。この時厳しく指示されたのは、複数の人にメールを送信する時はまず送信する相手以外は、CC(カーボン・コピー)ではなくBCC(ブラインド・カーボン・コピー)に送信先を入れることでした。送り先が全員職場の場合は特に支障はないのですが、外部に送信する場合に他の人のメールアドレスが知られてしまうからです。そういうわけでBCCの機能は理解していましたが、わからなかったのはCCの用法です。結局一度も使うことなく終わりました。

 今年になって集合住宅の管理組合の仕事上、管理会社および理事長とメールをやり取りすることが増えました。両者に送信する時どちらも宛先欄に入力するという通常のやり方しか知らなかったのですが、或る時私には直接関係のないメールが時々着信することに気づきました。見るとCCの欄に私の宛名が入っています。管理会社と理事長のみがやり取りしているメールのCC欄に私の宛名があるという用い方によって、初めてCCの用法が理解できました。即ち、本来二人だけで完結している話を第三者に知っておいてもらうという機能なのです。これにより、両者にとっては話の進行具合をもう一度第三者に説明する手間が省けますし、第三者にとっては本来不在の自分が知るはずのない話を、まるでそこに居合わせたかのように知ることができるということになります。これはパソコンのメール機能なくしては実現し得ない情報共有の仕方です。

 次々送られてくる両者のメールのやり取りを見ながら、自分が実に不思議な立場に立たされていると感じて、私は何か呆然とする思いでした。確かに或る意味、これは悪魔的な視座なのです。"eavesdrop"という言葉があります。立ち聞きとか盗み聞き戸いう意味ですが、これが文書で行われることは、偶然の拾い読みとでも言うのでしょうか。これこそシェークスピアがよく使う手法で、この行為から様々な悲喜劇が生まれるのです。もしその立場を手に入れた者が悪人であれば、『オセロ―』におけるイアーゴーとなることは避けがたく、この立場を悪用して両者のそれぞれに違う情報を流して翻弄すれば、両者の信頼関係はひとたまりもなく崩壊するのは必定です。CC機能とは、BCCの正しい使い方をせずに起こる情報漏洩とはまた違った意味で、大変な災厄をもたらす可能性のある代物だったのです。ビジネス等ではCCに入れる宛先はアシスタントや上司が多いようで、多忙な方々の中にはCCで届いたメールは見ないという人もいるようです。私の場合はとりあえず慣れるまで、CCで送られてくるほどには信頼されていることを有り難く受け止めつつ、この「デズデモーナのハンカチ」ともいうべきCCメールの今後の成り行きを見守っていきたいと思います。
 

2018年2月24日土曜日

「紅春 118」

りくはよく食べ物を隠します。お皿に入ったフードを食べ残す時は周囲にある布などを載せて隠そうとしますが、何もない時でも鼻で床面を掻いて隠す動作をします。みていて痛くないのかなと思うほどで、「もう隠さなくていいから」と辞めさせることもしばしばです。

 ところが先日は飲み水を入れておく深皿を隠そうとしました。最初に気づいたのは兄で、夜、茶の間で、下に敷いておいた紙束でりくが水の深皿を隠そうとしており、水がこぼれそうなほど揺れていたので取り上げたとのことでした。「認知症になったのかと思った」と言っていました。その後、私もりくの水隠し行為を難度か目撃し、「恐水症ではないのか」とその場に凍りついてしまいましたが、「いやそんなはずはない、毎年春の狂犬病の注射は欠かさず受けている」と自分に言い聞かせました。それから、どうもりくにとっては他愛ない遊びだろうということに落ち着きました。確かに昼間は暇を持て余しているのですからそういうこともあるでしょう。しかし家族はこの気まぐれな行動にも振り回され、ああでもない、こうでもないと右往左往しているのです。あんまり驚かせないでくださいよ、りく。

2018年2月21日水曜日

「おしゃべりカフェ」

 話したいことがたまってきたので、友人に連絡して話を聞いてもらいました。こういう時にはとにかく長居できるゆったりしたカフェに限ります。というわけで、或る休みの日の朝、モーニングサービスをしている名古屋発のカフェに行きました。モーニングにしては遅い十時という時間だったせいかすでに店には客が多かったので焦りましたが、なんとか最後のテーブルをゲットするという幸運に恵まれました。

 それからしゃべること、しゃべること、お腹の空き具合と相談しながら食事を注文し、様々な話題について話しました。おかげでたまっていたマグマを適切に排出でき、爆発を食い止められてよかったです。ほぼしゃべりつくしたのは四時間後、大満足で店を出ました。この店の良いところは、決してテーブルを立つことをせかされないことです。お水を足しに来たり、注文を聞きに来たりということはありますが、「そろそろ出て行ってほしい」といった態度は微塵もなく、店員の朗らかで快活な態度は交換が持てます。食事の細かな中身は客の要望を非常によく聞いてくれ、ほぼどんな注文にも答えてくれます。置いてある新聞や雑誌は読み放題、持参したパソコンも使い放題(WiFi完備)、小さい子供も落ち着くのかおとなしく遊んでいて、親も安心して長居できます。

 さすがに4時間というのは長かったのでしょう、隣のテーブルは3交代くらいしていましたが、店を出る時見たらレジの辺りの待ち合い席ででテーブルが空くのを待っている人たちが大勢いました。しかし彼らはすでに皆楽しそうにおしゃべりしています。物事をせかされないということがこれほど大きな価値として認められた時代は無いように思います。普段あまりに気忙しく、そのことに皆うんざりして疲れているのです。この店が流行る理由はそこにあると思います。

2018年2月17日土曜日

「公共心の育成 市民としての成熟について」

 今、最も厄介な事柄は、「みんなの仕事」の責任者を決めることではないかと思います。すなわち、大切な役目ではあるが、なにも自分がやる必要はないと思われる仕事、いやむしろできるだけ敬遠したい仕事のことで、例えばPTAやマンションの管理組合を思い浮かべてもらえば誰もが即座に理解できるのではないでしょうか。

 友人の話によると、小学校のPTAでは進んで役員をやる人がいないので、詳細なルールが決められているそうです。いわく、子供一人につき6年間のうちに一回は必ず○○委員をやる、いわく、××委員は特に大変な仕事なので子供が何人であっても在学中に一回やればよいが、これができるのは子供が三人以上の人に限られる等々です。メンバーにとっては合理的なルールでも、傍から関係者以外の人が見れば奇妙きてれつとしか言いようのないルールというものがこの世にはありますが、これなどもその一つでしょう。私の友人は補欠の5番なので回ってこないと思っていたら、代わってほしいと懇願されあまりに気の毒なので引き受けたら、△△という最も忌み嫌われる役職をくじで引いてしまい地獄だったとのことでした。△△委員は翌年の候補者を立てねばならず、同じ立場の役員が夜集合して、候補者のお宅を一軒一軒お願いに回ったそうですが、聞くも涙語るも涙の物語でした。一番ショックだったのは前年懇願され代わってあげた人からけんもほろろの扱いを受けたことだったと嘆いていました。このように公共のことに関わる仕事の役職決めは、情け無用の嵐が吹き荒れているのです。

 マンションの理事会の多くは輪番制で運営されているようですが、これもまたできれば避けたい仕事です。どうしても無理という人は自分で次の人に話をつける、即ちできない旨を話して引き受けてもらうというやり方で会が維持されているケースが多いことから、理事会自体もこの件にタッチしたくないという意図が如実に見て取れます。しかし、ルールに則って次の方に事情を説明しに行ったとしても、今どき事情を抱えていない人などおりませんし、自分が正当と考える理由を他人がそう認めるとは限りません。皆が事情を述べだしたら理事をやる人はいなくなってしまいます。こういった手続きを踏んだ末に辞退される方はまだいいとして、もっと困るのは、居住しているのに連絡が取れない、次の方への依頼もせず理事会を欠席し続ける等の場合です。せめてできない理由があれば理事会に来て説明するなら考えようもあるでしょうが、梨のつぶてではどうすることもできません。このような身の処し方をする方が心安く居住できているのかどうかはともかくとして、理事会の運営に支障をきたすのは必定でしょうから、どうしたって波風は立つでしょう。難しいのは、どこにでも善意の方々がいて、規則をきちんと履行させるために違反者に何らかの強い働きかけをすることがかえって問題をこじらせてしまうことがあるということです。このようなことで居住者同士でいがみあいやいざこざが起きたのでは、何のために理事会があるのか、本末転倒です。

 こういった現象の理由を考えると、一つには高齢化と世の中の急速な「電通化」で、人々が経済的にも時間的にも心理的にも余裕を失ってきたことが考えられます。一方で自己利益の追求や自らの生活を第一とする生き方があまりに身に沁みついてしまい、公共心が薄れていることも大いに関係しているでしょう。これはご本人が、「損なことはしたくない」という或る種自己防衛的な心理規制によって、そのような行動に駆り立てられているようであることからもわかります。問題はその種のタイプの人が増えすぎてしまうと、まともな社会を維持することはできないという点にあります。経験上、自己利益だけを追求する人が1割程度ならなんとかなりますが、それが2割に近づく辺りがその共同体を維持できるかどうかの分岐点ではないかと思います。人は自分の関わる環境からメリットだけを得て、責任は果たさないという訳にはいきません。しばらくはよくても、不正や不平等による不全感がまともな構成員の心を蝕み、やがてそのような共同体は必ず滅ぶのです。

 さらに、今の日本でもう一つ考えに入れなければならない要素は、人口減少および人口ピラミッドの年齢構成の変化です。どう見てもこれまであった数々の共同体をすべて維持できるとは思われず、それらを担う意思と余力のある人が相当数いない共同体はどんどん消滅していくでしょう。人口減少に伴う事態はこれまで経験のないことであるため、年配の人であればあるほどつい「そんなはずはない、できるはずだ」と焦りが出るようなことも起こり得ます。受け渡す相手に気持ちがうまく伝わるかどうかが決め手です。だからここでは、年配者の忍耐と知恵が求められるのです。社会にとってどうしても必要なものなら、皆が少しずつでも自分のできることを持ち寄り、それぞれができることをして次の世代にバトンをつないでいくしかありません。近代市民社会が存続できるかどうかは、その構成員一人一人が成熟し、後継を担う人材をどれだけ育成していけるかにかかっていると言っても過言ではないでしょう。

2018年2月12日月曜日

「プライベート・トーク」

 先日、音楽プロデューサーK氏の記者会見が物議をを呼びました。不倫釈明会見のはずが、引退会見になってしまい、騒動というか議論に発展しました。音楽に疎い私はK氏にも関心はなく、彼が音楽界で一時代を作った天才という程度の知識はありましたが、金銭問題で裁判になったことも、妻がくも膜下出血で一命を取り留めたが障害が残ったことも知りませんでした。記者会見では相当長い独白をしていましたが、聴いているうち複雑な気持ちになりました。

 議論になったのは、「仕事をやめる必要はない、妻の病状をあそこまで話してよいのか」という点に集中していたようですが、私も全体として詳細すぎると思いました。それが悪いというのではなくて、或る種、病的なこだわりを感じたのです。小説家が私小説を書くならともかく、音楽家であればそこまで話すことは求められない、もっとお座なりに済ませてよかったはずですが、「一定のけじめとして仕事を辞める」のと同様のレベルで、話さずにはいられないというふうでした。それは、すっぱ抜いた写真週刊誌に対しても、以前裁判官の声を聞いたのと同じレベルで、その暴露の所業をとらえていたことに端的に表れています。全般的に大変正直に話されていて、事の経緯や心の動きはよくわかりました。もう一つはっきりわかったのは、K氏が「贖罪」とか「罪」という言葉を使ったことからして、何らかの罪責感に深くとらわれていたということです。仕事に関しては体調不良や介護にまつわる様々な疲れから、ずっと引退を考えてもいたようですし、「やめさせてやれよ」としか言えません。それを贖罪と結び付けて考えるのは本人の感じ方ではあるでしょうが、あの場で理解してもらえるとは到底思えない内容ですし、公の場で話すことでもない気がします。「介護で悩んでいたとは知らなかった」と述べる知人のコメントがありましたが、周囲に親しい友人等で話せる人はいなかったのでしょうか。ご本人の決断は尊重しますが、いきなり全部をマスコミの前で話す前に、「誰かに相談できるとよかったのにな、有名人だとそれは難しいのかな」と、妙に寂しい気持ちになりました。一人で悩まずに教会に来ればいいのに。


2018年2月5日月曜日

「凍結の朝」

 東京で20センチを超える雪が降って大混乱になった時、福島の積雪も若干多い程度でした。私が上京するのは3日後だったのでなんとかおさまるだろうと高を括っていましたが、今年最強の寒波はなかなか去らず、陽が出ないので道路の雪が溶けません。二日目になっても首都高は混乱しているらしく、私が乗る時間のバスは運休が続いていました。明日が帰京の日という晩、雪は降り続いており、夜の散歩から帰ったりくと兄が真っ白な雪ん子になているのを見て、私は恐れをなしました。今この状態では明日はどれほど雪が凍結し、危険なことかと思い、バスではなく新幹線で帰る決心をしました。

 早朝に起きてみると冷え込みがひどく、水道も凍結しかけており、洗面所に置いてあったコップがへばりついて離れない、台所の濡れたタオルが凍って棒状になっている等の異常がみられました。そう言えば、このところ台所の野菜かごに入れていた野菜やバナナがなんとなく凍みており、オリーブ油もほぼ凍っています。南極では食料品が凍るのを避けるために冷蔵庫へ入れるという話が現実味を帯びて感じられました。

 結果から言うと、その日高速バスは平常運転だったようで、一瞬失敗したかなと思いました。東京に着くと地面にほぼ雪はなく、「道路が乾いてるって素晴らしいな」という以外の言葉が見つかりません。ただ、その日は夕方に歯医者の予約もあったし、まあ安心して帰ることができたのでこれで良しと致しましょう。新幹線はいつ以来かと考えなければならないほど久しぶりだったので、あまりの速さに新鮮な感動を覚えました。東京は48年ぶりの寒さと言っていましたが、太陽が燦々と照っており、時折吹く風が生ぬるく感じるほどでした。驚いたのは、一度刈り込んで食した後、もう一度根を水に浸けて窓際においた痘苗が15センチほとも伸び、青々としてふさふさと茂っていたことです。悪天候による野菜高騰の折、これはありがたいです。