友人と話していて、彼女が「夫の家族は相当変わった家族だったのではないかと、つい最近気づいた」というのを聞きました。その義理のご両親はもう亡くなっているのですが、長年の生活の中で夫の言動を見てどうもそうでゃないかと思ったようです。或る言動の原因を本人ではなくその育った家庭に帰すことは普段あまりしませんが、環境によって人が作られることを思えばまさにその通りでしょう。しかし家庭というものはすべからく特殊なものだというのが私の考えです。普通の家庭などというものはないのです。 私のうちも相当変わっていたと思うのですが、それは両親が日本に1パーセントもいないクリスチャンであったことに由来するでしょう。しかし、日曜は礼拝に行く週間を除けば、そう変わったこともないと思っていましたが、どうもそうではないらしいとわかったのはもう十代も終わりの頃です。大学時代は中高の頃とは生活環境があまりに違う人々と出会う機会となりましたが、実に様々な家庭の話を漏れ聞いては、うちではあり得ないと思ったものでした。皆ほかの家庭のことは知らないのですからあたりまえですが、率直に言うと、「うちも独特だったがこれでよかった。みんな普通じゃない。」と思ったのです。
「ちびまるこちゃん」というアニメはもうテレビで二十年以上やっている長寿番組です。私もよく見ます。安心できるからだと思います。さくら家の構成員は常に、おじいちゃん、おばあちゃん、ひろし(頼りない一家の主)、お母さん、お姉ちゃん、そしてまるこの6人です。まるこは永遠の小学3年生、増えることも減ることもない永遠不滅の家族です。実際にはお姉ちゃんやまるこが巣立っていく日があるはずですが、そういうことは起こりません。現実の生活では祖父母、両親が亡くなって、どちらかがその家に残って家庭をもつということがあるかもしれませんが、それはまた別の家族の話です。おそらく二人はどちらかを失った時点で強烈な孤独を感じるはずです。もう家族は自分の中にしか残っておらず、自分が消えれば一つの家族が消滅するからです。
少し前、昭和の時代までは親から子、子から孫と代々受け継がれる家というはかなくも美しい幻想がありました。しかし今は、同じ両親から生まれたのではない兄弟姉妹で構成される家族も珍しくなく、かつてのような血統や家名を受け継ぐべきものとして持っている家がどれほどあるでしょう。或る人が自分の家族を思い浮かべる時、その構成員の境界がぼんやりしているとか、いくつかの全く異なる家族が思い浮かぶ場合もあるかもしれません。いずれにしても自分が子供時代を過ごした家庭というものは一代限りです。自分が最後の構成員となり家族の記憶をいつくしんでいる間、すなわち家族の寿命はその人の寿命と同じです。