2017年2月14日火曜日

「王位継承問題と政体」

 旧約聖書を読んで、大昔の政体についてあれこれ思うところがありました。『士師記』ではギデオンの息子でアビメレクという人が出てきて、武力的に強かったのかシケムの住人に王として押されるという話があります。この人は妾の子で、自分も含め兄弟が70人いたといいます。一人だけ逃げられますが兄弟を皆殺しにして・・・という話の詳細は『士師記』に譲るとして、気になるのは兄弟の人数です。姉妹もいたはずですから、ギデオンに相当な数の妻と妾がいたのは明らかです。とはいっても、おそらく10人~20人程度でしょう。この観点から見るとソロモンの後宮にはその50~100倍の王妃と側室がいたと言われるのが本当だとすると、それは世継ぎにまつわる要請というよりは周辺諸国との絆を強める目的の方が大きかったのではないかと思います。

 或る地域の最高権力者の呼び名はいろいろあるのでしょうが、とりあえず王という呼び名で代表させて考えると、血統によりその地位が継承される場合、とても難しい問題が起こるはずです。その順番は厳格に決まっていることが多いと推測できますが、あまりきっちり決めておくと融通がきかずかえってうまくいかない状況もあるでしょう。たとえば、、長子が継承順の第一位と決まっていても、諸々の事情で状況が困難であればあるほど不都合が起き、末期のユダ王国のように弟が兄より先に王位に就くといったことも起きます。王にふさわしい資質が状況で変わるからです。いずれにしても、或る意味王以上に力を持つ決定機関があったことは確かです。しかしここまで来たら、傍系も含め一族の中で最もふさわしい者からその時々で選ぶ選抜方法へ移行するのは時間の問題です。ところがこれはこれで新たな問題を引き起こします。王位継承候補者が多すぎても血で血を洗う争いが発生するからです。こう考えると、絶対に血筋を絶やしてはならないという掟というのは、生物学的見地から見ると実は大変な負荷がかかる制度です。しかも、こういったことが一夫多妻制を前提にしており、女性の人権という概念が浸透すれば維持できないのは明らかです。すなわち、血筋による地位の継承は不可能になり、必然的に別な政体へと移行していくということです。立候補による選挙という今あたりまえになされている方法は、その候補者の範囲が一族からその支配領域に住む全員に拡大されただけです。もちろんこれは自由・平等という原理がなければあり得ませんが、その根本にあるのは生物学的適応という生き残りの手段だったのです。二世議員、三世議員という世襲制が見られるのはとても古い政体の変形であり、まずいことがあれば淘汰されていくことでしょう。