2025年12月11日木曜日

冬の家内作業

  寒い日の家内作業は冬の風物詩。昔の人は囲炉裏端で母さんは手袋編みや麻糸つむぎ、お父はわら打ち仕事と決まっていた。私にとって寒い冬の家内作業は何と言っても断捨離である。これは暑い夏には絶対できない。あちこち動き回って処分品を掘り出したり、シュレッダーはじめ書類の断裁等は少しやっただけでも汗ばむほどの作業である。一連の仕事はまず45ℓのゴミ袋を調達するところから始まる。ゴミ袋の買い置きはあるのだが、心置きなく物を捨てるには余分なゴミ袋がいくらでもあるという気分的余裕が必要なのだ。

 毎年重点箇所を決めて少しずつ整理してきたが、まだ手付かずの場所がたくさんある。断捨離は収納できないで溢れているところから手を付けるため、とりあえず収納庫に収まっているものはかなりの程度スルーしてきた。今回はまず一辺が70cmほどの立方体の引き出しの内部の処理が最初のミッションである。はるか昔に購入したこの家具は自分でも「なんでこんな大きな引き出し買っちゃったんだろう」と思う代物である。おそらく衣装箪笥というか、衣類の収納用に作られたものであろうが、これまで衣装を入れたことはない。ほぼ中身は書類と雑貨である。テレビがあったころはテレビ台にもなったし、テレビがない今はその上にプリンターや段ボール箱が積み上がっている。

 この3段組の引き出しにどれほど大量の書類や雑貨が収納されているか、考えるだけでも眩暈がする。何しろ重すぎて引き出しがなかなか引き出せない。以前、滑りが悪いのかとかんなをかけたこともあるのだが、そういう問題ではなかった。単純に詰め込み過ぎなのだ。

 書類の5分の4はもう要らないものと分かったが、そのまま捨てるわけにはいかない、ひたすらシュレッダーである。使い過ぎると熱で自動停止するので、冷えて再び使えるようになるまで、また要不要の仕分けするのを繰り返しながら進めるが、1段当たり4~5日を要する仕事量である。時折「データにして取っておこうかな」と思うものもあり、そうするとスキャナーを使っての読み取り作業が入る。これは結構疲れる。一方、単純作業はすぐ飽きるが、その時は別の家事をしたり散歩や買い物のため外出する。そうしないともたない。そもそも急ぐ用向きではないのだ。

 雑貨の何割かはアクセサリー類で、若い時のもの、ここ30年ほど使っていない。価値のあるものではないのでそのまま捨ててもよいのだが、箱を捨ててジッパー付きの透明の袋にとりあえず入れておく。ネックレスはともかく、今となっては煩わしいとしか思えないイヤリングをしていた時期もあったんだなあと感慨深い。服飾や工作など別の用途でも使用可能だから欲しい人がいたら上げたいくらいだ。人形やぬいぐるみを作る人なら、その飾りにすると可愛いかも。

 こうして部屋はシュレッダーの周りに処分品とゴミ袋が散乱しており、毎日何袋もゴミを出しているが、一向に終わる気配はない。引き出しが終わっても他に片づける場所はいくらもある。部屋を見渡したり収納庫を開いてみたりすると、目に入る物の片づけて順が頭に浮かび、それだけで疲れて「はぁ~」とため息が出る。長丁場である。今のところ脳内で夢見るのは、或る程度さっぱりと片付いた家のイメージである。立春頃に少しでも近づけていればうれしい。こうして毎年少しずつ断捨離して、特に残してはならない個人情報を処分していけば、後々安心である。千里の道も一歩から、がんばろうっと。


2025年12月4日木曜日

老年時間、若年時間

 「ダニエル書」を読んだせいかどうか、夢のことが気になっている。私はあまり夢を見ない(あるいは見ても覚えていない)方だと思うが、若い頃には見たことのない夢を最近たまに見る。と言っても、解き明かしを必要としない、ごく単純な夢で、「遅れる」夢である。シチュエーションは不明ながら、何かの始業時間に遅れたり、乗り物に間に合わなかったりしているのである。

 職に就いていた頃には遅刻する夢を見たことがないのに、現在その手の夢を見るのは不思議である。時間を守ることは社会生活の基本、振り返ってみても学校なり職場なりの始業に遅れたことは、交通機関による不可抗力以外ほとんど全く無かったように思う。せっかちなので早く着きすぎるきらいがあったほどだ。学校も職場もない今、自分を時間的に制約するものは、基本的に他人に迷惑をかけない範囲のものばかりである。遅れようができなかろうが誰も困らないのである。それにもかかわらず、このような夢を見るわけは精神科医ならずとも明らかであろう。現在おこなっている(自分にしか関わらないが、自分にはそれなりに大事な)諸々の事柄について、「今まで通りの準備では間に合わない」と本人が自覚し、それが或る種自分を脅かすものになってきているということなのだ。

 若い時は毎日時間がなかった。いつも時間に追われていた。一日24時間では足りないが、それ以上あったら確実に過労だからこれでいいのだという日々だった。今の若い人がタイパを追求するのは心情的にとても理解できる。その頃は、お年寄りにはゆっくりした時間が流れているように見えて、「いいなあ」とうらやましく感じていたのである。

 しかし、老年期の多くの人が吐露しているように、歳をとると日常を成り立たせる一つ一つのことをするのに、若い頃の数倍の時間がかかるようになる。老人は一日暇な時間が十分ありそうに見られがちだが、主観的には全く違う。「一日があっという間に終わる」のである。仮に何かをするのに若い頃の2~3倍の時間がかかるとすれば、一日のうちにできることが二分の一、三分の一になるということである。ラジオを聞いていると、年末の大掃除を11月末頃から少しずつ、毎日スポットを決めて行うという老年リスナーの投稿を結構よく聞く。そうしないと大晦日までに終わらないのである。

 一日一日過ぎ去るのが速い。速すぎる。「光陰矢の如し」という格言は遥か昔を振り返って言う言葉ではなく、半年前、一年前に対する老年者が味わう感慨だと思う。いよいよ師走に入ったが、このことがとても信じられない。「ついこの間正月が終わったのに…」と思う私にお構いなく、時は高速で過ぎていく。


2025年11月27日木曜日

「ダニエル書」前半の雑感

  東京で通っている教会では月に一度、一年以上にわたって「ダニエル書」の講解説教をお聴きしている。「ヨハネの黙示録」ほどではないにしても、「ダニエル書」も黙示文学であり、普通に読んでいても分からないことが多い。礼拝時の聖書個所として「ダニエル書」が選ばれることはまれで、一般にユダヤの信仰者についての不思議な話という印象を持つ人が大半だと思う。話の中身として、主人公は燃える炉の中や獅子の穴に投げ込まれても神に守られて無事だったとか、王様が見た夢を解き明かして重用されたとか、超自然的、戯画的な記述が続き、出てくる幻の訳の分からなさが終盤に向かっていや増していく。「ダニエル書」の礼拝説教は大詰めを迎えているが、まだ最後の11章、12章(ここはそれまでにも増して凄いヴィジョンのオンパレード。自分で読んだだけでは全く分からない)を残しているが、ここまでで感じたことを記す。

 「ダニエル書」は紀元前6世紀のバビロン捕囚時代を描いているが、作者は紀元前2世紀にセレウコス朝のアンティオコス4世による圧政に苦しむユダヤ人である。国土喪失という民族最大の悲劇が起こって四百年たった当時でさえ、残ったユダヤ人にとって「バビロン捕囚」はいつもそこへと回帰する原風景なのである。国を失い土地からも切り離されてなお、自分たちの原点を忘却していないこと自体、私などからすると驚異的なことに思える。強国の狭間でもみくちゃになって生きてきた民が、まだ自らのアイデンティティを保っているとは信じがたいことである。


 「ダニエル書」には超自然的な事柄やヴィジョンが次々と出てくるが、これはかなり緻密に構成されているのが分かる。第1章から第6章まで読むと、徐々に困難さを増す状況に対し、ダニエル他ユダヤの残された者たちが何に依って立っていたかが鮮明に描かれている。

 「ダニエル書」の第1章は、バビロン王ネブカドネザルがイスラエルの有能な若者を選別し、宮廷で重用したこと、そしてこれらの4人の若者が生殺与奪の権を握られた立場でも神の戒め(この場合は食物禁忌)を守ったことが記されている。


 「ダニエル書」2章は、ネブカドネザル王が何度か見て不安で眠れなくなった夢の話である。王は夢の解き明かしどころか、「夢そのものも言い当てよ」という無理難題を課し、それをダニエルが言い当てる。山から切り出された石が、金、銀、青銅、鉄、陶土でできた一つの巨大な像を打ち壊す夢は、これから起こる国々の勃興や消滅について王に知らせるものだった。ここではダニエルがひたすら祈ったため神が彼に秘密を明かしたこと、この功績によりダニエルは王宮に仕える者となり、他3名はバビロン州の行政官になったことが記されている。


 「ダニエル書」3章はダニエルではなく他の3人の行政官が不敬罪のターゲットになった事件である。彼らはネブカドネザルの建てた金の像の除幕式にその像を拝まなかったことにより、燃え盛る炉に投げ込まれることになった。3人は縛られたまま炉に投げ込まれるが、何の害も受けなかったばかりでなく、ネブカドネザルは炉の中に神の子のような姿をした4人目の者を目撃してしまう。彼らの神による救いを目の当たりにした王は「彼らの神をたたえよ。人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」と言う。

 3人に明白な身の危険が迫った場面で、彼らは自分たちの神が必ず救ってくださると公言し、さらに「たとえそうでなくとも」、王の神々に仕えたり、王の建てた金の像を拝んだりしないという命知らずの宣言をする。ご利益主義信仰の全否定である。神への信仰のためには恐れを知らない人たちであり、彼らには飴も鞭も通用しない。この厳しさは豊饒な神々との間で持ちつ持たれつの関係にあった周辺の民族の宗教にはない、突出した特徴だろう。

 ネブカドネザルがユダヤの神を賛美したことを含め、これがどれくらい史実を反映した話なのか分からない。しかし、続く第4章を読むと、ネブカドネザルは支配する王国の統治に関して柔軟な考え方ができる王だったのかもしれないと思えてくる。


 「ダニエル書」4章はさらに進んだ段階の夢とその説き明かしの話である。この時ネブカドネザルの見た夢は、鳥や獣を養っていた大きく立派な木が切り倒されるという夢である。ただし、切り株と根は地中に残され、鉄と青銅の鎖をかけて、野の草の中に置かれる。切り倒された木から次第に人の心が失われ、獣の心が与えられ、七つの時が過ぎるという。

 ダニエルによる解き明かしはこうである。これはネブカドネザルの身に起こる幻で、全地を治め豊かに養っている大木は彼自身であるが、やがてそれは倒されて人間社会から追放される。獣と共に住んで七つの時を過ごすうち、ついに彼は人間の王国を支配するのは神であり、御旨のままに誰にでもそれを与えるのだということを知る。そのことを悟れば、切り株と根が残された木(王国)は彼に返される。それから、理性が戻って来たネブカドネザルが、「いと高き神をたたえ、永遠に生きるお方をほめたたえた」こと、そして、彼が再び王国に復帰したことが記されている。

 独裁者であろうはずのネブカドネザルにこのような回心があったとにわかには信じがたいが、「ダニエル書」の作者にそう書かせるだけの何かがあったのであろう。しかしこの時代の他の独裁者から見れば、ユダヤの神をほめたたえるようになったバビロニア王のこの話は見過ごせないリスクがあるに違いない。なにしろ古代イスラエルは強国の間で踏みにじられて右往左往しながら生きてきた弱小民族である。大帝国の王が自民族の神ではなく、被支配者の神を称えるようなことがあってはならないはずである。そう考えると、「ダニエル書」はここまでで十分危険な書と見なされ得るだろう。


 「ダニエル書」第5章は、レンブラントの絵画『ベルシャザルの饗宴』(ナショナル・ギャラリー―・ロンドンNational Gallery London)で有名な壁に文字を書く指が現れる不思議な話である。三十年以上まえ、母と英国旅行をしたとき母はこの絵の前で、「ああっ、この絵は…」と大興奮だったのを思い出す。私はと言えば、聖書の話なのは分かったが、どの書に書かれた話であるか分かっていなかった。長い年月が経ったものである。

 この章では王はネブカドネザルから息子ベルシャツァルに代わっている(正式に即位した王ではないらしい)。エルサレム神殿からの分捕り品の金銀その他の祭具で酒を飲んでいた大宴会中に、壁に文字を書く人の指が現れるというぎょっとする場面が印象的である。この文字を読み、解釈する者に王国の第三の位を授けるというベルシャツァルの命にダニエルが召し出された。

 強権的で横暴な王に比べて、これくらいの飽満な振る舞いなら害がないように思えるが、それは浅はかな人間の考えであろう。ダニエルは神殿の祭具を弄ぶ享楽的な王に対し、「あなたは命と行動の一切を手中に握っておられる神を畏れ敬おうとはなさらない」との言葉を突きつけ、謎の解き明かしをする。すなわち、文字は「メネ、メネ、テケル、そして、パルシン」、意味は「神はあなたの治世を数えて(メネ)それを終わらせ、あなたを秤にかけて計って(テケル)不足と見なした。あなたの王国は二つに分け(パルシン)られて、メディアとペルシアに与えられる」ことを示した。

 この解き明かしにより、ベルシャツァルは約束通り、ダニエルに王国を治める者のうち第三の位を彼に与えるという布告を出したが、まさにその夜ベルシャツァルは殺されたと「ダニエル書」は記している。まことに厳しい結末である。暴虐の限りを尽くす王も享楽に浸る王も、「神を畏れ敬う」心がないという点で何の違いもないのである。父王ネブカドネザルに王国が返されたのは、ひとえに彼がいと高き永遠の神を拝し、称える者になったからだということが一層浮き彫りになる。


 「ダニエル書」第6章に出てくる王はメディア人ダレイオスに代わっており、王国におけるダニエルの地位はさらに上がっている。ダニエルは各地の総督から報告を受ける3人の大臣の一人であったが、王がダニエルに王国全体を治めさせようとしたところから他の高官の奸計の標的になってしまう。彼らは神に対するダニエルの信仰に狙いを定め、彼を陥れるために王を計略にかける。すなわち、王をして「向こう三十日間、他の人間や神に願い事をする者は誰でも獅子の洞窟に投げ込まれる」という法律に署名させることに成功したのである。国の制度や法律が整備されると、王といえどもその制約を受けるようになる。しかしどのような体制、どのような法であろうとも、それが良い方向に作用するかどうかはそれを運用する人間によるということは、現在我々が日々見聞きする事象により明らかであろう。

 さて、ダニエルはいつも通りに振る舞い、エルサレムに向かってひざまずいて、神への三度の祈りと賛美をささげたため、獅子の穴に淹れられることになる。この時王はダニエルを何とか救いたいと思いながら、自分の発した命令を反故にできずどうすることもできない。「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように」と言うばかりである。

 翌朝、獅子の洞穴に無傷でいるダニエルを見て、王はダニエルを救った神の不思議な御業を賛美し、「この王国全域において全ての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない」と定める。


 ここまでは「ダニエル書」の中で比較的分かりやすい部分であり、ダニエルと彼が仕える王との間での出来事である。このあと以降はダニエル自身が見た夢の内容が語られ、それが一段と黙示的な絵巻物、壮大なスペクタクルといった様相を呈する。一般的に、黙示文学はその時代を取り巻く環境の中では憚りがあって書けないことを記すための常套手段であろう。大枠だけ区切ると、7章はバビロンの王ベルシャツァルの治世元年に眠っているダニエルに現れた夢、8章はベルシャツァル王の治世第三年にダニエルが見た幻、9章はダレイオスの治世第一年に文書を読んでエレミヤの預言を知り、イスラエルの罪の告白の祈りをするダニエルに現れた幻、10章はペルシアの王キュロスの治世第三年に嘆きの祈りをしているダニエルに与えられた啓示である。

 すなわちこれらは全てダニエルの見たヴィジョンであり、その説き明かしをするためダニエルは深く自分の内部に沈潜しなければならない。次々と生じては消える王国の盛衰を見て、リバイアサンが荒れ狂う現状に生きる中で彼らが行き着く先にあったのは何であろうか。後半部分はまだ整理できないが、ダニエルが自らと自らの民族の中にはっきりと「罪」を認めたことは確かだと思う。それこそがユダヤの民の出発の原点となったのである。


2025年11月20日木曜日

裁判外紛争解決手続

  今年意図せずして巻き込まれてしまったことの中に、「裁判外紛争解決手続」がある。日本の様々な制度はアメリカの後追いであることが多いが、これなども法科大学院制度や裁判員制度と同様、司法制度改革審議会による司法制度改革の一環であり、一般にADR(Alternative Dispute Resolution)と呼ばれている。Alternativeは代替的という意味であるから、この場合に当てはめると「裁判に代わる」紛争解決方法ということになる。ウィキペディアには「訴訟手続によらない紛争解決方法を広く指すもの。ADRは相手が合意しなければ行うことはできない。平成16(2004)年に成立。紛争解決の手続としては、『当事者間による交渉』と、『裁判所による法律に基づいた裁定』との中間に位置する。紛争解決方法としては、あくまで双方の合意による解決を目指すものと、仲裁のように、第三者の判断が当事者を拘束するものとに大別される」と記されている。

 発足から二十年たってかなり制度として整ってきたようで、これを行う機関として司法機関(簡易裁判所、家庭裁判所、地方裁判所等)、行政機関(例えば国民生活センター、消費生活センター、労働基準監督署、労働相談情報センター、建設工事紛争審査会、原子力損害賠償紛争解決センター等)ばかりでなく、様々な民間機関(例えば日本スポーツ仲裁機構、日本弁護士連合会交通事故相談センター、日本知的財産仲裁センター、事業再生実務家協会、全国銀行協会、生命保険協会、日本損害保険協会、日本不動産鑑定士協会連合会等)もある。生命保険協会、日本損害保険協会に関しては2010年に金融庁の指定により創設されたようである。

 確かに、普通に暮らしているだけで事故や事件に伴う紛争に巻き込まれてしまう時代である。裁判により決着を図ろうとすれば、相当なお金と時間がかかる。裁判所だって数が膨大過ぎて手に余るであろう。この制度は一般庶民が少なくとも為すすべなく泣き寝入りすることは避けられる制度である。私が思うにこの制度の第一の関門は、相手が紛争の訴えを受けて紛争解決手続を行うことに合意することであり、第二の関門は双方が自らの主張への思い入れをいったん脇に置いて、解決の道を探る気があるかどうかということなのではないだろうか。すなわち、お互い我慢しながらも落としどころが見つけられるかということである。

 最近ADRに関するお仕事小説を読んだ。裁判を扱った小説はよくあるが、ADR関係の小説があるとは思わなかった。それほど一般化してきたということか。その話の中で、本当に存在するのかどうかは分からないが、ADRを専門に扱う弁護士が出てきた。ADRの場合、庶民が大企業や巨大組織に蟷螂の斧を振るう図式になりやすいが、小説の中では弁護士が依頼主の思いを外れて行動しながらも、最終的には依頼者に最もよい結末を導き出していた。驚いたのは、「責任を取らせたり、罰を負わせたりせずに事件を解決すること」を主眼としていることである。裁判であれば「どちらに正義があるか」ということが一番重要な争点のはずである。小説の中のADR専門の弁護士は、「目指すのはトラブルの当事者双方が納得する妥協点。どっちが正しいとか正しくないとかは重要じゃない」と言い切っていた。私は最初これをどうしても飲み込めなかったが、例えば司法取引のような合理性を重んじる頭脳であれば、「双方をそれなりに和解させ、手ぶらでは帰さない」という思考になるのかもしれない。おそらくその前提は、正義の所在を争点にすると、絶対に落としどころが見つからないという、人の世の常への深い洞察なのだろう。

 そう言えば、それを裏書きするかのように、ADRにはもう一つ顕著な特徴がある。それは関連事項については全て「当事者外秘」ということである。裁判ではその過程や判決が明らかにされ、事件の概要によって前例なども考慮されるが、ADRにはそれが無い。見方を変えると、この秘匿性は双方にとって大きなメリットになり得る。それが大企業や巨大組織がADRでの紛争解決に応じる理由かもしれない。さらに、紛争解決手続が公表されないということは、一件一件が一回限りの独立した案件ということになり、その時々の判断がその後に起きる別の案件の解決策に縛りをかけることがないということだ。こうして見ると、「正義」ばかりか「公正」もさほど重要な視点ではないらしい。とにかく目指すのは「撃ち方止め!」ということなのか。なるほどねぇ。


2025年11月13日木曜日

高齢生活、困難さの盲点

 先日郊外に住む叔母を訪問した。ご高齢で体のあちこちに不具合はあるが、総じて自立した生活を送っている方である。これまでいろいろ治療はしてきたが、体の痛みは医者も和らげる手立てがないとのこと、現在は月に一度の在宅訪問で一般的な体調チェックを受けている。

 この方はいわゆる高齢者詐欺などに遭わぬよう、警察に相談して電話に撃退用の細工をしてもらうなど、非常に用心してお暮しであるが、一番の悩みは腰の痛みのため思うように歩けなくなってきたことだろう。お話を聞くうち分かったのは、買い物の不便さと現金引き出しの不便さである。ごく近くのお店にはなんとか買い物カートを押していくことができるが、毎日の必需品は週一回来るヘルパーさんにお願いしている。しかし購入できる店舗(スーパーなど)が契約で一カ所に決められているとのこと。すなわち、そこで売っていない物は頼めない。

 それなら通販でと思いがちだが、通販は何故か電話の注文はしているもののメールでの注文には抵抗があるとのこと。それぞれ安心を感じるポイントが違うのだと思う。ただ、パソコンも扱われる方なのでやろうと思えばメールでの発注は可能だろう。

 全国の高齢者の半数が買い物難民化していると聞くが、これは特に地方の市町村において顕著である。大型小売店の撤退などでお店自体が消えていく心細さと困難さは並大抵ではない。それに比べれば叔母の場合は、確かに歩いて様々なお店に行けないため制約はあるものの、買い物という観点からはまだ良い環境の中で過ごせていると言うべきだろう。

 ところがもっと困ったことが起きた。近くにあった銀行が閉行になってしまったのである。これには覚えがある。家の近くのメガバンクの支店も閉行の知らせがあった。どこもかしこも人員整理と合理化で支店をつぶしているのだ。叔母の家の近くではその銀行のATMが1.5キロくらい離れたところにあるスーパー内に移転したとのことで、これも簡単には行けなくなってしまった。行くときは家からタクシーを呼べばよいが、帰りはどうすればよいのか。その場にタクシーを呼ぶために、一度解約した携帯をまた購入しなければならないかしらと当惑されていた。

 現在は現金をほぼ使わない生活が広範に広がってきたが、ヘルパーさんに買い物を頼むような時は、カードを渡すわけにもいかず現金が必要である。そのため、近くの銀行が閉行になる直前にまとまったお金を降ろしに行ったところ、詐欺被害を疑われ、「そんな大金はお渡しできません」と言われたという。「今までそんなに一度に降ろしたことがない」とか「支店長と話してください」とか、果ては「警察呼びますよ」とまで言われたのである。認知症の老人には親切な対応かも知れないが、頭のしっかりした(なかなか遠くまで移動できない)人には大迷惑である。すったもんだの末、なんとか目的は達したそうだが、銀行は力の入れどころが間違っていないだろうか。

 これについても身に覚えがある。いまやATMでの送金は100万円までに制限されており、私が「限度額を上げたい」と銀行に赴いた時、「本部対応となります」と言われ、奥まったブースで電話対応をさせられた。もうその支店での裁量ではなく、どこにあるかも知らない本部とやらと話さなきゃいけないのかとビックリした。自分のお金を自分で使うのがこんなに大変なことになっているのだ。そのくせ「ネット・バンキングなら制限はありません」とのことで、「詐欺被害ならネットの方が断然危ないのに…」と不思議で仕方ない。

 とはいえ、物を購入する時の支払いはカードでできるが、現金を手元に引き出したいのなら、今のところATMもしくは銀行窓口に行くしかない。今まで歩いて行けた銀行の支店がなくなるのは大問題である。銀行が遠い、歩けなくなった、交通の便がよくないとなると、お金を降ろしに行くという単純なことが途端に困難になる。自宅まで持ってきてもらう等のサービスもあるようだが、いろいろ込みで月10万円だとか。ひぇー!

 以前なら、元気な家族にカードを託して「お金降ろしてきて」と言えば済んだが、もはやそういったことは贅沢な頼みになってしまった。何気ない用事をしてくれる信頼できる他人がいないのだ。今は高齢者と言えば詐欺被害の防止に焦点が絞られているが、もはや問題はそこじゃない! 多くの人が困っているのは「信頼できる他人」という特殊な人材難なのである。


2025年11月6日木曜日

「秋晴れの郷里」

  今年も11月の第一日曜がやって来た。この日は逝去者記念礼拝および墓前礼拝の日で、いつも10月末には帰省する。この日程は新しい手帳に換えたとき真っ先に書き込むスケジュールである。今年の帰省日は雲一つない秋晴れの日だった。おそらく郷里では年に何日もないような上天気である。ローカル線の駅まで兄に迎えに来てもらい、途中農協の直売所に寄っていく。梨(王秋)が6つで324円、リンゴ(ほおずり)が5つで400円、甘柿が9個で280円と、目が点になる安さ。家に着いてすぐ食すとどれも甘くて当たりだった。これぞフルーツ王国の醍醐味。

 午後はあまりに気持ちが良いので土手道を散歩に出た。吾妻山に向かってどんどん歩く。一つ箸を越え、まだまだいくらでも歩ける感じだったが、行った分だけ戻って来なきゃいけないという当たり前のことにはっと気づき、どこまでも行きたい気持ちを抑えて適当なところで引き返す。

 家の近くまで来て、「バウワウ」とすごい勢いで吠えられる。いつもは小屋の中に入っているのに、やはり気持ちが良くて出ていたのか。「ブンちゃん!」と呼びかけると、ピタッと声が止まる。「誰? 知ってる人?」とかたまるブンタ。「ブンちゃん忘れちゃったの?」と話しかけるがじっとこっちを見ているだけで、思い出したそぶりはない。無理もない。りくを散歩させながら両者を出併せていたのはもう4年近く前のことだもの。「ブンちゃんまたね」と言って帰る。実に良い日だった。

 翌日の午前中はずっと気になっていた障子の張り替えをした。数年前に他のところを張り替えた時、「ここはきれいだからまだいいか」と端折ってしまった場所が、見た目にもよれよれになり限界だったのだ。天窓も含めきれいに張り替えてとても気分が良い。午後は疲れが出て休む。

 三日目はお墓のお掃除。教会墓地にうちは三人お世話になっている。入った順に、母、ヘルベルト(分骨)、父である。お掃除を頑張らねばと思う。教会員のお一人が車で迎えに来てくださり、もう一人を拾い、信夫山の教会墓地に着くと墓地委員のお一人がもう待っていらっしゃった。そこへあと二人が車で到着し、総勢六人で取り掛かる。私もゴム手袋、草取りの道具、ハサミ、ペットボトルの水等を持って行ったが、なんと草取りはもう済んでいて敷地はきれい。今年は便利屋さんに頼んだという。だから後は墓石を拭き、担当の方が用意してきたお花を献花台に差すだけ。なんと楽ちんなことか。そのあと持参した飲み物やお菓子をみんなで食べる。こっちが主目的だったりして。雲はあったが前日同様本当に気持ちの良い秋の日だった。

 私は知らなかったのだが、実はこの後みなが楽しみにしているイベントがあった。それは野生の柚子の実を集めること! 山に生えている柚子の木にたわわに実が実っているのである。一人が長い枝切り鋏(✂)を用意していて、みんなで運動会の玉入れみたいな籠にどんどん入れていく。唯一の問題は柚子の枝にはトゲが付いているので怪我をしないようにすることだった。番外編も楽しめて、一日いい日であった。その日のお風呂はもちろん柚子湯、あ~いい匂い。

 さていよいよ日曜となったが、なんとこの日は町内会のお掃除の日でもあった。朝7時から町内総出で草刈りと側溝の泥上げを行う。ずっとしゃがんだままだと腰が痛くなり、適当に立ち上って腰をトントンしながら頑張る。車道の割れ目から出ていた芝もカギ張りのような道具できれいにする。作業しながら話していると、相手が小学校の同級生の姪御さんと判明したり懐かしい情報交換もできた。2時間ほどで終わる。

 すぐ着替えて教会へ向かう。牧師先生の説教箇所は詩編23編の「主は我が羊飼い」であった。詩篇23編は「賛歌。ダビデの詩」であり、詩編の中でも最もよく知られた箇所である。(詩編23編1~6節)

主は私の羊飼い。/私は乏しいことがない。

主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。

主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。

たとえ死の陰の谷を歩むとも/私は災いを恐れない。/あなたは私と共におられ/あなたの鞭と杖が私を慰める。

私を苦しめる者の前で/あなたは私に食卓を整えられる。/私の頭に油を注ぎ/私の杯を満たされる。

命あるかぎり/恵みと慈しみが私を追う。/私は主の家に住もう/日の続くかぎり。

 礼拝ではこれにヨハネによる福音書11章のラザロの復活を絡めて、説教がなされた。途中何故か文語訳の引用があった。牧師先生にはそれがしっくりくるらしい。ラザロの姉妹のマルタとマリアは「人をイエスに遣わして『主、視よ、なんぢの愛し給ふもの病めり』と言わしむ」と。確かに味わい深い文である。主イエスはここではラザロの病を癒しに行くことなく、彼が死んで周囲の皆がそれをはっきり認識した時になって言葉を発する。「私たちの友ラザロが眠っている。しかし、私は彼を起こしに行く(ヨハネによる福音書11章11節)」と。もちろん主イエスは人としてのラザロの命は取り去られたことを踏まえたうえで「私は彼を起こしに行く」と仰ったのである。そしてイエスが「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれ(同上11章43節)ると、「すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た(同上11章44節)」。

 キリスト者の中にも復活を信じきれない者は少なくないように思う。しかし復活について懐疑的な者もおそらくほぼ全員が、既に天に召された愛しい者たちが天国で主イエスと共に安らいでいるのを確かなこととして信じているようである。この世の命が終わってからのキリスト者の復活とはおそらくこのラザロの復活のようなものなのであろう。そして羊飼いなる主イエスはその「愛し給ふもの」らを必ず導いて「命あるかぎり恵みと慈しみが私を追う」と言い切れる人生を送らせ、私を日の続く限り主の家に住まわせてくださるのである。

 礼拝後、有志が車に分乗して信夫山の教会墓地に向かう。前日きれいにした場所で賛美歌を歌い、牧師先生の短い説教をお聞きし、お祈りをする。またしても気持ちのよい秋晴れの天気。11月3日は晴れの特異日と言われるが、私の滞在中10月31日以外は秋晴れだった。本当に有難い神様からの贈り物である。今回の帰省はかなりの強行軍でまだ腰が痛いが、なんと恵みと慈しみに満ちた時間だったことだろう。神様に心からの感謝をささげる。


2025年10月30日木曜日

「ハンズ・オン・フィーリング」

  ランサムウェアによるシステム障害が続発している。以前、病院、信販会社、出版社等が被害に遭ったと記憶しているが、つい最近またビール会社、ほどなくして物流大手企業が感染した。こういうサイバー攻撃には絶対に身代金を払ってはならないので、まだまだ全国的に配送や注文受付等の目途が立たないようである。最高の効率と最低のコストを目指してシステムを構築し、それぞれ専門の部署や子会社に任せてしまえば、一朝事ある時にはどうする手立てもない。

 ウェブサイト、メール、外部記憶等の感染経路を全て押さえれば被害は減るだろうが、人間が操作する限りゼロにはならないであろう。このようなシステムで動いていた場合、急に紙ベースで業務を取り仕切るのはかなりの難題だと思う。かといって万一の危機に備えて、どこか別個の場所にデータの完璧なバックアップを用意したり、あるいはそれこそ紙ベースで必要書類を保管できる倉庫を持つといったことを、無駄とみなさない企業は多くはないだろう。平時には閑職と見下げられているが、いざというとき活躍するお仕事小説のような部署が本当は必要なのだ。

 システムはいったん止まってしまうと、ブラックボックスの内部を知らない者には何一つできることがない。私はこれが苦手である。先日友人と話していてのけぞりそうになった。彼女は私よりはるかに活動的で、毎日忙しく動いている人なのだが、後期高齢者になったらもう老人ホームに入りたいと言う。叔母さんの入居したホームでの生活を見てそう思ったらしい。そこは食事がおいしく、ホームの活動に参加せず部屋にいてもよいらしく、掃除もしてくれる、ホテル暮らしのようなものなのだそうだ。彼女も料理定年を目指しており、確かにその点は楽そうである。

 しかし私には無理だと思う。無論そのような超高級老人ホームは財政的に無理だが、そうでなくても今気兼ねなくできていることができなくなる、もしくは気を遣うことになるだろうから。好きな時にぶらっと散歩に出たり、焼き上がりの時間を見計らって焼き芋を買いにお店に行ったり、思い付きで通販の商品を次々注文したり・・・(本人は必要だから購入するのだが、箱を捨てられない箱フェチなので、ただでさえ狭い部屋が足の踏み場もなくなる可能性がある)、もちろん足腰の立つ限り毎週教会の礼拝には行く。こういった外出についてその都度申し出たり、説明したりしなければならないなんてうんざりである。自分の行動は全部自分で制御したいし、ほんの少しでも余分なストレスを心にかけたくない。コロナ禍の時、こういった介護施設にどんな制限がかけられたか(すなわち外出許可が下りなかったこと)を思い出せば、たとえ人がうらやむような優良介護施設でも入りたくないと思うのである。

 自分について全てをコントロールするという中には当然健康上の判断も入る。コロナ禍には三密を避けるルールに従い、細心の注意をして過ごしたが、法的な外出禁止令が出なかったのは本当に有難かった。気を付ければ買い物には行けたし、散歩はよい気分転換になった。これまでの経験で私の場合、ワクチン接種は命の危険をもたらすものであったから、未接種で過ごした。移動や旅行の要件にワクチン接種があっても移動や旅行をしなければそれで済んだ。しかし、職に就いていれば当然のこと、施設の居住者にもワクチン接種は半ば強制的であった。人によっては感染症よりもワクチンの方が命の危険があるということは恐らく顧みられなかったろうと思う。

 話が飛んでしまったが、システムに組み込まれるということは、利便性を享受できる代わりに危険なことでもある。自分について「制御しきれていない」という感覚を持ったら、立ち止まって考える必要がある。手直しで何とかなればそうする。駄目ならシステムから脱却する、あるいはシステムに属さないと決断することは、その人にとって死活的に重要ではないだろうか。私がこれまで生きながらえて来られたのは、このハンズ・オンの感覚によるのだということは確かなように思える。