コロナウィルスの感染症騒動はすでに過去の管があるが、あの頃盛んに言われたのは「コロナ禍の日常」とか「コロナ後の世界」とかいう言葉だった。たとえコロナが去っても、コロナ禍を境に世界はそれまでとは別物に変わってしまっていることを当然と考えていた。
のど元過ぎれば何とやら、今となっては私にとって猛暑の方がさらに一段つらく、まさに猛暑禍であった。問題はこれがこれから気候のデフォルトになるということである。ほぼ4か月、一年の三分の一が生活に支障をきたす暑さとなるのである。
猛暑禍の私の日常は悲惨なものだった。まず外での運動、ウォーキングができない。せいぜい朝7時に開店するスーパーに行き、まだしも耐えられる気温のうちに買い物をすますくらいである。あとはとにかくバスを使う。近くのバス停まで150メートルほど歩き、バスを降りてから駅へ、お店へ、病院へ、図書館へと最低歩行距離で済ます。これではいくら家でスクワットをしてもフレイルになりかけるのは避けられない。
食事はなぜか米飯がのどを通らなくなり、朝はいつもそうめんだった。そうめんの湯で時間は2分、これが限界。5分の蕎麦は言うまでもなく、湯で時間3分のひやむぎも無理。あとはパンやお赤飯を冷凍保存しておいたもの、もしくは冷凍パスタをレンジで解凍して食した。何しろ極端に食欲がなかった。主食以外の栄養摂取もとにかく火を使わず、生野菜やレンジで蒸し野菜、豆腐や納豆、卵、牛乳・チーズ・ヨーグルト、たまにお店の惣菜などで何とかしのいできた。
猛暑禍の日常の中で卵については発見があった。私はそれまで専用の両面焼きフライパンでイージーオーバーを焼いて食べるのを慣例としていたが、火を使う調理が無理になったため、温泉卵に切り替えてみた。のど越しをつるっと通る美味しさに加え、何と言っても割るだけという手間いらず。折しも卵は高騰中、そのせいか温泉卵はさほど割高感がない。以来、生卵をやめてずっと温泉卵を買い続けている。また、それまで家で作っていたパンやヨーグルトはお店での購入を躊躇しなくなった。何かを作ろうとする気力が失われたのである。これはもう、料理定年へ一直線ではないか。
猛暑が終わって最初に秋の空気を感じた時、真っ先にしたことは大好きな公園でのウォーキングである。これだけは復活させないと動けなくなってしまう。歩幅を大きくとって大腿四頭筋を鍛えることを意識する。この歩行練習は家ではできない。だが、猛暑禍の日常の全てが終了したわけではない。公園の散歩は楽しいが、駅からの道は今まで通りバスで帰りたい。
料理をしようとする気は、涼しくなれば少しは復活するかもしれないが、大きなフライパンを持とうとして、もはや片手では持てないことに気づく。箸より重いものを持てなくなる日も近いかもしれない。パンを焼く時の分量や手順も怪しくなっている。心技体すべてが劣化したことを認めざるを得ない。
読書もそうだ。夏の間読書はほぼ推理小説だった。暑さにぼーっとした頭でも集中できるのはやっぱりミステリ。涼しくなって頭を別仕様に戻そうとしても、上手くいかず・・・要するに全てが楽な方に流れているのである。猛暑後遺症ってこういうことだったのか。一年の三分の一もの間続けられた習慣は果たしてどれくらいで修正されるのだろう。