ランサムウェアによるシステム障害が続発している。以前、病院、信販会社、出版社等が被害に遭ったと記憶しているが、つい最近またビール会社、ほどなくして物流大手企業が感染した。こういうサイバー攻撃には絶対に身代金を払ってはならないので、まだまだ全国的に配送や注文受付等の目途が立たないようである。最高の効率と最低のコストを目指してシステムを構築し、それぞれ専門の部署や子会社に任せてしまえば、一朝事ある時にはどうする手立てもない。
ウェブサイト、メール、外部記憶等の感染経路を全て押さえれば被害は減るだろうが、人間が操作する限りゼロにはならないであろう。このようなシステムで動いていた場合、急に紙ベースで業務を取り仕切るのはかなりの難題だと思う。かといって万一の危機に備えて、どこか別個の場所にデータの完璧なバックアップを用意したり、あるいはそれこそ紙ベースで必要書類を保管できる倉庫を持つといったことを、無駄とみなさない企業は多くはないだろう。平時には閑職と見下げられているが、いざというとき活躍するお仕事小説のような部署が本当は必要なのだ。
システムはいったん止まってしまうと、ブラックボックスの内部を知らない者には何一つできることがない。私はこれが苦手である。先日友人と話していてのけぞりそうになった。彼女は私よりはるかに活動的で、毎日忙しく動いている人なのだが、後期高齢者になったらもう老人ホームに入りたいと言う。叔母さんの入居したホームでの生活を見てそう思ったらしい。そこは食事がおいしく、ホームの活動に参加せず部屋にいてもよいらしく、掃除もしてくれる、ホテル暮らしのようなものなのだそうだ。彼女も料理定年を目指しており、確かにその点は楽そうである。
しかし私には無理だと思う。無論そのような超高級老人ホームは財政的に無理だが、そうでなくても今気兼ねなくできていることができなくなる、もしくは気を遣うことになるだろうから。好きな時にぶらっと散歩に出たり、焼き上がりの時間を見計らって焼き芋を買いにお店に行ったり、思い付きで通販の商品を次々注文したり・・・(本人は必要だから購入するのだが、箱を捨てられない箱フェチなので、ただでさえ狭い部屋が足の踏み場もなくなる可能性がある)、もちろん足腰の立つ限り毎週教会の礼拝には行く。こういった外出についてその都度申し出たり、説明したりしなければならないなんてうんざりである。自分の行動は全部自分で制御したいし、ほんの少しでも余分なストレスを心にかけたくない。コロナ禍の時、こういった介護施設にどんな制限がかけられたか(すなわち外出許可が下りなかったこと)を思い出せば、たとえ人がうらやむような優良介護施設でも入りたくないと思うのである。
自分について全てをコントロールするという中には当然健康上の判断も入る。コロナ禍には三密を避けるルールに従い、細心の注意をして過ごしたが、法的な外出禁止令が出なかったのは本当に有難かった。気を付ければ買い物には行けたし、散歩はよい気分転換になった。これまでの経験で私の場合、ワクチン接種は命の危険をもたらすものであったから、未接種で過ごした。移動や旅行の要件にワクチン接種があっても移動や旅行をしなければそれで済んだ。しかし、職に就いていれば当然のこと、施設の居住者にもワクチン接種は半ば強制的であった。人によっては感染症よりもワクチンの方が命の危険があるということは恐らく顧みられなかったろうと思う。
話が飛んでしまったが、システムに組み込まれるということは、利便性を享受できる代わりに危険なことでもある。自分について「制御しきれていない」という感覚を持ったら、立ち止まって考える必要がある。手直しで何とかなればそうする。駄目ならシステムから脱却する、あるいはシステムに属さないと決断することは、その人にとって死活的に重要ではないだろうか。私がこれまで生きながらえて来られたのは、このハンズ・オンの感覚によるのだということは確かなように思える。