2025年10月30日木曜日

「ハンズ・オン・フィーリング」

  ランサムウェアによるシステム障害が続発している。以前、病院、信販会社、出版社等が被害に遭ったと記憶しているが、つい最近またビール会社、ほどなくして物流大手企業が感染した。こういうサイバー攻撃には絶対に身代金を払ってはならないので、まだまだ全国的に配送や注文受付等の目途が立たないようである。最高の効率と最低のコストを目指してシステムを構築し、それぞれ専門の部署や子会社に任せてしまえば、一朝事ある時にはどうする手立てもない。

 ウェブサイト、メール、外部記憶等の感染経路を全て押さえれば被害は減るだろうが、人間が操作する限りゼロにはならないであろう。このようなシステムで動いていた場合、急に紙ベースで業務を取り仕切るのはかなりの難題だと思う。かといって万一の危機に備えて、どこか別個の場所にデータの完璧なバックアップを用意したり、あるいはそれこそ紙ベースで必要書類を保管できる倉庫を持つといったことを、無駄とみなさない企業は多くはないだろう。平時には閑職と見下げられているが、いざというとき活躍するお仕事小説のような部署が本当は必要なのだ。

 システムはいったん止まってしまうと、ブラックボックスの内部を知らない者には何一つできることがない。私はこれが苦手である。先日友人と話していてのけぞりそうになった。彼女は私よりはるかに活動的で、毎日忙しく動いている人なのだが、後期高齢者になったらもう老人ホームに入りたいと言う。叔母さんの入居したホームでの生活を見てそう思ったらしい。そこは食事がおいしく、ホームの活動に参加せず部屋にいてもよいらしく、掃除もしてくれる、ホテル暮らしのようなものなのだそうだ。彼女も料理定年を目指しており、確かにその点は楽そうである。

 しかし私には無理だと思う。無論そのような超高級老人ホームは財政的に無理だが、そうでなくても今気兼ねなくできていることができなくなる、もしくは気を遣うことになるだろうから。好きな時にぶらっと散歩に出たり、焼き上がりの時間を見計らって焼き芋を買いにお店に行ったり、思い付きで通販の商品を次々注文したり・・・(本人は必要だから購入するのだが、箱を捨てられない箱フェチなので、ただでさえ狭い部屋が足の踏み場もなくなる可能性がある)、もちろん足腰の立つ限り毎週教会の礼拝には行く。こういった外出についてその都度申し出たり、説明したりしなければならないなんてうんざりである。自分の行動は全部自分で制御したいし、ほんの少しでも余分なストレスを心にかけたくない。コロナ禍の時、こういった介護施設にどんな制限がかけられたか(すなわち外出許可が下りなかったこと)を思い出せば、たとえ人がうらやむような優良介護施設でも入りたくないと思うのである。

 自分について全てをコントロールするという中には当然健康上の判断も入る。コロナ禍には三密を避けるルールに従い、細心の注意をして過ごしたが、法的な外出禁止令が出なかったのは本当に有難かった。気を付ければ買い物には行けたし、散歩はよい気分転換になった。これまでの経験で私の場合、ワクチン接種は命の危険をもたらすものであったから、未接種で過ごした。移動や旅行の要件にワクチン接種があっても移動や旅行をしなければそれで済んだ。しかし、職に就いていれば当然のこと、施設の居住者にもワクチン接種は半ば強制的であった。人によっては感染症よりもワクチンの方が命の危険があるということは恐らく顧みられなかったろうと思う。

 話が飛んでしまったが、システムに組み込まれるということは、利便性を享受できる代わりに危険なことでもある。自分について「制御しきれていない」という感覚を持ったら、立ち止まって考える必要がある。手直しで何とかなればそうする。駄目ならシステムから脱却する、あるいはシステムに属さないと決断することは、その人にとって死活的に重要ではないだろうか。私がこれまで生きながらえて来られたのは、このハンズ・オンの感覚によるのだということは確かなように思える。 


2025年10月23日木曜日

「小さい秋を楽しむ」

  日の出が遅くなり、つい寝過ごしそうになる中、ハッとして飛び起きる。こうしてはいられない。朝のルーティンが終わったら散歩に行くのだ。予定のある日や雨の日は別として、神様がこんなよい気候をくださっているのだから、逃す手はない。ラジオで「師走並みの気温」と言っていても、東京の寒さはウォーキングに最適である。ご飯を食べ、短く聖書を読み、お祈りをする。その後ラジオ体操を済ませたら準備万端である。保温ポットに淹れ立てのコーヒーを持って家を出る。すでに心は半ばピクニック気分。

 大好きな公園には交通機関を乗り継いで行く。公園に着くまでは混んだバスに揺られ、事故に遭わぬよう気を付けて舎人ライナーに乗る。実はこれもよい刺激となる。これから仕事や学校に向かう方々の程よく張り詰めた緊張感が私をシャキッとさせてくれるのだ。「気を付けて行ってらっしゃい」と心で思う。

 公園駅に着く。深い森林の連なる風景を見渡し、どっと気分が弛緩する。交通の危険を意識せずウォーキングできる場所は本当に有難い。ここは或る種の理想郷、都立公園ではあるものの、我が区の宝である。とても広いので、毎日違う方面を歩く。降りる階段を決め、行きたい方向に歩き出す。ジョギングする人とすれ違い、池の周りの太公望を横目で眺め、井戸端会議中のワンちゃんたち(話しているのは飼い主さんたち)の傍を歩く。リードを離れてこっちにくる子もいる。犬は犬好きな人を必ず嗅ぎ当てる。本当にかわいい。橋を渡った別の園には大型犬用のドッグランもある。ここではシェパードに吠えられたりするが、あれは「おっ、新入りか。一緒に遊ぶ?」と言っているのだろう。他に花壇があり、野球場、陸上競技場があり、別の園には子供の遊び場や水辺の生き物の観察場もあるから、十人十色の楽しみ方ができるはず。

 私は専ら森林に惹かれてその辺りを歩く。紫外線を避けるためにもよいが、何と言っても森林浴が最高。今日もまた一度も歩いたことのない小道を見つけた。夏の間に足が弱ったなと実感しつつ、取り戻さなければと力が湧く。歩くのはよいが、膝が痛くてジョギングはまだできない。駅では意識してなるべく階段を使いながら、程よく疲れて家に戻るまで、ほぼ1時間半。何と感謝な一日の始まりであろうか。


2025年10月16日木曜日

「少し上向き」

  10月上旬、ラジオを聞いていたら速報でノーベル賞受賞のニュースが入った。ろくなニュースがない昨今、久々に気が張れる明るいニュースだった。自然科学の分野での日本人の受賞はしばらくなかったので、「もう取れないのかな」と思っていたところだった。本当にうれしい。しかも、生理学・医学賞で坂口志文氏、化学賞で北川進氏の、2賞受賞という快挙である。

 生理学・医学賞における「免疫の制御機構」の解明は、自分の関係する自己免疫疾患に直接かかわっているのだから、解説を聞くにもつい力が入る。制御性T細胞なる言葉は初めて聞いたが、こういう長年の基礎研究があってこそ臨床における有効な治療につながる。化学賞は、金属有機構造体の開発に関する研究である。穴だらけの金属内にガスや二酸化炭素を閉じ込め回収することで、環境分野に革新をもたらした。この穴のことを北川氏は「無用の用」と述べていた。何よりうれしかったのは、両氏を取り囲む学生や若手研究者の声が弾んでいたことである。お二人の受賞がどれだけ彼らの励みになることかと、受賞の喜びに沸く声が響く中、陰ながら応援する気持ちで涙が出た。

 この30年ほどを考える時、大方の日本人は「ひどい時代だった」と感じることだろう。新自由主義の嵐が吹きすさぶ中、日本はバブルの崩壊と金融危機に対処できず、新しいビジネスモデルの構築にも出遅れ世界の波に乗れなかった。また、1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災ほか多くの災害に襲われ、国土と国民の暮らしが大きく傷ついた。企業の倒産やリストラで弾き出された人々の困難さは嫌というほど聞いたし、終身雇用を前提としていた日本社会の仕組みが根底から崩れ、世界の常識である非正規雇用が一般化した。これによって経済的基盤が整わず、家庭をもてない若者が増え、少子化が進行した。大変だったのは現役世代だけではない。年配の労働者も定年が逃げ水のように先延ばしになり、職にありつけない、あっても賃金はよくて7割ほどという苦汁を飲まねばならなかった。それまでの老後の設計が崩れたり、突然「老後資金2000万円」問題が持ち出されたりして、将来を悲観する人が増えた。

 この間、国は消費税を導入(1989年4月、3%)し、1997年4月に5%、2014年4月に8%、2019年10月に10%と引き上げていった。さらに相続税改定による大増税(2015年1月)および健康保険、年金、介護保険等の徴収料を増やしていったため、国民は年収の半分を税と社会保障費に持っていかれるようになった。農民が年貢として収穫物の約40%を領主や幕府に納めていた江戸時代の「四公六民」よりひどい重税と言われるゆえんである。その一方で、公共サービスを縮小していったのだから、何一ついいことがない国民の不満が募り、疲弊していったのは当然だったのである。

 しかし数年前に明らかに潮目が変わった。最適化した労働で最低価格の商品を提供するという手法で、新自由主義者が国境を越え、世界を股にかけて傍若無人に好き放題し続けた結果、様々なひずみが生じ、これ以上放置できないことが明らかになった。市場原理に従って富の極端な偏在が進んだため、持続的な社会の維持が困難になったのである。リーマンショックがよい例で、新自由主義者は破綻した企業が国民に及ぼす被害には無関心で、国家が財政出動して破綻した経済を回復させるほかなかったのである。このような無責任な経済的手法は結局のところ長続きできない。

 これにコロナ感染症とウクライナ戦争が拍車をかけ、政治主導の世界秩序が完全に復権したと言える。いわく「自由主義経済が浸透し世界の経済的相互依存が進めば、戦争は起きない」、いわく「自由主義経済が行き渡って国が豊かになれば、民主主義国となる」・・・。新自由主義者の尻馬に乗った者たちが言い広めた言説を、今苦々しく思っているのは、ドイツであり、アメリカであろう。ロシア産天然ガスの供給を受け、電気自動車によるEU域内制覇を試みたドイツの思惑はうまくいかなかったし、アメリカとの交渉において、中国は体制を揺るがす可能性のある構造改革には手を触れさせなかった。

 日本は、無為無策と言えばその通りなのだが、ゼロ金利とデフレを通して、或る意味みんなで等しく痩せ細り貧乏になったと言える。前述したように、現役世代も高齢世代も皆不満があり、生活に困難を感じている。よもや国も好き好んで公共サービスを減らしているわけではあるまい。人口動態を勘案すればそうするしかなかったのであろう(と思いたい)。結局のところ日本は、落語にある「三方一両損」を選んだのではあるまいか。グローバル経済によって格差が拡大したのは事実である。だが、収入の低下は低所得層に限ったことではなく、中流層も地盤沈下した。年収が上位20%に入る水準が1996年には974万円であったが、現在は800万円程度だと聞いた。言ってみればみんな揃って低きに落ちたのであって、諸外国における上位層と下位層および底辺層の所得格差はこの程度のものではないのである。

 「これまで試された他の全ての形態を除けば、民主主義は最悪の政治形態である」と言ったのはチャーチル W. L. S. Churchillであるが、私も同感である。始終命の危険や理由なき拘束に怯えたり、自由が大幅に制限されるのを甘受しなければならない日常には耐えられそうにない。世界を見渡せば基本的人権が保障されない地域はたくさんある。また、民主主義を標榜していても、鶴の一声で生活環境が根底から変わるような国も御免こうむる。「よりマシな国はどこか」という観点で眺めれば、「日本はそう悪くない」と思えてくる。最低限の「健康で文化的な生活」を送れるよう憲法で規定されているのだから。

 日本はデフレを脱却し、物価上昇の時代となり、大企業では新卒初任給の大幅アップや春闘でのベースアップも回復しつつある。よい兆候である。あとは中小企業の賃上げと産業界全体の生産性の向上が達成できれば、ゆっくり上昇できるはずである。何と言っても労働人口が減少していく中で、若者の就労に関しては売り手市場のため、将来に希望を持って人生設計をしていただきたい…。などと考えているうち、なんだか今は低迷状態にある日本が愛おしくなり、気持ちが上向いてきた。自分の利益だけを声高に叫ぶ人は確かにいるが、年配者を思いやる若者や若い世代を気遣う高齢者が非常に多いと感じている。

 長かった。ここまで皆で我慢しながら縮んできたのだから、そろそろ明るい展望を持ちたい。政府に要望したいことを一つ挙げるなら、「消費税の廃止」、これに尽きる。それによって日本の内需の落ち込みが大きく改善され、日本経済の力強い復活を後押しすることを、一消費者として確信している。今度は車輪が逆回転し、消費者、企業、政府の「三方一両得」となるだろう。


2025年10月9日木曜日

「猛暑からのリハビリ」

  コロナウィルスの感染症騒動はすでに過去の管があるが、あの頃盛んに言われたのは「コロナ禍の日常」とか「コロナ後の世界」とかいう言葉だった。たとえコロナが去っても、コロナ禍を境に世界はそれまでとは別物に変わってしまっていることを当然と考えていた。

 のど元過ぎれば何とやら、今となっては私にとって猛暑の方がさらに一段つらく、まさに猛暑禍であった。問題はこれがこれから気候のデフォルトになるということである。ほぼ4か月、一年の三分の一が生活に支障をきたす暑さとなるのである。

 猛暑禍の私の日常は悲惨なものだった。まず外での運動、ウォーキングができない。せいぜい朝7時に開店するスーパーに行き、まだしも耐えられる気温のうちに買い物をすますくらいである。あとはとにかくバスを使う。近くのバス停まで150メートルほど歩き、バスを降りてから駅へ、お店へ、病院へ、図書館へと最低歩行距離で済ます。これではいくら家でスクワットをしてもフレイルになりかけるのは避けられない。

 食事はなぜか米飯がのどを通らなくなり、朝はいつもそうめんだった。そうめんの湯で時間は2分、これが限界。5分の蕎麦は言うまでもなく、湯で時間3分のひやむぎも無理。あとはパンやお赤飯を冷凍保存しておいたもの、もしくは冷凍パスタをレンジで解凍して食した。何しろ極端に食欲がなかった。主食以外の栄養摂取もとにかく火を使わず、生野菜やレンジで蒸し野菜、豆腐や納豆、卵、牛乳・チーズ・ヨーグルト、たまにお店の惣菜などで何とかしのいできた。

 猛暑禍の日常の中で卵については発見があった。私はそれまで専用の両面焼きフライパンでイージーオーバーを焼いて食べるのを慣例としていたが、火を使う調理が無理になったため、温泉卵に切り替えてみた。のど越しをつるっと通る美味しさに加え、何と言っても割るだけという手間いらず。折しも卵は高騰中、そのせいか温泉卵はさほど割高感がない。以来、生卵をやめてずっと温泉卵を買い続けている。また、それまで家で作っていたパンやヨーグルトはお店での購入を躊躇しなくなった。何かを作ろうとする気力が失われたのである。これはもう、料理定年へ一直線ではないか。

 猛暑が終わって最初に秋の空気を感じた時、真っ先にしたことは大好きな公園でのウォーキングである。これだけは復活させないと動けなくなってしまう。歩幅を大きくとって大腿四頭筋を鍛えることを意識する。この歩行練習は家ではできない。だが、猛暑禍の日常の全てが終了したわけではない。公園の散歩は楽しいが、駅からの道は今まで通りバスで帰りたい。

 料理をしようとする気は、涼しくなれば少しは復活するかもしれないが、大きなフライパンを持とうとして、もはや片手では持てないことに気づく。箸より重いものを持てなくなる日も近いかもしれない。パンを焼く時の分量や手順も怪しくなっている。心技体すべてが劣化したことを認めざるを得ない。

 読書もそうだ。夏の間読書はほぼ推理小説だった。暑さにぼーっとした頭でも集中できるのはやっぱりミステリ。涼しくなって頭を別仕様に戻そうとしても、上手くいかず・・・要するに全てが楽な方に流れているのである。猛暑後遺症ってこういうことだったのか。一年の三分の一もの間続けられた習慣は果たしてどれくらいで修正されるのだろう。


2025年10月2日木曜日

「百年は長すぎる」

 猛暑疲れが出る時期である。ラジオを聞いていると、たまに「人生百年」という文言が聞こえてくる。NHKラジオ第1の「人生百年プロジェクト」という番組案内で、「人生100年時代に、健康、趣味、学び、そして心の持ち方をリスナーのみなさまと考えていきます」というのがその趣旨らしいのだが、「それ、あんまり連呼しない方がいいんじゃないの?」と率直に思う。ラジオ第1はバラエティに富んだ様々な企画があって感心することが多いが、やはりリスナーには高齢者が多いためこのような企画も出たのであろう。聞けばきっとためになる面白い番組であろうことも予想できる。

 しかし私はこの「人生百年」を聞くたびに、なんとなく気が沈むのである。長寿は喜ばしいことであり、そこに大きな価値を置く方々がいるのも大変結構なことだと思う。しかし、私自身はとっくに還暦を過ぎているにもかかわらず、直感的に「人生百年か、長いな」と思ってしまう。寿命に比して健康寿命は恐らくずっと短いことを思うと、特に介護人材を望めない私の世代の見通しは暗い。同世代の友人・知人はみな「介護保険料は取られるだけで終わる」ことを覚悟している。

 先が見えてきた世代でさえこうなのだから、若い方々には百年はどれほど遠くに感じられることかと思う。数年前のことだが、或る政治家が若い人に「政治に望むことは何か」を尋ねたところ、「安楽死する権利を法制化してほしい」と言われたという話を聞いた。私は絶句した。そうなのか。今の苦しい現実を生きている20代の人にとって、自分が100歳まで生きるということは想像するだけでも耐え難いことなのであろう。

 老後資金2000万円問題以来、若い人にも長期的な視野に立った資産形成が強く意識付けられたと言ってよいと思う。しかし、今の年配者でそんなことができた人はいったいどれくらいいるのか。若い時は目先のことで手いっぱいなのが普通で、それを一つ一つこなすことで何とか今に至るという人が大半ではないだろうか。若者に八十年先のディストピアをリアルに意識させてどうする。その年代からあまりに遠い未来を視野に考えても、大多数は思考停止になり気が滅入ってしまうのではないか。誰でも自分の若い頃を思い出せば納得するはずである。

 私は小学四、五年生の頃、特に大きな悩みは何もなかったのだが、近所の高校生のお姉さんを見て「悩みがなさそうでいいなあ」と思っていた。小学生にとって高校生はかなりの大人であり、そこにたどり着くまでは遥か遠い道のりと思っていた。実際には高校生には高校生の悩みがあり、また大した大人ではないと分かった。結局人はその時々の課題や困難に取り組んで乗り越えていくしかなく、その意味では人生はいつも現在形である。「将来のことが心配」と言う高齢者に対して「あとは死ぬだけだろう」と答えた某高名な解剖学者くらい飄々としていなければ、とてもこの先乗り切れない気がする。かつて一時期日本社会にあった根拠なき楽観的気運はもうどこにもない。いま私たちがいるのは、これから起こる悪いことをかなりの精度で言い当てることができる社会であり、事によってはもっと破滅的な世界になる可能性がある地点である。

 がん専門医、里見清一が『医学の勝利が国家を滅ぼす』 (新潮新書)を書いて世間を震撼させてからもう9年になろうとしている。この本が社会に与えた波紋についてもっと正確に言うと、みな薄々そうだと気づいていたことを、医者の立場から歯に衣着せぬ言い方で公然と述べたため、社会に一石どころか爆弾を投じることになったのである。その後、『「人生百年」という不幸』(新潮新書、2020/1/16)および『患者と目を合わせない医者たち』(新潮新書、2025/6/18)も出て、医療を巡る困難な問題は改善するどころかより深まっているのが分かる。海外ではずっと前から当然のことだったのであろうが、日本でも人の命にかかわる医療の分野に「働き方改革」の波が及んだのでは、別の困難な事態が生じるのは必至であろう。一方、医療財政の抜本的な改革なしに医学が進歩し続け、家計及び国家財政における医療費の増大はすでに限界を超えている。そして現在、寿命が少しでも延びるのであれば投薬料だけで年に数千万円かかる治療を誰も止められない。治療を望む患者も治療を施す医師も薬を作る製薬会社も、誰も悪くないのである。私も大いに医療の世話になっており、神様の定められた天寿を全うするまで生きたいと思っている。ただ、「人はいつか死ぬべきもの」という真実を忘れずに、その時を見極められたらと思う。

 推理作家ハリイ・ケメルマンHarry Kemelmanの軽妙な短編に『九マイルは遠すぎる(The Nine Mile Walk)』がある。“A nine mile walk is no joke, especially in the rain”というたった11語の何気ないセンテンスから、ありとあらゆる推理を駆使して実際に起きた事件を解決してしまうというこの話は、読み手にとって間違いなく喝采物である。だが、八十年近く前に書かれたこの鮮やかな作品をまねて、「百年は長すぎる」と言ってみても、もはやミステリにはならない。医療どころか気候変動一つとっても、“A  hundred-year lifespan is no joke, especially in such a tragic world”は、もはや相当数の人の頭を離れない現実になっているからである。