2025年7月31日木曜日

「呼吸器内科」

  十日ほど全身がだるく家で横になっていることが多かった。咳も続いており、やっとのことで帰省したものの、結局、送り迎えや食事の用意など滞在中はずっと兄の世話になっていた。あろうことか咳については、一度肺炎になったことのある兄から受診を勧められ、滞在を切り上げて、自宅に戻ってきた。帰省中39.2℃を経験し、しんどかったこともある。

 これだけ命にかかわる暑さの中では体調を崩さない方が難しいだろう。体温が平熱の範囲ではあるが通常より高く、体のどこかで炎症が起きている感じはしていた。翌日クリニックを受診、人生で初めて呼吸器内科にかかった。診察前に血圧を測ったら、いまだかつて見たことのない低い数値だったので、生命力が弱っているのかもしれないと、ぎょっとした。。

 診察してくれた医師は非常に快活な方で、問診表に書いた通院歴を見て、「あ、僕も普段はこの病院にいるんですよ」と、私の担当医のこともよく知っておいでだった。私の病気についてもよくご存じで、「今お薬は何ミリですか」等、尋ねられた。それから胸部X線を撮ってもう一度診察、「肺はとてもきれいです」と言われてほっとした。

 今とくに子供の間で流行している百日咳でもなく、「まあ夏風邪ですね」とおっしゃった。ひとまずよかったと言うべきであるが、風は万病の元でもあり、ウイルスが上気道に何らかの感染を引き起こしていることは確かである。「アデノウイルスかな」とぼそりと口にしていたが、もちろんそれを確かめる必要はない。咳が治ればいいのである。

 結局、喘息の人が用いるL字型のスプレー式吸入薬を1つと抗生物質5日分を処方された。ウイルスなら抗生物質は要らないはずだが、絶対に細菌性のものではないとは言い切れないのかもしれない。その時、「コーヒーは飲みますか」と問われ「はい」と答えると、「もし何か変だなと思ったら飲まないで」とのこと。私が「コーヒーをですか」と言うと、医師は大笑いして、「それもいいんだけどね、お薬ね」と言う。よく分からなかったが、やはり抗生物質は必ず飲む必要はないのだと理解した。

 診察から丸一日たって、心なしか元気になってきた。お薬はきちんと処方通り服用している。受診とは関係なく、そろそろよくなってくる時期だったのかもしれない。診察を受けることの意義は「何でもなかった」と知って、安心することにある。つくづく行ってよかった。何より、午後1時という最も暑い時刻にクリニックに行くだけの体力があったことに感謝する。


2025年7月24日木曜日

「世代交代」

  政治に関心は全くないが、選挙の投票には欠かさず行っている。一種の習慣である。「一応各党の公約を聞いて…」と思ったら、まず党名からして知らないところが多かった。その主張を聞き、「えっ、今日本の政治はこんなことになっちゃってるの?」と、少なからず驚いた。

  現在日本の現役世代は恐らく世界で最も重税(社会保障費その他別名での実質税を含む)を課された人たちである。だからこの世代の負担軽減に異論はない。「まだそんなこと言ってるのか」と旧態依然たる主張を繰り返す政党に負けず頑張ってほしいとも思う。しかし一方で、「そんなことを堂々と言える国に日本はなったのか」と心がざわつく主張をする政党も着実に育っており、世界各国で見られるポピュリズムの嵐に日本もさらされている。政治問題の世代交代はしばらく注視の必要がありそうだ。

  全く別な話だが、私は所属している教会の会報委員会でつい先ごろ世代交代を経験した。前回不在にした会議に出たところ、年長のお二人が抜け、新たに入られた方のお一人が非常に若くて、委員会の平均年齢が十歳以上若くなったと感じた。私は脚韻なのでお気楽な立場ではあるが、抜けられたお二人がオブザーバーとして残られると思い込んでいたため、委員会の中で自分が一挙に年長組になってしまったことを知り、愕然としたのである。

 そしてその一番若い新人がこの会の委員長をお引き受けくださったので、会の雰囲気は文字通り一変した。これは今までの会とは別物と考えた方がいい。今までも和やかな会であったが、きゃぴきゃぴ度が違う。若い方々が実に楽しそうで素晴らしい。やはり平均年齢が若返った分、にわかに物が言いやすくなった雰囲気なのである。また、皆さんデジタル機器を駆使できる方々で、話がサクサクと進んでいく。

  その月発行の会報の校正を終え、次号の編集方針やもっと長期的な視野に立った課題についても話し合うことができた。とてもよい時間が持てた。若い方々にすっかりお任せし、ロートルは下校正を丁寧におこなおうと決めた。世代交代を効果的におこなおうと思ったら、メンバー全体の若返りはもちろんだが、やはり「長」となる人に若い方を抜擢するのがよいと、つくづく感じた次第であった。


2025年7月17日木曜日

「そんぽADRセンターへの書類送付」

  保険会社との闘いは第2段階に入った。保険会社から「却下」の文書回答が来たのである。前回は電話による知らせだったので「なぜこのように大事なことを電話で?」と訝しく思ったのだが、今回は封書である。電話での通告は恐らくこちらの様子伺いであり、それに対して送付した反論文を読んで、課長名で文書が送付されて来た。文面が示されているのなら反駁しやすく、望むところである。

 また、ご丁寧にもその判断に意義がある場合に申し立てる場として、そんぽADRセンターについてのパンフレットが同封されていた。それによると、どこの保険会社であるかを問わず困りごとを訴えることができるという。「相談」「苦情」「紛争」という形式のどれかを選んで異議を申し立てると、当該保険会社の本社での対応になるらしい。このパンフレットを送ってくるくらいだから、 当該部署と本社は結託しているのだろうと推察されるが、取り敢えず「苦情」を訴えることにした。異議内容を記した書類をそんぽADRセンター宛に送ると、そこから本社に解決依頼が届き、そんぽADRセンターの見守りの中で2か月たっても解決しない時は、「紛争」へと進むことができるらしい。その書類づくりに着手することにした。

 さて、保険会社からの文面を一読して驚倒、思わず「これはすごい!」と叫んだ。よほど論理力がないか、日本語が理解できない人にしか書けない文なのである。

 ざっと述べると、送付された文面は大きく5つの要点にまとめられていた。その中で自社の主張については、「調査に伺った鑑定人・調査員が〇〇〇〇について確認しました」と書き、こちらの主張については、あちらの推論に基づいて「調査に伺った鑑定人・調査員が〇〇〇〇について確認できませんでした」と書いている部分が多い。「確認したもの」についても「確認できなかったもの」についても、自社の推論から導き出した結論の証拠として述べられており、まさしくその証拠が別の、もっと合理的な推論を証拠立てるものだということに、保険会社は思い至っていない。まさしく自分で認めた証拠こそが、やがてブーメランのように自分の主張を切り裂くものになることをつゆ考えていないお気楽な文なのである。

 第一、冒頭で、給湯管配管の場所について「〇〇〇〇とお見受けしました」と書いてあるのだが、そもそもこれが事実誤認なのである。そんな基本的なことを「お見受け」しただけでいいはずがない。「そういう給湯管破損についての根本的なことを調査に来たのではないのか。いったい何しに来たのか」との疑念を禁じ得ない。

 したがって、反論文は相手の土俵を利用して、ほぼ一文ごとにこちらの反論を展開するという形式でおこなった。保険会社の主張とこちらの見解が交互に並べられているので、読みやすいはずである。

 もう一つ気を付けたことは、これまで保険会社がいかにでたらめな主張をしてきたかということが伝わるように、これまでの経緯をそれなりに詳しく述べるということである。繰り返しをいとわず、いかに保険会社が自分に都合の悪いこちらの反論を無視してきたか、について詳述することにした。

 今回は反論の第2段階であるため、これまで以上に建築に関する専門的な知識を要した。もちろん私にはないものである。これについては我が家のリフォームを成し遂げてくれた建設会社の工事責任者の助けを仰いだ。殊にこの4か月の間ずっと支えていただいた方であり、超多忙の中、時間を見つけては来訪して、様々な計測をしたり、精密な床下構造の解説図を作成したり、集合住宅全体の竣工時図面を調べたりしてくれ、また床下に溜まった水の量を計算した「工事責任者見解書」を作成してくれたのである。この方に対してはどのような感謝の言葉でも足りないだろう。ただもう深謝のほかはない。

 この方のレクチャーを受けて、私もだいぶ家の構造について分かるようになった。だから自信を持って反論文が書けたのである。悲しい事件だったが、水漏れ事故によって生じた我が家の被害は、寸分の隙も無く自然法則に従った当然の結果だったということを、初めて深く悟った。

 「無理が通れば道理が引っ込む」とはよく言ったもので、保険会社の「無理」と私の「道理」を分けたのは「事実に基づいているかどうか」という一点に尽きる。先方の保険会社は「そんなに多量の滞留水があったはずがない」という根拠のない仮説から出発してその後の論理を組み立て、「だから、生じた被害は別の理由による」と強引に結論付けたのに対し、当方は「実際に多量の滞留水があり、大きな被害が出た」という事実から出発したことによって、一見不可思議に思われる被害の現れ方のメカニズムを解明できたのである。大きな学びができ、これもまた神様に感謝である。

 書類の完成までには校正に長けた友人の助言も役立った。私は多くの助けをいただいてここまで来たのである。保険会社から封書を受け取ってからおよそ2週間で提出書類は整った。我ながら会心の出来である。これを郵便局から郵送し、本当に晴れ晴れした気持ちになった。これで終わりならいいなと思いつつ、たとえそうでなくても最後まで闘う気持ちを固めている。


2025年7月11日金曜日

「寄り掛かり動物人形」


 ガチャガチャで手に入れるオモチャの中に、「寄り掛かり動物」なるシリーズがあるらしい。私は全く知らなかったのだが、或る人から「お座りした柴犬」の置物をいただいた。それは4cmほどの立方体の中に納まる大きさで、りくを知る方が持ってきてくださったのである。ガチャガチャなら狙ってもこれを当てることはできない。文字通り「有り難く」とてもうれしい。

 その可愛さをつくづく眺めた。世の中には頭のいい人がいるものである。これは普通にある動物の置物をわずかに傾けたことで、全く新しい価値を創造している。決して倒れることはないのだが、何かの傍らに置きたくなるのである。もしこれが実物大の大きさなら、私は迷わずそのオブジェの傍らに身を置くだろう。「りく、姉ちゃんに寄り掛かっていいんだよ」と言って。

 実際のりくはりりしい立ち姿や、正体もなくごろ寝していた姿がすぐ思い浮かぶ。また、このオブジェのように、てれっとお座りの姿勢を崩していた時には「りく、そのだらしない格好は何ですか」などといっていたのを思い出す。うとうと舟をこいでいた姿は明確に覚えていない。私の隣に引っ付いていたことはよくあったが、寄り掛かっては来なかったな。きっと飼い主に似たのだろう。


2025年7月4日金曜日

「windows 11 …恨みます」

  windows 10のサポートが今年の10月14日で終了することは知っていた。windows 11への無料アップグレードの知らせも時々現れたので、そろそろちゃんと考えなければと思っていた。まず適合機種かどうかアプリをダウンロードして調べたところ、家にある機種は残念ながら要件を満たさない機種だと分かった。予感はあったがショックである。windows 11へのアップグレードに不適合なら、パソコンを買い替えねばならないことになり、これは多大な出費を要する。家計泣かせの横暴なOSのグレードアップである。

 そもそもなぜwindows 11へ乗り換えなければならないのかと言えば、ざっくり言って以下の機能を備えていないwindows 10のパソコンがあるからなのだ。即ち、「CPUに仮想化という技術に関連する特定の機能があること」、「パソコン本体のファームウェアがセキュアブート機能に対応すること」、「TPM 2.0という高いシステム要件を満たすこと」。これによってゲームパフォーマンスやマルチタスク機能およびセキュリティが向上するらしい。しかし、ゲームも凝った作業もせず、危ないものには近寄らずにパソコンを使用している者にとって、それらの機能が向上したところで無用の長物であり、アップグレードすることに益がない。

 もちろんwindows 10のサポートが終了しても、windows 10は使える。実家にある古いパソコンなどはなんとwindows 7であるが、時々開いて確かめると、メールなどはちゃんと受け取れている。サポートの終了後にwindows 10を使い続けることによって生じる問題は、ただ更新プログラムが提供されないということである。セキュリティや不具合を修正するプログラムが受け取れない。それに伴い、パソコン本体および周辺機器やアプリ等を提供している企業が、もうwindows 10には対応しなくなっていくということだろう。

 実際、windows 10のサポート終了と時を同じくして、マイクロソフト・オフィス(ワードやエクセルおよびアウトルックclassics)等のサポートも終了する。これらを中心的に使用している身にとってこれは本当に困る。思い返せばwindows 8.1からwindows 10に変わる時、何か嫌な予感がした。それまでのwindowsのサポート期間は「基本5年」+「延長5年」の固定ライフサイクルであった。だから、「まあ10年も使えば買い替えてもいいか」という気になったのである。ところが今は(モダンライフサイクルと言うらしいのだが)、windows 10やwindows 11の中で細かいバージョンアップを繰り返し、それぞれの細かいバージョンごとに短いサポート期間が設定されるようになった。これから先、もはや嫌な予感しかしない。

 とはいえ、取り敢えずwindows 11のノートパソコンを手に入れることにした。もちろん新品には手が届かない。中古である。よく整備されているので問題なくすぐ使えたが、使ってみて特に何の感慨もなかった。強いて言えば、ずっと意味の分からなかった画面左側を埋め尽くすタイル状の表示がなくなってせいせいしたというくらいか。私はずっとスクリーンリーダーとしてPC-Talkerを用いてきたが、windows 10のものを読み込ませようとしたらパソコンが受け付けなかった。本格的にwindows 11を使うなら、これもいずれ新たに購入しなければならないだろう。いや、そうこうするうち、windows 12が出るのかもしれない。ああ、なんと無情なことだろう! せめてプリンターをインストールするドライバーが見つかっただけでもよしとするしかないのか。

 OSが変われば結局何から何まで買い替えなければならなくなるのだから、全く弱い者いじめである。インターネットの世界における必須の技術はもう行き着くところまで行った感があり、凡人に必要な道具としての機能はこれ以上要らない。企業は無理やりな手法で稼ぐしかない世知辛い時代になったとも言えるだろうが、このままでは多くの一般人を置き去りにすることになるだろう。私の友人も「パソコンの買い替えは大変。もうパソコンは(なくても)いいかなあ」と言っており、完全にスマホに移行しそうな気配である。マイクロソフトよ、ビジネスパーソンはともかく、こんなにも一般人との間の世間を狭くして何とも思わないのか! 初心を思い出してほしい。