2025年2月27日木曜日

「特大羽根布団のリユース」

  今年の2月は1週間近くの長い寒波が二度来た。それでも東京の昼間の気温は10℃前後あったから、出かけられないほど寒くはなかった。ただ、風が強くて危険と思われる日が何日かあり、そんな時は家仕事日和である。

 手を入れるべき箇所はいろいろあるが、今回目についたのはお客様用の羽根布団である。「これ使ったの、いつだっけ」と思い返して浮かんだのははるか昔のこと、私が引っ越してまもない頃、友人がお子さんを連れて泊まりに来たことがあった。狭くてとても客が泊まれるような間取りではないのに平気だったのは「ああ、若かったんだな」とつくづく思う。宿泊客を迎えることは金輪際ないと断言できる今は、この200cm×160cmという特大サイズの羽毛布団は不要である。空気が入らぬよう折りたたんでビニールの布団袋に押し込んであるためさほど場所は取らないが、さてこれをどうするか。

 こういう時、ばっさり捨てられないのが私の年代の「モッタイナイ」根性だろう。私の寝室は北向きの部屋でそこに寝具は揃っている。エアコンもあってすこぶる快適に眠れる部屋である。しかし、冬になると私は渡り鳥のように南の部屋にやって来て、そこで寝ることにしている。暖かいし、明るくなるのも早いからである。この部屋はそもそも多目的室で寝室ではないが、簡易ベッドを自作(!)し、部屋の真ん中にカーテンレールを通して一応安眠できるようにしている。白いカーテンを閉めるとまるで病棟かと錯覚するような、一人用の狭い空間となり、これはこれで安心できるから不思議で、冬の渡りの宿泊地としては十分である。

 この部屋用の掛け布団を作ろうと決心し、考えた末、特大サイズの羽根布団を120cm×160cmサイズと80cm×160cmサイズに分割することにした。首から下の身の丈を覆う長さは160cmで十分だからである。そしてこの大きい方を冬用にし、小さい方はほとんど掛け布団が不要な夏用にすればよい。布団にはミシン目が入って、いくつもの大きな正方形に分かれているので、これを3:2に分ければよいのであるが、片方はミシン目を生かすとして、もう片方は手縫いで羽根の飛散を防ぐ壁を作らなければならない。これは母が亡くなった時、何日もかけて母の使っていた羽根布団を多数のクッションに作り替えた折に学んだことである。あの時はほとんど羽根に埋もれそうになり、大変悲惨なことになった。

 さて、丸一日かけて2つの羽根布団ができた。2つに分割する前に相当念を入れて飛散防止のブロックを作ったつもりだったが、それでもかなりの羽根が飛び出てきたので引っ張り出して捨てた。特大羽根布団用のカバーも2つに分割し、大きい方はファスナーをそのまま利用し、小さい方はスナップで留めて全ての作業が完結した。現在出来上がった大きい方を掛け布団として用いているが、狭いベッドにぴったりサイズでとてもよい。親鳥の羽根にくるまれているような温かさである。何かが形になるのは本当にうれしい。不用品を生かせたとなればなおさらである。


2025年2月20日木曜日

「野鳥が気になる」

  現在、周辺で、あるいは世間一般の傾向か、「鳥」が静かなブームになっているのではないかと思うのは私だけだろうか。長年犬を飼ってきたせいで、これまで哺乳動物しか念頭になかったが、最近は鳥にも非常に心惹かれる。帰省時、冬場に渡来するオオハクチョウを見に行ったり、鳥類学者川上和人による、小笠原諸島の鳥の生態調査の話をラジオで聴いたり、日本野鳥の会関係者の方からグッズをいただいたりといったことが重なって、なんだかとても気になる存在になってきたのである。ラジオのリスナーからの、「ラジオ体操の時、うちのピーちゃんは指導者の号令に合わせてピーピー鳴いて、体操する励みになっている」といった投稿を聴くにつけ、飼い主との関係は動物も鳥類も変わらないなと思う。

 先日、国立科学博物館の特別展「鳥」を見に行ってきた。見るとは言っても私の視力では難しいと思いカメラを持参した。そのズーム機能を使って覗くと結構見えた。人は多く熱気があり、会場はとても賑やかだった。やはり一定以上の鳥ブームなのは間違いない。一括りに鳥といっても、種類によってその身体特徴や生態がこれほど違うのは、「ああ、なんと不思議なことだろう」と造化の妙に打たれてしまう。「なにゆえここまで…」と呆れるほどド派手な鳥はもちろん、どんな地味な鳥でも何かしらアクセント(切りそろえ忘れた頭髪のように一か所だけ羽毛が飛び出ているとか、体のどこかにごくわずかな赤い毛がある、とかね)を持っており、その多種多様な個性に、結局は神様の御業の素晴らしさに思いが及ぶ。とりわけ親近感を抱いたのは最後の方の展示にあったアホウドリ。「あ、このシルエットは…」と思ったらやはりそうであった。伊豆七島の鳥島で繁殖する特別天然記念物であるが、「コールリッジの『老水夫行(The rime of the Ancient Mariner)』にも出てきたっけなあ」と何だか慕わしい。

 帰り際に、置いてあったパンフレットやフリーのしおり(白黒でシックなシジュウカラ、青い背とオレンジのお腹が鮮やかなカワセミ、愛らしい顔で人気の白い妖精シマエナガの3種類あった)をいただいてきたが、その中に「ポケットサイズの『おさんぽ鳥図鑑』をプレゼント」というハガキもあった。出してみると、A4の四分の一即ちA6サイズの小冊子が送られてきた。これは表紙と背表紙を入れて24ページにわたる冊子で、身近な鳥についての緻密な絵と簡単な解説が書いてある、まさしくお散歩のお共にぴったりの小冊子である。ちなみに、これが送られてきた封筒には統一性のない切手が貼られていたが、同封の書類を読んで、この郵送の切手が寄付によるものだと分かった。こういう手作り感はとても好きである。もちろん私も寄付の切手を送った。送られてきた封筒には日本野鳥の会の活動紹介や探鳥会の案内もあり、体調のことがなければ入会したいくらいである。

 さて『おさんぽ鳥図鑑』によると、鳥を見分けるのに大事なのはまずサイズらしく、初めて知ったのだが、その基準となる鳥を「ものさし鳥」というとのこと。「ものさし鳥」には小さい順から、スズメ、ムクドリ、ハト(キジバト)、カラス(ハシブトガラス)がいて、なるほどなあと思う。スズメサイズを基準にするのはメジロ、ジョウビタキ、シジュウカラ、コゲラ、ツバメ、カワセミ、ハクセキレイ、モズ。ムクドリサイズを基準にするのはツグミ、アカハラ、カイツブリ、ヒヨドリ。ハトサイズを基準とするのはカワラバト、カケス、コガモ、キンクロハジロ。カラスサイズの鳥はハシボソガラス、トビ、カルガモ、アオサギである。これによって私の中ではツグミ、ヒヨドリ、カケス、カルガモのサイズ感は修正された(もう少し小さいと思っていた)。同じ姿形でも大きさが違うと印象が違うのは鳥も動物も同じである。日本で一番大きい鳥はオオハクチョウ、一番小さい鳥はキクイタダキ(体はウグイス色で体重5g、頭のてっぺんが鮮やかな黄色があるのでこの名が付いたか)だと分かった。この図鑑に出てくる細密画は、写真以上に特徴をとらえて描いてあるので、見ていてとても分かりやすく、何より楽しい。知れば知るほど同じ鳥類とは思えぬ姿形・生態であるが、皆それぞれに驚くべき合理性を身体化して、生活し子育てしている。いつも思うことだが、人間以外の生物のすごいところは、常に生きることしか考えていないことだろう。どんな状況でも生きようとする姿にいつも圧倒され、畏敬の念を禁じ得ない。


2025年2月13日木曜日

「共同宣教、共同牧会」

  今月帰省した目的の一つは教会懇談会に参加することだった。その日、礼拝後に教会員の作った美味しい昼食をいただいた後、会は始まった。懇談会の趣旨は、会津地区で既に始まっている実例の報告を聞き、自分たちの教会の在り方に照らして、これからの教会について話し合うことであった。2022年の資料では、日本の約17%の教会(もしくは伝道所)において専従の牧師がいない。これらの教会・伝道所では、比較的近くの教会の牧師が宣教・牧会を代務・兼務している。この割合は約30年前は11%であった。この数字は平均値で会って、予想されることだが、無牧の教会や伝道所の割合は地方の教区や過疎地域で高くなっている。

 報告された会津地区での取り組みは、今まで二人の牧師がそれぞれ自分の教会以外に1つずつ他の教会・伝道所を兼務していたのを、二人で4つの教会・伝道所を共同で担当する方式に変更したということであった。礼拝も二人の牧師がローテイションで4つの教会・伝道所を担当し、それぞれの教会・伝道所の役員会にも二人そろって出席する。そのため通常、礼拝後に行われる役員会は別の日に設定せざるを得ない。また、そこで話し合われた内容は4つの教会・伝道所で共有しているとのことだった。

 こうして書いていると、牧師の負担は相当なものになると思われ、二人の牧師がそれぞれ2つの教会・伝道所を担当していた時より明らかに大変そうな気がする。信徒同士は、最初は心的抵抗があるかもしれないが、お互いの内情がオープンになることで親交が深まるかもしれない。してみると、これを始めた牧師は人口減少の中で教会の今後を見通した時、これがどうしても必要だと感じ、自らの負担を顧みずこの大転換に専心しているのではないかと言う気がする。

 懇談会という性質上結論めいたまとめはなかったが、いろいろな意見が出てざっくばらんに話せたのはとても良かったと思う。私の感触では、①1教会に1人の牧師という恵まれた状況はもう望めないこと、②近隣の教会・伝道所と交流を深め、理解し合うことがこれまであまりに少なかったこと、③今ある教会・伝道所を拠点として、これを減らさずに宣教・牧会をしていく視点で考えることが急務であること等は、全体として確認されたように思う。

 私自身は時おり近隣の教会に出席することはやぶさかではない。避けてほしいのは、日曜の朝に教会に行ったら閉まっていて「本日は〇〇教会にて礼拝を行っています」というような事態である。牧師がそこにいなくても、何人かの信徒と共に集い、オンラインで4つの教会を結んで牧師の説教を聴き、讃美歌を歌い。聖餐式がもてたら、それ以上のことはない。いまいる母教会においても、次に牧師が来るかどうかは誰にも分からない。今が共同宣教・共同牧会の最後のチャンスかも知れないのである。人口ピラミッドから言って、2人の牧師が4つの教会を牧会するという在り方は、おそらく瞬く間に牧師一人で4つの教会を担当しなければならない事態へと変容するだろう。その時、前段階を踏んでいなければ、急に共同礼拝と言っても無理だと予測されるからである。

 こういった現象はキリスト教界に限らない。住職の稲井「無住寺院」や神職の稲井「兼務神社」の問題は日本中で顕在化している。これらは全て人口ピラミッドから説明できる減少である。とりわけ登録信徒の多かった宗教は影響も大きいだろう。変な話だが、日本のキリスト教徒はこれまで一度たりとも人口の1%を超えたことのない信徒数しかいなかったため、影響が顕著になるのはまさにこれからだろう。30年前に既にヨーロッパでは信徒のいない教会をたくさん見た。信徒数の減少で立派な教会堂を維持できず、公共の施設や芸術作品の展示等の目的で使われていた。ヨーロッパの教会の信徒減少は人口減少と言うより社会の「世俗化」によるものだったと思う。

 またまた変な話だが、日本では現世利益を求めて教会に来る人はいない。むしろ今の時代、生きる心の糧を求めて教会に来る人が多いように感じる。そしてまた、日本のプロテスタント教会にも様々な教派はあるが、何しろ八十年前の戦時下に無理やりひとまとめにされてしまっていたから、現在日本基督教団という一応の代表的組織があり、様々ありながらも話し合いが持てている。「もはや教派にこだわっている場合ではない」という、欧米では決してあり得ない共同宣教もでき得る足がかりとなるのではないだろうか。「宣べ伝えられているのがキリストであるならば、共同しよう」と決意できるアドバンテージが日本にはあると、私は希望を持っている。


2025年2月7日金曜日

「冬場の帰省」

  少し前にラジオでリスナーからこんな投稿があった。投稿者は北海道在住の母親。「昨年東京の大学に進学した娘が正月にも帰って来なかった。メールや電話は頻繁にしていて心配はない。しかし…先日した会話。娘:『朝の気温が4℃で寒くて起きられない』 母:『こっちはマイナス15℃だよ。4℃なんて春の気温だべさ』 そうして投稿は「娘よ、北海道を忘れないでほしい」と綴られていた。思わず、「おお、分かる。娘さんの気持ちも母親の気持ちも」と膝を打った。私も今年の1月は帰省していない。12月の帰省時期はクリスマスだったし、1月後半には通院予定があってまとまった期間を取れなかったからである。

  冬場の帰省は天候と気温の問題が常につきまとう。2月の帰省は12月からの間隔を考慮するとあまり後ろにずらせず、今季一番の寒波が来るというアナウンスの中、「えい、ままよ」と帰ってきた。自宅を8時過ぎに出るという冬場特有の時程で上野駅に到着。新幹線の時刻には余裕で間に合ったが、早速ホームで遅延のアナウンスを聞く。東京駅の出発が安全点検のため遅れていると言う。初めてのことである。長引かなければいいがと思いつつ待っていると、11分の遅れで到着。自由席も7割程度の混み具合でゆっくり座れてよかった。東京は雲一つない快晴で、これは宇都宮を過ぎても続いたが、白河を過ぎる辺りで外の景色は一変、いきなり真っ白になった。しかし、新幹線はごくわずかだが遅れを回復しつつ福島に着いた。有り難し。ローカル線の駅では兄が迎えに来てくれていた。辺りは雪だが、道路はアスファルトが見えているのでホッとする。これは寒冷地では願ってもない僥倖と言ってよい。

 寒さは生物にとってリスクであるが、それは歳と共に強まっていくように思う。母も父もりくも冬に亡くなった。兄が入院したのも冬、バスを待つのが寒かった記憶がある。特に普段暖かいところで生活している身には応え、帰省にはつい二の足を踏んでしまう。だが、冒頭のラジオの話ではないが、一片の真理として、時々現地に足を運ぶのは大事なのである。やはり人と直に会い、土地の環境に身を置くというのは特別なことだ。私の場合、月一の帰省の大きな理由の一つに母教会の訪問がある。普段「会報」などを通して、またお互い祈り合うことを通して親しんでいる教会の方々に会うのは格別で、内側から力づけられるのをしみじみ感じる。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)」の御言葉の通りである。今回も無事帰って来ることができ、神様に心から感謝である。