2024年11月29日金曜日

「お役所仕事と民間企業」

  公的機関あるいは民間企業であっても公的性格の強い企業と言えば、役所、警察、消防、病院、銀行、公共交通機関などが真っ先に頭に浮かぶが、歳を取るとこのような公的機関と接触する機会が増えるように私には思える。仕事に費やされていた時間が減少し、生産性どころか端的に体力が弱まって様々な不都合が生じ、公の世話にならざるを得なくなるのである。お役所仕事と言えば悪評と相場が決まっていたが、もうこれは完全に間違っていると体験的に断言できる。私が接した範囲では、この方々は本当に仕事に真摯な態度で取り組み、原則に従って粘り強く課題解決に向けて進んでいく印象が強い。

 先日、銀行で順番を待っていると、或る男性老人が手続きをしに来ていたが、この方の態度が誠によろしくなかった。「これがいわゆるカスハラ、カスタマー・ハラスメントか」と、何とはなしに聞き耳を立てていると、その老人はぶつぶつと悪態をつきながら、聞くに堪えない言葉で暴言の限りを尽くしていた。最初に応対した受付の女性は用件を聞き、「各種申請」の担当部署に振り分けるところまでが役目である。この時までに既にこの老人は「いいから早くやれよ」などと何度も暴言を吐いており、「こんな人もいるのか。あの人恐かっただろうな」と私は驚きもし、また対応の矢面に立つ行員の苦労を思った。

 「各種申請」の窓口でも、その老人は「さっさとやれよ」などと口汚く言い、キャッシュカードの再発行か何かで本人証明が必要なのに、「区役所に行ってきた、何度言わせるんだ」と叫ぶばかり。区役所に行ったのは本当らしいが、この態度では相手にされるはずがない。この老人は今まで相手を恫喝することで話を進めるという手法で生きてきたのだろう。「駄目なものは駄目」と当たり前の姿勢で対処されても、正攻法でない何らかのあくどい手法で切り抜けることに慣れてしまったに違いない。対応に当たる窓口の若い女性は少し本人を待たせた後で戻ってきて、「今わたくし、区役所に電話いたしました。もう一度おいでいただかないと出せないそうです」と毅然と対応。この人すごい。私は心の中で喝采を送った。

 次に本人証明として銀行の端末に個人情報を本人が入力するという方法があるのでそちらを試すことになった。しかしこの方は、私から見てもお気の毒なくらいITに不慣れな方で、全く入力できない。「あんたやってよ」という言葉に、担当女性は「ご本人にやっていただくことになっています」と一蹴。「まず、『か』を2回連続押してください。『かか』になっちゃいました。×印押して消してください。連続でポンポンと2回押してください」と四苦八苦しながらもほとんど進まない。この方法が駄目だと見るや、彼女はフリック入力に切り替えたらしく、「では『か』を長押しして指を左に滑らせてください。あ、できましたね。では次・・・・」となって、この方法で結構入力が進んでいくようだった。その丁寧で的確な指示の出し方に私は感動を覚えながら、「無事終わるといいな」と応援していた。

 この方の対応法のすごいところは、決して門前払いしないということである。こんなに態度の悪い相手もあくまで客として扱い、できるだけのことをしようとするその姿勢自体、私などからすれば驚嘆に値する。さて、入力作業はもう少しで終わるかと思われたが、本人自身が最後まで辿り着くのは無理と分かったらしく、自ら入力作業を中途で放棄。老人は「もういい。他でやる」と捨て台詞を残して去って行った。店内の皆がほっとしたはず。まあ、あのまま続いて個人情報が駄々洩れになっても困るし。それにしてもこの若い女性行員の対処の見事さには脱帽。働くことの尊さを見せていただいたと思った。私の番が来るまで1時間かかったが、これも社会勉強、この女性行員はもちろん私の用件も、一つ一つ手順を踏みながらテキパキとさばいてくれた。

 民間会社との対応として最近経験したのはお湯の配管工事である。これに関しては、恐らく現業全般について言えることだと思うが、圧倒的な人手不足を実感した。原因特定の調査に入ってから見積りが出るまでに2週間、工事はその1週間後という状況で、こちらは気を揉みながら待つしかなかった。管理会社から「水道管会社と直接対応で工事をしてください」と言われたのでそのようにし、「できる限り急いでください」とのメールを打ってもみたのだが返信なし。10日程たって途方に暮れ、管理人さんを通して管理会社から連絡してもらったらその日の夕方に電話があり、見積りも夜になって送られてきた。ここから学んだことは、「個人で動いても効果は薄い。管理会社を動かすしかない」と言うことである。恐らく管理会社の方は少しでも手間を省こうとして水道管会社との直接対応をさせようとしたのだろうが、これは功を奏しなかったわけである。管理会社の方も水道管会社の営業の方もどちらも目一杯やってくれているのはよく分かる。忙しすぎるのである。仕事が多すぎるのである。人手が足りなすぎるのである。

 現場の工事に来た2名は、こんがらがった配管を丁寧に突き止めながら、その場の状況判断で工法を変えなければならない大変な工事をやり遂げてくださった。職人さんのこういう現場対応力は一朝一夕に培うことができないものであろう。感謝のほかはない。こういった一連の事態に直面して、社会で働く人々のお世話になっている身としていつも思うのは、現役世代の方々や今の子供たちを何とか応援していきたいという願いである。彼らの上に幸いがあらんことを心から願うばかりである。


2024年11月22日金曜日

「非常持ち出し袋」

  水難をきっかけに私の防災意識は一挙に高まり、それまで用意していた緊急避難袋の点検を始めた。区から届いた「災害時安否確認申出書」に同封されていた「非常持ち出し品」のチェックリストを見るや、私は自分の考え違いを悟った。チェックリストを順に書き出すと、

 飲料水・食料(水やお湯を使わないもの最低2食分)、上履き、タオル・着替え、スマホ・充電器、電池・懐中電灯、携帯ラジオ、ティッシュ、ポリ袋、簡易トイレ、常備薬・お薬手帳

<感染症対策として>

 マスク、アルコール消毒液、体温計、ハンドソープ・固形せっけん、使い捨てビニール手袋

となっている。要するに、「そのまま食べられる最低2食分の食料」というところから分かるのは、「非常持ち出し袋」とは、まず取り敢えず1泊を乗り切る程度の最低限の準備だということである。これなら家にあるものをまとめて大きめのリュックに放り込むだけでよい。

 これまで避難袋に私が入れていたのはかなり余分なものが多かった。アルファ米、ラップ、スイスアーミーナイフ(大小のナイフと缶切りやら栓抜きやらを一体化して折りたたんだ携帯用具)、同じ会社のスプーンとフォークが組み合わされて折りたたんだ携帯用食事用具、コップ、はさみ、爪切り、ライター、ろうそく、トイレットペーパー、軍手、ミニ洗濯物干し、ロープなどなど…。確かに最低限普通の生活をするにはこういったものが必要であろう。しかしこれらは、何とか家で暮らせる状態もしくは一旦家に戻れる場合に必要になるモノである。つまり「避難対策は2段階で行わなければならない」ということである。恥ずかしながら、私はこのことを初めて意識した。これからは1泊用の「非常持ち出し袋」と家用の「避難用品箱」に分けて考えることにした。

 家の「避難用品箱」には、ペットボトルの水、お湯を注げば食べられるインスタント食品、アルファ米、缶詰などの食料、それに簡易コンロを備蓄しておく必要がある。これまでの備蓄品を点検すると問題が明らかになった。アルファ米は完全に消費期限切れ(このさい賞味期限は問題外)であり、簡易コンロは最後に使ったのがいつか思い出せないという危険な状態であった。ラーメン等のインスタント食品は塩分が気になって普段ほぼ使っていなかったが、このところ電話待ちで家から出られないことが続いた経験から、「これもやはり少しは必要だな」と実感。買い物に出られないというのは一種の非常事態である。

 次に1泊用の「非常持ち出し袋」の食料に関しては、愛用しているカロリーメイトは最適だと思う。まさか1泊の避難生活先で魚の缶詰を開けて食べるわけにもいくまい。あとはカンパンもよいが美味しくはないので、代わりにお菓子類(チョコレート、飴、お煎餅)も侮りがたいのではなかろうか。期限切れを起こさないための工夫としては、家の「避難用品箱」に入れる食料はキッチンの食品庫ではなく、初めから分けて「避難用品箱」に入れ、古いものから消費すればよい。アルファ米など普段食べないものは1年に1度入れ替えるくらいでよいだろう。1泊用の「非常持ち出し袋」に入れる食料も初めから分けてここに入れ、同じく古いものから消費すればよし、これはそもそも普段食べているものだから問題なく回っていくはずである。

 さて、チェックリストの物品を「非常用持ち出し袋」に詰めていったが、次々と疑問が湧く。飲料水1ℓは重い、500mlでよいか、季節にもよるな、夏ならもっと要る、季節によると言えば着替えだってそうだ、ここは冬を旨とすべしかな、低体温症になったら大変、タオルならバスタオルは要らないか、いや枕にもなるしな、スマホと充電器はいつも電源に繋いであるので袋には入れられない、電池は単4でいいのかな、携帯ラジオがそうだから、電池も定期的に入れ替えないと消耗するな、お薬手帳はいつも通院グッズと一緒のところに置かないと忘れるから、薬の説明書でいいか、アルコール消毒液は小さめのスプレーボトルに入れないとすぐ使えないな、体温計の保管場所は薬箱から「非常用持ち出し袋」に変更しよう、マスクや使い捨てビニール手袋は5枚くらいずつあればいいのかしら・・・・。書いてないけど、あと大事なのは初動の服装。普段はパジャマじゃないと眠れないが、いざという時はやはりジャージの上下と運動靴だろう。薄手のヤッケもあるといいかな。これらは別の袋に入れて枕元へ置いておこう。合理的と思われる準備をしていったら、山歩きしていたころのリュックはパンパンになった。寝袋も出てきて、これは役立つこと間違いなしだが、これらを背負って果たして私は避難できるのだろうかという究極の疑問が残った。


2024年11月15日金曜日

「水難の相」

 1日目

 帰省から帰ってメールボックスを開けると、集合住宅のシステムセンターから「階下で水漏れが発生しています」との仰天のプリントが入っていた。「応急処置として水道の元栓を閉めています」とのことで、慌てて管理会社に連絡を取り、翌日水道設備点検会社にきてもらうことになったものの、「水栓はできる限り閉栓しておいてください」とのことで、洗濯も料理も入浴もできないと分かった。管理会社や水道設備会社との電話のやり取りや電話待ち等で階下の被害状況も分からぬまま一日あわただしく過ぎる。

 どっと疲れが出たが、しっかり食べねば翌日以降の対応に差し支えると、当日と翌朝の食料をコンビニで入手した。気落ちしてほかは何も手につかず。ただ、トイレだけは水槽に水を貯めねばならないので、仕方なく「水栓を開けては超特急で閉める」の繰り返しで、全く落ち着けない。防災の日にペットボトルの水を入れ替えてあったこととお風呂に水が張ってあったことで、飲料水や身体の清拭には困らなかったのがせめてもの幸いだった。


2日目

 朝5時に目覚める。昨夜は12時まで眠れなかったが思いがけず5時間ぶっ続けで眠れ、すっきり起床できた。9時に水道設備点検の方が来た。キッチンや洗面所の裏板を外し検査していたが、どうも温水の配管から水漏れしていることが分かった。それから洗濯機付近やお風呂場へと移り、場所はお風呂場と特定された。水道屋さんが「参ったな~」と渋い顔をしたのは、風呂場は全体がユニットバスで構成されており、裏板を外して見ることができないから。どうも厄介な工事になるらしい。また、配管を今までのように裏に隠すことは無理とのこと。エアコンのように管をカバー付きで壁を這わせるしかないという。私に否やはない。とにかく早く修復してほしいだけである。私の住戸の配管が修復されない限り、階下の修復も遅れてしまう。できるだけ早く見積りをおくってもらうため、郵送ではなくメールアドレスをお伝えした。

 問題の在り処が判明し、見通しが立ってほっとした。私にとって一つ希望が持てたのは、「使えないのは温水の配管だけで、水の配管の方は使える」ということ。水だけ使えれば当面十分ありがたい。ようやく気分が晴れて、買い物にでる。帰りに玄関で管理人さんに水道点検の結果を報告すると、「見積りを取って工事したら、報告書を水道設備点検会社に書いてもらって、被害宅の保険金の申請をする」という手順だと教えていただく。そのまま階下のお宅にご挨拶に行く。原因を伝え、と被害を与えたこと、ご挨拶が遅れたことをお詫びする。私と同じかなり昔からの居住者のためか、「どこの家でも起きうることですから。わざわざどうも」と言ってくださったので、ほっとした。帰って、お風呂の水を入れ替え、洗濯をし、夕ご飯をきちんと作って、「ああ日常が戻った」と思った。同時に、地震や水害の被災者はどれだけ大変なことかと思わずにはいられない。


3日目

 朝、集合住宅の管理組合が入っている保険会社から電話あり。

 この保険には共用部の災害補償だけでなく、個人賠償責任の補償が含まれているので、階下への被害はここから支払われることになる。電話の用件は、水漏れ事故の確認と私個人で入っている保険の確認だった。電話をもらうまで、個人加入の保険会社のことは頭になかった。「当然連絡しているだろう」というニュアンスだったが、何しろこんなことは初めて、それどころではなかったのが現状。また、階下へのご挨拶が済んでいるかとの確認もあった。昨日のことを話すと、「話の通る方で、よかったですね」と。

 電話を切ってすぐ、個人加入の火災保険を引っ張り出し確認する。それから管理会社に「管理組合加入の保険と並行して個人加入の保険の問い合わせを行ってよいのか」と電話で質問する。答えは、「管理組合加入の保険と個人加入の保険会社の間で情報共有することになり、保険金の請求は併せて行えるので、担当者のお名前と連絡先を聞いておいてください」とのこと。

 さっそく、個人加入保険の代理店に電話して用件を話すと、保険会社から電話があった。恥ずかしながら私が初めて知ったのは、保険は「建物」補償と「個人賠償責任」補償に分かれており、「建物」の補償としては、「水道管の破損等は補償の対象ではない」ということ。それじゃ、保険に入っている意味がないと私は思うのだが、多分こういうものまで補償していたらもたないのであろう。補償するのはそれによって被った床の水濡れ等の被害とのこと。私の住戸には今のところ目に見えるような被害はない。「取り敢えず『保険金請求書』を送るので、水道設備会社の水濡れ『報告書のコピー』と水濡れの『写真』、『修復の見積り書』を送ってください」とのことだった。これはほぼ自分には関係ないなと思いつつ聞いていると、「個人賠償責任」補償の方は、別の部署から電話が来るということだった。

 電話を待つがこの日は来なかった。工事や保険のやり取りでは「電話を待つ」ということが多く、家を空けられないのでちょっとした買い物もできずに閉口する。こんな具合で、この日も大変だったが、確実に進んでいる実感を糧に一歩一歩やっていくしかない。


4日目

 朝起きたら、トイレの床に水濡れがあった。雑巾では吸い取れないくらいで、水道設備会社を呼んでくれるよう、朝一で管理人さんにお願いする。「すわ、これが例の水濡れか」と思ったのである。その日のうちに来てくれることになり、何度か電話でやり取りする。午後4時ころ営業の方が来てくれることになり、私も水の出所を調べているうち、どうも破損した配水管関係ではなく、水道管とタンクが接続するあたりから3秒に1回ほどぽたぽたと水滴が落ちていると分かった。二日前に調査に来た時そのボルトも開け閉めしていたので、閉めの調整が足りなかったのではないかと思われた。直前にもらった電話でそのことを話しておいたところ、営業の方だったが工具を持って現れ、なんとか調節していただけた。大事でなかったことに安堵したが、一難去ってまた一難である。ついで風呂場の温水の配管についても少しお話を聞き、こちらから連絡できるよう、名刺をいただいておいた。

 ところがこれで終わらず、もう一つ「が~ん「となることがあった。水を浴槽に入れてあればお風呂の追い炊きはできると思っていたのだが、5分くらいは「追い炊き」が点滅して消えるという事態に遭遇。お湯の配管と関係があるかどうかは分からないが、メーターボックスの中は怖くて触れないので、今度工事に来た時に見てもらうしかないと思う。まあ、やかんにお湯を沸かして体の清拭はできるし、顔や足は水で問題なし。能登の方々を思えばなんてことない。とにかく今日はトイレの床の水濡れ問題が今日中に解決したことを神様に感謝。


5日目

 昨日直してもらったトイレのタンクのつなぎ目からは1~2時間に1滴ほどの水滴が落ちることが判明。これはもう工事の時、再度調整をしてもらうしかないと腹を決め、タンク下に水受けを置く。お風呂の追い炊き機能については、お湯の配管がつながらないと追い炊きできない仕様のガス給湯器なのではないかと思い至る。これも工事の時確認しなければならない。なかなかすっきり片付かないが、ここはじtっと我慢だな。他の生活はきちんと保たれていることに感謝である。


6日目

 日曜で礼拝に出かける。これまでの数日を思い、「安息日とはこのようにありがたいものか」としみじみ感じる。


7日目

 午後4時半過ぎ、個人加入保険の「個人賠償責任」補償担当者から電話あり。「連絡がいきます」と言われてから3日ほど経っている。下の階の方の連絡先を聞かれるが、「住所はわかりますが電話番号は知りません。集合住宅の管理組合加入の保険会社が対応してくれるはずです」とお答えする。「補償のことで何かありましたら、連絡ください」とのことでお名前と連絡先をお聞きし、管理組合加入の保険会社にもお伝えする許可を得る。次いで管理会社の担当者にもその旨お伝えする。


8日目

 外出から帰宅して夕方、水道設備会社に、「お風呂の追い炊きができず、トイレのタンクからも微量の水滴が落ちているので、できる限り急いで見積りを送っていただき、工事に着手してほしい」旨のメールを送る。 


9日目

 最近水難を経験し、にわかに防災意識が高まってきた。ずっと前に用意した緊急避難袋を更新して整備しなくてはと気づく。衣類等も選択が必要だし、他の生活用品や食料品の見直しも必要だが、準備するのに何日かかかりそう。

 折しも区から「災害時安否確認申出書」なるものが届き、河川の水位・非難の情報を電話で知らせてくれる制度の申請登録書もあった。有り難いことである。緊急時の避難や避難所での留意点などを書いて申請した。最近は町内会に入っていない住戸も少なくないと言うが、集合住宅として加入している町内会があってよかった。災害時には個人情報云々を言っている場合ではないのだ。できることは極力自分で行うが、こういう行政サービスがあると安心である。のほほんと暮らしていた日頃の生活を反省させられている。

 


2024年11月8日金曜日

「教会墓地」

  今年の11月3日は日曜でした。毎年11月の第一日曜は逝去者記念礼拝と決まっており、いつもそれに合わせて帰省しています。今年は少し前に教会員で親しくしている方にメールで連絡を取ると、前々日の金曜に教会墓地のお掃除があることが分かりました。「私も参ります」と返信して、当日は兄に信夫山の教会墓地まで送ってもらいました。所定の時間より前に到着したのですが、皆さん(私のほかに3名)すでに掃除に取り掛かっていました。敷地は少し前までにシルバー人材センターの方にお願いして草むしりが済んでおり、あとは飛び出た枝葉を落とし、枯葉を熊手や箒でかき集めて捨てることと、墓石を一つ一つ洗って雑巾をかけ、お花の水を用意する仕事が残っているだけでした。いつもは前日にお掃除をするそうですが、今回は週日雨の予報だったので急遽金曜になったそうです。

 そうこうするうち、たまたま信徒の姉妹の方がお花を供えに見えたのでしばし懇談し、その方がスマホに入れてきた伴奏に合わせて、「いつくしみ深き」の讃美歌を皆で歌うことができたのは、思いがけない僥倖でした。お掃除が終わると、今回のリーダー役の方がその場でコーヒーとお菓子を振舞ってくださったのにはびっくりでした。教会墓地の敷地は学校の教室よりは少し広いくらいの面積で、お掃除はやはりそれなりに時間がかかります。今年初めてお手伝いしながら、「毎年こんなに大変なことをしてくださっていたのか」と改めて申し訳なく、また感謝しました。来年以降も少し早めに帰省してお掃除に参加することをお約束してきました。

 さて3日当日、前日の大雨に関わらず快晴でしたので、「11月3日は『晴れの特異日』というのは本当だな」と感心しつつ、教会に向かいました。「ヘブライ人への手紙」11章13節~16節より「旅人であり寄留者」という題で説教をお聴きし、地上の生が短くなり天の国が身近な歳になった今は、「本当にその通りだ」という感慨を抱いています。礼拝後、有志の方々で信夫山に行き、墓前礼拝を献げました。聖書は「コリントの信徒への手紙一」15章42節~44節、

 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。(口語訳)

 この箇所も、教会が天に送った歴代の召天者を頭に浮かべる時、「本当にそうだなあ」と心底思います。11月の福島とは思えない絶好の日和で、心から感謝の時でした。