2024年7月26日金曜日

「変わりゆく渋谷」

 帰省している時以外は、ほぼ毎週日曜は礼拝出席のため渋谷に行きます。そのためここ数年、再開発によって渋谷駅界隈が変貌する姿をつぶさに見てきました。地名に「谷」という字があるだけあって、渋谷はどこに行くにも坂が多い街です。私が通う教会は丘の上にあるので、以前は駅から登っていく位置にありました。通い始めた十年以上前はそんな坂など物ともせずに登り降りしていましたが、牧師先生が説教の中で「坂道を毎週えっちらおっちら登ってくる」ご高齢の信徒のことに触れるたび、「このルーティンを毎週こなすのが大変になる時が来るのだな」と心していました。また、実際に変形性膝関節症になった時は、エレベーターとエスカレーターの位置を頭に叩き込んでおかないと移動できないこともあったのです。教会堂自体も再開発に伴い、少しの距離ではありますが移動せざるを得ず、新会堂への引っ越しはやはり大変な事業でした。

 先日、ラジオで「渋谷駅にあらたに新南改札が設けられた」という話をぼんやり聞いて、「ん? それはもしかしてあのJR線の真上のこと?」と、思わす耳をそばだてました。もしそうなら、「JRを使う人にとって教会までの道程は恐ろしくショートカットになるな」と思ったのです。期待に胸を膨らませて、先日礼拝に行く際に注意して見れば、小さいながら真新しいJR改札ができており、「これはすごい!」とうれしくなりました。ここしばらくの暑さは私でも「無事に帰って来られるかな」と心配になるほど災害級に強烈ですが、私よりはるかに年長の方が礼拝に出席されているのには感嘆するほかありません。案の定、その日はこの新南改札の話題で持ちきりでした。JR駅からエスカレーターを使って、ほぼ水平移動で教会までたどり着けることになったのです。

 実のところ、私はバスで移動しているためこの新改札の恩恵はまずないのですが、これだけ近いと時短のためたまには利用してみようという気になります。渋谷ヒカリエより南や東へ延びる総合施設の開発も急速に進み、外国人を主客層とする渋谷ストリームSTREAMや、異文化をつなぐスポットとして設計されたらしい渋谷アクシュAXSHなどが次々と完成しました。この間、一週ごとに変貌していく様子を砂被りで見て来られたのは、なかなか楽しい体験でした。ただ、少し心配なのは鎌倉や京都や富士山麓ほどではないにしても、やはりオーバーツーリズムではないかということです。これまで渋谷駅西口からのバスは、そこで大方の人が降車するので必ず座れたのですが、先日はバスの後方まで行ってもまさかの満席、そしてその多くが外国人でした。私は顔までは認識できないのですが、体のサイズが日本人離れしていたので恐らくそうだろうと思います。もしかすると路線バスを手軽な観光バスとして利用していたのかも知れません。京都の市バスの混雑を気の毒がっていたのに、まさかこんなところにまでインバウンドの影響が出るとは思いませんでした。シルバーシートに座るのも気が引けるし、乗客が多い路線はバス便を増やす以外ないのではないかなあ。それに二人掛けのシートに外国人が二人で座るのは相当きついだろうし・・・。観光立国を標榜するなら移動手段の整備もきっちりやっていかないと、観光客も居住する都民もストレスが溜まりそうです。小池都知事、都心を体験しようとやってくる多くの方々のため、移動手段へのテコ入れもなにとぞよろしくお願い致します。


2024年7月20日土曜日

「自己実現のパラドックス」

  若い人の就職について考える機会がありました。現在の若い人々の就労の在り方は一昔前からは想像できないほどの変化を遂げているようです。初職を得た職場にずっと勤めるつもりの人は多いとは言えず、転職は当たり前の事らしい。特にここ数年は若手労働者の取り合いになっているようで、「数年前まで大企業の採用は新卒9に対して中途(いわゆる第二新卒)1だったのに、今はほぼ5対5になっている」とラジオでは告げていました。

 大抵の人にとって「自分がしたい仕事」、「自分に合った仕事」というものはもちろんあるでしょう。他面、それを選択してうまくいくかどうかは、或る意味、誰にも分らない永遠の謎と言えるのではないでしょうか。一般的に仕事の選択にあたっては、「やりがいや使命感」を軸に、賃金や労働環境、ワークライフバランス、将来の見通しなどの視点を勘案して決定するのでしょうが、今の若い人はこれに加えてさらに、社会に出る前から将来にわたる自律的キャリア形成のヴィジョンを求められます。かつて芸術系の世界で自己実現を望んだ若者が自発的におこなった選択とは違い、これは社会の要請によるものであり、学校のキャリアセンター、就職情報企業の就活セミナー、若者を採用する企業の就職説明会をはじめ全メディアを挙げて喧伝されているのです。このターゲットはかつて高等教育に進まず夢を追った若者層ではなく、高等教育を受けて正社員を目指す若年労働者のボリューム層です。この層に向けて集中的に同じ方向づけがなされるのですから疑問を持つ人はまれで、皆乗り遅れまいと何だか分からぬ巨大な潮流に飲み込まれてしまうのは如何ともしがたい。或る年代以上の人には経験のないこの事態、すなわち、将来のキャリア形成を見据えて目の前の仕事を主体的に意味づけし、社会状況の変化に常に対応できるよう持続的に学ぶこと、そして下した決定がもたらす現況は全て自己責任として本人に帰せられるという過酷な風潮が、今の若者に課せられているのです。

 同世代の過半数が高等教育を受けるようになり、またキャリア教育が徹底されるようになった現在、社会の中で自分の場所を見つけようとする時、若者が苦悩するのは理の当然です。現状を分析し、そこに最適化できるようにスキルや経験を積み上げようとする人は今いる地点に満足せず、転職してさらに上を目指すでしょう。自律的キャリアを生きるべく教育されたため、自分のしたいこと(本人にとってはそれができなければ生きる意味がないと思えるようなこと)がそれなりに確固としてあるので、それがかなわぬ状態では不満がくすぶり続けます。「どこまでも自分は自分でいたい」という自己実現の願望はキャリア教育によって格段に強固なものにされたと言ってよいでしょう。才能や運に恵まれうまくキャリア形成ができる人がいる一方、逆に「ここじゃない」と転職をくり返して心身をすり減らしたり、職場で不遇感を募らせる人も多いでしょう。よりよいキャリア形成のために「こうすればほぼ必ずうまくいく」といったことはあり得ず、どのような結果が出てもそれは自己責任として受け入れなければならない社会になりました。

 職業を決める時の一番の動機は、まず誰にとっても「やりがい」であることは確かで、自分の仕事が社会でどのように役に立つ仕事であるかを考えない人はいないはずです。しかし、新卒一括採用が基本となっている現状では、これまで進学時における入学試験で経験してきたのと同様に、同世代の中での偏差値という視点を捨てきれず、みんなが目指す企業を選択肢に入れ、取り敢えずそこにおさまってしまう場合が非常に多いように見受けられます。既存の大企業が今後どれだけ発展できるのか私には分からないものの、これまでのやり方では駄目だろうという予感だけは強くあります。だから、仕事への関心や覚悟、向き不向きや才能を度外視して従来の思考枠の延長で就職した場合、自分が望んだキャリア形成に成功する可能性は低いと言わざるを得ません。勉学で成果を上げられるマインド及び能力は、仕事で成果を上げるためのそれとは全く別物だからです。ここに至って「何をして生きていくか」という仕事における自己実現は本当に大きな課題となって若者の日常を覆うことになります。

 『夜と霧』で知られるV.E.フランクルは強烈な体験をもとに、精神医学会でロゴセラピーという研究分野を創出しました。『夜と霧』のドイツ語原文タイトルは“Ein Psycholog erlebt das Konzentrationslager”(『或る心理学者の強制収容所体験』)ですが、その後に出版された講演集のほぼ同名のタイトルに付された前置き、“…trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager”(『それでも人生にイエスと言う』に注目するだけでも、これはもう途轍もない内容の本だと分かります。自殺を企図するものが続出するという極限状況において、それでも生きる意味を問うということは、穏やかなご利益宗教が横溢する環境にある者にには理解をはるかに超えた到達点です。真正のユダヤの知性がその特殊な人生を自分への問いとして捉え、究極の思考の末に辿り着いた境地なのだろうと想像するしかないのです。

 ロゴセラピーの日本での提唱者、勝目茅生さんは『ロゴセラピーと物語』の中で、「いわゆる自己実現は普遍的な意味を実現させたとき、その見返りとして初めて出てくるものなので、これを行動の目標にすることはできない」と述べています。そしてフランクルの譬え「自己実現のブーメラン」を引いて、「そのような(自己実現を目標にする)人たちは、ブーメランのようなものだ。ブーメランがいつでも投げたハンターのところに戻ってくるというのは間違っている。ブーメランは目標に達しなかった時だけ、つまり獲物に当たらなかった時にだけ、自分のところに戻ってくるのだ(フランクル『ロゴセラピーと実存分析』)」と書いています。何と卓抜した比喩でしょうか。ここで言う「普遍的な意味」とは万人に共通するという意味での普遍性ではありません。刻々と人生から送られてくる問いかけを各人が耳を澄まして聴き取り、それに対して全力で応えていくという意味なのです。人生からの問いに答えようと専心した時にのみ自己実現ができるのであって、目標を間違えて自分だけに目を向けてしまうと、まさにそのことによって自己実現に失敗すると述べているのです。

 護送船団方式的メンタリティで長年やってきた世代では、或る程度流れに乗っていれば惰性で過ごしていてもなんとかなりました。自己実現などと言う大仰なことを考えなくて済んだのです。終身雇用が当たり前だった時代には、考慮すべき問題はほぼ職場の中に限定されており、人生の大転換を伴うようなキャリア形成や将来の展望など考えずに過ごした人が過半でしょう。それに比して、少なくとも戦後の日本においては今ほど個人の決断がその人の将来の在り方に直結する時代はなく、その点で今の若者は大変です。

 しかし、そのことは決して悪いことではないと、最近思うようになりました。それは年を重ねると、もうさほど長くない残りの人生について決断ばかりが増えるからです。次々と生起する問題に適切な判断を下すことは、生活の満足度や積もり積もって臨終における後悔しない生き方につながるので、真剣にならざるを得ません。それは絶えざる学びとたゆまぬ努力を必要とするものです。もし各人が若い時から一つ一つの選択について真剣勝負で学んで判断していくなら、そしてその経験の積み重ねによって人生を形成するなら、その人は自分についてのエキスパートになるはずで、そうである以上どのような人生になってもそれを受け入れる地平に達するに違いないと思うのです。今の人に一つメリットがあるとしたら、それは少子化です。とにかく労働人口が極端に不足するのは間違いないのですから、考えようによっては「自分のしたい仕事」ができる可能性は広がっているわけです。若い方々の健闘を祈ります。


2024年7月15日月曜日

「猛暑が変える生活様式」

  安生正の中編に、真冬の低気圧による大雪でホワイトアウトする都心の帰宅難民を描いたパニックもの『ダイアモンドダスト』がありましたが、厳寒の東京の恐ろしさもさることながら、昨今の異常気象が日本各地にもたらす脅威はなんといっても猛暑、それに大雨と洪水でしょう。梅雨も明けぬ7月上旬、危険な暑さに覆われた東京での生活は控えめに言っても戯画的にならざるを得ませんでした。

7月〇日  いつものウォーキングに出ようとして、とても無理と気づく。5時の時点で25度をはるかに超えている。買い物の必要があり、7時に開くスーパーに行く。「少しは歩かなければ」と思っての外出である。すでに太陽がギラギラと照りつけ、思わずクラッとする。たかが400mの距離が本当につらい。店内の冷気で一息つき、必要なものを購入して、よろよろと背負って帰る。この時間から「気を確かに持たなければ」と自分に気合を入れねばならぬ状態である。たったこれだけの外出で汗びっしょり、シャワーを浴びて人間に戻る。家でエアコンと扇風機を併用しながら過ごす以外、何もできそうにない。

7月×日  今日は500mほど離れたスーパーに用事がある。普段なら丁度良い運動になるところだが、午前中から30℃近いこの暑さの中歩いて行くほど命知らずではない。切り替えて、家のすぐそばのバス停から反対方向のバスに乗り、数キロ離れた別のスーパーに行く。この店舗がバス乗り場から100m以内だからである。ここで欲しいものが手に入ればそれでいいことにするつもりだったが、やはり用事が済まず、再びバスに乗り駅に向かう。件の最初に予定していたスーパーは駅のすぐそばで、それなら最初からバスで駅に向かえばよさそうなものだが、その店舗が高架を越えた向こう側にあること、そこに向かうバス乗り場が日蔭のない場所にあるのが難点だったのである。ようやく欲しいものを手に入れ、駅からバスで帰宅する。命を守るためには500m歩くよりも、数キロバスに乗ってでもバス停から近いお店を選択するほかない。


7月△日  「いい加減外出して体を動かさなければ体調が悪化する」と思い、朝早めに家を出て、時間をかけてバスで大学の図書館に行く。音声読書器はもちろん持参だが、暑いし重いのでパソコン等の電子機器はあきらめる。1時間ほどかかるがバス内は涼しいのでむしろ体調が整う。バス停から図書館入り口まで250mといったところか。樹木が多いので涼しく、自然の偉大さを体感する。館内では本の検索をしたり、開架書庫にある本をパラパラめくったりする。時々は閲覧室で座って読書を試みながら、1階から5階まで探検するのはとてもいい運動になる。しかし、疲れても横になる場所はないので午前中で切り上げ、昼食をとって帰る。

 この暑さでの交通機関の選択には、その日の天気、気温、湿度のほかに、「乗り場までどれだけ歩くか」、「乗り場までの道のりは日向か日蔭か」、「乗り場に屋根のある待合所はあるか」、「乗り換えがある場合は待ち時間はどれくらいか」、「都営地下鉄は地下での乗り換えが可能か、地上を歩いての乗り換えか」、「地下鉄の駅がショッピングができる地下街につながる位置にあるか(冷気が流れ込んで涼しい)」等、これまでにない要素を考慮しなければならない。大げさに言えばこの条件を加えるということは、これまでの都営交通体験の総決算として脳内コンピュータで最適解を弾き出すということである。かなりうまく対処できていると思うが、近隣の建物の工事の影響でバス乗り場が少し移動しているのには参った。前の場所は木陰だったが、今の場所は全く太陽を避けるものがない。さすがにそこまで見越して行動しろと言うのは無理でしょ。繰り返すが、まだ梅雨明け前。これからが思いやられる。


2024年7月10日水曜日

「バス旅愛好者」

  同好の士とはいるもんだと思ったのは、西村健の〝都バス三部作〟を読んだ時でした。これは定年退職してからシルバーパスを使っての都バスの旅にハマった主人公(元警察官)が、出会う人と都バス愛好者の輪を広げつつ、持ち込まれる小さな謎解きをしていく話(もっとも謎を解くのはいつも家にいる安楽椅子探偵タイプの料理研究家の奥様という設定)です。列車と違い時刻表トリックのような精密な謎はありませんが、都バスの旅と事件の謎解きを両立させるあたり、さすがに推理作家です。事件や謎自体はほんわかした内容なので、本格推理に重きを置く向きには少し物足りないかも知れませんが、私は好きです。この作家は方々にある富士塚や暗渠、江戸時代からの歴史ある地域性などに関心がおありのようで、私の知らないことがいろいろ書かれている一方、 「あ~、この人もバス旅に取りつかれちゃったんだな」とか、「そうそう、あの路線は本当に興味深いよね」などと声に出しながら楽しく読めました。

 主人公が利用しているシルバーパスは都営地下鉄も乗れますが、やはり地上の車窓を見ながら行けるバスは格別のようで、少しだけ徒歩で歩けば別の路線に乗り継ぎできるルートを発見したり、同じ路線を辿らず一筆書きで戻ってくるルートを考える楽しさは、私もまったく同感でうれしくなります。初めて知って驚いたのは、シルバーパスは都内であれば民間のバスや公営のコミュニティ・バスも全て乗車できるということで、これは都バス一日乗車券や都営まるごと一日券にはないメリットなので、「ぜひ長生きして試してみなければ」という気持ちになりました。それにしても十年前に比べたら、廃止された路線、まだ残ってるけど風前の灯火の路線、どの路線でもやせ細っていく時刻表など、これから都バスはどうなっていくのか多少心配ではあります。

 列車であれ車であれ、あるいは船であれ飛行機であれ、人は常に乗り物に一方ならぬ情熱を寄せてきました。その時代の技術の粋を集めて、乗り物は発明され発展してきたことを考えると、ホモ・エレクトゥスhomo erectusと呼ばれた「直立する人」が次に大きな関心を抱いたのは、まさしく移動するための手段に違いなく、人類のその段階を「乗り物に乗る人」と呼んでよいのかもしれません。ラテン語でなんて言うんでしょ、homo equitantes vehiculo?


2024年7月4日木曜日

「バレー熱、再来」

  つい最近まで、女子バレーはパリ五輪に出場できるかどうか気をもんでいたのに、いつのまにかVNLで銀メダルを獲得して帰国したのにはびっくりしました。福岡ラウンド以外は地上波での放映がなく、ラジオにBSは入らないため、試合をつぶさにフォローできずに残念でした。それにしてもまさかまさかの快進撃、久々にうれしいニュースでした。

 男子はどうしたろうと、すぐにネットで見てみると、準決勝スロベニア戦に勝ち、決勝へ進んだことが分かりました。スロベニアはパリ五輪予選で日本がパリ大会への出場を決めた時の因縁の相手で、VNLの予選リーグでは最も勝利率が高かったチームです。この試合は動画配信サイトで一部見ましたが、3-0のストレート勝ちという結果からは想像もできないほどの接戦で、どちらが勝ってもおかしくない試合内容でした。それでも3回続けて勝利を収めたのには何らかの理由があるでしょう。50秒を超えるラリーでの英語の実況中継では、拾って拾って拾いまくるディフェンスの粘りにアナウンサーも大興奮、最後に石川祐希がスパイクを決めた時はほとんど絶叫に近い「ジャパ~ン」コールでした。世界ランク1位のポーランドで行われた決勝だけに、これは日本のバレーが世界を魅了したプレーと言っても過言ではないでしょう。リベロの山本智大はベストリベロ賞を獲得しました。

 男子バレーの場合は明らかに、石川祐希という一人の選手が出現したことによって、ここまでの歩みがあったと言えます。学生時代からすでに「日本男子バレー界最高の逸材」と言われ、その後のイタリアリーグでの精進により着実に力をつけてきました。決勝でフランスに敗れた今回のVNLではベストアウトサイドヒッターに選ばれながらも、録画とともに行われたインタヴューでは「悔しい気持ちがまたふつふつとこみあげてきました」と。銀メダルでも浮ついたところが全くないストイックな姿勢には脱帽です。この人のすごいところは言葉と行動の両方でチーム作りができるところでしょう。彼の姿に触発されて、いつのまにか大きな目標を目指してチームが一丸となっている、細かなプレーの端々にお互いへの敬意と信頼がにじみ出るようなチームになっているのです。

 バレーが国民的熱狂に彩られていた時から50年以上たって、自分が生きているうちに、バレーボールの黄金時代再来か、と思わせてくれるような時代が訪れるとは思ってなかったな。希望の源となるような人が一人出れば、状況は本当に変わっていくことを教えてもらい、若い人に勇気をもらいました。