患者と医者の関係で一番幸せなひと時は、例えば骨折などで最終確認に行き、「治ってます。もう来なくていいです」と言われる時でしょう。逆に自分の病状がうまく伝わらない、体調の捉え方が違うという場合は、その治療をめぐって患者は苦慮することになります。
先日の診察で、骨粗鬆症薬服用後の顛末を医者に話しましたが、やはり医者は他の可能性(コロナ罹患)等を口にし、薬害を認めることはありませんでした。医者の立場として、その時の患者の状態を医学的に検査しなければ診断できないのはわかりますが、もうその時は過ぎています。やはりあの時救急車を呼んで大学病院に行くべきだったかとも考えましたが、あの時の状態を思うとそれは体の負担を増したはずで、私は医学の発展のために生きているわけではありません。数十年自分の体で生きてきて、あれが薬害であることは私には自明のことです。
「あの薬はごく一般的に使用されています」との言葉で分かるように、医者は一般的な患者を念頭に治療しているのです。しかし、特異体質患者も少ないながら必ず一定数います。私は「子供の頃から化学物質に滅法弱かった」こと、「服用後の夕方から症状が始まった」こと、「骨が内側から破壊されるような痛みだった」ことを話しましたが、他の可能性を医学的につぶして確かめない限り、医者にとって患者の体感など当てにならないもののようです。
ただ、「どのくらいで良くなりましたか」と聞かれ、「3週間です」と答えた時はさすがに医者もびっくりしていました。これがコロナであるはずがありません。体感的に毎日5%くらいずつ骨の痛みが引いていく感じでしたが、タオルが絞れるようになったのはやっと3週間目、こうしてみると計算が合います。「カルシウムは食事で摂るよう、より一層頑張ります」と申し出たところ、どうもそういう問題ではないらしい。医者が「ちゃんと調べてみないと使える薬が限られてしまう」と言うのを聞き、「この人はまだ薬を使う気なのか」と恐ろしくなりました。取り敢えずビタミンDに戻してもらい、この日は這う這うの体で退散。唯一よかったのは全般的な検査の値がこのところ改善して落ち着いていることでした。なんだか医者とのやり取りに疲れて帰宅、ぐったりです。
医者の治療のいいところは受け入れ、自分が納得できないものは拒否、そして日頃から食事、運動、睡眠の管理をしっかりすること、これに尽きます。実際、以前医者が鼻で笑った鉄卵の白湯はよい結果を示しており、小魚や牛乳も強化しているのできっとよい結果につながるでしょう。受診科がどこの病院にでもあるわけではない私のような患者は、病院を簡単に変えることができません。医者に新たな治療を加えられぬよう、全力で日常生活を送るというのも変な話ですが、結局自分の命は自分で守るしかありません。