2022年9月21日水曜日

「現代日本の介護事情」

  ずっと以前、ドイツを旅していた時、コンディトライ(ケーキ屋)で老年の紳士や婦人が一人(または少人数)で、優雅にお茶している光景をよく見ました。養老院のような施設も昔から街中にあり、お年寄りでも歩いてお気に入りのお店で過ごせるのは、とてもいいなと思っていました。人の寿命が以前より大幅に伸び、家族が老親の介護をすることが現実的に難しくなり、老人施設で集住して介護するという体制への転換が不可避となりました。一足先に介護保険を導入したドイツの制度を日本は参考にしたはずですが、2000年の導入以来、日本の介護政策は揺れに揺れてきたように見えます。

 以前はべらぼうに高額な有料老人ホームか低額の特別養護老人ホームしかなく、前者に入れる人は限られていますから、団塊の世代の高齢化に伴い特養が不足するのは明らかでした。しかし政府は支出の増大を抑えるため、金食い虫の特養を増設することを止め、老人福祉施設事業を市場に投げ出す方針に転換しました。これを金儲けの好機と見た企業が次々に参入し、様々な痕跡を残して消えたところが数多くありました。介護事業が企業の経済論理に合わなかったのです。一人一人状況や体調の違う利用者に対応するのは非常に困難であり、利用者、介護者双方に百人百様の課題があります。良心的な介護者ほど去っていく現場があるという実情もあり、利益を出せずに撤退する事業者が絶えません。一方、利用者の介護支援限度額全てを囲い込んで、利用施設で使わせることにより利益を上げる事業者もいて、財政支出を削減するという国の目論見は外れました。今はケアマネージャーに圧力をかけて、ケアプランの縮小に動いているようです。

 もともと集団生活は無理だなと諦めている私にはあまり関係が無いのですが、今の介護の現状にはため息しか出ません。90歳を過ぎても、一人でかくしゃくとした自立生活を自宅で送っていたドイツの義母の姿は理想の老後でした。日本でも「歩けなくなっても腕で匍匐前進し、トイレに行けるうちは在宅で過ごす」と言っているツワモノもいるようです。いや本当に、このくらいの負けん気がないととても自立した老後は送れないと思います。「女は35歳から老後を考える」と言われます。さすがに私はそれほど早くはなかったものの、この問題は相当考えてきました。とにかくギリギリまで在宅で過ごしたい。これに尽きます。さ、今日も公園に行ってウォーキング、実践あるのみです。