テレビを聞かない生活になって気分良く過ごしています。以前は朝の情報番組を聞くことがありましたが、CMが多すぎてこれもやめました。簡潔なニュースと天気予報ならラジオがよろしい。天気だけならネットですぐさまチェックできます。インターネットは調べ物以外使いませんが、疑いながら短時間使うには良いメディアだと思います。テレビの場合、流される情報の大部分が不要であり、知らずにいて困るものはありません。テレビのない生活はなんと清々しく、晴れ晴れとした心持ちをもたらしてくれることでしょうか。
広告業界はテレビからネットへとその重心を移しつつありますが、ネットも短時間しか利用しないとなれば、広告に触れる機会はぐっと減ります。外出時に目にするものは高が知れており、第一よほどその気で見ようとしない限り、私には見えません。残るは玄関のメールボックスです。私のメールボックスには「広告は入れないでください」旨の表示があるので、設備関係のちらしがたまに入る以外はほぼ皆無ですが、最近厚手で立派な二つ折りダイレクトメールが頻繁に入ることに気づきました。どれも新築マンションの分譲など不動産に関わるもので、よほど売れないのだなと思います。というより、日本の空き家が一千万戸とも言われる中でどうして建て続けているのかがわからない。今後持ち主が辿れず朽ちていく空き家の崩壊をどうするつもりなのでしょうか。今は持ち主がわかっている住居でも、手入れされずに年月を重ねているものもあり、その後のことには何の手も打たれていないのです。これまでに当然なされるべきだった法改正を今するしかないはずですが、長年の利権がそれを妨げています。最近の頻繁な不動産広告からそこはかとない前兆を感じ、このところの都心不動産ミニバブルがいよいよ弾けるのかと想像しています。そこに住んで暮らしている人には全く関係のないことですが、投資や投機的目的で不動産を買っている人は大変でしょう。持ち主が海外在住で集合住宅の管理や修繕に関心が無いといったケースは、さらに問題が深刻かもしれません。
多くの人がそうだと思いますが、日本では日々の暮らしで「もう欲しいものが無い」という充足した状態にあります。広告業界はこれを何とかするために、古いものを捨てさせ、周囲を気にさせ、本来無い欲望を掻き立てようとしますが、広告のない生活では自分で「こんなものがあったらいいな」という形でしか欲しいものを思いつきません。そして大抵のものやサービスはネット上で見つけることができます。これなら検討する時間も十分あり、「やっぱりやめとこう」となっても、「試しにやってみるか」になっても後悔は少ないでしょう。最近見つけたのは衣服のコピーオーダーサービスと、ロボット犬。前者は気に入った服のそっくりさんを作ってくれるサービスで、お気に入りばかり着てしまう自分は頭の片隅にこのサービスをメモしました。後者はアイボよりカジュアルなAIロボットで認知症対策などにも用いられているようです。前回寝込んだ時、「生き物飼ってなくてよかった」とベッドで思いましたが、ついりくを思い出してしまいます。「認知症になるまではこれに手を出しちゃダメ」と自分を戒め、生き物は命があるから貴いのだと自分に言い聞かせました。AIはディープ・ラーニングでどれほど進化していこうと、生き物ではないでしょう。父が「りくにはりくの考えがあるんだから」といつも言っていましたが、その通りです。私が寝込んでいるような時は何度も様子を見に来て、静かにそばに伏せていましたっけ。お利口さんの子でした。命ははかないから貴いのです。