2020年8月24日月曜日

「激暑の夏」

  この夏の暑さも人間が生存できる限界を超えています。万一エアコンが使えなくなれば容易に生命の危険が訪れる暑さです。このような中でも何か活動ができる人は私などには想像できない堅固な意思の持ち主に違いありません。私が子どもの頃はまだエアコンがなく、夏休みというと午前中はなんとか「夏休みの友」に取り組めたものの、午後は家族みな一番涼しい北の部屋に集まって、ぬるい空気を掻き混ぜる扇風機の風だけを頼りに、ひたすらゴロゴロしながら読書や昼寝をしたものです。それでも何とかなっていたのは暑いと言ってもせいぜい36度くらいだったからで、時々出てくるおやつ(スイカや砂糖を振ったトマト)を食べながら、とめどなく非生産的に過ごすのが我が家の夏休みの過ごし方でした。ああ、あの夏が懐かしい。

 そんな習慣のまま今年も生産的なことは何もできずに過ごしていますが、このところ読書をしていても気が滅入ることが多くなってきました。フィクションの場合は純粋に楽しめることもありますが、歴史・経済・社会等を扱った本の場合は気持ちが落ちていきます。ちょっとでも希望が見いだせるような本ならよいのですが、過去や現状の分析を辿りながらその先の未来を考えると、どの本を読んでも全く希望のある未来は見えてこないのです。一言で言うと、金融資本主義が世界を支配し、それは人口の99.9%の人々を途轍もない不幸へと追いやるものです。世界中でa露わになった民主主義が破壊された現実を前にすると、経済支配を盾に黒を白と言いくるめる金融資本家の存在を嫌でも認めざるを得なくなります。それでも、自分のような既に老年に差し掛かった者はまだよいのです。気の毒なのは若者や子どもたちで、職業を選ぶにしてもこの先三十年、どんな職が存在するのか誰にもわからないでしょう。ましてやこの先、国家はどのように存在し得るのか、人間的な生き方をすることはまだ可能なのか、五年先、十年先でさえどんな未来が待っているか、確かなことは何一つわかりません。現実があまりにつまらない夢のないものになると、人は仮想空間へ逃げ込んでしまうかもしれません。私の場合は小説どまりですが、子どもの頃からインターネットに慣れ親しんだ世代には、仮想空間の方が本当の現実ということもあり得るでしょう。

 そうそう、夏休みに読んだ本でよく覚えているのは主人とはぐれた犬が千キロの道のりを辿って我が家に帰り着き、めでたく主人に巡り会えたという実話ですが、これは私の犬好きを決定づけた本でした。ニュアンスは少し違いますが、最近出会った動物の動画があります。ご存じの方も多いでしょうが、羊を追い回す癖を治すため、ハスキー犬のハイス君がしばらく子どもの羊(ホワイティちゃん)と一緒に過ごす機会を与えられました。毛づくろいしてやるなどよく面倒を見るようになったので、二人はそれぞれの場に戻され何年もたちました。久々にハイス君を連れて飼い主が牧場を訪れると、向こうの群れの中から一頭だけこちらに全力で駆けて来る羊がいます。すっかりデカくなったホワイティちゃんです。ハイス君は甘噛み、ホワイティちゃんは頭突きで歓喜の再会です。もはやホワイティちゃんはハイス君以上に大きく、結構押し気味にじゃれあっています。生物にとって子どもの頃の記憶というのはつくづく恐ろしいものだと思います。二人は追いかけっこしたり頭を合わせ合ったりしながら、いつまでも飽きることなく遊んでいるのです。ああ、癒される~。