今年度は改元もあり、皇室と日本人について考えるところがありました。国民の大多数が皇室には好意的ですが、それは特に上皇ご夫妻が長年国の内外で政府にはできない戦後処理をしてきたからだろうと思うのです。それは一言でいえば、鎮魂と慰謝ということになるでしょう。私はそれが全部神道から出たものなのかどうかずっと疑問に思ってきました。戦後、今の上皇の教育係として招かれたエリザベス・ヴァイニングが上皇に与えた影響は計り知れないと思われますし、上皇后はミッションスクールの出身です。皇嗣の娘は二人とも国際基督教大学に通い、天皇は大学院時代に英国留学し、皇后は米国ほかヨーロッパでも学ばれた元外交官(北米局北米二課)というのですから、普通に考えてもこれ以上に西洋文明に近い環境の一族はなかなかないでしょう。そうであれば、彼らの思考の中にキリスト教的思想が入り込んでいるのは避けがたいのではないかと思います。もちろんキリスト教的考え方の一部に共感するということとキリスト者であるということは全く別物ですが、皇室の考え方全体を神道で括ることができないことも確かでしょう。
私が編集に携わっている会報にほぼ毎号「私の好きな讃美歌」というコラムが載ります。先日書かれていた方は、子供時代の懐かしい思い出と共に今では誰でも知っているクリスマス・キャロルの1つを挙げていました。お祖母様に茶道のお作法を習ったり、ピアノの伴奏で歌ったりと、睦ましいやり取りの話を何気なく読んでいたのですが、その中に「お祖母様が『貞明皇后とご一緒に、よく聖書を読んだり讃美歌を歌ったりして楽しかった』という話をしてくれた」と書かれていて、思わず「え~っ」とのけぞりました。これはもう下々の家柄ではない。あらためて執筆者のお名前を見ると、確かに明治の元勲の一人と同じ姓。私が驚いたのは、皇室とキリスト教の関わりは戦後のことだと思っていたのに、もう大正時代にはそんなことがあったという事実と、語られる内容が何やらとても自然に聞こえるという不思議な感覚に打たれたからです。だからどうということはないのかもしれませんが、これはすごい歴史の証言ではないでしょうか。
2019年7月29日月曜日
2019年7月23日火曜日
「記憶の再構築」
帰省して、いつもの道を通って兄の車で家に帰る時のこと、
「さっきの左手の三角形の土地に、昔、ラーメン屋があったよね」
「あった。でも、ラーメン屋じゃなくて小さな食堂じゃなかった?」
「そうだな。焼きそばはあったような…」
「うん、おにぎりとか」
「木の板の壁で囲まれた、小さな店だった」
「いくら当時でも、子供心に「大丈夫かな」と思うくらいボロい店だったね」
「三、四人が座れるだけのカウンター席で…」
「うん、狭くてテーブル席はなかったよね」
なぜこの店が話題になったかというと、その理由はこの店の立地にあります。喘息だった兄が通っていた小児科医院がこのすぐ近くにあったのです。大きな病院ではないので、施設内にはたぶん売店はあったものの食堂はなかったし、まだコンビニは日本に上陸していなかったので、何か食べられるものというとその食堂に行くしかなかったのです。私が覚えているのは二回ほどで、一度は学校が終わってから直接その医院へ行った時です。その日は兄の喘息がひどくて、診察後すぐ入院となったのですが、私に知らせるすべがない母は学校に連絡し、私は先生から家ではなく病院に行くよう言われました。おそらく母は、帰宅しても誰もいない理由が私には分からず、また、家に一人で置くのは心配だと思ったのでしょう。ちびまる子ちゃんくらいの歳で、医院は家と逆方向に1.5キロはありましたが、てくてく歩いて行ったのを覚えています。その日は兄を病院に入院させて、私と母は家に帰ったような気がします。
しかし、母が付き添いで医院に泊った日もあると思い当たりました。なぜかというと、これは鮮明に覚えているのですが、運動会の日とぶつかったからです。当時の運動会は、今と違って家族の大きなイベントではありませんでしたし、運動会は自分が出るだけでよいのですから、別に一人で大丈夫なのですが、お弁当は必要です。医院に泊まり込んだ母はお弁当が作れないので、一計を案じて、例の食堂にお願いして、おにぎりとちょっとした総菜を作ってもらったのです。母がそれを持って運動会を見に来て、お昼を一緒に食べた記憶があります。今まで忘れていましたが、そういうことがあったのを今思い出しました。
「あの食堂、『おかめ食堂』っていう名前じゃなかった?」
「名前は全然覚えてない」
残念です。私もその名に自信はありませんが、「なんかへんな名前」と思ったことだけは覚えています。こんなことはどうでもいいことなのですが、一連のことを思い出している間中、なんだか非常に活発に脳が動いており、とても楽しい時間でした。
「さっきの左手の三角形の土地に、昔、ラーメン屋があったよね」
「あった。でも、ラーメン屋じゃなくて小さな食堂じゃなかった?」
「そうだな。焼きそばはあったような…」
「うん、おにぎりとか」
「木の板の壁で囲まれた、小さな店だった」
「いくら当時でも、子供心に「大丈夫かな」と思うくらいボロい店だったね」
「三、四人が座れるだけのカウンター席で…」
「うん、狭くてテーブル席はなかったよね」
なぜこの店が話題になったかというと、その理由はこの店の立地にあります。喘息だった兄が通っていた小児科医院がこのすぐ近くにあったのです。大きな病院ではないので、施設内にはたぶん売店はあったものの食堂はなかったし、まだコンビニは日本に上陸していなかったので、何か食べられるものというとその食堂に行くしかなかったのです。私が覚えているのは二回ほどで、一度は学校が終わってから直接その医院へ行った時です。その日は兄の喘息がひどくて、診察後すぐ入院となったのですが、私に知らせるすべがない母は学校に連絡し、私は先生から家ではなく病院に行くよう言われました。おそらく母は、帰宅しても誰もいない理由が私には分からず、また、家に一人で置くのは心配だと思ったのでしょう。ちびまる子ちゃんくらいの歳で、医院は家と逆方向に1.5キロはありましたが、てくてく歩いて行ったのを覚えています。その日は兄を病院に入院させて、私と母は家に帰ったような気がします。
しかし、母が付き添いで医院に泊った日もあると思い当たりました。なぜかというと、これは鮮明に覚えているのですが、運動会の日とぶつかったからです。当時の運動会は、今と違って家族の大きなイベントではありませんでしたし、運動会は自分が出るだけでよいのですから、別に一人で大丈夫なのですが、お弁当は必要です。医院に泊まり込んだ母はお弁当が作れないので、一計を案じて、例の食堂にお願いして、おにぎりとちょっとした総菜を作ってもらったのです。母がそれを持って運動会を見に来て、お昼を一緒に食べた記憶があります。今まで忘れていましたが、そういうことがあったのを今思い出しました。
「あの食堂、『おかめ食堂』っていう名前じゃなかった?」
「名前は全然覚えてない」
残念です。私もその名に自信はありませんが、「なんかへんな名前」と思ったことだけは覚えています。こんなことはどうでもいいことなのですが、一連のことを思い出している間中、なんだか非常に活発に脳が動いており、とても楽しい時間でした。
2019年7月20日土曜日
「物語ること」
いつも同じ生活をしています。こんなふうです。
読みたい本を何冊かピックアップして、図書館から借りてくる。すぐ疲れてしまうので、ゆっくり、ゆっくり休みながら読む。返却日を気にしながら、幾日もかかってようやくなんとか読み終える頃には、読まなければならない本が倍くらいに増えている。また借りてくる…。この間に、もちろん家事や朝の運動、通院や出かける用事、健康を保つための食事作りや休息、そして福島への帰省などが入る。
飽きないかと問われれば、これが全く飽きません。本を読んで、知らないことを知るのはいつも本当に楽しい経験です。朝一に犬の散歩をしていると、犬も全く同じだとわかるのですが、毎日通る同じ道でもいつも新しい情報に満ちており、楽しくて仕方ない様子です。一つ違うことがあるとすれば、犬の場合はそのままでおしまいのようですが、私は読んだことが溜まってくると急激に書きたくなります。読んだことをまとめてお話を作る、読んだことで心に引っかかったものを集めて、何か物語りたくなるのです。それは実際にあったこととは関係なく、絶対になかったとは証明できない物語で、読んだことが自然とつながって「こんなこともあったかもな」という話に落ち着きます。過去の事実は動かないので、そこさえ外さなければ、物語の創作は自由自在です。私には楽しい作業ですが、こういうことを楽しいと感じるのは自分だけかもしれないと時々思います。
読みたい本を何冊かピックアップして、図書館から借りてくる。すぐ疲れてしまうので、ゆっくり、ゆっくり休みながら読む。返却日を気にしながら、幾日もかかってようやくなんとか読み終える頃には、読まなければならない本が倍くらいに増えている。また借りてくる…。この間に、もちろん家事や朝の運動、通院や出かける用事、健康を保つための食事作りや休息、そして福島への帰省などが入る。
飽きないかと問われれば、これが全く飽きません。本を読んで、知らないことを知るのはいつも本当に楽しい経験です。朝一に犬の散歩をしていると、犬も全く同じだとわかるのですが、毎日通る同じ道でもいつも新しい情報に満ちており、楽しくて仕方ない様子です。一つ違うことがあるとすれば、犬の場合はそのままでおしまいのようですが、私は読んだことが溜まってくると急激に書きたくなります。読んだことをまとめてお話を作る、読んだことで心に引っかかったものを集めて、何か物語りたくなるのです。それは実際にあったこととは関係なく、絶対になかったとは証明できない物語で、読んだことが自然とつながって「こんなこともあったかもな」という話に落ち着きます。過去の事実は動かないので、そこさえ外さなければ、物語の創作は自由自在です。私には楽しい作業ですが、こういうことを楽しいと感じるのは自分だけかもしれないと時々思います。
2019年7月8日月曜日
「宿泊旅行」
所用が合って関西に2泊の旅行をしました。宿泊を伴う旅は帰省を別にすれば体調を崩して以来もう十年ぶりくらいです。具合が悪くなって寝込んだりするのが怖くて今までできなかったのですが、今回「行こう」と決めてからはその日のうちに新幹線と宿を予約し、一週間もたたずに出発しました。勢いが大事です。
行先は決まっていたのですが、これまでも国内の一人旅はしたことがなかったので宿をどうしたらいいか迷いました。調べるうち新幹線とセットになっている宿泊プランがあり、1泊の料金で2泊できるくらいのリーズナブルな料金設定を見つけて即決しました。これは「こだまで行く」というのがミソで格安なのだとわかりましたが、別に急ぐたびではないのでノー・プロブレムです。宿泊数や部屋のタイプ、食事のオーダーとチェックを入れていくと該当する宿屋が表示されるのですが、最後に「天然温泉」にチェックを入れたところ1つに絞られました。天然温泉の付いたシティ・ホテルの快適さはヨーロッパで散々体験したのでここに即決、無事予約が取れました。
当日は「もう1時間早いのにすればよかった」と思うほど、東京駅に着くまでのラッシュがすごかったです。何しろもうこういうものには、無縁な生活を続けていたので「この生活はやっぱり無理だ」と改めて自覚しました。各駅停車の新幹線は2時間半で行けるところを4時間かかりますが、空いていたので文句なし。行きも帰りも富士山が見えなかったのは残念でしたが、梅雨なのでしかたありません。
目的地で用事を果たす以外は自由時間でしたので、なるべくご当地を歩いてみましたが、大阪というのは意外に小さな都市だとわかりました。短い日程でもそのほぼ四分の三は歩いて踏破できたと思います。ここはだいぶ前にユニバーサルスタジオがオープンしたころ修学旅行の引率できた覚えがありましたが、生徒が盲腸になり病院にいた記憶しかありません。今回テーマパークを訪れるほどの体力も時間もなかったので、あの場所を体験するということは私の人生にはもう訪れないかもしれません。
ホテルの天然温泉は期待通り、朝・晩と本当にゆったりできました。実は新大阪の駅に降りて待合所を見た瞬間に、フランクフルト国際空港の幻影がよみがえりました。こんな大きなスペースの待合所があるとは思っておらず、そこが外国人でいっぱいになっており、さらに向こうには免税店が並んでいたからです。今の日本はこんな風になってしまったのか…と、既視感に打たれてしばし茫然でした。そしてホテルでの滞在もヨーロッパ大陸の旅を彷彿とさせるものでした。快適な温泉の大浴場、入浴後に血圧を測ったら元の値に戻っていてもううれしかったこと。膝の漢方をやめたせいなのか、蕎麦や大麦のご飯にして食事改善をしてきたせいなのか、ゆったりとした環境を楽しめたせいなのか・…おそらくその全部なのでしょう。朝食バイキングも1時間ほどゆっくりいただき、大食いの女芸人のように思われないかしら、と心配したほどです。
良い旅でした。何より何事もなく帰宅できて自信が付きました。ただやはり疲れたのでしょう、帰ってきて二日ほど寝込んでしまいましたが。でも、ちょっとずつ旅行ができるようになるといいなと思っています。
行先は決まっていたのですが、これまでも国内の一人旅はしたことがなかったので宿をどうしたらいいか迷いました。調べるうち新幹線とセットになっている宿泊プランがあり、1泊の料金で2泊できるくらいのリーズナブルな料金設定を見つけて即決しました。これは「こだまで行く」というのがミソで格安なのだとわかりましたが、別に急ぐたびではないのでノー・プロブレムです。宿泊数や部屋のタイプ、食事のオーダーとチェックを入れていくと該当する宿屋が表示されるのですが、最後に「天然温泉」にチェックを入れたところ1つに絞られました。天然温泉の付いたシティ・ホテルの快適さはヨーロッパで散々体験したのでここに即決、無事予約が取れました。
当日は「もう1時間早いのにすればよかった」と思うほど、東京駅に着くまでのラッシュがすごかったです。何しろもうこういうものには、無縁な生活を続けていたので「この生活はやっぱり無理だ」と改めて自覚しました。各駅停車の新幹線は2時間半で行けるところを4時間かかりますが、空いていたので文句なし。行きも帰りも富士山が見えなかったのは残念でしたが、梅雨なのでしかたありません。
目的地で用事を果たす以外は自由時間でしたので、なるべくご当地を歩いてみましたが、大阪というのは意外に小さな都市だとわかりました。短い日程でもそのほぼ四分の三は歩いて踏破できたと思います。ここはだいぶ前にユニバーサルスタジオがオープンしたころ修学旅行の引率できた覚えがありましたが、生徒が盲腸になり病院にいた記憶しかありません。今回テーマパークを訪れるほどの体力も時間もなかったので、あの場所を体験するということは私の人生にはもう訪れないかもしれません。
ホテルの天然温泉は期待通り、朝・晩と本当にゆったりできました。実は新大阪の駅に降りて待合所を見た瞬間に、フランクフルト国際空港の幻影がよみがえりました。こんな大きなスペースの待合所があるとは思っておらず、そこが外国人でいっぱいになっており、さらに向こうには免税店が並んでいたからです。今の日本はこんな風になってしまったのか…と、既視感に打たれてしばし茫然でした。そしてホテルでの滞在もヨーロッパ大陸の旅を彷彿とさせるものでした。快適な温泉の大浴場、入浴後に血圧を測ったら元の値に戻っていてもううれしかったこと。膝の漢方をやめたせいなのか、蕎麦や大麦のご飯にして食事改善をしてきたせいなのか、ゆったりとした環境を楽しめたせいなのか・…おそらくその全部なのでしょう。朝食バイキングも1時間ほどゆっくりいただき、大食いの女芸人のように思われないかしら、と心配したほどです。
良い旅でした。何より何事もなく帰宅できて自信が付きました。ただやはり疲れたのでしょう、帰ってきて二日ほど寝込んでしまいましたが。でも、ちょっとずつ旅行ができるようになるといいなと思っています。
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