2015年6月28日日曜日

「国会中継」

 母はテレビを娯楽目的で見たことがほとんどない人でした。私が小学校から帰って「ただいま」という時間帯に母がテレビを観ていることはまずなかったのですが、たまに編み物などをしながら見ている場面に遭遇しました。覚えているのは、あさま山荘事件と国会中継です。前者は日本中がテレビにくぎ付けとなった事件でしたが変わり映えのしない静止画面が長時間放映されていた印象があります。後者においては、母が総理大臣の答弁等を聞いて憤慨してはテレビに向かって何か言っていた記憶があります。子供だった私は、議長の「内閣総理大臣、〇〇〇〇君」という呼びかけがただおかしかったのを覚えています。

 私は国会中継など見ない人間で、たまにテレビをつけた時やっていると、「あ、今日はテレビないのか。」と思ってしまうほどです。しかし、このところ安保法制の審議があるのでなんとなく見るともなしに見ています。すると、出るわ出るわ、現政権下で行われている悪逆非道の数々・・・
 まず、防衛白書の「専守防衛」の説明において、集団的自衛権閣議決定後に、いいつのまにか無断で英語版から ”on Japan” をはずし、武力攻撃を受ける対象を日本だけではなくしている、という指摘がありました。(太田和美 維新 6月26日国会質問) 英語版だけ読む限り、世界中どこでもアメリカの関わる戦争に巻き込まれることになるのです。巧妙なのは、日本語の防衛白書には手を入れていない、よって国民には気づかれないし説明する必要がないということです。こんな汚い手を使って国民をだますとは神をも恐れぬ行為です。。内閣総理大臣、安倍晋三君は、「そういう、確認が必要なことを急に質問されても困るんですよ。」というような答弁をしていましたが、そんなことを言ってよいのは正攻法で国政を進めていくまっとうな人だけです。首相は自分の言動が相手のゲリラ的言動を生み出していることを肝に銘じるべきなのです。

 また、別な議員の質問では、「自民党文化芸術懇話会」(代表・木原稔党青年局長)の初会合(2015年6月26日、約40人が参加)で、「マスコミを懲らしめるには(経団連に働きかけて)広告料収入を減らすようにする」という意見が出たとの話での追及もありました。本当に恐ろしい人たちです。この事件は作家の百田尚樹氏の「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」というあまりにもひどい発言もあって、さすがに大きなニュースとなりましたが、これはもう確信犯でしょう。

 国会中継は見ていて不愉快になる事ばかりですが、見られるうちはまだいいのです。5月末に集団的自衛権の行使容認などを含む安全保障関連法案の国会審議が開始された時には、この審議をNHKが中継していなかったのですから。それまで中継してきた重要な法案の国会審議をNHKが流さなかったのは異例の事態で、ここまで状況は切羽詰まっているのです。これはもう国会中継を見るしかありません。他の人たちはどうしているのかなと、安保法制反対集会の情報を探してみたら、ネット上には夥しい数の、しかも国内の地方都市まで広がった集会(デモ)案内が一覧表になっていました。その模様を記録した動画もあり、これほどの全国的な盛り上がりがあるとは知りませんでした。これも報道統制なのでしょう。それともメディアの自己規制がここまで進んでいるのか。
「東京で出られる集会があったら行ってみようかな・・・」
と思わず思ったことでした。あとは、「みんなで国会中継見ましょう」運動、そして最後の手としては、もし最高裁がこの安保関連法案を憲法違反でないというなら、衆議院総選挙の際に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で全員を罷免するしかないのではないですか。




2015年6月27日土曜日

「温室での最適園芸種の調査」

 花の季節となってどこへ行ってもお花が目につきます。はっと気づくと、
「ああ、またやっちゃった・・・」
いつの間にか鉢植えを手にしているのです。冬の間ひかえていた園芸への興味がまた抑えきれなくなっていたのです。昨秋から花が終わった鉢植えの中で明らかに枯れたもの以外はそのままにしていたのですが、春になってまた花をつけたのはベゴニアでした。枯れかけてだめかなと思っていたのに盛り返し、気づけば花を咲かせたのです。

 ベランダ園芸に向く花は花弁が大きくて華やかなものはたくさんありますが、うちのは部屋の中しかも温室内です。2週間水をやれない状況で生き延びるのは、土が乾いてからたっぷり水をやるタイプの花で、葉が大きく水蒸気を取り込め、なおかつ肉厚なものが最適だろうと思います。これまでの経験では、草系はだめ、強そうに見えてもナデシコや菊はだめです。バラはまだ試していませんが難しそうです。こうして絞っていくと残るのは、家庭用プランターの品種として昔からあるベゴニアとゼラニウムあたりか。いや、ゼラニウムはたぶん外でよく育つ品種、これからの季節ならやはり熱帯の植物、ハイビスカスかな。実際、温室で試して様子を見ないとわかりません。となると、そうです、これはただの趣味ではなく、調査・研究なのです。研究成果が出るまでには或る程度多くの症例を集めて、繰り返し実験しないと。

2015年6月24日水曜日

「食べる物がない」

 福島に帰ってほっとするのは地元のものが食べられることです。野菜の直売所は開店前から行列ですが、単に新鮮でおいしいだけでなく放射線の心配がないことが挙げられます。ここに限らず福島産のものは検査しないと市場に出せないのですから安心なのです。東京でも福島産のものと関東圏産のものがあれば、私は迷わず福島産を選びます。(先日スーパーで見たら実際福島産の方が高値で売られていました。他の要因もあるのでしょうけれど。) 産地直送の野菜を通販で購入することも考えましたが、毎月移動のある生活では無駄になるし、またそれが安全だという保障もないので今のところ試していません。最近は東京に帰るとき福島から野菜を持ち帰ることがよくあります。震災後、放射能汚染を恐れて、高速道路のサービスエリアのゴミ箱に大量の福島産野菜が捨てられた話を思いだすと、今や最も安心なのが原発事故の起きた福島産野菜だというのは本当に皮肉なことです。

 食べ物の産地は今ではもう一般消費者にはほとんどわからなくなっているのではないでしょうか。某国のものだけは避けたいと思っていても、野菜などは輸入されてほんのちょっと手を入れられればおそらくその土地のもの(国産)として流通するのです。国税庁が日本酒のブランド力をあげるため、国産の米や水を原料に日本国内で製造された清酒だけを「日本酒」として販売できるよう「酒類業組合法」を改正する提案したことが最近ニュースになりました。「世界貿易機関(WTO)協定に基づき、産地名を商品名に使用する『地理的表示制度』を適用する」という本格的な構想らしいのですが、その時ついでに出た話で現在ワインは輸入果汁に砂糖を加えて発酵させたものでも国産ワインと表示されることに驚いた方もいるでしょう。或る食品が本当はどこで作られたのかはほとんどわからないことが多い。そしてそれが分からない限り、食の安全性は担保されないのです。申し訳ないけれど、かの国に近い(ということは輸入の運搬費用が削減できるという点でコストカット可能な)西日本のものの安全性は実は全く信頼できないと私は思っています。 

 最近知って驚いたのは、輸入される野菜の検査で実施されるのは、重金属汚染に関しては、トマト、キュウリ、ホウレンソウ、馬鈴薯、コメに関してのみだということです。加工品や畜産物に関してはまったくチェックがないと聞いたときは唖然とするほかありませんでした。(まあ逆にいうと、これら5つの野菜については重金属汚染の心配はないということになるのでしょうか。重金属といっても鉛やカドミウム、水銀、ヒ素といった正真正銘の毒物 だけですが。) その他の汚染についてどのような検査がなされているのか私は詳しく知りませんが、知ったところで全般的な国の食料自給体制を考えれば、輸入品に関して万全な検査であるわけがないと思っています。

 社会のグローバル化が急速に進んでおり、また食品のモジュール化がすすんでいるので、もうどこかの国の食品をはずしてたべるわけにはいかないようです。今は部品を組み合わせて工業生産物を作るように食品が作られているのです。加工品ならそれが最も効率的、経済的であり、なおかつ味は絶妙にうまいのでなおさらやっかいです。単体ならば大丈夫かと思い先日干物を手にしてみたら、小田原の干物が確かに可耕地は小田原であるものの本体のアジは原産国オランダと書いてあったりします。食料自給率の低い国では特に食の安全を守ることは困難でしょう。ならばせめて、というわけでもありませんが最近パンはほぼ自分で焼いています。パンに使う強力粉として最もよく流通しているメーカーのものは、川崎工場と書いてありますが、原材料がどこのものであるかはわかりません。これだけは産地のわかっているものを通販で取り寄せた方がいいだろうかと真剣に考えています。

2015年6月18日木曜日

「紅春 65」

 その日は年に一度の定期健診、三種混合ワクチン接種の日でした。すでに柴っ子が一頭、順番を待っていました。同じ柴犬でもかなり濃い色で、ちょっと八重丸君に似た感じです。どうもこの子は巻き尾ではない。しっぽがさし尾の柴犬を初めて見ました。

「りくちゃん、どうぞ。」
順番が来て入室。りくは台に乗せられ、獣医さんと助手の方に囲まれました。
「暑くて食欲がないのですが・・・」
と申告したのに体重は昨年より増えていました。それでも10㎏には足りません。鼻の上の毛が薄くなっていることについて尋ねてみると、加齢のためで問題はないとのことでした。りくが鼻黒イタチみたいでも、もちろんりくにかわりありません。前回はその場で、つまり台の上に置かれたまま注射でしたが、なぜか今回の採血とワクチン注射は奥の部屋で行われました。兄と私は待合室で待機していましたが、りくの鳴き声はしませんでした。(別な子は鳴いていました。)

全部終わって会計とお薬を待つ間、りくはずっと「早く帰ろう」のアピールをしていましたが、あとに来た方に
「いい犬ですね。」
と言われました。
「はい・・・」
と答えながら、心の中で「いい犬ってどんな犬だろう。」と思いました。りくがいい犬かどうかなんて考えたことがなかったので、ずっとそのことを考えながら帰ってきました。同じ注射を初めて受けた時、まだ1歳になっていなかったりくは具合が悪くなったと父に聞いていましたので、今日も大事をとって午後はゆっくり寝かせました。こちらも一仕事終えた感じです。

2015年6月11日木曜日

「母と子の世界名作絵物語全集から思うこと」

 1960年代なかばに学研から出された子供用の文学全集がありました。全10巻のハードカバーで、中の挿絵はカラーではなく二色刷りの美しい絵本でした。子供が自分で読む文字はとても少なく、母親の読み聞かせ用の説明がついていました。4才~6才くらいの子供のためのものではなかったかと思います。ラインナップは次の通り。

第1巻 アンデルセン名作ものがたり
はくちょうのおうじ みにくいあひるのこ マッチうりのしょうじょ おやゆびひめ にんぎょひめ
第2巻 イソップ名作ものがたり
おおかみがきた かえるのおうさま らいおんとねずみ ありときりぎりす きんのたまご他
第3巻 グリム名作ものがたり
しらゆきひめ こびとのくつや ヘンゼルとグレーテル あかずきん おおかみと七ひきのこやぎ ブレーメンのおんがくたい
第4巻 日本の名作ものがたり
うらしまたろう いっすんぼうし はりまのふどき たけとりものがたり だいくさんとおにろく ぶんぶくちゃがま
第5巻 トルストイ名作ものがたり
おうさまとたか きゅうりどろぼう アッシリアのおうさま おおくまばし イワンのばか
第6巻 中国の名作ものがたり
さいゆうき こつばめのだいりょこう よるひかるたま まほうのふで
第7巻 アメリカの名作ものがたり
こじかものがたり ざくろのみ しょうこうし
第8巻 イギリスの名作ものがたり
ジャックとまめのき きょじんのにわ ふしぎのくにのアリス フランダースのいぬ ガリバーりょこうき    *「きょじんのにわ」とはオスカー・ワイルドの「わがままな大男」のこと
第9巻 フランスの名作ものがたり
シンデレラ めぐりあい いえなきこ
第10巻 アラビアンナイト名作ものがたり
つぼのなかのおおおとこ ものいうとり アリババと四十にんのどろぼう

個人の作家としてアンデルセン以外にトルストイというのがいかにもすごい。子供向けの全集としては現在なら8巻までで終わっていたかもしれません。フランスに児童文学があるのかどうか私にはわかりませんが、それはイギリスと違って大人の方から子供に近づくという発想がないように思うからです。フランスでは「大人は判ってくれない」のが当然なのであって、子供をできるだけ早く大人にするのが大人の使命と考えているのではないでしょうか。今なら「星の王子様」を子供向けに押し込むという手はあるでしょうけれど。。監修が佐藤春夫と志賀直哉、第1巻の文を書いているのが村岡花子という恐るべき布陣ですから、私が何か言うのも僭越千万なことですが。

 ドイツからは、グリムが入らなければ今ならケストナーははずせないでしょうし、好みによってはエンデが入るでしょう。アメリカの名作ものがたりは「ハックルベリー・フィンの冒険」や「オズの魔法使い」には目もくれず、この選択はさすがというべきなのかどうなのか。民話や昔話、寓話をまとめたものはやはり地域ごとに興味深いですが、日本の場合は恩返しの話がからむという顕著な特徴があるようです。イギリスの名作ものがたりを見て仰天したのは、取り上げられている話が「フランダースのいぬ」以外の全話において人間のサイズに関わる(巨人が出てくる、自分が巨人になる、小人になる)話だったことです。いくらなんでもこれが偶然だとは思えません。

  「ガリバー旅行記」は本来子供の読む本ではありませんが、この観点から選ばれてしまったのかもしれません。ジョナサン・スウィフトは出身がダブリンであり政治にも大きく関わった人なのですから、そう単純なことではないでしょう。ほとほと人間のおぞましさ、あさましさを見せつけられて人間嫌いになってしまったのだろうと推測しますが、彼が根底に抱く思いは「言葉は通じない」ということなのではないかと思います。ヤフーという醜悪な生き物に自分も似ていることを見つめればやはり狂ってしまうしかないでしょう。インターネットサービス企業のYahoo!の名前の由来は「Yet Another Hierarchical Officious Oracle」(さらにもう一つの階層的でお節介な神託)と言われていますが、言葉を通じさせるものとして機能することが最重要の使命であるというのは皮肉なことです。

2015年6月7日日曜日

「元気が出ない」

 おそらく安保法制のせいだろうと思います。これほどはっきり戦争がしたいという表明も珍しい。集団的自衛権や自衛隊の海外派遣が別次元に突入するにもかかわらず、首相は「米国の戦争に巻き込まれるという不安を持っている方もいるかもしれない。そのようなことは絶対ない。」と述べました。この人はとりあえず法案さえ通ればいいのです。東京オリンピック招致の時と同じです。あの時の「(福島第一原発の)状況は完全にコントロールされている。」という発言は決して忘れません。人の言葉に意味などないことを学びました。憲法審査会の参考人として呼ばれた憲法学者が三人とも「憲法違反である。」と述べても首相は意に介さないことでしょう。

 しかし気が重いのは彼のせいばかりではありません。実際彼一人でできるものではないのです。「ナチスの手口に学んだらどうかね。」という財務大臣がいて、経済さえそれなりに回っていればそれでよいという人たちがそれなりの数いて、政治家が何をしようと何を言おうと放置している国民がいるからできることなのです。駒場の立て看にもあったというヤセンスキーの『無関心な人々の共謀』の一節を思い出します。

 敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
 友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
 無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
 だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、
 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。

 「…たったひとつお願い事をしたい。今年は豊年でございましょうか。凶作でございましょうか。いいえ、どちらでもよろしゅうございます。洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、…コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。どうか戦争だけはございませんように」

後の言葉も私の言葉ではありません。1937の年頭の新聞に野上弥生子が書いた文です。あれから80年、地震や津波や火山の噴火、エボラやマーズの攻撃にも耐えてなお、戦争を経験しなければならないのでしょうか。