2025年11月13日木曜日

高齢生活、困難さの盲点

 先日郊外に住む叔母を訪問した。ご高齢で体のあちこちに不具合はあるが、総じて自立した生活を送っている方である。これまでいろいろ治療はしてきたが、体の痛みは医者も和らげる手立てがないとのこと、現在は月に一度の在宅訪問で一般的な体調チェックを受けている。

 この方はいわゆる高齢者詐欺などに遭わぬよう、警察に相談して電話に撃退用の細工をしてもらうなど、非常に用心してお暮しであるが、一番の悩みは腰の痛みのため思うように歩けなくなってきたことだろう。お話を聞くうち分かったのは、買い物の不便さと現金引き出しの不便さである。ごく近くのお店にはなんとか買い物カートを押していくことができるが、毎日の必需品は週一回来るヘルパーさんにお願いしている。しかし購入できる店舗(スーパーなど)が契約で一カ所に決められているとのこと。すなわち、そこで売っていない物は頼めない。

 それなら通販でと思いがちだが、通販は何故か電話の注文はしているもののメールでの注文には抵抗があるとのこと。それぞれ安心を感じるポイントが違うのだと思う。ただ、パソコンも扱われる方なのでやろうと思えばメールでの発注は可能だろう。

 全国の高齢者の半数が買い物難民化していると聞くが、これは特に地方の市町村において顕著である。大型小売店の撤退などでお店自体が消えていく心細さと困難さは並大抵ではない。それに比べれば叔母の場合は、確かに歩いて様々なお店に行けないため制約はあるものの、買い物という観点からはまだ良い環境の中で過ごせていると言うべきだろう。

 ところがもっと困ったことが起きた。近くにあった銀行が閉行になってしまったのである。これには覚えがある。家の近くのメガバンクの支店も閉行の知らせがあった。どこもかしこも人員整理と合理化で支店をつぶしているのだ。叔母の家の近くではその銀行のATMが1.5キロくらい離れたところにあるスーパー内に移転したとのことで、これも簡単には行けなくなってしまった。行くときは家からタクシーを呼べばよいが、帰りはどうすればよいのか。その場にタクシーを呼ぶために、一度解約した携帯をまた購入しなければならないかしらと当惑されていた。

 現在は現金をほぼ使わない生活が広範に広がってきたが、ヘルパーさんに買い物を頼むような時は、カードを渡すわけにもいかず現金が必要である。そのため、近くの銀行が閉行になる直前にまとまったお金を降ろしに行ったところ、詐欺被害を疑われ、「そんな大金はお渡しできません」と言われたという。「今までそんなに一度に降ろしたことがない」とか「支店長と話してください」とか、果ては「警察呼びますよ」とまで言われたのである。認知症の老人には親切な対応かも知れないが、頭のしっかりした(なかなか遠くまで移動できない)人には大迷惑である。すったもんだの末、なんとか目的は達したそうだが、銀行は力の入れどころが間違っていないだろうか。

 これについても身に覚えがある。いまやATMでの送金は100万円までに制限されており、私が「限度額を上げたい」と銀行に赴いた時、「本部対応となります」と言われ、奥まったブースで電話対応をさせられた。もうその支店での裁量ではなく、どこにあるかも知らない本部とやらと話さなきゃいけないのかとビックリした。自分のお金を自分で使うのがこんなに大変なことになっているのだ。そのくせ「ネット・バンキングなら制限はありません」とのことで、「詐欺被害ならネットの方が断然危ないのに…」と不思議で仕方ない。

 とはいえ、物を購入する時の支払いはカードでできるが、現金を手元に引き出したいのなら、今のところATMもしくは銀行窓口に行くしかない。今まで歩いて行けた銀行の支店がなくなるのは大問題である。銀行が遠い、歩けなくなった、交通の便がよくないとなると、お金を降ろしに行くという単純なことが途端に困難になる。自宅まで持ってきてもらう等のサービスもあるようだが、いろいろ込みで月10万円だとか。ひぇー!

 以前なら、元気な家族にカードを託して「お金降ろしてきて」と言えば済んだが、もはやそういったことは贅沢な頼みになってしまった。何気ない用事をしてくれる信頼できる他人がいないのだ。今は高齢者と言えば詐欺被害の防止に焦点が絞られているが、もはや問題はそこじゃない! 多くの人が困っているのは「信頼できる他人」という特殊な人材難なのである。