例えば、「この屋根は雨漏りしない」ということを証明するにはどうしたらよいだろうか。普通は大雨の被に屋根から雨漏りがあるかどうか見るだけでよいはずである。一日たっても何もなければ、「屋根には雨漏りがない」と証明されたと言ってよいだろう。
ところがである。一晩中雨が降り、翌日も一日雨だった日に撮影した「雨漏りのない天井裏スラブ」の写真を送ったにもかかわらず、次のような答えが来たらどうすればよいであろうか。
「雨漏りについては、雨の降り方(横殴りの雨か否か、雨量の多寡等)や、屋上の排水状況(清掃の有無等)によっては、必ずしも水濡れの状況を確認できない場合もあり、その日の降雨で雨漏りがなかったからと言って、それ以外の日に雨漏りが発生しなかったとは言えない。」
奥深い言葉である。この発言は、①水平の屋根に落ちる降雨量が、垂直に降る雨か斜めに降る雨かで変わり得るということ、②屋根の上が濡れていれば、目には見えない水濡れが天井裏にもあるはずだということ、③雨漏りを放置しておいても自然に直る屋根があり得るということ、を前提にしなければ言えない内容である。そして、現に雨漏りがないという事実を全く無視している。
さらに驚くこととして、このような主張をするのが、誰あろう、弁護士なのである。私はいま保険会社と紛争の最中にある。単純な水漏れ事故をどうあっても認めようとしない会社と不毛な争いをしている。情けないことである。代理人弁護士というものは、これほど理不尽な主張を臆面もなくするものかと呆れてしまう。皆が皆そうではないだろうが、もしそうならなんとつまらない仕事だろうと思う。今ほど詩編の詩人の嘆きが分かったことはない。
主よ、あなたの道を示し/平らな道に導いてください。わたしを陥れようとする者がいるのです。
貪欲な敵にわたしを渡さないでください。偽りの証人、不法を言い広める者が/わたしに逆らって立ちました。
わたしは信じます/命あるものの地で主の恵みを見ることを。
主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。
(詩編27編11~14節)
この一件について友人に話したら、「雨漏りってその日の気分次第なの?」と興味を示し、ネット検索してモリドンのことを教えてくれた。それによると、雨漏りについて長野県の伝承では、「雨漏りがするのはモリドンという悪者が屋根から家に侵入するため」と信じられているらしい。ってことは、「家の屋根にはモリドンはいない」ということを証明しなきゃいけないわけ? モリドンの不在証明ということになると一筋縄ではいくまい。でも受けて立つ、もし代理人弁護士がモリドンの存在を証明しさえしたらね。それは神の存在証明と同じくらい難しいだろうけど。