2025年9月25日木曜日

「竹馬の友」

  「9月に帰省するけど、会えない?」というメールをもらった。遠く関西に住んでいる友人からである。彼女と私は中学・高校と一緒に福島教会に通った幼幼なじみである。一緒といっても彼女は学年が一つ下だったので学校での接点はなく、毎週教会でだけ顔を合わせる間柄だった。明るく快活で外向的な人なので、彼女がいるといつもパッと花が開いたような楽しい雰囲気になった。

 母に連れられて幼児の時から教会に行っていた私と違い、彼女は中学になって突然友達と教会にやって来た。「自分から進んで教会に来るなんてすごい」と私は感嘆していた。彼女と一緒に来る友達は日によって違ったけれど、彼女は常に変わらず、一人になっても教会に通い続けた。

 その頃も教会に中高生は数名しかおらず、それだけに懐かしい記憶がくっきりと思い出される。分級の時間に、その当時副牧師館と呼ばれていた、ちょっと薄暗い畳の部屋で、聖書を少しずつ読んで牧師先生のお話を聞いたこと、いわゆる讃美歌とは違うが、その頃若者向けに盛んに作られた讃美のためのフォークソングやゴスペルを歌って楽しかったこと、聖書の学びや飯盒炊さんをしてテントで寝た、夏の中高生ワークキャンプの一コマなど、一緒の思い出が頭に浮かぶ。

 彼女との関係がにわかに密になったのは東日本大震災の時である。被災したため取り壊しとなった教会堂の再建のために、教会員一同皆で頭を悩ませ、祈っている頃だった。私は東京在住であったが、教会籍を福島に移して何かできることはないかと考えた結果、個人事業者となって手作り品をネット販売することにした。彼女も会堂再建について深く案じていて、私の事業に手を貸してくれた。まさに関西支店の営業部長のような大きな力を発揮して働き手となってくれたのである。後で聞いた話では、関西婦人会連合のバザーのブースで、「福島教会会堂再建支援」の幟を立てて、孤軍奮闘してくれていたらしかった。かたじけない。私たちの献身は会堂再建のためのわずかな拙いものであったが、彼女との絆が思いがけず強まったのは誠に感謝であった。

 コロナの頃はもちろん会えなかったし、そうでなくてもお互い自分のスケジュールで動いているので帰省の時期が一致することはめったになかった。だが、今回は予定を一週間ずらして会うことができた。数年ぶりの彼女は一見全く変わっていないように見え、久しぶりに礼拝を共にすることができて、とてもうれしかった。揃って母教会で礼拝に出席できたことは神様からの大きな恵みである。彼女は久々の帰省なので教会のみんなに声を掛けられて、「やっぱり福島教会はいいなあ」と言っていた。

 礼拝後少し話をしたが、お互い年齢相応にそれぞれ病があったり、悩みがあったりすることが分かったが、「全てを委ねて安心していられる神様が与えられていること以上の恵みはない」という点で一致した。「竹馬の友」という語を念のため調べて驚いたのだが、この「ちくば」というものを私は恥ずかしながら「たけうま」の事だと思っていた。二本の竹竿の途中に横木がついたアレである。だが実はそうではなくて、「竹の先に木などで作った馬の頭の形を付け、またがって遊ぶ玩具」であるという。軽いカルチャー・ショックである。そうなるとこれはかなり幼児的な遊びであろうし、せいぜい小学校低学年くらいまでの玩具ではなかろうか。私は間違っていた。彼女と私は「ちくばの友」というより「たけうまの友」だったのだ。あの頃はきっと二人とも、「たけうま」に乗って歩くような、たどたどしくヨチヨチ歩きの信仰であった。その頃に培われた友情なのだとつくづく思う年代である。


2025年9月17日水曜日

「モリドンのアリバイ」

  例えば、「この屋根は雨漏りしない」ということを証明するにはどうしたらよいだろうか。普通は大雨の被に屋根から雨漏りがあるかどうか見るだけでよいはずである。一日たっても何もなければ、「屋根には雨漏りがない」と証明されたと言ってよいだろう。

 ところがである。一晩中雨が降り、翌日も一日雨だった日に撮影した「雨漏りのない天井裏スラブ」の写真を送ったにもかかわらず、次のような答えが来たらどうすればよいであろうか。

 「雨漏りについては、雨の降り方(横殴りの雨か否か、雨量の多寡等)や、屋上の排水状況(清掃の有無等)によっては、必ずしも水濡れの状況を確認できない場合もあり、その日の降雨で雨漏りがなかったからと言って、それ以外の日に雨漏りが発生しなかったとは言えない。」

 奥深い言葉である。この発言は、①水平の屋根に落ちる降雨量が、垂直に降る雨か斜めに降る雨かで変わり得るということ、②屋根の上が濡れていれば、目には見えない水濡れが天井裏にもあるはずだということ、③雨漏りを放置しておいても自然に直る屋根があり得るということ、を前提にしなければ言えない内容である。そして、現に雨漏りがないという事実を全く無視している。

 さらに驚くこととして、このような主張をするのが、誰あろう、弁護士なのである。私はいま保険会社と紛争の最中にある。単純な水漏れ事故をどうあっても認めようとしない会社と不毛な争いをしている。情けないことである。代理人弁護士というものは、これほど理不尽な主張を臆面もなくするものかと呆れてしまう。皆が皆そうではないだろうが、もしそうならなんとつまらない仕事だろうと思う。今ほど詩編の詩人の嘆きが分かったことはない。


主よ、あなたの道を示し/平らな道に導いてください。わたしを陥れようとする者がいるのです。

貪欲な敵にわたしを渡さないでください。偽りの証人、不法を言い広める者が/わたしに逆らって立ちました。

わたしは信じます/命あるものの地で主の恵みを見ることを。

主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。

(詩編27編11~14節)


 この一件について友人に話したら、「雨漏りってその日の気分次第なの?」と興味を示し、ネット検索してモリドンのことを教えてくれた。それによると、雨漏りについて長野県の伝承では、「雨漏りがするのはモリドンという悪者が屋根から家に侵入するため」と信じられているらしい。ってことは、「家の屋根にはモリドンはいない」ということを証明しなきゃいけないわけ? モリドンの不在証明ということになると一筋縄ではいくまい。でも受けて立つ、もし代理人弁護士がモリドンの存在を証明しさえしたらね。それは神の存在証明と同じくらい難しいだろうけど。


2025年9月11日木曜日

「姉妹の訪問」

  ひらがなで書く「きょうだい」という言葉を最近目にするようになった。いつからある用法なのか知らないが、少なくとも私は学校で習った覚えのない書き方である。大人になってかなりたった後でも見慣れぬ言葉だから、割と最近意識されて使われるようになったのかもしれない。

 ネットで検索すると、「同じ両親を持つ兄弟姉妹のこと」で「血縁関係にある兄や姉、弟、妹をまとめて表す言葉」とのことである。

 この説明だと、例えば家族について質問する時、「兄弟姉妹はいる?」とは聞かず、「きょうだいはいる?」と聞くような感覚なのかと思う。兄弟姉妹という語は長くて扱いにくいからである。 

 ところが「きょうだい」という語は別の使い方もあるようなのだ。それに気づいたのは、藤木和子著『きょうだいの進路・結婚・親亡きあと:50の疑問・不安に弁護士できょうだいの私が答えます』という本を読んだ時である。この本で「きょうだい」という語は、兄弟姉妹の中に障碍者がいる場合の用法として使われている。この本は自身も障害のある弟をもつ身として、長い人生のうちに生じてくる問題を同じ境遇にある方々と共有することを意識して書かれている。そんな「きょうだい」の用法があるのかと目を開かれた思いだった。

 この語について私が最初に意識したのは、聖書協会共同訳の聖書において「兄弟」と「きょうだい」が区別されていることに気づいた時である。いわゆる血縁関係にある場合は「兄弟」と書き、同じ神を信じる同胞(やがては異邦人をも包含する)を「きょうだい」と書いて区別している。例えば、次のような記述がある。

● そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になり、二人をお呼びになった。(マタイによる福音書4章21節)

● イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母ときょうだいたちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。お母様とごきょうだいたちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。イエスはその人にお答えになった。「私の母とは誰か。私のきょうだいとは誰か。」 そして、弟子たちに手を差し伸べて言われた。「見なさい。ここに私の母、私のきょうだいがいる。(マタイによる福音書12章46~49節)

 さて、教会では古くから教会に集う信徒同士、互いに「兄弟姉妹」と呼ぶ観衆がある。主なる神に「アッバ、父よ」と呼びかける者はみな兄弟姉妹である。ただ、面と向かって「兄さん」とか「姉さん」と呼び合うことはなく、主に書面で表す時に「〇〇兄」とか「△△姉」等と書き表すことが多い。年齢にかかわらず、「〇〇弟」や「△△妹」を使うことはない。世の方々には少々薄気味悪く感じられるかも知れない。

 8月末の聖日、東京で通っている教会員の方が福島教会に来訪された。この教会は、福島教会の会堂再建に際して多くのご支援をいただいた教会である。もう十数年経つとはいえ、当時多くの教会員が福島教会を訪れて力づけてくださったこと、また、福島教会の長老が相手方教会を訪問して、良きお交わりをいただいたことは忘れ得ぬ出来事である。

 今回来てくださった姉妹は、仕事関係で仙台で行われた研修会に来られたのであるが、わざわざ一泊して帰りに寄ってくださった。「ぜひ一度福島教会の礼拝に出席したかった」との思いからである。私も帰省日程を合わせてお迎えできて本当によかった。出迎えの時は喜びの声で満たされ、当時の経緯を知る者たちは長年のつながりを神様に感謝した。

 私は礼拝を彼女の隣でご一緒したが、彼女が選んだ席は前方右手の講壇横であった。私は初めてその席に座ったが、座る位置によって礼拝の印象も変わるものだと感じた。その日の聖書の箇所はまさしく上記マタイによる福音書12章46~49節であった。遠くから「きょうだい」が訪ねてきたのである。喜ばずにいられようか。礼拝後、講壇の前で記念写真を撮った。その夜彼女から、「しみじみとした感謝と喜びに満たされて帰宅しました」とのメールがあった。


2025年9月4日木曜日

「子供の睡眠」

  朝方ぼんやり目覚めると、「ラジオ深夜便」の4時台、「言葉の力」が流れていた。次の話は覚醒前の頭でうつらうつらしながら聞いたことなので、半分くらい正確ではないきがするが、印象に残ったことだけ書き記す。ゲストは成田奈緒子という発達障害を研究する大学の先生で、もともと小児科医だった方である。

 子供の発達障害は診断基準の変化や社会の認識の向上、早期発見の進展等の理由で増加しており、現在日本では子供の6~7%が発達障害と診断されている。しかし、少なくとも2%以上は本来の発達障害ではなく、適切な時期に適切な成長の機会を与えられなかったことによる症状であり、それはこれからの生活習慣によって改善できるものである。

 子供の脳の発達には「体の脳」と「心の脳」の2段階がある。まず、小学校入学くらいまでの幼児期に徹底して習慣づけることは「夜8時に寝ること」で、これが子供にとって死活的に大事なことである。そして子供のうちは一日11時間の睡眠が必要である。昔の子供は夜8時に寝かされるのは普通の事であったが、今これを遵守するのは至難の業である。

 そのため子育てに際して彼女がおこなった方法が紹介されていた。夜7時45分に子供と一緒に帰宅しても8時に寝かせていたというのである。お風呂でゆっくりできなくても死にはしないから、絞ったタオルで頭や体を拭いておしまい。一日三食の内あとの二食をしっかり食べていれば夕食は手抜きで構わないから、冷凍ご飯と納豆で夕食はおしまい。風呂や夕飯よりも、子供にとって何よりも重要な「8時就寝」を死守したという。寝る時は親も一緒に就寝し翌日まで眠るが、大人は7時間睡眠で足りるので午前3時に起きて、昨夜やり残した事や当日の準備をする。子供が寝ていて静かなので仕事がはかどると言っていた。

 」体の脳」が確立した後、子供が小学校の高学年になるころから「心の脳」の成長に力を入れるとのことだった。そのやり方は、一つには家事の役割分担(彼女の子供は朝食作り担当)を持たせること、もう一つは例えば「ラジオ英語を聞きながら朝ご飯を用意する」といったマルチタスクを与えることであった。他にも何か言っていたと思うが、話の中身に圧倒されて、それくらいしか覚えていない。

 世の中にはすごい人がいるものである。自分のことを振り返れば、夜8時に寝せられていたまでは良かったが、それ以外はあまりにのほほんと育ってしまった。今でも一度に一つの事しかできず、物事をてきぱきと処理することができない。今からではいくら生活習慣を変えても改善は見込めないだろう。その代わりと言っては何だが、歳をとって8時どころか6時半には疲れて横になるようになった。大人にとっても睡眠時間の大切さは変わらないとの話を聞いた。だが私の場合、夜中に何度か目覚めるのでトータルで8時間眠っているかどうかは怪しい。トホホである。