2025年8月21日木曜日

「働き方と社会保障」

  自分が勤めから遠ざかって今更だが、社会保障のことが気になっている。社会保障とは、「国民の生存権を確保することを目的とする保障」と辞書にはある。してみると、これは憲法25条を基とする法的概念である。

日本国憲法二十五条

 1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


だが、そうは言っても不思議なのは、今「社会保障」と聞いて誰もがイメージするのはこれが「労働」と極めて密接に結びついた概念だということではないだろうか。

 即ち、「働き方」によって受けられる「社会保障」があまりに違い過ぎるのである。真っ先に思い浮かぶのは労働に関わって怪我した時の労災保険である。会社員(会社と雇用契約を結んで働く人)なら「労災保険」が適用され、自己負担なしで治療できるが、自営業者は全額自己負担となる。

労災保険は正規・非正規に関わらず雇用関係を結んだ労働者には適用されるが、業務委託契約は適用外である。個人事業主であるウーバーイーツの配達員が労災保険に入れないのは実情に合わないため、最近彼らも特別加入の対象にはなったが、加入はもちろん任意であり、保険料の半額を会社が負担する会社員と違い全額自己負担なのだから、どれだけ不公平な扱いかは誰の目にも明らかである。

 また、会社員は強制加入となっている「雇用保険」にしても、自営業者に適用はない。育児休業中や介護休業中という、働けない間の所得補償があるかないかは生活にダイレクトに影響する。そして、一口に会社員と言っても、非正規職員の中にはこういった社会保障が適用されない場合もあり、自分がどういう働き方の区分にいるかで天と地ほども受けられる恩恵が違う。

 細かい方を先に書いてしまったが、社会保障の双璧はもちろん医療保険と年金保険である。まず医療保険についてであるが、現在国民は必ずどれか一つの公的医療保険に加入することになっている。

 健康で働けることが会社にとっても被雇用者にとっても、まず第一に優先される必要事項であることは論を待たない。したがって会社と雇用契約を結んで働く人のための医療保険は戦前からあった。国民健康保険の原形も戦前からあったものの、大きく改定されて1958年に現行の国民健康保険が制定された。これにより自営業者や無業者が加入する医療保険ができて、国民皆保険が達成されたのである。

 ただし、国民健康保険には「傷病手当金」と「出産手当金」がなく、怪我や病気、あるいは出産で労働に支障をきたした場合の補償はないのである。「労災保険」や「雇用保険」同様、「傷病手当金」や「出産手当金」の適用がある会社員と自営業者の格差は歴然である。

 さらに大きな格差はやはり年金であろう。年金制度のなかった明治時代の小説等を読むと、いかにして自分の老後を安定させるかに腐心する姿がうかがえる。退職した軍人や官吏へ国が支給する恩給はあった。その後、1941年に主に民間労働者(ブルーカラー)を対象とした労働者年金制度ができ、1944年には 職員(ホワイトカラーや女性)に対象を拡大した厚生年金制度ができた。

 戦後1950~1960年代に、公務員、公社、私立学校職員の共済組合(公的年金および公的医療保険を担う)が創設され、休息に年金制度が整えられていく中、1959年 国民年金制度がつくられた。年金と言うものはその性質上、国民の人口ピラミッドに大きく左右されることから、1985年には国民全員が基礎年金に加入し、そのうえで厚生年金、共済年金に追加的に加入する形になった。そしてこれが2015年、被用者年金一本化により共済年金が厚生年金に統一された。 だから現在、職域ごとの共済組合には公的医療保険だけが残っている。

 厚生年金の受給者は国民年金の上に追加的に厚生年金(もしくはかつての共済年金)が受給できるのであるから、通常国民年金だけの受給者より2倍以上の年金額となるのは当然で、この点でも会社員と自営業者との差は広がるばかりである。

 なぜこうなってしまったかと言えば、全ては歴史の歩みの中で創られた制度だからと言うほかない。戦前および戦後初期の自営業者と言うのは、家族・親族一丸となったファミリー・ビジネス事業であったり、あるいは端的に農林業従事者であったから、家族や親族自体が互いに不測の事態を保障し合う役割を担っていたと言えるだろう。戦後の復興期は、とにかく会社を興して国の発展を推し進め、外貨を稼ぐしかなかったから、会社と雇用契約を結ぶ労働者のための社会保障の整備が急務となった。だからこそ高度成長期には会社と雇用契約を結んでいない被雇用者の配偶者も、「銃後の守り」、「内助の功」が評価されて、国民年金制度に「3号被保険者」という分類が存在しているのである。即ち社会保障はまず勤労を称揚するために発展したのであって、それから外れると考えられた部分はそのあと補足的に整備されていったに過ぎない。

 なお、社会保険としてこの他に、40歳以上の国民全員が保険料を負担する介護保険(2000年に制定)があるが、年金受給額によって使える介護サービスが左右されるという点で、年金格差は高齢者の生活を直撃することになろう。

 ちなみに、社会保障と労働の関係については、勤労の義務のみならず権利をも規定した(おそらく世界でもまれな)日本国憲法27条との関連を示唆する人もいるが、これに関する分析は到底私の力の及ぶところではないため、条文を指摘するに留める。

日本国憲法二十七条

1.すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

2.賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

3.児童は、これを酷使してはならない。 


 以上、働き方によって受けられる社会保障の違いについて概観したが、これ以外にも社会保障はあり、分類的に言えば、「社会手当」、「社会福祉」、「公的扶助」がある。これらはその人の働き方とリンクしておらず、例えば「社会手当」は、保険料なしで何かあった人にお金を給付する(児童手当、児童扶養手当、特別児童扶養手当)。また、「社会福祉」は、税金を用いて困った人にサービスを給付する(障害者福祉、児童福祉、高齢者福祉)。そして「公的扶助」は、税金を元に困窮した人にお金やサービスを給付する(生活保護)。

 子供に安全、安心な環境を与え、その成長を助けるのは国の義務であり、また人は予期せぬ事故や不運によって困窮したり、障害を負ったりすることがある。さらに歳をとれば誰もが高齢者になって助けを必要とするであろう。だからこのようなセイフティ・ネットはどうしても必要である。これらは状況に応じて与えられる社会保障である。

 すると、やはり問題は、労働する人々にとっての先述したようなあまりにひどい社会保障格差と言うことになるだろう。国がこれを問題視し、格差の縮小に努めなければならないのはもちろんであるが、これだけ誰の目にもわかる差があれば、仕事に就く前に身の振り方を考えることも御座なりにはできない。私が生きてきた時代は、まさしく社会保障制度が整えられていく時代であったが、その時代を生きていた人の多くの念頭には、働き方による社会保障の差など思い浮かばなかったと思う。であるから、好奇心の赴くままに興味の対象を追っていけた時代だった。そして恐らくそのようにがむしゃらに突き進む人が束になっていたからこそ、日本の社会に多くの達成がもたらされたのだろう。しかし今や、先行きの分からぬまま破天荒に突っ走るような生き方は、日本ではまずできないのではないか。それがまた社会の活力を失わせてしまうのではあるまいかと思うと、ますます閉塞感を感じるこの頃である。