2025年8月28日木曜日

「7本の日傘」

  深夜目覚めてふとラジオをつけると、世界の主要都市の天気を最低気温・最高気温とともに伝えていた。それによると、香港や赤道近くのシンガポール、またニューデリーといった、緯度の低いどの都市よりも、東京の気温がダントツで高いことが分かった。この夏はギラギラ輝く太陽を避けるためにも日傘は外出時の必需品である。最近は男性にも日傘が普及しているようで、とても良いことだと思う。

 私のお気に入りの日傘は長傘で、紫外線100%カットで遮光率や遮熱率の高い、かつ柄の長さが60cmで持ち手が極めて細い傘である。裏地はシルバーコーティングが望ましい。これだけ条件が厳しいと、ふらっと当てもなくお店に行ってもなかなか出会えない。そのためこれまで通販で厳選した中から選んで使っており、その日傘の良さが分かってからは、念のため同じものをもう1本購入しておいた。

 ところが、或る人を訪問するのにめったに乗らない電車に乗った時、この傘をいつのまにか失くしてしまったのである。もちろん遺失物係等に連絡したが見つからず、しばし茫然、この時の喪失感は大きかった。思えばこれがけちの付き始めだったのかもしれない。

 しかし同じ傘はまだもう1本ある。気を取り直し、私は新しい傘を使っていた。ところが…である。バスに乗って教会に行く途中、さした傘をすぼめようとして何度か違和感があった後、ついに開いたまま閉じられなくなった。まさかと思った。購入して保管したまま時間がたったことや、暑すぎる気温がいけなかったのかもしれないが、とにかく通常の仕方ではすぼめることができない。仕方なく外面から抱き込むようにして何とか骨組みを抑え込み、取り敢えず傘立てに押し込んだ。そうしないと開いてしまうからである。この傘は蚊さ紐をきっちり巻いてスナップを留め、何とか持ち帰って集合住宅のゴミ捨て場に捨てるほかなかった。これも悲しかった。

 3本目の日傘が手元にある由来は次のとおりである。お気に入りの長傘2本をなくして落ち込んでいた時、こういった事情を全く知らない友人が、何故かしら「紫外線や熱を100%カットする日傘を見つけたから送るね」と言って、傘屋さんから立派な傘が送られてきた。この友人はいつも自分がいいと思ったものをおすそ分けみたいに送って(贈って)くれる。私がお返ししようとしても間に合わないほどよく送って来るので、今はもう有り難く頂戴している。さて、この日傘は長傘ではないが、二つ折りにしていつもの大きな鞄に入れて持ち歩けるのでなくす心配が少ない。鞄から出せばすぐ開いて使える。驚くべきは傘の布地の厚み。「これはどんな光線も通れないだろう」と思わせるサンバリアの安心感がある。大事に使わせていただいている。

 4本目と5本目の日傘は非常に残念な経過をたどった。手元に亡くなったお気に入りの長傘を以前と同じ通販元に注文したところ、極めて似てはいるが別の品が届いたのである。最初の時は「何かの手違いかな」と思って返品したが、2度同じことが起こるとさすがに腹が立った。おそらく同じ広告の商品説明として掲載してはいるが、その製品はもう無いのであろう。新しいバージョンの日傘にとってかわられているのである。仕方なくこれも返品せざるを得ず、「無い製品は掲載しないでください」と申し添えた。ただでさえ多忙な配達人の手を煩わせただけに終わったのが本当に申し訳ない。

 6本目の日傘は、以前購入した3段階で折りたためる小ぶりの傘である。この傘のいいところはとにかく軽いことで、これは歳を重ねるごとに有り難い利点である。ただ、軽いだけに骨組みが弱い気がして、風がない日だけ使用している。長く使うためには無理をさせないに限る。

 7本目の日傘は、最近量販店で購入した長日傘である。裏がシルバーコーティングなら最高なのだが、それ以外の紫外線カット等の条件が希望通りだったので試しに購入した。長傘は閉じた時、足元を確かめる杖のようにも使えるため、やはり一本持っていたいのである。

 ここ短期間のうちに関わった7本の日傘について述べた。このうち今手元にあるのは3本だけである。使い慣れて気に入っていたものを失うととても悲しく気が沈むし、逆に予想外の贈与はなんともうれしい。一瞬だけ手元にあってすぐ消えていったものが立て続けにあったことには考えさせられた。ずっと手元で大事にしたいものがあり、また新たなものとの出会いもあった。物も人も同じだなと思う。消えていくものが多い中で、今手元に残っているものを大切にしたいと強く思う。


2025年8月21日木曜日

「働き方と社会保障」

  自分が勤めから遠ざかって今更だが、社会保障のことが気になっている。社会保障とは、「国民の生存権を確保することを目的とする保障」と辞書にはある。してみると、これは憲法25条を基とする法的概念である。

日本国憲法二十五条

 1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


だが、そうは言っても不思議なのは、今「社会保障」と聞いて誰もがイメージするのはこれが「労働」と極めて密接に結びついた概念だということではないだろうか。

 即ち、「働き方」によって受けられる「社会保障」があまりに違い過ぎるのである。真っ先に思い浮かぶのは労働に関わって怪我した時の労災保険である。会社員(会社と雇用契約を結んで働く人)なら「労災保険」が適用され、自己負担なしで治療できるが、自営業者は全額自己負担となる。

労災保険は正規・非正規に関わらず雇用関係を結んだ労働者には適用されるが、業務委託契約は適用外である。個人事業主であるウーバーイーツの配達員が労災保険に入れないのは実情に合わないため、最近彼らも特別加入の対象にはなったが、加入はもちろん任意であり、保険料の半額を会社が負担する会社員と違い全額自己負担なのだから、どれだけ不公平な扱いかは誰の目にも明らかである。

 また、会社員は強制加入となっている「雇用保険」にしても、自営業者に適用はない。育児休業中や介護休業中という、働けない間の所得補償があるかないかは生活にダイレクトに影響する。そして、一口に会社員と言っても、非正規職員の中にはこういった社会保障が適用されない場合もあり、自分がどういう働き方の区分にいるかで天と地ほども受けられる恩恵が違う。

 細かい方を先に書いてしまったが、社会保障の双璧はもちろん医療保険と年金保険である。まず医療保険についてであるが、現在国民は必ずどれか一つの公的医療保険に加入することになっている。

 健康で働けることが会社にとっても被雇用者にとっても、まず第一に優先される必要事項であることは論を待たない。したがって会社と雇用契約を結んで働く人のための医療保険は戦前からあった。国民健康保険の原形も戦前からあったものの、大きく改定されて1958年に現行の国民健康保険が制定された。これにより自営業者や無業者が加入する医療保険ができて、国民皆保険が達成されたのである。

 ただし、国民健康保険には「傷病手当金」と「出産手当金」がなく、怪我や病気、あるいは出産で労働に支障をきたした場合の補償はないのである。「労災保険」や「雇用保険」同様、「傷病手当金」や「出産手当金」の適用がある会社員と自営業者の格差は歴然である。

 さらに大きな格差はやはり年金であろう。年金制度のなかった明治時代の小説等を読むと、いかにして自分の老後を安定させるかに腐心する姿がうかがえる。退職した軍人や官吏へ国が支給する恩給はあった。その後、1941年に主に民間労働者(ブルーカラー)を対象とした労働者年金制度ができ、1944年には 職員(ホワイトカラーや女性)に対象を拡大した厚生年金制度ができた。

 戦後1950~1960年代に、公務員、公社、私立学校職員の共済組合(公的年金および公的医療保険を担う)が創設され、休息に年金制度が整えられていく中、1959年 国民年金制度がつくられた。年金と言うものはその性質上、国民の人口ピラミッドに大きく左右されることから、1985年には国民全員が基礎年金に加入し、そのうえで厚生年金、共済年金に追加的に加入する形になった。そしてこれが2015年、被用者年金一本化により共済年金が厚生年金に統一された。 だから現在、職域ごとの共済組合には公的医療保険だけが残っている。

 厚生年金の受給者は国民年金の上に追加的に厚生年金(もしくはかつての共済年金)が受給できるのであるから、通常国民年金だけの受給者より2倍以上の年金額となるのは当然で、この点でも会社員と自営業者との差は広がるばかりである。

 なぜこうなってしまったかと言えば、全ては歴史の歩みの中で創られた制度だからと言うほかない。戦前および戦後初期の自営業者と言うのは、家族・親族一丸となったファミリー・ビジネス事業であったり、あるいは端的に農林業従事者であったから、家族や親族自体が互いに不測の事態を保障し合う役割を担っていたと言えるだろう。戦後の復興期は、とにかく会社を興して国の発展を推し進め、外貨を稼ぐしかなかったから、会社と雇用契約を結ぶ労働者のための社会保障の整備が急務となった。だからこそ高度成長期には会社と雇用契約を結んでいない被雇用者の配偶者も、「銃後の守り」、「内助の功」が評価されて、国民年金制度に「3号被保険者」という分類が存在しているのである。即ち社会保障はまず勤労を称揚するために発展したのであって、それから外れると考えられた部分はそのあと補足的に整備されていったに過ぎない。

 なお、社会保険としてこの他に、40歳以上の国民全員が保険料を負担する介護保険(2000年に制定)があるが、年金受給額によって使える介護サービスが左右されるという点で、年金格差は高齢者の生活を直撃することになろう。

 ちなみに、社会保障と労働の関係については、勤労の義務のみならず権利をも規定した(おそらく世界でもまれな)日本国憲法27条との関連を示唆する人もいるが、これに関する分析は到底私の力の及ぶところではないため、条文を指摘するに留める。

日本国憲法二十七条

1.すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

2.賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

3.児童は、これを酷使してはならない。 


 以上、働き方によって受けられる社会保障の違いについて概観したが、これ以外にも社会保障はあり、分類的に言えば、「社会手当」、「社会福祉」、「公的扶助」がある。これらはその人の働き方とリンクしておらず、例えば「社会手当」は、保険料なしで何かあった人にお金を給付する(児童手当、児童扶養手当、特別児童扶養手当)。また、「社会福祉」は、税金を用いて困った人にサービスを給付する(障害者福祉、児童福祉、高齢者福祉)。そして「公的扶助」は、税金を元に困窮した人にお金やサービスを給付する(生活保護)。

 子供に安全、安心な環境を与え、その成長を助けるのは国の義務であり、また人は予期せぬ事故や不運によって困窮したり、障害を負ったりすることがある。さらに歳をとれば誰もが高齢者になって助けを必要とするであろう。だからこのようなセイフティ・ネットはどうしても必要である。これらは状況に応じて与えられる社会保障である。

 すると、やはり問題は、労働する人々にとっての先述したようなあまりにひどい社会保障格差と言うことになるだろう。国がこれを問題視し、格差の縮小に努めなければならないのはもちろんであるが、これだけ誰の目にもわかる差があれば、仕事に就く前に身の振り方を考えることも御座なりにはできない。私が生きてきた時代は、まさしく社会保障制度が整えられていく時代であったが、その時代を生きていた人の多くの念頭には、働き方による社会保障の差など思い浮かばなかったと思う。であるから、好奇心の赴くままに興味の対象を追っていけた時代だった。そして恐らくそのようにがむしゃらに突き進む人が束になっていたからこそ、日本の社会に多くの達成がもたらされたのだろう。しかし今や、先行きの分からぬまま破天荒に突っ走るような生き方は、日本ではまずできないのではないか。それがまた社会の活力を失わせてしまうのではあるまいかと思うと、ますます閉塞感を感じるこの頃である。


2025年8月14日木曜日

「健康保険」

  この3月に定年退職した友人から聞いた話でびっくりしたことがある。彼女は最初4月からすっぱり仕事はやめて第二の人生に入るはずだったのだが、健康保険料が重すぎて、やめるわけにはいかなかったというのである。今までの組合保険に任意継続被保険者として加入するにしても、国民健康保険に加入するにしても、どうも年間で百万円くらいの保険料がかかるらしいのである。そのため今までのところにこれまでとは違う勤務形態で勤めることにしたという。

 健康保険の保険料というのは、前年の所得に応じて金額が決まるものであるから、高額の保険料が無収入に近い身に降りかかって来るのは不条理ではあるが、致し方ないことである。私が体調不良で退職した十数年前もそうであった。私は組合の任意継続保険に2年間加入し、それから国民健康保険に移ったのだが、組合の任意継続保険の保険料は思わず二度見するほど高額(さすがに百万円はしなかった)だった記憶がある。しかし、何しろ健康保険であるから否応なしに支払うしかなかった。

 ただ調べてみると、2021年ころから、保険料の算出基準額が標準報酬額から退職時の報酬額に変わったようで、それまでは基準が加入者全体の平均報酬額だったのに、それが個人の退職時報酬額になったことで、以前より4~5割くらいは増額になっているのかもしれない。即ちそれまで源泉徴収されていた額の2倍くらいになると考えられる。

 国民健康保険はもっと大変である。国民健康保険は当初は自営業者や農林業従事者の加入が多くを占めていたのだが、国民皆保険を維持するため、退職して無職になった者、年金生活者、非正規雇用者等を包含することになり、現在ではそちらの方が半数を超えるようになった。

 健康保険はそれぞれの加入者内で運営するのが基本であるが、このような現状では国民健康保険内で収支を合わせることはもはや制度的に無理である。もちろん国民健康保険の加入者は他のどの組合よりも高額な保険料を支払っており、特に国が国庫負担金を減らしている現在は誰もが収入の1割以上の負担となっている。それでも賄いきれず、市区町村の税金を投入しなければならず、これが他の健康保険組合から白眼視される理由でもある。

 若いころ、また働き盛りの頃は病気になる人は少なく、ほとんど医療の世話になっていないのに、毎月所属する組合から高額の保険料を取られていると不満を募らせ、一方退職したり年老いたりすれば病気をすることも増えるが、その頃には国民健康保険の被加入者になっており、所得に比して保険料は高いし、なおかつ他の健康保険組合からは金食い虫のように非難される。つまり、全員が「保険料が高すぎる」という不公平感、不遇感を抱いているのである。

 私は医療の世話になっている身なので肩身が狭いが、少しでも医療費を削減できるよう個人も努力していくしかないと思う。どの健康保険組合も年々保険料が上昇する傾向にあるのは間違いないし、もう保険料が家計の限界を超えていたり、保険証があっても窓口の支払いができないので医療を受けられないという人も増えている。病院経営という観点とは相いれないかもしれないが、とにかく無駄な治療や投薬を少しでも減らすしかないだろう。また、被保険者も重症になってから来院するのではなく、できるだけ初期に受診すること、そして予防に努めるよう心がけることかなと思う。しかし、それも焼け石に水かも知れず、事はもうそんな段階ではないのかもしれないと心の底では恐れてもいる。


2025年8月7日木曜日

「食欲不振の夏」

 世の人々はこの暑さの中、いったいどうやって健康を保っているのだろう。いったい何を食べて暮らしているのだろう。これが最近の私の真剣な問いである。

 全国で40℃超えの地点が14カ所あった8月上旬(最高は伊勢崎の41.8℃)は、さすがに「違う段階に入ったか」と思われる災害的危険を体感した。それまでにすでに食欲は落ちていたが、この日は気持ちが悪くなり、もう食欲は全然なくなった。「何でもいい、とにかく食べられるものを口に入れなければ」と、栄養その他の要素は度外視して、スイカやゼリー、プリンなどを食べていた。米飯はこのところ全く口にしていない。食べられる気がしないのだ。その代わりそうめんや冷やし中華ならなんとか食べられている。少し涼しくなるまで米の高騰問題について考えずに済みそうである。

 食事を作る気が起きないのなら外食すればよいかと言えば、まず食事のできるお店に行くことすら自信がない。暑すぎて倒れずに行きつけるか分からないのである。辿り着いたところで、食べたいものがあるかどうか、一人前を食べきれるか、注文して半分くらい残すことにならないかと思うと、とてもお店には行けない。それよりは買い物に出て、少しでも心が動くものを買って来る方がいい。幸いバス停が近いので、これをフルに活用している。夏野菜や果物なら食べられるし、普段はまず買わない冷凍食品も試してみたら、どうしようもない時は「これもありだな」と思った。

 そうこうするうち、友達から夏レシピが送られてきた。私は大豆製品や乳製品、魚、卵でたんぱく質を摂ることが多いのだが、「肉を食べなきゃダメ!」とのこと。そのレシピによると、ネギ、みょうが、しょうが、青じそ等の薬味をたっぷり用いて特性の調味料を作り、豚肉・もやしを痛めて、最後に調味料で整えるというものだった。普段なら美味しく食べられそうであるが、今の私に肉は無理。でもこれまでも、そうめんや冷やし中華に薬味はたくさん入れていた。これがあると食欲がわずかなりとも増進する、有難い食材である。

 いつまで続くか分からないこの酷暑は恐怖である。その間、言ってみれば終末期の食事をとっているようなものだ。「体にいいから」という観点は消え、「これなら食べられる」というものを食べて命をつなぐしかない。体調に影響しないわけがないと思いつつ、どうしようもないのである。