深夜目覚めてふとラジオをつけると、世界の主要都市の天気を最低気温・最高気温とともに伝えていた。それによると、香港や赤道近くのシンガポール、またニューデリーといった、緯度の低いどの都市よりも、東京の気温がダントツで高いことが分かった。この夏はギラギラ輝く太陽を避けるためにも日傘は外出時の必需品である。最近は男性にも日傘が普及しているようで、とても良いことだと思う。
私のお気に入りの日傘は長傘で、紫外線100%カットで遮光率や遮熱率の高い、かつ柄の長さが60cmで持ち手が極めて細い傘である。裏地はシルバーコーティングが望ましい。これだけ条件が厳しいと、ふらっと当てもなくお店に行ってもなかなか出会えない。そのためこれまで通販で厳選した中から選んで使っており、その日傘の良さが分かってからは、念のため同じものをもう1本購入しておいた。
ところが、或る人を訪問するのにめったに乗らない電車に乗った時、この傘をいつのまにか失くしてしまったのである。もちろん遺失物係等に連絡したが見つからず、しばし茫然、この時の喪失感は大きかった。思えばこれがけちの付き始めだったのかもしれない。
しかし同じ傘はまだもう1本ある。気を取り直し、私は新しい傘を使っていた。ところが…である。バスに乗って教会に行く途中、さした傘をすぼめようとして何度か違和感があった後、ついに開いたまま閉じられなくなった。まさかと思った。購入して保管したまま時間がたったことや、暑すぎる気温がいけなかったのかもしれないが、とにかく通常の仕方ではすぼめることができない。仕方なく外面から抱き込むようにして何とか骨組みを抑え込み、取り敢えず傘立てに押し込んだ。そうしないと開いてしまうからである。この傘は蚊さ紐をきっちり巻いてスナップを留め、何とか持ち帰って集合住宅のゴミ捨て場に捨てるほかなかった。これも悲しかった。
3本目の日傘が手元にある由来は次のとおりである。お気に入りの長傘2本をなくして落ち込んでいた時、こういった事情を全く知らない友人が、何故かしら「紫外線や熱を100%カットする日傘を見つけたから送るね」と言って、傘屋さんから立派な傘が送られてきた。この友人はいつも自分がいいと思ったものをおすそ分けみたいに送って(贈って)くれる。私がお返ししようとしても間に合わないほどよく送って来るので、今はもう有り難く頂戴している。さて、この日傘は長傘ではないが、二つ折りにしていつもの大きな鞄に入れて持ち歩けるのでなくす心配が少ない。鞄から出せばすぐ開いて使える。驚くべきは傘の布地の厚み。「これはどんな光線も通れないだろう」と思わせるサンバリアの安心感がある。大事に使わせていただいている。
4本目と5本目の日傘は非常に残念な経過をたどった。手元に亡くなったお気に入りの長傘を以前と同じ通販元に注文したところ、極めて似てはいるが別の品が届いたのである。最初の時は「何かの手違いかな」と思って返品したが、2度同じことが起こるとさすがに腹が立った。おそらく同じ広告の商品説明として掲載してはいるが、その製品はもう無いのであろう。新しいバージョンの日傘にとってかわられているのである。仕方なくこれも返品せざるを得ず、「無い製品は掲載しないでください」と申し添えた。ただでさえ多忙な配達人の手を煩わせただけに終わったのが本当に申し訳ない。
6本目の日傘は、以前購入した3段階で折りたためる小ぶりの傘である。この傘のいいところはとにかく軽いことで、これは歳を重ねるごとに有り難い利点である。ただ、軽いだけに骨組みが弱い気がして、風がない日だけ使用している。長く使うためには無理をさせないに限る。
7本目の日傘は、最近量販店で購入した長日傘である。裏がシルバーコーティングなら最高なのだが、それ以外の紫外線カット等の条件が希望通りだったので試しに購入した。長傘は閉じた時、足元を確かめる杖のようにも使えるため、やはり一本持っていたいのである。
ここ短期間のうちに関わった7本の日傘について述べた。このうち今手元にあるのは3本だけである。使い慣れて気に入っていたものを失うととても悲しく気が沈むし、逆に予想外の贈与はなんともうれしい。一瞬だけ手元にあってすぐ消えていったものが立て続けにあったことには考えさせられた。ずっと手元で大事にしたいものがあり、また新たなものとの出会いもあった。物も人も同じだなと思う。消えていくものが多い中で、今手元に残っているものを大切にしたいと強く思う。