気を付けないといけないなと最近とみに思っていることは、物事の正しい理解であり、避けなければならないのは認識の誤謬です。周囲を見渡して様々な事象、現状、事件等を知るにつけ、現状を正しく把握できていないために多くの有害で無用な問題が発生しているように思います。このようなことを自分の身には起こしたくないと強く思うのは、歳をとるほど「自分の行動は自分で決めたい」という気持ちが強くなるからです。若いうちにできた「我慢」も、或る年齢を超えて歳に反比例するかのように体力、気力、時間等の残余が減ってくれば必須の要素ではなくなります。日々の生活様式を決めるためには自分の置かれた現状を明確に知る必要があり、この時は悲観的にも楽観的にもならず、きっぱり私情を捨てて自分を客観的に見ることが不可欠です。どんな決定も現状の把握という基盤の上に行わなければ過つからです。
先日、整形外科を受診しました。これ以上通院を増やしたくなかったのですが、片足の痛みが2週間以上続き歩くのに難儀したので観念しました。何があるにしても診てもらうのは早いに越したことはなく、「今、自分がどういう状態にあるのか正確に知りたい」という一念でした。エックス線を撮った時点で「異常なし」と分かり安堵したのですが、医師に「でも痛いんですよね?」と聞かれ「痛いんです」と答えると、後日MRIを撮ることになりました。長年骨が脆くなる薬を服用してきたので心配でしたが、結局エックス線では分かりづらい部分も含め、骨に異常はないことが分かりました。痛みを感じていた向う脛は問題なく、確認されたのは膝の軟骨のすり減りでした。ここに私の認識の誤謬がありました。主観的には「向う脛の骨が痛い」と感じていたのですが、実際は軟骨のすり減りが痛みの原因でした。それを聞いて心底安心したのは、もう片方の足で同じ状態を以前経験し、それを今は克服できていたからです。今後の見通しが立ち、「ほぼ完治に至るまで3年かかるが必ず治る」と思えることで、悩みから解放されました。
毎日生活していくうえで必要なのは、「自分または自分を取り巻く状況を正しく知る」と言うことに尽きます。これはあらゆる分野に及び、巨視的に言えば、あからさまな不正と暴力が頻発する世界の中で、高齢化と少子化が進む社会の中で、生存を脅かす環境になりつつある気候変動の中で、弱肉強食が加速する世界経済と食糧問題の中で、「いま私は世界の中の日本という国でどんな局面に立たされているのか」を正確に知りたいと思っています。知ろうとすれば学びによって真実を知ることができるという特権は、世界的には誰にでも与えられているわけではありません。不正確な情報、粉飾、隠蔽、フェイク、洗脳がはびこるこの世でそれらを免れることは容易ではなく、そういう環境を手にすること自体が恵みと言うべき途方もない幸運なのです。真実を隠すのが致命的に駄目なのは、それによって正しい対処法を見つけることができなくなるからです。「骨が折れている」のと「軟骨がすり減っている」のでは治療法が違うように、問題の在り処が正しく究明されなければ過った対処法により、事態を一層悪くしてしまいます。それを故意に行う人々がいるとしたら許し難いことで、このような輩を糾弾しつつ、真実を見る目を養いたいものです。